豊穣祭、二日目・リナと老夫婦Ⅱ
「リナっ! あなたは何か誤解をしているみたい! あなたはなにひとつだって失礼な事なんてしてはいないわ。ねっ、ガウリィ! そうよねっ!?」
「ああ、そうだとも! エレナの言う通りだっ! リナは何も失礼な事などしていない。むしろ、見ず知らずの私達にも良くしてくれる出来た子だと、さっきエレナと誉めていたところだ!」
「ええ! ええ、その通りだわ! きっとご両親の育て方が良かったんじゃないかしら!?」
「ああ、きっとそうだろうね。ジルと(ここでバシッとエレナに肩を叩かれた)――ご両親も立派な人達なんだろう。そう、ご両親がね」
二人からの怒涛のごとき慰めに、嗚咽を漏らしていたはずのリナが眉をしかめた。
――いま、ジルと言わなかっただろうか?
――自身の泣き声で良くは聞こえなかった。聞き間違いだろうか?
泣くのをやめ、怪訝そうな顔をして涙で滲んだ瞳を真っ直ぐ見つめてくるリナに、二人が苦笑いとも愛想笑いともつかないぎこちない笑みを浮かべた。
リナは聞き間違いか否かも気にはなったのだが、二人が自身の母親を知っているとは、まして実は目の前にいるのが自身の祖父母などとは全く思っていなかったため、その事を深く考えようとはしなかった。
それよりも、二人がどうやら怒っていないらしいと分かった事の方が、リナにとっては重要な事であった。
リナが小さく鼻を啜ると、それに合わせて珍妙な微笑みを浮かべていたエレナが思い出したかのようにリナの目元をハンカチで拭った。
その時には、エレナの微笑みはぎこちないモノから慈しむような優しげなモノへと変わっていた。
「ありがとうございます……」
微笑んだままエレナが小さく頷く。
その微笑みを見て、リナはゆっくりながら冷静さを取り戻し始めた。
涙と共に不安を流して少しスッキリし、そうして冷静さと一緒にやって来たのは恥ずかしさだった。
人前で、さっき会ったばかりの人達の前で大泣きして、しかもそれがどうやら自分の考え過ぎから来る勘違いが原因。
リナは何だか無性に恥ずかしくなって、「見んといてつなぁさい」と誰かを真似てうずくまりたくなった。
この短期間の内に、緊張、不安、葛藤、羞恥など、様々な感情をたっぷり味わったリナの脳、とっくにキャパシティを超えてしまって、もう何が何だか頭が上手く働かない。
一体私は何をしようとしていたんだっけ――と、リナが回らぬ頭を動かしていると、不意に名を呼ばれた。
リナが慌てて正面に向き直る。
てっきりリナは二人のどちらかに呼ばれたと思ってそちらを向いたのだが、当の二人はリナに横顔を向けていた。
つられてリナも二人と同じ方を向く。
「やっほ! リナ、こんなところでどうしたの?」
とっても軽い調子で声を掛けて来たのはシンジュであった。丁度建物の角から顔を出したところだった様子。ほぼ真上から広い通りに差し込む陽光が、両手の銃をピカリと妖しく輝かせていた。
見知った顔、なんならつい今しがたモノマネでもしようかと思っていた相手の姿を目にし、リナは知らず知らずに安堵した。
「あんたこそ、こんなとこで何してんのよ?」
「わたしは青チームの陣地に乗り込む途中。赤チームばっかり狙ったら不公平かと思って」
応じ、シンジュは右手の銃を人差し指でくるくると回しながら鼻歌でも唄い出しそうな表情と足取りでリナ達に近付いた。
三メートルほどにまで歩みを寄せたところで、シンジュは回していた銃をパシッとカッコつけて握り直し、当たり前みたいな顔でリナに問い掛けた。
「リナ、撃っていい?」
「……イヤよ。いまからこの人達を広場に連れてくとこなの。悪いけど、あとにしてちょーだい」
リナは呆れたように言った。
リナにフラれたシンジュだったが、これといって残念な様子ではなかった。
