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ランドール

 それは遥か昔。

 まだ世界に魔法という奇跡が無かった頃。

 人々から激しい迫害を受けるとある一族があった。


 その一族は、他の人々よりも少しだけ耳が長い、というただそれだけの理由で、周囲からの蔑みの目と理不尽な暴力を毎日の様に浴び続けていた。


 元々その一族は、人の分け入る事のない森の奥でひっそりと暮らす生活を送っていた。

 自然と共に生き、自然に生かされ、自然を尊ぶ。そんな穏やかな暮らしであった。


 そんな自然と寄り添う暮らしをしていたある時、好奇心にかられた一族の若者が1人、森を抜け出し、一族以外の人間と初めて接触を試みるという出来事があった。


 大冒険―――と言うのは些か大袈裟かもしれないが、それだけ、一族の若者にとっては、自身の今まで培った知識、価値観を大きく越えた冒険の旅であった。

 初めて目にする物が溢れる光景と、新しい人々との出会いに、若者は期待に胸を膨らませた。


 しかし、そんな若者の期待とは裏腹に、人々から若者に向けられたのは「恐怖」と「侮蔑」の入り交じった冷たい目であった。


 若者は知らなかったのだ。

 人間とは知らない事に戸惑いを感じ、未知の事に恐怖を抱く生き物であるという事を。


 その当時、人々の間に「宗教」というものが広まり始めていた。若者が人々の前へと姿を現したのは、奇しくも宗教が広く、浅く伝わり始めた。丁度そんな時期であった。


 宗教には、神と人、そして悪魔が、教えの中で形ある物として喧伝されており、若者の「人より少しだけ長くて尖った」その耳と、たまたま一族の中でも稀であった赤い瞳が、不幸にも人々の目に悪魔として映る事となる。

 人々は、知らない事に自己の知るうる知識を重ね、未知の物に独自の答えを見出だした。

 そうやって、真実を知る事を放棄し、安易な誤魔化しを選択する。それが楽だから。集団としての輪から外れる事を恐れたから。

 結果、人々は若者に『悪魔』という間違った解釈を導き出してしまう。


 期待に胸を膨らませていた若者は、追い立てられ、捕まり、拷問され、一族の土地を吐かされた挙げ句に、人々の前で処刑された。

 その顔は、恐怖と憎悪、そして深い後悔に塗り潰されていた。

 自分達がそれを作り出した事も忘れ、人々は処刑台の上で叫ぶ若者に指をさす。


「見ろ! あの醜い顔を! あれこそ悪魔に他ならない!」


 そうやって人々は、自分達とは違う姿を持った悪魔の存在に恐怖し、それと同時に教会の、ひいては神の偉大さをハッキリと認識する事となる。


 それは、若者が宗教の中の悪魔と事実無根な役を擦り付けられ、宗教の喧伝の為の道具にされた末の結果であった。


 ここから一族の長く苦しい時代が幕を開ける。


 神という不明瞭な存在を大義に掲げ、人々は一族の住まう森へと足を踏み入れた。


 もともと森の中で平和に暮らしていた一族に、戦う為のすべなど無い。

 突如として押し寄せた武装した人々に、一族はなすすべもなく蹂躙されてしまう。

 抵抗する者は殺され、残りは全て奴隷となった。


 そうやって奴隷となった一族の主な役割は、人々への見せしめである。

 宗教の教えを根付かせる為に、人とは違う一族の容姿は、丁度良い見せ物であったのだ。

 そこに老若男女の区別など無い。

 自分達は善であると声高に叫び、悪魔は存在自体が悪として触れ回った。



 その後、一族の奴隷としての生活は約百年に渡り続いた。


 宗教の教えを組織的に広める教会。一族を管理するのはそんな集団であった。

 教会は、百年もの間、利用する道具が尽きぬ様に、無理矢理に数を調整しながら一族を飼い殺した。

 

