豊穣祭、二日目・急転
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ガキンと金属同士をぶつけた甲高い音が耳を痛くしたあと、ごおんと重い音が腹底に響いた。
繰り返される音の響きに耳を傾けながら、二人の姫は行われている作業を静かに眺めていた。
しばらくそうしていると、一定間隔で鳴っていた音がピタリと止む。
そこから少し間を空けて声を発したのは、人の頭より大きな鉄の塊を先っちょにくっ付けた大槌を振り回していたクローリであった。
「……ダメね。傷ひとつ付きやしないわ」
溜め息と一緒にそう溢す。
「クローリの怪力で無理となると、普通の方法では壊せないのでしょうね」
「そのようです」
赤い姫が返し、青い姫が同調する。
忌々しそうに目を細めたシスネの視線の先には、黒い壁のようなモノが広がっていた。
そこにタッタッと足音が聞こえてきた。
次いで「なにこれ?」とボヤく声。
「リナ、無事だったか」
フォルテが安堵の声を届けると、リナがフォルテ達のそばへと駆け寄った。
「これなんですか?」
「分からん。突然現れた」
リナの問いに応じたあと、フォルテは黒い壁へと顔を向け、僅かにそれを見上げた。
丸いドーム型の壁が広場いっぱいにまで広がっている。
薄い膜に覆われたその中には黒いモヤが立ち込めていて、外から中の様子を窺い知る事は出来ない。
フォルテと同じようにドームを見上げていたリナが、ハッとしたようにキョロキョロと辺りを見回し始めた。
周囲にはフォルテやシスネをはじめ、ランドール家の使用人など見知った顔も多かったが、リナは見渡した中に目的の人物を見付ける事は出来なかった。
「あの、お母さん見ませんでしたか?」
「……たぶん、中だろう」
「そんな……」
「ジルだけじゃない。広場にいた者達はみなこの中に閉じ込められてしまったらしい」
渋い顔をして黒いドームに目を向けていたフォルテが、口惜しそうに下唇を噛んだ。
リナは意を決したように顔を引き締めると、右腕をドームに向けて伸ばした。
「やめておきなさい。魔法も色々試したけど、どれも効果は無いわ」
クローリが制止する。
でも――と、リナが食い下がろうとする。
そこにシスネが割って入った。
「リナ、何が起こるか分かりません。あなたの力も、きっと必要な場面があるはずです。その時に動けるよう、あなたの力は温存しておいてください」
静かな口調でシスネは言った。
リナは少しだけ不満気に眉根を寄せたが、結局何も言わず、ドームに向けていた腕を素直に引っ込めた。
それからリナは、魔法の使用を控えた代わりに質問を投げかけた。
「他のみんなは?」
「無事なのはゲームに参加していて広場に居なかった者達です。シンジュも無事です。今、ヒロが呼びに行っています」
「そうなんですか……」
「そう心配する事もありません。閉じ込められはしましたが、中にはカラスも居ます。なにより、あの小さな暴君も一緒に閉じ込められたようなので」
シスネは諭すようにそう言って、顔をドームに向けた。
広場を飲み込むように広がる謎の壁。
中に閉じ込められてしまったのは広場で観戦していた住民達や午前中にやられて退場となった参加者達。そして、実況席に座るパッセルや、その隣で解説者として参加していたミキサン。
閉じ込められた事自体は不運であったが、その中に魔王が混じっていたのは幸いではあったのかもしれないと、シスネは心の何処かでホっとしていた。
余程の事が無い限り、大抵の問題は彼女ひとりで片付けてしまうだろう。
「考え事中に悪いが……」
ドームを無表情に見つめていたシスネに、チェリージャンが声を掛けた。
チェリージャンは、振り向いたシスネの目の前でドサリと脇に担いでいたモノを地面に転がした。
「誰です?」
転がされたのは二人の男。
その知らぬ顔にシスネが問い質す。
チェリージャンは顎でクイと後方を示した。