代わりに、ツイッとリナの斜め後ろに視線をやって、そこにいた夫妻を視界に捉えた。
そうして、――あれ? っとシンジュは気が付いた。
気付いたシンジュが口を開くより先に、ガウリィが険しい顔をして人差し指を口元に当てた。
僅かに慌てた様子のガウリィを視界に入れて、シンジュは無表情で何事かを考えていた。
ふた呼吸の間を空け。
「あ、あ~、そうなんだ。へー……。――そうなんですか?」
口の端をニンマリと上げたそのなかなかに白々しい態度にガウリィが応じた。
「あ、ああ。実はそうなんだ。さっきたまたま知り合ってねぇ」
背中にじんわりと嫌な汗をかきながらも、ガウリィはどうにかそれだけ返した。
「そうですか。わたしはリナの友達で、シンジュといいます。はじめまして」
シンジュが笑顔で挨拶した。
ガウリィはシンジュの笑顔を目にした途端にひきつった微笑みを浮かべた。
互いに笑顔を、されど違った種類の微笑みを交わす。
「……よろしく」
ガウリィはそれだけ言ってだんまりを決め込んだ。
シンジュの登場は当初、空気の悪くなってしまったリナと夫妻の中にあってある種の潤滑油のような役目を期待された。
現にリナはシンジュが現れてから先程よりも随分表情が柔らかくなった。安心した
知らない者しか居ない空間だったものが、友達が一緒の空間になった。それのなんと心強い事だろう。
その事自体はガウリィやエレナも、リナのホッとした様な表情を見て、助かったという想いだった。
雰囲気が好転したその事自体は良かったのだが、しかし同時に、夫妻はシンジュが何か余計な事を口にするのではと内心で焦っていた。
はじめましてと挨拶を交わしたシンジュではあるが、夫妻とは初対面ではない。
先日、中央の宿屋に預けたままであった荷物を取りに行く際に、シンジュは中央にあったアダムガーデン家の屋敷にも訪れていた。
シンジュが夫妻の元を訪れたのは、リナの母親であるジルの頼みを受けたからであった。
その依頼は夫妻に手紙を届けて欲しいというもの。
届け先がジルの実家だと聞いたシンジュは、ジルの頼みを軽い気持ちで引き受けた。
駆け落ちの末にジルが実家を勘当されたとリナに聞かされていたシンジュは、もしかしたらこの事でジルと実家の関係が改善されるのではないか、それはきっと良い事で、だったら頼みを断る理由なんかないと人助けのつもりで了承したのだ。
ジルの両親――つまりは、リナの祖父母がどういう人なのかにも興味があった。
そんなわけで、密命を帯びて、シスネやミキサンにバレぬようだましだましでやって来たアダムガーデンの屋敷であったが、当然ながらシンジュは門前払いを受けた。
突然アポ無しでやって来た何処の馬の骨とも分からぬ平民が、侯爵の地位を持つ貴族においそれと会えるわけがなかった。
全く相手にされなかったが、それでも自信満々だったシンジュは、ならばと伝家の宝刀と称してアダムガーデン家のお嬢様であったジルの名を出した。ジルの遣いの者だと。
でもやっぱり相手にされなかった。
どうせ何処かでお嬢様の名を聞きつけ利用しようと企んだだけと思われたらしかった。
自信満々で抜いた刀は、宝刀どころかナマクラだったのである。
その結果、シンジュは早い段階で実力行使に出た。
バレなきゃ良いだろと屋敷に無断で侵入した。
これが意外にもバレなかった。
スキル隠密が良い仕事をしたのと、魔力探知に引っ掛かりようのない魔力すっからかんが幸いし、見事ガウリィ侯爵と会う事が出来た。
もっとも、最終的にガウリィとの対面を果たした場面で、シンジュは不法侵入者ゆえとっても警戒され、その際に一悶着あったのは言うまでもない。
それでも無事に手紙はガウリィの手に渡り、シンジュはエージェント気分で満足気に屋敷を後にした。
