糸
「デッケェ……」
家、というより屋敷と形容する方が正しい建物を前に、そんな驚きの声をあげたのは私ではなく、トエルさんだった。
声にこそ出さなかったが、私もその感想には同意する。たぶん、100人に聞けば内99人が「とても大きな家」と言ったに違いない。
「小さいですわね」
屋敷を見上げながら事も無げにそう言ったのは、今この場にいるメンバーの中で一番小さい女の子。ミキサン。100人の中の唯1人の少数派。
この家の何処をどう斜めに見たら小さいという感想が出て来るのか、私にはちょっと分からなかった。
ブラッドさんに引っ越しの打診を受けたのが2日前。
一体全体どういうツテがあればこんなにも大きな屋敷を用意出来るのかは謎である。
私の予想ではもっと小ぢんまりとした、それこそB級宿屋の一室の様な部屋を予想していたのだが、案内された先にあったのは、貴族でも住んでいそうな大きな屋敷だった。
大きな家に住めるのは多分良い事なんだとは思うが、根が庶民な私に「この家をどうぞ」と言われても不安しかない。
と言うか、これは何かの手違いなんじゃなかろうか?
どう考えてもそうとしか思えない程、私には不釣り合いな豪邸である。
「あの~……。イーリーさん」
「なにかしら?」
「ほんとにこの家なんですか?」
「…………たぶん」
その「たぶん」に、信憑性はどの程度含まわれているんでしょうか? 私としてはそこが肝心だったりするんです。
そんな風に思っていると、イーリーがごそごそと懐へと手を伸ばし、そこから一塊になった鍵の束を取り出した。
凄く沢山の鍵。
「ブラッドに渡されたここの鍵なんだけど……」
手元の鍵束をジャラリと鳴らしてイーリーさんが告げる。
「……どれが?」
と、私の代わりに、眼前に立ち塞がる門にしがみついて屋敷を眺めていた筈のトエルさんが尋ると、手に持った鍵束を僅かに掲げたイーリーさんがちょっと困った様な顔をして「全部よ」と返した。
それから、イーリーさんは小さく息を吐き、「行けば分かるって……こういう事か」と、ぼやいた。
「ほら。シンジュ、あなたが開けなさい。この中のどれかが門の鍵よ」
そう言って鍵の束を渡して来るイーリーさん。
いや……、全部試せと?
「右から3番目が門の鍵ですわね」
鍵の束を受け取った私が、その十数本ある鍵の束を前にややうんざりしていると、隣に居たミキサンが何でもない顔をして答えを届けて来た。
「どうして分かるの?」
「右から3番目の鍵から、この門と同じ流れの魔力を感じますわ」
「鍵と門に魔力が流れてるの?」
「そうですわ」
ミキサンが肯定すると、何かを悟った様な顔になったイーリーさんが「あ~、なるほど」と分かった風な声をあげる。
なるほど~。分かっちゃったか~。
私は全然分からない。
「普通の家には無いけど、ここはこれだけ大きな屋敷だものね。あっても不思議じゃないわ。――トエル、あなたちょっと門をよじ登って上から中に入ってみてくれる?」
「ん? 良いけど……。なんだ?」
「入れば分かるわよ」
訝しげつつも、素直に門をよじ登り始めたトエルさん。4メートル近い門であるがそれをスイスイと身軽に登っていく。
流石はBランク冒険者と誉めるべきか、それとも泥棒の才能がありますねと褒めるべきか……。後者は誉め言葉じゃない気がする。
そうして、あっという間に門の一番上まで辿り着くと、体を向こう側に――
バチッ!
