新人さん
◇
ここランドールギルドのギルド長レンフィールドの計らいで、ギルド職員見習いとして働き始めたシンジュ。
冒険者になれると思って意気揚々とやって来たのに、ギルド職員になってしまった事は不満であったが、その不満も最初だけで、「折角の異世界だから何事も全力で楽しむ」という柱を心のど真ん中におっ立ててからは、ギルドの仕事も楽しんで行おうと気持ちを切り替えた。
やって見ると、これが思いのほか楽しくて、ついつい笑顔が溢れてくる。
ギルドの仕事自体は初日という事もあり楽なもので、隣で職場の先輩アイに教えて貰いながらこなし、今は受付を体験中である。
シンジュに与えられたのは、受付係とカウンターのあるこのメインルームの掃除。
ギルドの建物は人の出入りが激しく、また汚れやすいという冒険者の職業柄もあってか砂や泥が直ぐに床に積もる。
その為、掃除は結構小まめに行なう必要があるらしく、部屋の広さも相まって、それが結構大変だ。
それでも鼻唄交りにこなす位の余裕がシンジュにはあった。
それもこれも、異世界で見聞きする全てがシンジュには新鮮で、ワクワクして堪らなかったからである。
冒険者ギルドに来るのは、当然というか当たり前というか冒険者さんばかりで、時々、依頼をしに来る人が来る程度。
依頼者さんの相手はまださせて貰えない。まだこの仕事を始めたばかりだし、そういうものかなと思ってその事は特に気にはならない。
むしろ、気になって仕方ないのは新人職員シンジュを初めて目にする冒険者達の方であった。
とある冒険者さん曰く、
ここランドールギルドに新しい職員が入ったのは二年ぶりの事であるとの事。
なんでも、ランドールという街は辺境の地にある街であるらしく、他のギルドと比べて然程に忙しい訳では無いらしい。
それでも二年前までは、ギルド長を除いて四人の職員が居たそうなのだが、二年前にその全員が辞めていき、入れ替わる様に入ったアイさんが来て以降は、ギルド長とアイさんのふたりだけで切り盛りしていたそうだ。
暇になったのか、それとも四人分の仕事をたった1人でこなしていたアイさんが凄いのか、昔のギルドを知らない私には分からない。
昔がどうだったかはともかくとして、今現在のギルドはとても忙しい。
それもこれも、昨日の騒動に起因する。
悪魔とモンスターが街を襲った。そういう話。
ここで思わずシンジュの顔がにやける。
その顔が「あれがランドールギルドに数年ぶりに入ったという噂の新人ギルド職員か」と、シンジュを遠巻きに見ていた何人かの冒険者の目にとまる。
シンジュの心情としては、まさに自分好みの異世界用語が飛び交うど真ん中に置かれる自分の状況に至福の喜びを感じ、悦に入ってやや不純な心情でにやけているだけなのだが、大人と子供の丁度中間、とでも形容すべきあどけなさの残る顔の少女が、慣れない仕事に四苦八苦しながらも笑顔を見せて働く姿に、普段は荒い冒険者達も妙に優しい気持ちになっていた。
見ていると応援したくなる。そんな気持ち。
「ちょっと! 暇なら依頼のひとつでも受けてってよね! 今大変なのよ!?」
シンジュを目で追っていた四人の冒険者達に向けて、アイが唐突に視界に割り込んだ。
「いや~、シンジュちゃん、だっけ? あの子を見てると新人だった頃のアイちゃんを思い出すな~って思ってさ」
「そうそう。なんか応援したくなるって言うか」
冒険者達の言葉にアイが呆れた様に小さく溜め息をつく。
冒険者らしくやや血の気が多いものの、彼らが悪い人達ではないのは、自身が子供の頃からの付き合いで理解している。
ただ、どうも辺境の地ゆえかランドールの冒険者にはあまり向上心が無い、とアイは感じていた。
辺境というのは得てして、物流が悪かったり、人手が足りなかったり、とするものでここランドールもその例に漏れず、人も物の流れもあまり良くはない。
それでも、長い時間をかけ、ランドールはこの大陸ではかなり大きな街に成長していった。