なお、騒ぎになるとシスネにとても怒られるので口止めも忘れなかった模様。
不法に侵入した挙げ句、異変に気付き集まった侯爵遣えの騎士達を片っ端からぶっ飛ばし、それを黙っててと言われて「はい、わかりました」と普通はならないのだが、ジルの手紙を読んだガウリィはそれを不問とした。
どういった内容が書かれていたのかは、書いたジル本人と夫妻しか知らないが、とにもかくにも夫妻はジルの現状や居所、そして孫の存在を知る事となる。
そうして夫妻がお忍びでやって来たランドール。
当初、ガウリィはあまり乗り気ではなかった。
既に勘当した娘。知った事ではないと主張したが、それにエレナが強く反発した。
互いに譲らず、一時は大喧嘩にまで発展した。
とうに侯爵家の妻としての役割を終え一線から退き、あとはのんびり余生を過ごすだけの人生だったエレナ。
そこに突然降って湧いた唯一の心残りだった娘の安否と所在。
頑なに首を縦に振らないガウリィに、「私はひとりででも行きます。あなたはどうぞおひとりで余生をお過ごしください」とエレナが荷物をまとめ始めたところで、ようやくガウリィは折れた。
折れはしたが、それでもガウリィはランドールに来るまでずっと不機嫌で、道中もぶつぶつと不満を垂れ流していた。
ランドールに来るまでは。
悪名高き悪魔領に単身乗り込もうする妻を案じて渋々折れたガウリィだったが、ランドールに来るなり我が目を疑った。
ガウリィの想像では、ランドールというのは荒れた秩序無き無法の地というモノであった。
しかし、実際に目にしたランドールは、荒れているどころか道ひとつ取っても精緻され、中央にも引けを取らぬ街並みを有した美しい場所であった。
生きて帰れぬかもしれない――そんな覚悟でやって来たガウリィは拍子抜けした。
それでもやはり悪魔領は悪魔領。
若かりし頃を彷彿とさせるピリピリとした空気を纏い、鋭い目付きで油断なく街の奥へと向かった。
通りですれ違うランドール住民達がみな同じ場所を目指しているようだったので、何事かとつられる様にやって来た夫妻であったが、広場に着くなりガウリィはまた目を丸くするハメになった。
どうやら祭りの日らしかった。
見た事もない設備や道具が並ぶ広場。
それらを使った催し。
興味深げにしばらく住民達に混じって観戦していた夫妻は、途中でリナという単語が耳に入った。
実況席と書かれた札が下がるテーブル。そこに座る女性が発した言葉だった。
手紙に書かれていたものと同じ名前に、ガウリィは僅かに逸る気持ちを抑えてモニターに目をやった。
しかし、映し出される人影は多く、どれが目当ての者か分からない。
すると、同じようにモニターの中を探していたエレナが、たまたま隣にいた男に声を掛けた。
背が高く、凛々しい顔をした青年であった。
「リナ?」
「ええ、あなたご存知ないかしら?」
問われた青年は少し険しい表情でエレナを見たあと、そっぽでも向くようにモニターに顔を向けた。
画面は丁度青チームの全体像を上部から見下ろすような構図であった。
「あそこの――画面の中央で椅子に座っている青い髪の女が分かるか?」
「ええ、分かるわ」
「その近くにいるやや明るい茶褐色の髪の子供。このチームに子供はアイツだけだから分かりやすいだろう? あれがリナだ」
青年がそう説明すると、ガウリィとエレナは食い入るようにして画面に映る少女の姿を眺めた。
熱心に眺める二人の顔を、青年が切れ長の目で静かに観察していた。
「チェリージャン、どうかしたの?」
「……いや」
チェリージャンはプヨプヨにそれだけ返すと夫妻から視線を外して自身もモニターを眺め始めた。
一言も発する事なくじっと画面を見つめるガウリィとエレナが、その時にどんな気持ちでリナを見ていたのかは、チェリージャンには分かりそうにもなかった。