シスネがそれとなくそちらに目をやると、離れたところに身なりの良い老夫婦らしき二人の姿があった。
「知ってる顔か?」
チェリージャンの質問にシスネが小さく首を振る。
間を置かず、ですがとシスネは続けた。
「見当はつきます」
「ならそこの説明は省くが……。俺がリナを呼びに行ったら、丁度こいつらがあの二人を襲っている最中だった。リナを人質に取ってな」
その言葉に鉄の姫には珍しく僅かに驚いた顔をする。
「余計だったか?」
「いえ……。――いいえ。よくぞ、防いでくれました。私達を狙うならばいざ知らず、まさかランドールの中でその様な凶行に及ぶなど、想像もしていませんでした。感謝します」
「ならいい。たまたま居合わせただけだ。礼はいらん」
「ちょっと! あんたなに手柄ひとり占めしちゃってるわけ? ひとりはわたしが。わたしがっ、捕まえました」
えっへんと胸を張るリナに、クスクスとシスネが笑った。
「それは大変良い働きをしましたね。あとで何かお礼を用意しましょう」
「え? あ、いや、別に欲しくて言ったわけじゃなくて」
大袈裟に首を振って、リナが今しがたの態度が嘘のように、慌てて謙虚な姿勢を取った。
「遠慮する必要はありません。それだけの働きをしたという事です」
「いや、本当に……。住む家とか服とか、お母さんに仕事まで紹介して貰いましたし……。あっ、それより聞いていいですか?」
「なんです?」
「あの二人に道案内をして欲しいって頼まれて、それでここまで連れて来たんですけど、その、連れて来て良かったのかなって……」
シスネはその質問に少しだけ考え込む素振りを見せた。
ふた呼吸ほど空け、
「あそこの二人がどういう方々か、本人達から聞いていますか?」
いいえとリナが首を振る。
「あ、でも、偉い人なんだろうなってのは、なんとなく雰囲気で」
「……そうですか。――偉い人というのは、その通りです。彼らは王国の侯爵とその夫人です」
「はぁ……」
貴族は知っていても爵位の意味までは良く分からず、リナが曖昧な返事を溢す。
「ようするに、簡単に言ってしまえば王族を除いた貴族の中で、二番目に偉い、という事です」
聞いた途端、リナの顔が青くなる。
口元をひきつらせ、今にも泣き出しそうな顔をしておずおずと口を開いた。
「それって……、もの凄く偉い人なんじゃ……」
「はい。万が一にも彼らの身に何かあれば、それはもう一大事です」
「あの……、わたし、もしかして知らずに凄く失礼な事をしたかもしれなくて……」
リナがこの世の終わりみたいな顔をする。
まさかそんなに偉い人だとは思ってもみなかった。
「私の知る限り、アダムガーデン侯爵というのは、命を救って貰った恩人に多少の失礼があったくらいで問題にするような狭量な方ではありません」
「でも……、本当に大丈夫でしょうか?」
「心配のし過ぎです。むしろあなたならば、あの二人はあなたの多少のワガママも喜んで受け止めてくれるかもしれませんよ? 試しに、何かおねだりでもしてみたらどうですか?」
無理無理無理と千切れんばかりにリナが首を何度も振った。
「そうですか? ではまあ、仕方ありません。代わりに私があなたに何か用意するので、それで我慢してください」
コクコクと頷き、リナが了承する。
シスネがまたクスリと笑う。
「あの~、ちなみになんですけど、シスネ様とフォルテ様はどのくらい偉いんですか?」
「私達ですか?」
リナが頷く。
「私達はあなた方と変わりません。ランドール家は貴族ではありませんから」
「そうなんですか?」
「はい。ランドールという土地を治める……、まあ村長のようなものです。そんなものですよ、ランドール家の扱いなど」
「……わたしの知ってる村長とは、たいぶ差があると思いますけど」
カラスによって気絶したまま何処かに引っ立てられていく不審者二人を眺めながら、リナはボソリとそう呟いた。