これは、一重に【女神の加護】による恩恵が大きいのだと、街では信じられている。
この女神の加護というのは、その昔、まだランドールが街ではなく村であった頃に女神より与えられたこの地への加護だという。
どういった経緯で女神からの加護を得るに至ったかは諸説あるのだが、とにかく、その加護のお陰で街にはモンスターが寄り付き難いという半分迷信に近い様な話が信じられている。
アイはこのランドールの生まれではあるが、育ちが他の街であった為に加護とやらの存在を半信半疑で受け止めている。
ただ、それはアイが『目に見える物』を信じる性分だからというだけで、他の生粋のランドール生まれランドール育ちは結構本気で女神の加護というものを信じている様だ。
しかし、この加護が曲者で、確かに他の村や街に比べてランドールにはモンスターが寄り付き難かったのは事実である。ランドール以外の街を知っているアイだからこそ、余計にそれは実感として感じていた。
だが、寄り付き難いというだけで、絶対に来ないという訳ではない。ごく稀に街のすぐ近くにモンスターが現れる事がある。
だからこそ、そんなモンスターの討伐や間引きを目的としてランドールギルドは存在するのだが、如何せん付近にまでモンスターが来るのは本当に稀な為、ランドールの冒険者には今一つ危機感という物が足りていない。
今もモンスターがまた来るんじゃないかと街は騒がしい。
他の街や村出身の冒険者達で、今、私の前で新人職員を愉快そうに目で追って雑談に興じている彼らの様なランドール生まれは、不安らしい不安をあまり顔には見せていなかった。
ようするに、彼らは「加護があるからなんとかなる」と思っているのだ。
ゆえに、あまり冒険者として自分の腕を磨く様な事もしない。
自分の街を自分達で守ろうという気概も見えない。
適度な依頼を適度にこなして、のんびり悠々自適な日々を過ごして満足しているのである。
別にそれが悪い訳ではない。
悪い訳ではないが、アイは冒険者として向上心の無い彼らの生き方が少し不満であった。
英雄として名を残す事こそ冒険者の本懐、と声高に叫ぶ首都ハイヒッツの冒険者達とまではいかなくとも、もう少し位は努力しても。と、アイは常々そう思っていた。
「アイちゃんも忙しいだろうし、ま、なんかあったら俺達を頼ってくれて良いからよ」
「そうそう。俺達はギルド職員じゃないけど、冒険者としてギルドとの付き合いはアイちゃんより長いからよ。役に立てると思うぜ?」
「はいはい、そういうの良いから。あの子は私に任せて、リコフさん達はそろそろ万年Dクラスを卒業して頂戴!」
そう言ってはみたものの、まるで気にした素振りも見せずリコフ達は笑うだけであった。それも毎度の事。
五十に差し掛かろうとする彼らには、もはや自分達を努力でどうこうしようとは露程にも思っていないのであろう。
そんなおじさん冒険者リコフ達四人は、ここではある意味有名人である。ランドールギルドの古株、というのもあるのだがそれとは違った意味の有名人。
四人には一応、【ランドールウォール】というちゃんとしたパーティー名があるのだが、うだつの上がらない彼らは他の冒険者達から『Dの壁』とか『万年D』という皮肉めいた通り名で呼ばれている。
ただ、彼らは彼らで、そう呼ばれるのを楽しんでいる節があるので、ある意味重症だ。
もっとも、ここにいる冒険者達は首都の冒険者達程にギスギスとした空気はまとっていないし、リコフ達が元々面倒見が良い、という事もあって、『万年D』という呼称も皮肉よりも親しみが先行していたりする。
このギルドに常屯している冒険者のほとんどが、新人の頃にリコフ達から少なからず冒険者としての手解きなり、手助けなりを受けているせいだろう。
つまりは、新人教育。
それはギルドにとっては大変有り難い話だし、有益な存在ではあるのだが、間違っても心構えだけは見習って欲しくないと内心ビクビクしていたりもする。手遅れな者達も既にいるが……。
「ま~た、アイちゃん困らせてんのか?」
