豊穣祭、二日目・路地裏
広場から出たヒロとカジカの二人は、無言のまましばらく通りを歩いた。
前を歩くカジカとその背を追うヒロとの間には、若干の距離があった。
カジカがランドールに身を寄せるようになってからひと月。無人の城を根倉とするヒロとは既に面識があった。
面識があるだけで特に深く話した事はない。自己紹介と、あとは精々仕事上のやり取り。その程度。
ヒロはともかく。
カジカは、17歳という若さで賢者にまで登り詰めたヒロがどんな人物なのかと興味があったが、自己紹介時の無愛想な顔と、「話掛けるな」とばかりの何処かやさぐれたような態度を見て「ああ、コイツはそういうタイプか」と、不必要に接触しない事にした。
カジカの経験上。ヒロの様なタイプと自身は合わないと知っていた。
無論それはカジカの勘違い。
ヒロの目付きの悪さは生まれつきで、自己紹介時に態度が悪くなったのも威圧感な人種を苦手とするヒロゆえ無意識にカジカを警戒してそういう態度になってしまった。
それでも何度か顔を合わせる内に、最近はお互いに少し慣れてきた。
少なくとも、仕事の話を二人こそこそと人気のない路地裏でするくらいには……。
路地裏に入り最初の角を曲がったところでカジカは足を止めた。
入り組んだ建物の裏に当たるその場所は、通りから二人の姿を拝む事が出来ない。
後を追って入ったヒロは、目玉だけをぐるりと回して周囲を一瞥した。
長く人が入っていないらしくカビ臭い匂いと埃が籠っていて、ランドールの精緻な通りや建物の裏の顔を覗き見たような気分になった。
いくら手抜き無しのゲームだとはいえ、わざわざこんな裏手に回り、人の目を気にしてまで来る必要はなかった。
カジカの目的が本当にゲームのための呼び出しだったならば。
同じ街にいる顔なじみとはいえ、大して仲が良いわけでもない男にこんな薄暗がりに連れて来られれば、普通は怪しむなり路地裏に入る事自体を拒否しそうなものだった。
場所が場所だけにやや不快そうに眉を潜めてはいたが、素直についてきたヒロのその様子にカジカは――賢者という名は飾りではないらしい――とヒロを評した。
「お前も気付いているようだからそこは省くが、その事で午後はどう動くか相談しようと思ってな」
その言葉に、ヒロは表情を変えずに頷いた。
ランドール内に妙な魔力の気配がある。
昼前、ヒロはゲームの最中にそれに気付いた。
気配の正体までは分からなかったヒロは、昼休憩に入るなりその事を調べようとハロの元へと向かった。
が、途中で使用人達に囲まれ、流れでそのままカジカに連れてこられたため、それの正体が何なのか不明のままであった。
「何が入り込んだんだ?」
「分からん。いま部下に調べさせてる」
カジカが答えるとヒロはとんがり帽子の鍔を少し上へと掲げ、遠くを見るように路地裏から僅かに覗く空を見上げた。
やはり妙な気配を感じる。
しかし、ハロがいないと暴視を使えないヒロにはそれがなんであるかは分からない。
「で、だな」
「うん?」
話を再開させたカジカへとヒロは顔を向け直した。
「クローリには既に伝えてある。今頃、他の使用人連中にも伝わってる頃合いだろう。そのままクローリはシスネの護衛につく、フォルテには俺が付く事になってる」
「じゃあ俺はヨビに付けばいいのか?」
「……別にそれでも良いんだが、まだゲームの途中だ」
「ちょっと待て。中止じゃないのか?」
「続行に決まってるだろ? まだ正体も分からないんだ。中止は気配の正体が判明して、それが危険と判断されてからだ」
ヒロが少し呆れたように息を吐く。
「たかがゲームだぞ」
ハッとカジカが鼻で笑った。
鼻で笑うのは癖らしい。
嫌味な感じではなかったので、ヒロは僅かに肩を竦めて流した。
「シスネも同じ事を言ったらしいがな。ただしニュアンスはお前と逆だな」
「逆?」
「ただの余興もろくに行えないようなら、明日の開放も白紙にした方が良いでしょう――だとさ」
「……つまり、たかが余興なんだから遊びつつ解決してみせろと仰せなのか、青い姫様は」
そういう事だと、カジカが小さく鼻で笑う。
カジカ達使用人達にしてみれば、これは云わば突発的に起こった不測の事態を解決出来るか否か、それを試されている。
豊穣祭最終日。明日のランドールの開放に予想されるいざこざは、今日の比ではないだろう。
今日を上手く乗り切れないのに、明日を乗り切れるわけがない。
予期せず起こったこの『妙な気配』の登場を予行演習に、そういう事を試されている。
「随分挑発的だな」
「基本的にシスネは外の連中を招くのには反対だからな。ていの良い口実が出来たとでも思ってるのかもな」
ヒロは少しだけ考え、
「……無理に招かなくて良いんじゃないか?」
おざなりに溢したヒロの言葉にカジカが笑う。
「そりゃ、シスネ側の言い分だな。ま、お前はそっち側だろうけど」
何故か愉快そうに笑い続けるカジカに、ヒロは自分の気持ちの行き先がバレてるいる様な気になって(実際バレバレなのだが)、少しムッと顔をしかめた。