 殺す為に増やす。

 果たして、その身に悪魔を宿すのは、尖った耳を持つ一族か、それとも人々か。

 救いを求める為の宗教は、一族に何の救いももたらさなかった。



 そんな一族の転機は、ある日突然降って沸いた。


 その転機を生み出したのは、湿った檻の中に居た一族の1人の小さな少女であった。


 生まれも育ちも檻の中。

 父は分からない。母は少女を生んだ後、病に侵され一年を待たずして死んだ。兄や姉がいるのかも少女には分からなかった。

 少女に色々な事を教えてくれた祖母と名乗る女性も、少女が6つの時に年齢を理由に殺された。少女の目の前で殺された。


 殺される為に生まれ、生まれたその瞬間から絶望の人生を確約されていたその少女は、このいつ終わるともつかない地獄の中で、毎日空を眺めては自由を願った。生まれてから一度も檻の外へと出た事の無い少女にとって、小さな窓から見える空は何処までも広く、高く、眩しく、澄んで見えた。


 それは憧れであり、夢であった。

 されど夢は夢――。

 憧れは憧れ――。

 不幸で埋め尽くされた少女の人生に、幸せが入り込む隙間など何処にもなかった――そのはずだった。


 雲の様に、鳥の様に、いつか自分も窓の向こう側で……。

 そう願う少女の夢は、ある日何の前触れもなく、魔法という名の奇跡となって、少女を湿った檻から解き放った。


 手足を縛る鎖も、閉じ込めて置く檻も、武器を持った人も、誰も、何も、自由を手にした少女を止められる者は唯のひとつも存在しなかった。

 少女はもはや生かされるだけの教会の人形(ドール)では無くなる。奇跡を手にしたこの時、この瞬間、自らの自由を勝ち取る為に、奇跡を身に纏い少女は()()始めたのだ。


 それは世界で初めて、魔法という奇跡を人々が目にした瞬間であった。


 そうやって、奇跡によって自由を手に入れた少女は、一族を引き連れ、安住の地を求めて旅に出た。

 それは長い長い旅であった。

 尚も執拗に追って来る人々の脅威と戦いながら、大陸中をさ迷い、長い旅路の果て、一族はとうとう、自分達が生きる為の土地へと辿り着く。

 そこには、殺される恐怖に怯える事も、暴力による痛みに耐える事も、汚い言葉で心が引き裂かれそうになる事もない。


 その場所こそが、一族にとって夢にまで見た理想郷(ユートピア)に他ならなかった。

 


 そこで一族は、他の人間の脅威に怯える事なく、数百年の安寧を得る事となる。


 その土地の名には、奇跡の少女の名がつけられた。


 理想郷ランドール。

 それがその土地の名である。





 ランドールの街の中に、周囲よりも小高い大きな丘がある。

 その丘の上には空を背負う様に建つ一軒の大きな屋敷。城、と表現した方が近いかもしれない。


 その屋敷のとある一室にて。若い女性が一人、窓から見えるランドールの街を見下ろし静かに佇んでいた。


 その髪は透き通る様に薄い青色で、真っ直ぐ腰まで伸びている。 

 瞳の色は赤く、非常に整った目鼻立ちをしており、万人が美女だと形容する事だろう。

 だが、そんな美しい容姿も霞んで見える程に目立つのは、真っ直ぐに伸びた青色の髪からのぞく、人よりも少しだけ長い耳。


 女性の名は、シスネ・ランドール。

 ランドールの街を治めるランドール家の長女にして、現当主。弱冠19歳という若さでランドールの全てを取り仕切る卓越した手腕の持ち主である。

 白き鳥の名を持つ彼女のその凛と佇む立ち姿には、老若男女問わず誰もが魅了される。



 街を眺めていたシスネの耳にドアをノックする音が届く。

 シスネはドアの方には向かず、変わらず窓の外を眺めながら「どうぞ」と返した。


「失礼致しますわ」


 部屋へと招かれたのは、妙にデコレーションされたメイド服を身に纏った女性であった。

 彼女の名はカナリア。

 ランドール家に使えるメイド隊、通称「ハト」と呼ばれるメイド達を統括するハウスキーパーである。

 