今日は新人の働きを見守る、というスタンスで働く気配の無いリコフ達と、せめての街の修繕依頼くらいは働いてくれと主張するアイの輪の中に、そんな声が差し込まれる。
「あ、ブラッドさん」
「よぉ、ブラッド。相変わらず仕事熱心だね~」
「あんたらが働かなさ過ぎなんだ」
そう言ってブラッドが笑う。
「アイちゃん、依頼を適当に見繕ってくれ。三人で行ってくるよ」
「はい、分かりました。丁度、と言うか、オリオンかネブラが来たら受けて頂きたい依頼があったんですよ。この街でBランクの依頼受けられるパーティーって限られてますから、オリオンに来て頂けて助かりました」
「平和だから、この辺りは」
――昨日までは、という言葉をブラッドは口にせず飲み込んだ。
それから、用意した依頼書をブラッドに確認してもらう。
「ブラッドさん達ならそう難しくもないと思いますが、昨日の今日ですしネブラに回しても良いのですが……」
「今日は他の連中も忙しいだろうからな。構わんよ」
「そうですか……。分かりました。昨日の事もありますから十分にお気をつけて。あっ、イーリー、書類整理手伝ってくれてありがとう」
「御安いご用よ」
受注の処理を済ませた後、軽く手をあげてギルドを去っていくブラッドとイーリーを見送った。
冒険者【オリオン】。
ランドールギルドにおいては数少ないBランクのパーティー。
アイのイチオシでもある。
イチオシなのには理由があって、オリオンの三人、ブラッド、トエル、イーリーは全員がここランドールの生まれ。
冒険者として上を目指す意識の低いランドールの中にあって、冒険者で上を目指す稀有な人達。
このまま順調にいけば、オリオンがランドールギルドでは10年ぶり二組目となるAランクへと昇格するのもそう遠くない。
前のAランクパーティーは既に引退してしまっているゆえ、そうなれば現役ではオリオンのみがランドールギルド唯一のAランクとなる。
だからイチオシ。
そんな事もあって、アイはこっそりとオリオンの三人に期待していたりする。変にプレッシャーをかけたくないので口にはしていないけれど……。
先日、依頼達成の帰り、シルバーウルフをボスとしたモンスターの群れと予定外の遭遇をしてしまい、かなり危なかったという話を聞いていた。
姿を見掛けはしなかったが、昨日も街を守るために奮闘していた事だろう。だから今日くらいはおやすみかとも思っていたけど、働き者であるようだ。
まあ、だからこそAランクも手の届くところにまで来ているわけだ。
シルバーウルフのランクはB。単体でBである。
そこにCランクのウッドウルフが多数。
依頼ランクで言えばAに届いてもおかしくない。三人とも良く無事だったと感心してしまう。
しかし、裏を返せばそれだけオリオンの実力が高いという事でもある。
やっぱり、オリオンのAランクも時間の問題、って事かな?
ただ、今日位はゆっくりしても良かった気がするけれど、責任感のあるブラッドさんの事だから、今朝の話を聞いて休んでいる場合では無いと思ったのかもしれない。
今の状況では有り難い話ではあるのだけど、無理をしていないか少し心配。
「あの、」
そんな事を考えていると、いつの間にか新人職員のシンジュが私の傍に寄って来ていた。
年は十五、六といったところの少女。肩までの黒髪でぱっちり二重の目がくりくりっとした可愛らしい顔をしていて、冒険者達にニコニコと笑顔を振り撒く姿を見るに愛嬌もある。
まだこの仕事を始めたばかりゆえ、あまり難しい仕事をさせるつもりはなかったのだが、彼女は、まるで何処かでギルド職員をしていたかの様にテキパキと仕事をこなしていた。
その様子に少し驚いて「本当に未経験?」と、思わず尋ねた程。
ギルド職員どころかまともに働いた事もないと言っていたので、結構裕福な家の生まれかとも思って、失礼ながらそこまで期待もしていなかったが、これは案外掘り出し物かもしれない。
働いた事もなくこれなら、元々持つ彼女の能力が高いのだろうか?