ヒロはいつもの無愛想で目付きの悪い顔を、いつもより無愛想にして恨みがましく笑うカジカを睨む。
そうしながら朝の光景を思い返し『そういうお前はフォルテ側だろうが』と反論しようかとも思ったが、自分はもとより、他人のその手の話にも疎い自分の判断が果たして正しいのか迷い、結局思うだけに留めた。
皮肉っぽく何か気の利いた上手い返しがしたかったが、残念ながらヒロはそんな台詞を口から吐き出せる能力など持ち合わせていなかった。
引き金を引くだけで相手に致命傷を与えられる銃のなんと素晴らしい事だろう――と、ヒロが自分の語彙力にちょっと落ち込んでいると、カジカが急に真顔になった。
「シスネとフォルテはまあいい。問題はヨビだ。いや、正確にはヨビというか、護衛だな」
「ああ……。そう言えば、ヨビには誰が付く?」
「ガキ二人」
「……シンジュとミキサンか? あの二人なら問題ないだろ」
魔王とチート持ちならヨビの護衛として十分だろうとヒロが頷く。
カジカが首を振った。
「違うな。魔王は他にやる事があるからと断ってきた」
「じゃあ誰だ? 他に護衛が出来るガキってなると……リナか? 流石にアイツには荷が重いぞ?」
カジカがまた首を振る。
「ハジメって名前のガキだ。知ってるか?」
名前を聞いたヒロが怪訝な顔をする。
少し思い当たりを探り、それから知らないとヒロは答えた。
「お前も知らないか……」
「ああ……。どんな奴だ?」
カジカは顎に手を当ててしばし考え込んだ。
それから、ポツリと溢すように「まんまガキだ」と口にし、――だが、と続けた。
「流石にただのガキをシスネがヨビの護衛につけるとは思えん。何か――」
言いかけて、カジカは一旦言葉を止めた。
それから、バツでも悪そうに頭をガシガシと掻く。
「あのシンジュって娘もそうだが……。ランドールの住民ってのは、どうにも見た目で判断出来ない奴が多い」
カジカはそう言って鼻を鳴らした。
カジカは、ハジメとシンジュの事をヒロから詳しく聞くつもりであった。それでヒロに声を掛けた。
シンジュについては、ヒロに聞くまでもなく、適当に捕まえた住民達から話が聞けた。
午前中に見せた彼女の大活躍こそ、彼女を知る人々は驚きを隠せない様子であったが、しかし、特に彼女のついてを隠すような素振りもなかった。
どうも彼女は意外性という意味では、さもありなんと思われている節があったようだ。
誰もが好意的な目で見ており、彼女が実力を隠していたからといってそれで印象や関係が悪くなるといった様子もない。カジカ同様、彼女も余所の土地から流れて来たらしいが、数ヶ月の間に築いた信頼性もあってすんなりと受け入れられている。
問題はもうひとりの方。
ハジメの事は住民どころか、ランドール家の使用人の中にも知らない者がいた程で、ランドールの領主にしてランドール家当主のフォルテでさえその存在を把握していなかった。
何処の誰だか誰も知らない。
知っていたのはごく一部。
人目を気にしてわざわざこんなカビ臭い路地裏にまで足を運んだのも、どうにもハジメの事について口を重くするシスネが何を考えて一見してただの子供にしか見えないハジメを護衛という役目に付かせたのか、その理由が知りたかったため。
アレはどういう存在なのか。
何か秘密があるのだろう。
その秘密の中身が知りたかった。
しかし、ヒロはハジメを知らないという。
当てが外れモヤモヤとした気持ちだけが残ったカジカであったが、気を取り直し、思考を今後の事へと切り替える。
「まあとにかくだ。シスネの判断だ。カラスや俺の部下にも目を光らせるように言ってあるし、ヨビの方はそれで良いだろう。でもって、お前は遊撃隊だ。自分の判断で自由に動け」
「……その自由ってのが一番困るんだが」
「ハッ! なら、あの前半戦で撃破数トップを取ったシンジュの相手でもしてろよ。なんなら討ち取ってくれると助かるんだがなぁ。あの娘っこ、ひとりで86人も倒したらしいぞ。それを聞いたフォルテが固まってたな」
その時の様子でも思い出したのか、カジカがクックッと可笑しそうに笑う。
「アイツ、自分が強いって事を隠してたらしいからな」
「らしいな。俺は部下達のように恥を晒すのは御免だからな。街に入り込んだ気配の方はこっちでやっておくから、そっちはお前がどうにかしてくれ」
軽い調子でカジカは言うと、踵を返して路地裏を歩き始めた。
ヒロが少し慌ててその背中を追う。
「おいっ、二人でやろうぜ?」
「やなこった」
「俺さ、射撃には結構自信あったんだけど、避けられて地味にショックなんだよ。っていうかあの距離で弾丸避けれるか普通」
「文句は本人に言えよ」
「負けると後が絶対うるさいんだって。だからさっきみたいに連携してだな――」
「やらねー。2対1で負けたらそれこそ街を歩けん」
そんなやり取りを交わしながら二人は路地裏を後にした。
仕事が忙しく執筆が進んでません。
悪いのはだいたい神様のせいと責任を転嫁しておく。