と、突然大きな音がして、「ぎゃあ!」と叫び声を上げたトエルさんが門の上から降って来た。
鈍い音と土煙を立てて地面に墜落するトエルさん。かなり痛そう。
「こんな感じで、無理に侵入しようとする輩を撃退する魔法が掛けられてる門なのよ」
地面に転がるトエルさんには見向きもせずに、涼しい顔をしたイーリーさんが門の説明をしてくれた。
「はぁ……」
「俺で……、試すんじゃねぇ……」
地面に倒れ伏したままのトエルさんが、うめき声と共に抗議の声を上げたがその声は苦しそうで小さい。
「大丈夫ですか?」
一応訊いてみたが、「……大丈夫じゃない」という至極もっともな返答が返ってきた。
「トエルは丈夫さだけが取り柄だから心配いらないわ」
カラカラと笑ってイーリーさん。
その言葉にひでぇと呟くトエルさんだが、この人がイーリーさんのオモチャにされるのはランドールに来て以降、何度も目にした。
それでも喧嘩にならないのは、きっとこういうのがこの人達の日常なんだからだと思う。今を楽しんでいる人達。少しだけ羨ましく思う。
そんな中に、遠巻きではなく半歩だけ身を寄せる自分がちょっと嬉しくなって微笑む。
それから、ミキサンに教えられた鍵を手に取り、門に空いた鍵穴へと差し込み、開ける。
カチリと小さな音がして鍵が開くと、私のすぐ脇にいたミキサンが左側の門扉を手で押し開いた。
キィキィと金属の擦れる音をさせながら重たげな扉を押していく少女の後ろ姿。その大きな鉄を動かす小さな少女というアンバランスさに、不思議なものでも見ている様な気になる。
「ありがと」
「いちいちお礼など結構ですわ」
扉を完全に押し開き、中でこちらが入るのを待つ少女に礼を言う。
そうするのが当たり前だとでも言いたげな表情のミキサンに小さく笑う。
この子はこの子で、私の為に何かするのが当然と思っているらしく、それがなんだかむず痒くもあり、嬉しくもある。どういう形にしろ慕われるのは嬉しいものだ。
門を潜り、ミキサンを通り過ぎ、一個人が住む家にしてはちょっと長めの玄関アプローチを進む。
門から一直線に伸びる石畳の敷かれたアプローチは、歩く度にコツコツと音がなる。
私が鳴らすコツコツと、背後から聞こえてくる三人分のコツコツを聞きながら進み、玄関扉の少し手前で止まる。
私が止まると後ろも止まる。コツコツが無くなる。
そうして、立ち止まったそこから上を見上げて全体をぼんやり眺める。
私から見て、屋敷は門に対して少しだけ左を向いている。
外から見た限り、三階建てとおぼしき屋敷は、壁が一面真っ白で、それに反射する陽光が混じり眩しく輝いて見える。
三角屋根の屋敷の横には、ロケットみたいに尖った屋根の建物がくっついている。
あれはなんの為にあんなに尖ったデザインなのだろう? 塔?
私の左側、屋敷の玄関正面に顔を向けると、そこは25メートルプールがすっぽり収まりそうな広い庭。
景観を損ねない程度にほどよい木陰を作る数本の木々と、庭の中央にある花壇とおぼしき円型のレンガ束。花壇の中には赤と黄、白の三色がお日様とにらめっこをしている。
「誰も住んでいないんですよね?」
誰に向けたものでもないけれど、そう口にした。
自分でも少し変な質問だと思ったけれど、誰も住んでいない割には良く手入れがされているなと、感じたままに尋ねてみた。
「ここはね、元々とあるお金持ちの別荘として使われていたところなの。最近までね」
「そうなんですか」
「そうなの?」
私とトエルさんの声がかぶった。
「そうなのよ。手入れがされてるのは、ほんとに最近まで使ってたからじゃないかしら?」
そうイーリーさんが説明する。何故かトエルさんを蹴飛ばしながら。
「私が、ほんとにここに住んでも良いんでしょうか? この綺麗な庭を維持する自信、全然無いんですが……」
「うん。いいって」
えらくあっさりと返してくるイーリーさん。
庭つきの屋敷というとんでもない物件をえらく簡単に譲り受けたものであると、内心ドキマギする。私にはこの庭を維持する技術もポテンシャルも持ち合わせてはいない。きっとえらく簡単に譲り受けたこれを、えらく簡単に荒野かジャングルにしてしまうだろう。
庭だけではない。――屋敷へと視線を戻す。
この西洋風の大きなお屋敷も、どう考えても私の手には余る代物である。