ただ、掃除を少し苦手そうにはしていた。
「どうかしたの? 何か分からない?」
尋ねると、シンジュは、仕事とは関係ないかもしれないんですけど――と前置きした上で、
「さっきブラッドさんが受けた依頼ってBランクの依頼ですよね?」
「うん? そうだけど」
「どんな内容の依頼か聞いても良いですか?」
「別に隠す様な内容じゃないから構わないけど……。どうして?」
「……私は世間知らずなので、この辺の、……いえ、特にモンスターの事を良く知らなくて」
「ふんふん」
「で、え~っと、例えばCランクの討伐依頼でも難しさはマチマチじゃないですか? 対象のモンスターであったり、場所だったり」
「うんうん」
「だから、同じCランクでも危険度は微妙に違う訳で、」
「あ~、分かった。ランクは適正だけど、この冒険者にこの依頼を受けさせて大丈夫か分からない、ってそういう話かな?」
言うと、シンジュは我が意を得たりとばかりに大きく頷いた。
ようするにこの子は、依頼を冒険者が受けるにあたり、無理な依頼で受けた冒険者に万が一が無いか心配しているのだろう。
慣れない仕事で自分にも余裕は無いはずなのに、随分と気を回す少女だと思った。
「大丈夫よ、ランクが適正ならバンバン依頼出しちゃって。新人冒険者だと背伸びしてちょっと無茶な依頼も受けようとするんだけど、この街に居る冒険者はそういうタイプじゃないから」
冒険者とて死にたい訳ではない。
多少の怪我くらいはするだろうけど、怪我の心配をするならそもそも冒険者なんかしていない。
その辺りは自分達で判断して依頼を受けるだろう。
「はぁ……」
あれ?
そう説明するが、何故かまだあまり納得していないご様子。
心配性?
「あ、そうそう。ブラッドさんの受けた依頼なんだけど、火吹きオオトカゲ一体の討伐よ。この辺には居ないモンスターで普段は火吹きオオトカゲはランドール山脈の辺りに生息してるんだけど……。昨日の騒ぎの影響でこっちに流れて来たんだと思うの」
「強いんですか?」
「Bランクとしては下ってところかな? 群れを作る事が無いから、実力のあるBランク冒険者なら1人でも狩れちゃうわ。ブラッドさん達はパーティーだから、多分問題ない相手じゃないかしら?」
「ソロで丁度良い相手って事ですね」
今度は、先程よりも反応が良い。
この少女は、もしかしたら純粋にモンスターの強さを知りたがっているのかもしれない。
そう言えばこの子、冒険者志願なんだっけ?
モンスターの強さを気にするのはそのせい?
と言うか、なんで危ない冒険者になりたいんだろう?
ちょっと謎だ。
ギルド長の話では、とりあえず規定の十五歳になるまではギルド職員として働く事になったそうだけど……。
勿体ない。
このままギルドの職員として働いてくれると嬉しいのに。
「オリオンに依頼を出したのは、ランクの事も勿論あるんだけど、初見じゃないってところが大きいかな。オリオンはランドールを拠点にする冒険者だけど、たまに他所の街まで遠出して依頼を受けたりもするのよ。ランドールだとモンスターの種類に限りがあるから。つまり、経験豊富って訳。それで、経験豊富なオリオンに任せたの」
「なるほど。勉強になりました。ありがとうございます」
シンジュは頭を下げて礼を述べると、トテトテと軽い足音を鳴らして、また掃除へと戻っていった。
しばらくそんな少女を眺める。
手を動かしつつも、時折、冒険者達の方にチラチラと目をやって、かと思えば何やらウンウンと小さく頷いて微笑む。
英雄に憧れ、眺める少年みたいにキラキラと目を輝せて。
そんなに冒険者になりたいんだろうか?
ちょっと不思議な子だ。




