豊穣祭、一日目・ⅩⅡ
「これって魔法なんですか?」
泣き腫らした顔で僅かに目を赤くしたシンジュが尋ねた。
顔こそひどい有り様だが、自分に起きている異常事態が魔法によるものだと聞き安心したのか、その顔からは先程まであった険が取れ、どことなくホッとしたような様子であった。
「あなたが節操なく不特定多数とそういった事をしていないのであれば、そういう事なんだと思います」
シスネが言うなり、シンジュの首が大袈裟なくらい振られた。
「一体どういう事なのか、ちゃんと説明してもらいますわよ」
「無論です。そのためにあなたを呼んだのですから」
シスネは告げ、そうして事の成り行きを説明し始めた。
◇
「推測も含め、現状で分かっているのはここまでです」
話の締めにそう口にして、シスネは横に顔を向けた。
視線の先では、チェリージャンやプヨプヨ、ミナにリナが、シンジュの周囲で輪になっていた。
物珍しそうにシンジュのお腹に触れては、蹴った動いたとはしゃいでいて空気は穏やかだ。
シスネの説明を聞き、気絶までしたのが嘘の様に安心しきっているシンジュの様子に――ひとまずは――と、シスネも安堵する。
「舐めた真似をしてくれますわ」
シンジュ達が談笑する一方で。
ミキサンは眉間を寄せて吐き捨てるようにそう溢した。
こちらはこちらでいつも通りに戻ったなと、幼女らしからぬその顔を見て、シスネは違った意味で安堵する。
先の醜態は、アレはアレで見ていて面白かったけれど―――。
居住まいを正し、シスネは話を切り出した。
「シンジュ」
「はい」
「あなたが魔法を受けた前後の事を出来るだけ詳しく教えてください。何か気付いた事があればそれも」
シンジュは少しの間、思考を整理する。あの時の状況を思い返す。
ややして、赴ろに口を開いた。
「お腹が大きくなったのは、広場で子供達の踊りを見ている最中でした。踊りに夢中だったから特に気付い事とかは無いんですけど、ほんとに突然大きくなったんです。びっくりして、慌てて着ていた上着でお腹を隠して、それから広場から離れました。そうしたらチェリージャンとプヨプヨが追い掛けて来て……」
「それから、私に連絡して来たわけですね?」
コクコクとシンジュが頷く。
「自分に魔法が使われた、そういう感覚は全く無かったのですか?」
「無かったです。でも、気付かなかっただけかも。わたしっ、前で踊る子供達を眺めながら考え事とかしてましたし。もし結婚して、子供が出来たらわたしの子供にも楽器か踊りか、そういう習い事をさせようかな~なんて」
相手も居ないんですけど――そう付け足して、気恥ずかしそうにシンジュは小さく頭をかいた。
シスネは小さく頷くとシンジュから視線を外し、険しい表情で何事かを考え込んでいるミキサンへと目をやった。
尋ねる。
「ミキサン、使われた魔法がどういった魔法かは?」
少し間を空けてからミキサンは答えた。
「見当もつきませんわ」
「あなたでも分かりませんか」
「変化系の魔法はいくつかありますが、そのどれにも共通する部分がありますの」
「なんです?」
「変化系の魔法では、記憶の改竄までは出来ない――という事ですわ。あなたからの話を聞いて、そこだけが腑に落ちない」
ミキサンはそこで一度短い間を取り、それから続けた。
「猿にしても、あなた方にしても、姿を変えたところで記憶までは変化させられないのが、ある意味、変化系魔法の穴といったところですわ。勿論、わたくしが知らないだけで記憶すらも偽れる変化系の魔法がないと断言は出来ませんが」
「変化系と精神系、その2つの魔法を同時に使ったという可能性は考えられませんか?」
パッセルが尋ねると、ミキサンがチラとそちらに目をやった。
「その可能性は勿論ありますわ。ただ、記憶の改竄というのは、あなた方が思っているより遥かに難しい代物です。例えば、一時的に記憶の一部や全部を消す――これは可能です。今ある物を消してしまうだけですから。しかし、消すのではなく改竄、或いは一旦全て消した上での再構築となると話は変わってきますわ。偽の記憶のひとつふたつを頭の中に差し込む程度の事は出来ますが、今回のように生まれてからこれまでを丸ごととなると不可能に近い」
「しかし、その不可能が現実に起きています」
「だからこそ腑に落ちないのです。そこまでしておいて、やっている事はただのそっくりさん作り。こちらの混乱を狙っているわけでも、あなた方への成り代わりを狙っているわけでもない。雑過ぎるのです。なにもかも」
言葉尻を上げたミキサンが、小馬鹿にでもするように言って捨てる。
それから、静かにやり取りを聞いていたシンジュに顔を向けた。
じっとシンジュを見つめる。
そうして、何事かを思ったのか、不意にシンジュの傍へと一歩、歩み寄った。