今はキラキラに輝いて見えるこの白い屋敷も、半年もすれば幽霊でも住み着きそうな廃墟になってしまうに違いない。
――断ろうかな。
そんな事が頭を掠めた時、いつの間にか隣にいたミキサンが言った。
「こんな小さな屋敷程度ならば、わたくし一人でも十分に管理出来ますわ」
ミキサンを見る。
事もなげな顔をしている。その表情を見て、たぶん本当にそうなんだろうと思った。
「出来ちゃうか~」
「ええ」
「そっか~」
断る理由が無くなってしまった。
「でも、お高いんでしょ?」
冗談混じりに再確認。答えは知っている。だから再確認。念のため。
「タダでいいって」と、イーリーさん。
「……さいですか」
他に空き部屋や空き家のあてがあるわけでもないので、どうあっても私はここに住むしかないらしい。
まあ――大きい家で慣れないのも最初だけかな……。たぶん。
「どうしてこうなっちゃったのか分かんないけど……。お言葉に甘えようか?」
一人ではちょっぴり――いや、凄く不安なので、もうひとりの同居人の意思を尋ねてみる。自分の不安に巻き込む。相手には悪いが、それでちょっとだけ心が軽くなった気になる。
私の同居人であるミキサンは、少しだけ訝しげに屋敷を見ていたが、私の声でこちらに顔を向けた。
その顔はひどく淡白に見えた。不安な私とは大違いの余裕のある顔。
見た目は私の方が年上なのに……。
「よござんす。例え何があろうとも、わたくしがお側に付いておりますわ」
とっても頼りになる同居人の笑顔。
それですっかり心が軽くなる。ピーンと張られといた不安の糸がユルくなる。
こうして、異世界生活を始めて一月も経たない内に、私は新しい家、というか豪邸を手に入れたのであった。
☆
家の中であっちにふらふら、こっちにパタパタと嬉しそうにはしゃいで回る自分の主の後ろをしばらくくっついて回った後、――大丈夫だろう、と判断して、少しだけ主の側を離れる。
静かに。
そうして、この家のもう一人の住人ミキサンが足を進めたのは、普通に過ごしていては到底気付かない隠し扉を進んだ先にある場所。
普通の屋根裏へと続く天蓋を開けたほんの一瞬にのみ開く、刹那の扉。外からでは視認する事の出来ない、尖り頭の屋根裏の更に上。
(どんな見られたくないモノがあるのかしら?)
暗く、長い屋根裏への階段を、灯りも使わず夜目を頼りに進みながらミキサンは考える。
(衣、食、住。――食い付きやすい餌としては随分気前が良いですわね)
自分の主が大層お気に召した様子の贅を凝らした料理を提供する店。食。
自分の主がやや恐縮してしまった程に絢爛な屋敷。住。
そして、翌日には今度もこの街に住むにあたって必要なモノの買い物へと出向く約束も取り付けてある。衣。
これらの餌全てが、金銭的見返りも無く、自分の主に差し出されている事実。
(なんのつもりか知りませんが、よほど我が君を街に居着かせておきたいらしいですわね)
そこまで考えたところでミキサンは不敵に笑う。
数日前まで感じていた下手くそな監視の視線も今はない。だが、数日前までは確かにあった。
ミキサンは初め、それを魔王である自分を監視する為に尾行する冒険者の視線だと思っていた。
だからか、自分の事など然程に興味も無いミキサンにとってそれは少し不愉快なだけの視線でしかなかった。その為、ミキサンはその正体を探ろうとも、止めさせようとも思わなかった。
しかし――それは自分を過大評価しての間違いだと気付いた。
やや傲慢になっていた自分を恥じる。
(我が君の敵になるならば容赦はしませんことよ、ランドールの小娘。――我が君に仇なすならば、その糸で操られる人形はどちらか……。分からせて差し上げますわ)
気付いた切っ掛け、という程の事でも無いが、ミキサンはシンジュに近付く者全てをこの数日で極秘に、徹底的に調べあげた。
その際に使用したスキルは、掛けた相手の能力を形として読み解く魔技[暴視]。そして[調教]に[拷問]。
暴視は、解析系の魔法の最上位に位置する魔法である。
だが、その最上位をもってしてもシンジュの持つ神眼程に細かな情報が分かるというものではなかった。神眼は更にその上をいくスキル。神の御業。万象を知る為の眼。
ミキサンは知らない。
その神眼の持ち主が、自分の直ぐ側にいる事を。
