豊穣祭・二日目後半、黒い魔力Ⅲ
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「魔王の卵?」
ミキサンの言葉に、私は相槌でも打っているようにコクコクと首を縦に振って聞き返した。
分かる単語と分からない単語を耳にした結果の変なリアクションだった。
時刻は昼を過ぎていて、私は自宅でトテトテさんの作ったお菓子にパクついていた。どえりゅ可愛い幼女な見た目とは裏腹に甘ったるい物があまり好きではないミキサンは、同じテーブルに着きながらも湯気の昇る紅茶のみを口にしている。
いわゆる三時のおやつの時間帯ではあったけど、陽は結構傾いていて、屋敷の窓から見える街はオレンジ色に染まりつつあった。
遠くの方では紺色の絵の具を垂らしたような夕闇が、西の空からじんわりと迫ってきている。
「簡単に言ってしまえば卵という表現が分かりやすいかと思いますわ。この世界に魔王を生み出すための“素„ですわね」
私の問い掛けにミキサンが答えた。
お菓子の甘ったるい匂いと、紅茶の柔らかな甘い匂いが混ざり合った胸焼けものの、でも優しい時間。
もっとも、渦中にいる二人の口から出てくるのは「狂」とか「魔王」とか、雰囲気ぶち壊しな、色で例えるなら黒っぽい単語が主であった。
「ん~? 卵……。でも私の持ってる【狂】ってスキルだよね? スキルから魔王が生まれるの?」
「そういうわけではありません。まず、スキルというのは言わば才能です。細かい説明は省きますが、ようするに【狂】というスキルを持っているという事は、あなたには魔王を生み出す才能がある、という事ですわ」
「嫌な才能だね」
「ええ、まったく」
冗談っぽく言ってみたけど、ミキサンは愛想笑いすらしてくれなかった。
茶化せる雰囲気でも無かったので、ちょっと真面目な顔を作って、真面目な話をする体勢を取る。
真面目な話をする時は、たとえフリでも真面目に話を聞く姿勢を見せないと大人というのは怒るのです。チェリージャンとか、チェリージャンとか、チェリージャンとかである。
「私は別に魔王を生み出したいと思った事はないんだけど、わたくしめはどうしたらよいでしょうか?」
尋ねると、ミキサンはカップを傾けて何事かを思案しているようだった。
ややして、
「以前に話したと思いますが、悪魔というのは魔法によって世界に生み出された存在です」
「うん」
「それは“悪魔„である以上、下級だろうと貴族級だろうと変わりません」
「うんうん」
「そしてそれは、その頂点たる魔王も同じです。悪魔である以上、魔王も魔法によって生み出される存在なのです。無論、膨大な魔力や厳しい儀式が必要にはなってきますが根本的な部分は同じですわ」
そこまで述べて、ミキサンが少し間を置いた。
言葉を選んでいるのか、少し考えてから続きを口にした。
「魔法には制約というものがありますわ。もっとも、制約とキチンと線引きされているモノではなく、魔法を取得するための儀式の条件に“枷„が設けられていて、それが制約のような役割を果たすのです」
「いきなり難しくなった」
「たとえば……。そうですわね、種族魔法などがそれに該当しますわね。小僧の連れているあのハロという妖精がいますわよね?」
コクコクと頷く。
もちろんハロちゃんの事は知っている。
なんなら街の子供も交えて一緒に遊んだ事もある。
その時の遊びはおいかけっこだったけど、遊びに夢中になり私もハロちゃんにも熱が入って、最後にはガチンコのおいかけっこになった。あの日は暗くなるまで頑張ったが、結局、逃げるハロちゃんを捕まえられなかった。
「あのハロは、妖精心眼という特殊な魔法を持っていますわ。どう特殊かというと、妖精心眼は会得するための儀式に『妖精として生まれる』との条件が定められています。早い話がアレは妖精しか獲得出来ない魔法なのです」
「なるほどー。それが枷で、制約って事?」
「そうですわ。これと同じように、魔王を生み出す魔法にも制約が存在します。魔王の制約は二つあり、その内のひとつに「魔王が居ない時に」という条件があるのです」
「魔王がいない時? 魔王を生み出す魔法に? どういう事?」
「つまりは、魔王というのは今代に一人しか存在出来ないのです。他の魔王が既にいる場合、新たな魔王は生み出せないのですわ」
「魔王は世界に一人しか生まれないの?」
「ええ。そして、まさにこの部分が、わたくし達やランドールの敵にとって取り除く事が最も困難な制約となっています。何故なら、この世界には既にわたくしという魔王が存在するからです。しかるに、わたくしがいる限り、敵はわたくしを世界から消さねば新たな魔王を誕生させられぬのです」
通常は――と、最後の言葉は頭の中に飲み込んだ。
それらの条件を満たす事なく、ミキサンというイレギュラーな魔王が誕生した。
制約すらものともせずに、それを為せる人物をミキサンは一人だけ知っている。そのような魔法の理をねじ曲げるなどいう大きな力を持つ主君の事を考えるだけで、ミキサンの心は喜びと共に誇らしくもなった。