「先程、使いに出していたカラス達が戻って参りました」


 その言葉でようやくシスネは振り返った。


「どうでした? 彼女の様子は」


 無表情で、義務的な淡々とした口調。

 シスネは、他人に対しては常にこうであった。そのどんな時でも無表情を崩す事のない鉄仮面は、時折、「氷の姫君」とランドールの住民に比喩される事もある。

 シスネは、自分がそういう呼び方をされているのは知っていたが、それを聞いて尚もその鉄仮面が剥がれる様な事は無かった。シスネは、自分はそういう人間だと自覚していた。

 ただ、感情が無いという訳ではない。シスネとておかしい時は笑う。表に出にくい、というだけの話。


「変わらずギルド職員としてこの街に留まってくれる様ですわ」


「……ギルド職員? 冒険者になるのでは無かったのですか?」


「いいえ~、冒険者にはならなかったそうです。正確にはなれなかったと表現するべきでしょうか」


「と、言うと?」


「彼女は今14歳なんだとか。それで、15歳というギルドで決められている規定の年齢に達していなかったそうですわ」


 彼女、シンジュが憧れてやまない冒険者になれなかった理由について、同じ様な説明を受けたブラッドやリコフ達は腹を抱えて笑ったが、氷の姫君の頬はピクリともしなかった。

 少なくとも表面上は。


「……そうですか。まあ、こちらとしては冒険者としてランドールの外でアチコチ動き回られるよりは監視もしやすいでしょう。相変わらずギルドに関わっているのは残念ですが」


「シスネ様、その肝心の監視についてなのですが……」


「分かっています。魔王というのがどれ程の者か分かりませんが、あれが彼女の傍にいる以上、カラス達では荷が重いという事は。――今まで通り()()に任せておきましょう」


「分かりました、その様に……。精々良いネギを背負ってる来る事を期待しましょう」


「……」


 互いに無表情で相手を見やる。

 カモネギはカナリアの鉄板ネタのひとつであるが、この比喩でシスネが笑った事は一度も無かった。この目の前の姫君の口元を緩めるにはネギ位では駄目なのである。


「……ネギはともかく。街に居着いてさえくれればそれで構いません。元々カモにはそれ以上の期待もしていませんし……。カラス達の監視は外しなさい。下手に動いてこちらの動向を探られては面倒です」


「魔王は放置で宜しいのですか?」


 少しの間を空けた後、シスネが小さく息をついた。


「……しばらくは仕方ないでしょう。放置するつもりなどありませんが、仮にも相手は悪魔の王。十分に準備をしてから事に当たらねば火傷では済みません。――ですが、ランドール家が今、優先すべきは()()を取り戻す事。その方法を見つける事が最優先です。その様に動きなさい」


「畏まりました」


 カナリアはそのまま一礼すると、踵を返して部屋の扉を開けた。そこでふと……。


「そう言えば、シスネ様」と振り返った。


「なんです?」


「最近のシスネ様は溜息ばかりだと、ファルテ様がご心配されておりましたわ」


「……そうですか。――駄目ですね。妹に心配される様では」


「御無理は為されませんよう」


 それだけ言い残して、カナリアは部屋を後にした。


 また静かになった部屋で、シスネは先程と同じ様に窓から眼下の街を眺めながら考える。


 自分はどこで失敗してしまったのだろう……。

 二年前、祖母から勝ち取ったランドール家の当主の座。

 母の言葉に耳を貸さず、ランドールの発展の為と称して王国との関係を築こうとする革新派の祖母に反旗を翻し、その座を奪い取った。


 そこまでは順調だった。

 ――はずだ。


 どこで選択を間違えたのだろう?

 当主の座を祖母から勝ち得た時から?

 両者の争いを憂いた母が心労で倒れた時から?

 王国の色がついたギルドの存続を許した時から?


「……詮なき事です」


 その理由を考えたところで過ぎた時間は戻らない。

 とにかく私は失敗したのだ。

 女神より授かり、数百年の間ランドールを守り続けてきた加護を失った瞬間に――。

 何故、ランドール家が加護を失ったのか、その理由も分からない。


 そこで、無意識に小さな溜息をついた自分に気がつく。


 なるほど。確かに自分はこのところ溜息ばかりついている様だ……。


 気持ちを切り替えるつもりで、静かに目を瞑り、沈んだままであったらしい心を救い上げる。


 失敗したなら、それを糧に進めばいい。

 加護を失ってしまったが、ランドールが終わった訳ではない。まだ立て直せる。

 ランドールは自分が守る。

 今際の際、死にゆく祖母にそう誓いを立てた。破るつもりは毛頭ない。

 

「取り返します。――必ず」


 そう口にして、シスネはやるべき事の為に動き始めた。

 その感情の無い鉄仮面の下に、ランドールへの深い激情を滾らせながら。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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