豊穣祭、一日目・ⅩⅩⅣ
◇
乗り切った!
乗り切った乗り切った乗り切ったぁぁ!
思わずガッツポーズをしてしまいそうな体を身震いと共に意思の力で無理矢理に抑え込んだ。
そうしながら、わたしは向ける視線の先でやり取りを交わす魔王とシスネ・ランドールの声に耳を傾けた。
わたしが最も警戒していたのはこの二人であった。
圧倒的な力を持つ破壊の権化、そしてこの街の事を誰よりも知る姫君。
この二人の目を如何にして出し抜けるかが、わたしの目標でもあった。
敵の居場所が分かったとひとところに集められた時はどうなる事かと思ったが、咄嗟の機転でそれを乗り切った。
わたしはやりきった!
出し抜いた!
堪えきれずに笑いそうになる口元を、難しい顔を作って隠す。
件の二人は完全にあの女がレディパンプキンだと思い込んでいる。
これで一件落着だと思い込み、その後の事で意見をぶつけ合っている。
実に滑稽。
クックッと思わず溢しかけた声に、慌てて口を手で覆い必死に堪える。
駄目だ駄目だ。ここで笑っては怪しまれる。
折角出し抜いたというのに水の泡になってしまう。
気を抜けば溢れそうになる笑いの波が治まってから、これからどうしようかと考える。
カナリアとかいう女をレディパンプキンに仕立て上げる事は出来た。
ランドールの街に掛けられている魔法は、なりたいと頭に描いたモノになれる魔法だが、使用者である私は自分だけでなく他者の姿を自由に変化させる事が出来る。
この使い方は、魔法の使用者だけが得られる特典みたいなものだ。
私はこの特典を用いて、指をさされたカナリアが「レディパンプキンだ」と指摘された瞬間、魔法によって任意に姿を変えた。
名前を言い当てた事による変化の解除ではなく、その逆の事をした事で、この二人を含めたその場の全員に、あれはカナリアという女に化けたレディパンプキンだったと思い込ませる事に成功した。
だが、本物はここにいる!
わたしこそがレディパンプキンっ!
そうともっ、わたしは勝ったのだ!
「発想の転換ですわ。確かにレディパンプキンの魔法が街にかかったままでは不安なのは分かりますが、しかし、こう考えるのです。姿を自由に変えて楽しむ一種の娯楽だと」
さも名案だとばかりに小さな体で胸を張った魔王の様子にまた吹き出しそうになった。
ああ、そうだとも。
これは悪戯を超えた謂わば娯楽。エンターテイメント。
美しく豊かな、されどそれだけの退屈なランドールという街に、レディパンプキンという名の伝道師が興奮という旋風を巻き起こしたのだ。
楽しむ時間はまだまだある。
これから巻き起こるだろう事を想像し、興奮の坩堝となった街を描いていると、ミキサンの対面にいた姫君シスネ・ランドールがふぅと息を吐いた。
「随分と危うい娯楽です。おちおち休んでもいられない」
街に起こるであろう事を予見し、その事後処理に奔走する自身の姿でも頭に浮かべているのか、やや疲れた様子でそんな事をシスネ・ランドールは口にした。
そんな事はないよ。
だってコレは悪戯の延長に過ぎないのだから。
危うい事などひとつもない。
無論、頭に想像した者にならなんにでもなれるこの魔法――頭に描いた骸骨というわたしの魔法は、危険なモノではある。なんにでもなれるという事は、悪意や敵意を持ったモノにもなれるという事だから。
しかし、それは使い方の問題だ。
わたしはそんな事はしない。そんなの楽しくない。
だから、魔法に制限を設けてある。
どんなに想像しようと危険なモノにはなれない。
安心安全の親切設定。
魔王が力のある頃の自分に為れたのは、本人ゆえに為れたのだ。他の者がなろうと思ってもなれやしない。そういう制限。
しかし、教会にて行われた魔王が魔王に変化するという検証のせいで、この魔法がまるで危ないモノの様な捉えられ方をしてしまった。あれは正直、予想外。
違うと訂正するわけにもいかない。そんな事を言えば怪しまれる。
まぁ、それももうどうでもいい話。