「シンジュ」
「ん? なに、ミキサン」
「腹の変化もそうですが、あなた、胸も少し大きくなっていますわね?」
「あっ、うん。そうなんだよね実は。そのせいかなんかちょっと痛くて」
シンジュが答えるとリナがすぐさま反応した。
「そうなの? なにそれ羨ましいんだけど」
言って、リナはニヤリと笑うと両手を開き、大きくなったらしいシンジュの胸を掴むような仕草を作った。
そうしてまさにリナが手を伸ばそうとした矢先、リナの手を追い越し、リナよりも先にミキサンがシンジュの胸を素早く鷲掴みにした。
「痛っ! いきなりなにすんのさっ!?」
シンジュが慌ててミキサンの手を引き剥がし、庇う様に胸に手を当て避けるように体を横に捻る。
悪びれた様子もなくミキサンが尋ねる。
「なんともありませんの?」
「だから痛いんだって!」
「何故痛いのです?」
「だからミキサンが、」
言いかけ、シンジュが途中で言葉を止めてしまった。
何やら驚いている顔をしている。
そんなシンジュの様子をリナが怪訝そうに眺め、ミナがスンスンと鼻を鳴らした。
シンジュがミキサンの魔の手から守るために当てていた手を胸から離す。
シンジュの服、胸の辺りが水に濡れたようにうっすらと湿り気を帯びていた。
「なに? 血!?」
リナが驚きの声で尋ねた。
痛いと喚いたゆえ、怪我をしていると思って驚いたのだ。
そんなリナの質問に答えたのは、驚いた様子で自身の濡れた服を見ていたシンジュではなく、傍で鼻を鳴らしていたミナであった。
「ミルクだね。母乳」
「「母乳!?」」
シンジュとリナが声を揃えて驚く。
ミキサンが小さく嘆息し、言った。
「まぁ、子が出来たのです。普通の事でありましょう。胸が痛いのは、中身が詰まっているせいですわ」
「ず、随分冷静に分析してくれちゃってますけど~? これどうしたら良いの?」
「痛みを柔らげたいという意味ならば、搾れば良いのですわ」
「し、搾る……」
「飲ませる対象もいないのですから、搾る以外にありませんでしょう?」
「そ、そうだけど……。やった事ないし……」
「なら――」
と、ミキサンがシンジュの手を掴む。
「もうひとつ確認したい事もありますし、ついでに搾って差し上げますわ」
そう言って、ミキサンは教会の奥に向かってシンジュの手を引き始めた。
「ちょっと……、本気!? 無理無理っ! 自分でやる! 自分でやるからっ!」
嫌だ嫌だと喚きながら、シンジュが行くまいと足に力を込める。
流石の魔王も足が止まる。
本気の力比べでシンジュに勝てる者はまずいない。
ミキサンが説得を試みる。
「確認したい事があると言いましたでしょう? 大人しくついてらっしゃい」
「ほんと無理だからっ! 堪忍してつかぁさい!」
「そうやってあまり力み過ぎると、勢いで産まれかねませんわよ?」
「産ま……ッ!?」
途端に抵抗していたシンジュの力が弱々しくなった。
力むと産まれるという一言は、今のシンジュには最高のデバフになったらしい。
行きたくない。けど抵抗して産まれても困る。八方塞がり。
その好機を逃さず、ミキサンは悪魔的にキヒヒと笑うと、ズルズルとシンジュを引き摺るようにして奥へと強引に向かった。
引き摺られながらシンジュが叫んだ。
「誰か助けて! 悪魔が! ここに悪魔が! ――ああぁぁぁあ~~!」
助けを求める声虚しく、誰の助けも得られぬままシンジュは言葉にならない叫び声を上げたのち、「はくじょ~もの~~」という捨て台詞をその場に残してミキサンと共に奥へと消えていった。
そんなシンジュが戻って来たのは、リナがミナに「私は手伝いで牛の乳なら搾った事があるわよ」なんて話をしている時だった。
精魂尽き果てたかの様にフラフラとした足取りで戻って来たシンジュは、リナ達の前に辿り着くなりその場にペタリと座り込んだ。
「もうお嫁にいけない」
言ってシクシクと泣き出す。
奥で何があったのかとは流石に誰も聞けなかった。
そんなシンジュの脇を、とてもニコヤカな微笑みを浮かべた悪魔が通り抜ける。
何か大きな憂いでも取れた様な清々しい表情であった。
機嫌良く戻って来たミキサンに、シスネは尋ねた。
「確認と言っていましたが、何か分かりましたか?」
「ええ、分かりましたわ。今の状態が魔法という事は分かっていましたが、万が一という事もありますから念のためにと確認しましたが、まだ純潔であったようで安心しましたわ」
ミキサンの言葉にシンジュがビクリと小さく震え、他の者達が呆気に取られ、リナとプヨプヨだけが小首を傾げた。
「何を確認しに行ったのかと思えば……」
聞いた自分が馬鹿だったとでも言いたげに、シスネは嘆息した。
「重要な事ですわ」
悪魔がヒヒッと笑った。




