【幕間】100の儀式・14
「おーい、起きろ。おいっ」
「ん……、ん~~。あっ、ヒロ……」
温かな陽光と少しだけ冷たい風の中。
寝惚け眼を手で擦り、目の前にいたヒロの名前を呼んだ後、ハロは上半身を気だるげに起こしてからしばらくボーっと視点の定めらぬまま、広げたヒロの手の上で座り込んでいた。
かと思えば、突然に目をカッと見開いて、慌てた様子で勢い良くヒロに顔を向けた。
「ヒロっ!?」
「おう。おはよう」
いつもの無愛想で言ったヒロのその顔を見た途端、ハロの顔にみるみる涙の粒が膨らみ始めた。
「わ~ん! ヒロぉ!」
ヒロの頬にひしとしがみつき泣きべそをかき始めたハロの体を、ヒロは優しくポンポンと叩いた。
その小さな、しかし大きな安心をくれる振動に、ハロはグズグズと泣きながら、さっきまで見ていた悪い夢の事を思い返す。
悪魔の罠に嵌まって、最も信頼するヒロに銃を向けられ、殺される――そんな悪夢。
ああ、夢で良かった。
随分現実感の伴う夢であったけど、今のヒロの様子を見るに、魔法に掛かった様子も無ければ、雷鳴轟く薄暗い森でも無い。
怖い夢だった。
けど所詮は夢だった。
そんな事を思いながら、ハロは少しの間、グスグスとヒロの頬を自身の涙で濡らした。
ハロがようやく少し落ち着いて、悪夢に泣きじゃくって子供みたいだと、ちょっと気恥ずかしくなって来た所でヒロの頬から離れた。
そこにヌッと、上から影が差し込んだ。
ヒロに何かを伝えようと口を開きかけていたハロだったが、陽光降り注ぐ草原の中にあって場違いの様に降って来たその影に、赤くした目で何気なくそちらを見――目を開いて硬直した。
そして、自分の目で見たモノが信じられないとばかりにギョッとし、叫んだ。
「リドルぅぅぅ!!?」
「ああ、元気そうだな」
悪夢の張本人、リドルの姿が目の前にある事に、ハロは一瞬立ち眩みにも似た恐怖を覚え、あやうく飛び方も忘れて落下しかけた。
慌てて体勢を整え、キッとリドルを睨む。
「待て待て。心配ない。全部終わった」
ヒロがそう言って諌めに入ると、ハロはじ~っとリドルに厳しい目を向けながら後ずさり、そのままヒロの頭の後ろに隠れてしまった。
「なんだリドル。随分嫌われてんじゃん」
様子を見ていたウルがおかしそうに言った。
苦笑いを浮かべたリドルが何か言いたげにそちらに顔を向けると、吊られるようにハロも声の方へと視線を向けた。
そこにいた見知ったウルの姿を見つけ、ハロが不思議そうに尋ねた。
「あれ? ウルじゃない?」
「おっす」
「なんでウルが……。って言うか――」
ハロはそこで一旦言葉を止め、周囲を軽く見渡してから続きを口にした。
「なんでリドルがいるのよ。ここ、雷徒の皿の外よ? なんかアビさんが簀巻きにされて寝てるし……。一体どうなってんの?」
「それも全部含めて説明してやる。あ~、そうだな……。何処から説明したもんか……」
ヒロはハロの顔をまじまじと見つめながら、何処から、どう説明しようかと考える。
考え事をしているヒロの意識が、視線の先の自分には向いていないとハロは理解しつつも、その視線に先程少し感じた妙な気恥ずかしさが、またむくむくと沸いてきた事に気が付いた。
それでハロは、とりあえず泣いて赤くなっているであろう眼をどうにか誤魔化そうと、ヒロと見つめ合う様な格好だった顔の角度を、それとなく横に向けた。
そうして、動かした目線の先にリドルの姿を見つける。
目が合うと、リドルはハロに向かってニコニコと嬉しそうな顔を向けて来た。
ハロは嫌なモノを見た気になって、露骨に顔をしかめてプイッとそっぽを向いてしまう。
どうやら完全に嫌われ――いや、今も敵だと思われているらしい――と、仕方ないと思いつつ、悲しそうにリドルががっくり肩を落とす。
そんなリドルの様子を、ウルがまたおかしそうに歯を見せて笑った。
三者三様に視線だけでのやり取りを交わしていると、――ふむ、と呟いたヒロが、ある程度考えがまとまったのか、口を開いた。
「簡単にまとめると、アビが悪人で、リドルは間抜け、ウルはリドルの馴染みでハロは頑張ったで賞――って事かな?」
至って真面目に、当たり前の様にそんな事を口にしたヒロに、ハロは少しの間を空けた後、万感の思いで言い放った。
「馬鹿じゃないの?」
「馬鹿じゃないが?」
聞いていたウルが、腹を抱えて空中で器用に笑い転げる。
「アッハッハッハッ! その説明で理解するのは王国の学者様だって無理だぜヒロっ!」
「ヒロに説明を求めた私が馬鹿だったわ」
嘆かわしいと、額に手を当てたハロが頭を数度振った。
うるせぇな、とヒロがぼやく。
こりゃ駄目だと思ったのか、誤解が解けると期待した眼差しをヒロに向けていたリドルが、一瞬渋い顔をした後、勢い良く手を挙げた。
「ハイ!ハイ! ハァーイ! 俺様が代わりに説明させて頂きます!」
「ハァ……。じゃあもうあんたで良いわ。リドル、説明して頂戴」
ハロが何かを諦めた様に大きな溜め息をつき告げると、任せされましたと声を張り上げたリドルが、パチンと指を鳴らした。
すると、何処からともなく板状の箱がテーブルと共に出現する。
「リドルおじさんの紙芝居はーじまーるよー! ――良い子の僕ちゃんお嬢ちゃん達、全員前に座ってくれるか?」
突然始まったそれに、三人が顔を見合わせる。
早く――と、リドルに急かされ、流されるままに三人がリドルの前に移動して、ヒロとウルは並んで雑草の緑と剥き出しの茶が混じる地面の上に、ハロはヒロの肩に、それぞれ座る。
それを認めた後、リドルはいつの間にか手にしていた三本の棒っ切れを笑顔で三人に配った。
「なんだこれ?」
受け取った棒を眺めながらウルが尋ねる。
棒の先端には無色透明で粘り気のある液体がくっついていて、それが陽光に照らされヌラヌラと揺らめいていた。
「水飴だろ」と、ヒロ。
「飴って言うと砂糖か?」
そう言って、ウルが先端のそれに指を押し付け、掬い取る。
「ネチャネチャしてるぞ?」
「そりゃ水飴だからな」
「ふ~ん、そういうもんか」
「ねぇ? これほんとに水飴なの?」
ハロが先端のゲルを凝視しながら尋ねた。
「あ~、正確には水飴じゃあない。けど似た様なものだ」
「あんたの似た様なものは信用出来ないわよ。結局コレなんなわけ?」
眉を潜めて怪訝に尋ねたハロに、リドルはボソリと小さな声で答えた。
「…………巨大ヒルの粘液」
「あっぶねぇ!」
いままさに口にしようとしかけていたヒロが、大慌てで食べるのを止め、手に持っていたソレを放り投げた。
放物線を描いて後方に飛んだソレは、まるで狙ったかの様に簀巻きになって転がされていたアビの髪にベチャリと張り付いた。気を失っているはずのアビがウッと小さく唸った気がした。