この二人を出し抜けた時点で、無理に訂正する必要もなくなった。
あとは最終日まで、わたしになったカナリアがのらりくらりとランドール家からの要求を避わしてくれるだろう。
今のカナリア、アレはわたしだ。
カナリアとしての記憶など忘れてしまって、わたしとして、わたしの都合の良い様に動いてくれるだろう。
街を巻き込んだ私の悪戯は続く。
豊穣祭が終わるかもう一人のわたしが首を縦に振らない限り、この魔法が解ける事などないのだから。
「日が変わる前に、彼女は始末してしまった方がいい」
そこで、ふと耳に届いたシスネの言葉を聞き、意識をそちらに向け直した。
聞き間違いでなければ、いまシスネ・ランドールは始末すると口にした。
この事態を引き起こしたレディパンプキンを、だ。
「別に悪魔がどうなろうと知った事ではありませんが、本気ですの?」
「無論です。下手をすればランドールが滅びかねないのです。聞きたい事を聞き出したら直ぐにでも」
「そう慌てる必要などないでしょうに」
「あなたはなまじ力があるがゆえ、いまひとつ危機感が無いのでしょうが、魔法がかかった街の現状を無視は出来ません。この魔法は頭に描いたモノの姿に変化する魔法ですが、その描くというのがどこまでの判断基準を持つのかが分かりません。住民達が寝静まる前には、悪魔を殺してしまうのが良いと思っています」
「ようするに、夢を見たら不味いと」
「そうです。なりたいモノを描くというのは、なにも起きている時だけの話ではありません。夢で見たモノにならない保障がない。夢は自由です。それこそ、突拍子もないモノに化けてしまうやも」
まるで確信でもあるかのように、シスネ・ランドールがやや強い口調で考えを口にした。
この流れは……。
夢に見たモノになる様な魔法ではないので、そこを心配などはしていない。危険なモノにはなれないという制限も設けてある。
しかし、制限の事など知らないシスネ・ランドールは、その可能性があるから危険だと主張している。
この流れは……まずい。
「では、今晩にでも?」
「はい。処分します」
シスネ・ランドールが頷いた。
暗闇と四方から向けられる光源が作る陰影で、その表情は酷薄に見えた。
ろくでもない提案に、私は慌てた。
処分って……まさか死刑!?
由々しき事態になったっ!
わたしは悪戯がしたいのであって、人を傷付けるつもりなど全くない。
まして死人が出る事態など……。
完全にやり過ぎた。
私は氷の姫君の逆鱗に触れてしまっていた。
まずい……。
非常にまずい。
とってもまずい!
一難去ってまた一難。今日はほんとに運がない。
どうする!?
このままではあのカナリアとかいう女が本当に処刑されてしまう。
悪戯だったとバラしてしまうか?
ちょっとした悪戯だったと。あれは偽のレディパンプキンで、わたしが本物だと……。
いやぁダメだ。そんな事をしたらわたしが殺されてしまう! わたしが本物だと、絶対にバレてはいけない……。
しかし、このままでは……。
なにか……、なにかないか。わたしだとバレずに処刑を止めさせる方法は……。
「どうかしましたの?」
背中に冷や汗を流しながら必死に頭を巡らせていると、わたしの顔を下から覗き込むように見上げた魔王が、そう声を掛けて来た。
突然だったので少し慌ててしまい、わたしは咄嗟に言葉を返す事が出来なかった。
「少し顔色が悪いですわね? 今になって産後の疲れでも出たのかしら、シンジュ」
私に少し心配の色を乗せた表情と口調を向けて、魔王が尋ねてくる。
「あ、いや……」
たじろぎ、つい半歩下がってしまった。
いけない。不審がられている気がする。誤魔化さないと……。
逸らすように、ミキサンに向けていた顔をシスネへと向け直す。
「えっと、その、処刑は少し、やり過ぎかな~って思うんですけど……」
なんとかそれだけをわたしが言うと、シスネ・ランドールは僅かに眉をしかめた。
うぅ、怪しまれてる。