偶然の産物によるイレギュラーな魔王の誕生。
それによって、本来ならば過去の歴史をなぞるこれまでの何処かのタイミングで生まれていた筈の魔王が、現世に誕生する事なく今に至っている。敵である教会側がシンジュをイレギュラーと呼ぶのは、意図せずあちら側の思惑を阻害した働きがあったからであろう。
シンジュの転移の際、女神ランドールが慌てて与えた加護による幸運が、この様な形で魔王の誕生を阻止したのである。
「そっか……。えっ、でもそれってミキサンが狙われるって事じゃないの? ヤバイじゃん!?」
いつもよりちょっと大きな声で私が言うと、ミキサンがクスリと笑った。
「仮にも魔王ですもの。自分の身くらいは自分で守れますわ。既に何度か狙われましたし、死にかけもしましたが――」
「駄目じゃん!?」
「死んではいませんもの。そんな些細な事よりも――」
「些細な事じゃないっ!」
睨み、大きな声で諌める。
ミキサンはほんのちょっぴり意外そうな顔をした。
それから僅かに視線を逸らし、小さな溜め息をついた。
「それはまあどうでもいいとして」
「言い直した!?」
たぶんミキサンのその言葉は本心なのだろう。紅茶片手に正面に座る彼女の表情はそっけない。言葉のニュアンスだけでなく全身で心底どうでもいいと主張していた。
「嫌だよわたし……、ミキサンが死んじゃったりしたら」
「死にたい願望があるわけではありませんことよ。――まあ、死なない努力は致しますわ」
「私はミキサンの事を心配して――」
「小言はあとでそこの小間使いにでもするといいですわ」
ミキサンはまるで他人事のように言って、お台所で洗い物をしているトテトテさんにチラリと視線をやった。
トテトテさんは聞き上手で、私は何か嫌な事があったりすると良くトテトテさんに愚痴を聞いてもらっている。共感の言葉と共にオーバーリアクションで返してくれるので話すとスッキリするのだ。あの人は本当に悪魔なのかと時々疑問に思う。
「話の続きですが、わたくしは先程、魔王の制約は二つあると言いましたわよね?」
私はむーと唇を少し尖らせたあと、はぁと小さな溜め息をこぼした。
なんだか強引にはぐらされた気がするが、頑として聞く気がないミキサンにこれ以上何を言っても無駄だという事を、長く一緒に暮らして理解している。
いいもんね。あとでトテトテさんに愚痴るから。
私が愚痴ると、全部が全部というわけではないけれど、私の意見に近い形で改善されている事がある。トテトテさんはミキサンによく苛められているが、たぶんあとからきちんとミキサンに私の意見を伝えてくれているのだと思う。
他にミキサンに意見するような人も、ミキサンが素直に言う事を聞くよう人にも心辺りはないので、たぶんトテトテさんの働きかけ。
「それでもうひとつの制約って?」
あとの事はトテトテさんに託して、私も元の話の路線に乗り直す。
ミキサンはカップの中を飲みほし、カチャリとテーブルに置いてからもったいぶるように口を開いた。
「その内に炎を宿すモノ」
「炎を宿す?」
「ええ、炎です。ただ、漠然としていますわ。炎にも様々ありますし、内に宿すというのも曖昧ですわね。――しかしながら、炎という言葉でピンと来る人物の心当たりはありますわ」
「……フォルテちゃん?」
ミキサンがコクと頷いた。
「そうですわ。これは前にも言いましたわね? ですが、いま言ったように炎を示唆するモノは色々ありますから、一概にフォルテだと断言は出来ませんわね。内に炎を宿すという解釈によっては、ただ単純に炎の魔法を所持している者とも受け取れますし、或いは、怒りの炎、嫉妬の炎、情熱的な事を炎と形容する事もありますわね。とにかく、解釈次第ではどうとでも取れる制約ですから、現段階ではあくまでフォルテの可能性が高いというだけで、正しいとは限りません。これは、シスネにも既に伝えてあります」
「もしくはいまミキサンが言ったモノも含めて、該当する人なら誰でも良いって可能性もあるのかな?」
「まさに」と、ミキサンが微笑みを浮かべた。
続けて、
「わたくしもその可能性はあると思っていましたし、シスネも同じ事を言いましたわ」
「え、そう?」
私の知る知り合いの中で「賢い人上位」に分類される二人。その二人と同じ意見だった事で、なんだか自分が賢くなったような気になり、少し嬉しい。
私が得意気ににやけていると、畳み掛けるように「知らぬ間に随分見聞が広がったようで」と、ミキサンが私を誉めてきた。
いやぁと頭を掻いて自身の成長を素直に喜ぶ。
自然と口元がニヤニヤとしてしまう。
「そんな成長著しいあなたに、この話の最も重要な部分を今から説明しますわ」
「うんうん、任せて」
機嫌良く応じる。
ミキサンはもう一度ニコリと微笑むと、重要な部分とやらを説明し始めた。
小言とか、心配事とか、きっとこうやって私は色々と誤魔化されていたのだと、あとになって思う。