初めは暴視のみでの観察に終始していたミキサンだったが、何人かの冒険者を見た際に、ふと、その冒険者達に共通してうっすらとこびりつく魔力に気がついた。
否。正確に言えば、それが無い冒険者にである。
この薄くこびりつく魔力は、あまりに少量の為、それだけでは何なのかハッキリとは分からない。
ただ分かっているのは、その極微細な魔力の糸を自分が見たランドールの住人全てから感じる事が出来た。
そのためミキサンは初め、それはランドールの街特有の魔力のカスだと思っていた。
消えてしまった女神の加護の残滓。或いは、それに準ずる何か。
だが、全ての住人が持っているそれを、何故か冒険者達だけは持っていなかった。
ここにミキサンは引っ掛かりを覚えた。
女神の加護が消えたのは、自分が世に顕著する前の出来事ではあるが、知識としてそれはついこの間の事だと認識している。
であるならば、ランドールに来たばかり、という冒険者を除けば、この残滓を全員が持っていないと不自然である。
だが、殴りかかって来た負け犬共から聞き出した話では、最近、他所から来た冒険者は20名。内7人は先の大厄災で死亡しているらしい。自分が殺した連中だろう。
残りの13名には案の定その糸は付いていなかった。それは予想通り。
問題は、昔からいる冒険者にも糸がついていない事にあった。
加護の残滓ならば、長く街に居座っている者は総じてそれが付いていなければおかしい。という事は、女神の加護の残りカスという訳ではないのかと……。
改めて調べていく内に、糸が付いている冒険者と付いていない冒険者に共通する部分がある事が分かった。
それは、この街――ランドールの生まれであるか否か。
冒険者であっても、この街で生まれ育った冒険者には糸がついている。
しかし、他所の生まれである冒険者に糸は無い。
生まれが関係している事までは把握出来たが、それ以上の進展は無かった。
2日前までは。
あのブラッドという冒険者。ここの生まれであるらしい彼にも糸はついていたが、やはり生まれ以上の何かを見つけられてはいなかった。
のだが――
あれは言った。――ミキサンはシンジュを主と崇めているのだな、と。
それを知るのは極一部の者だけである筈だ。
自分が直接説明したレンフィールドとかいうギルドマスター。そして、レンフィールドが報告すると言っていたランドール家。
他の者は知らない。あの生意気なアイでさえだ。
レンフィールドが隠した方が良いと我が君に入れ知恵し、我が君はそれを受け入れた。主が受け入れたならば、自分に否が応などあるはずもない。
だからミキサンは、その日以来、人前でシンジュを我が君とは呼んでいない。シンジュと呼び捨てにしている。
畏れ多い事ではあるが、元々、それがあの我が君のお願いでもあったので、呼び捨てする事に抵抗はない。主の望む通りに事を為すまで。
呼び捨てだが、恭しい態度や口調はそのままである。その為、二人の仲を怪しんでいる者がいる可能性はあるのだが、自分の常日頃の口調と容姿のお陰でハッキリと主従の関係に気付いている者は居ない様だ。
その上、「友達だ」というお墨付きがランドール家から交付されており、意外にもランドールの住人はそれをアッサリ受け入れた。実にアッサリと。
ランドールの住人から自身の主君に向けられる視線は、やや稀有な者を見る目ではあるものの、決して悪いものではない。置かれた立場も、状況も、彼女にしてみれば順風満帆といったところ、か……。
存在しない屋根裏への階段を上りながら、ミキサンはクスクスと笑う。嗤う。
(どれだけ食い付きの良い餌を用意しようと、その貧弱な糸で大物を釣ろうなど、随分軽く見られたものですわね。――操りの糸か、釣り糸か――どちらにせよ、その糸を握るのはこちらであると、分からせてあげますことよ)
糸が切れようが切れまいが、自分が優位であるというミキサンの認識は揺らぐ事はなかった。
糸の繋がりは、それを付けた者、付けられた者のどちらでも立場は変わりはしない。
結局のところ、糸を引く力の強い方が勝つのである。
操者を人形劇の舞台に引き摺り出すか、或いは、釣人を海に引き込むか――。
長かった屋根裏への階段の終わり。出入りと思われる小さな扉に手をかけた少女は、その容姿には似つかわしくない傲岸不遜を顔いっぱいに貼り付けて笑ったのだ。