「あなたにしてみれば、ハジメの事を危惧するのは当然なのかも知れませんが」
シスネ・ランドールがそんな事を口にした。
思わず「おぉ!」と感嘆の声を上げかけて、慌ててつぐむ。
しかし、活路が開けそうな気がしたので、シスネ・ランドールの言葉にその通りだとばかりにコクコクと同意を示しておく。
「そ、そうなんですっ。レディパンプキンが死んでしまうと、街にかかった魔法が解けて、ハジメちゃんも消えちゃうんですよっ!」
「ええ、その通りですわ。わたくしもさっきそう言いましたが、この頭の堅い小娘は聞く耳を持たぬのです」
小さな嘆息と一緒に魔王が重ねてきた。
考え事をしていて全然話しを聞いていなかったが、どうやら先程までこの二人が揉めていたのはこの事であったらしい。
しかし、これ幸い。
魔王は頭に描いた骸骨が解ける事には反対の様子。
その点でわたしと意見が一致しているなら、魔王が邪魔をしてくる事はないだろう。もしかしたら援護も期待出来る。
そこから上手く処刑を回避出来るかもしれない……。
「あの、シスネ様の心配ももっともだとは思うんですけど、でもやっぱり、殺すっていうのはやり過ぎかなって思うんですよね」
「何故そう思うのです?」
淡々としてさらりと向けられた声であったが、眼差しに険しさがあった。
ややたじろぐ。
腹底に小さく気合いを入れて応じた。
「早計だと思うんですよ」
「早計、ですか?」
「はい。わたし思うんですけど、レディパンプキンは本当にこの街を危険に曝そうだなんて思っていたんでしょうか? 猿だったり、姫様達だったり、猫だったり。変化こそ色々ありましたけど、どれも危ないモノではないですよね?」
「……そうですね。猿も、私とフォルテも、――そして猫も。命の危険がある様なモノではありませんね」
よしよし、良い感じだ。
私は確かな手応えを感じ、心の中で頷いた。
「それを鑑みるに、レディパンプキンの仕出かした事ってただの悪戯なんじゃないでしょうか? 街の住民が突然、色んなモノに変身しちゃって、そうして慌てる姿を見て楽しんでるだけなんだと思うんです」
「悪戯ですか……」
呟くように言って、シスネ・ランドールはふぅと小さく息を吐いた。
少し納得しかねるような表情だったが、無表情に近くどんな色の感情なのかが見え難かった。
しかし、先程までの処分すると口にした時よりも幾分か空気が和らいでいる気がした。
これはもうひと押しと言ったところだろうか?
「そうです。かわいい悪戯だったんですよ。だからシスネ様、殺すのは待ってください。たぶんこの騒ぎも豊穣祭の間だけだと思うので、せめてもう少し様子を見てからでも」
わたしの言葉にシスネ・ランドールはゆっくりと目を瞑った。
何事かを考え込んでいる様子であった。
その顔をみつめたまま静かに待つ。
この姫は、表情が希薄なせいかどうも何を考えているのか読み難い。
ややして、シスネ・ランドールがゆっくりと目を開け、人でありながら悪魔の様に赤い瞳をわたしに向けた。
それから、僅かに微笑みかけてきた。
その美しい女神のごとき微笑に、ドキリとする。
「あなたは優しいのですね」
「え? いや~、別にそんな事は……」
唐突に褒められ、慣れていないわたしは照れ隠しで小さく頬を掻いた。
「あなたがそう言うならば、処刑についてはもう少し様子を見る事にしましょう」
シスネ・ランドールが、微笑みながらそう口にした。
その瞬間、わたしは心の中でガッツポーズを作った。
やった!
また乗り切った!
まだ様子見だが、しかしこれは好転したと言っていいはずっ!
自身の為し得た成果にホクホクしていると、わたしに顔を向けていたシスネ・ランドールが「ですが」と、言葉を投げて来た。
続けて、わたしの目を真っ直ぐ見据えたまま言った。
「悪戯で迷惑をかけたのです。であれば、当然、迷惑をかけた分のお仕置きは必要です。――そういう事で構いませんね? レディパンプキン」
その瞬間、わたしにかかっていた変化が解けた。




