【幕間】100の儀式・9
「ねぇ、リドル」
退屈なのか、何故かどこからか持って来た玉葱をひたすら剥くという作業に涙を流しながら没頭しているリドル。
そんなリドルは、ハロが声を掛けると玉葱を剥ぐ手を止めて振り向いた。
元々赤いが、玉葱のせいで余計に赤く見える目がハロに向けられた。
「玉葱ってどうしてこんなに悲しくなるんだろうね」
知らんわ――と、ハロが声には出さずに呆れて、眉根を寄せた。
リドルがパチと指を鳴らすと、テーブルの上に散乱していた皮もまとめて玉葱が消え失せた。
「それで?」
悲しげな表情から一転して、笑顔を作ったリドルが尋ねた。
ハロは、やや削がれた気概を正すように小さく咳をしたあと、
「折角だし、次は私と勝負しましょ。勿論、遊びで」
ニッと歯を見せてハロか笑う。
リドルは顎に手を当て、少し考える素振りを見せた。
「おい、ハロ。俺が遊んでたんだ」
そこにヒロが不服そうな顔をして割って入る。
まるで遊具の順番でも抜かされた子供のようなその表情に、ハロが小さく苦笑する。
「良いじゃない。ヒロはさっき十分楽しんだでしょ? 私だけ仲間外れは良くないわ」
「あのなぁ」
反論しようとしたヒロの声を遮り、なにかを思案していたリドルが口を挟む。
「あ~、分かった分かった。そうだよな。確かに仲間は外れは良くないよな。よしっ、じゃあ次はハロと俺で勝負をしよう。お題は何が良い?」
「あら? 私がお題を決めちゃって良いの?」
「ああ、勿論だ。この森で出来る遊びならなんでも良い。俺様優しい?」
「ええ、リドルは優しいわ」
「良く言われる」
笑ってリドルが返すと、ハロが逡巡する。
誰が言ってるんだか――と、呆れたのち、ハロはニッと口角を上げて応じた。
「さっきと同じおいかけっこで良いわ。勿論ルールも同じ。どう?」
「よーしっ、乗った」
リドルの了承に、ハロの口角が更に高く上がりニッコリと笑顔になった。
自信に満ちた表情を意識して作った。
正直に言えば、そこまでの自信はない。
しかし、あえてハロは自信アリを全面に押し出し、リドルを迎え撃つと決めた。
ヒロが勝てなかったリドルとのおいかけっこではあるが、それはヒロだから分が悪かったという話。
ヒロはイケイケ押せ押せな性格をしているせいか、習得している魔法もその手のモノが多い。
生じた問題も、立ち塞がる壁も、叩いて砕くのがヒロ流。そんなヒロゆえ、叩いても砕けず柳の枝のごとくスルリと避わすタイプの搦め手には酷く弱い。
たいして、ハロは違う。
脳筋のヒロを四苦八苦しながらも裏から支えるだけの慎重さがある。
小さく弱い妖精だからこその、生き残る術がある。
生存戦略にかけては、どんな生き物よりも優れていると自負するだけの力が備わっているのが妖精という種族。
現にハロは、常識破壊内においてもまだ理性を保てている。
魔法が効いていない訳ではなく、もともと精神的な魔法が効きにくい事もあり、ヒロよりも効果の浸透が緩やかであった。
そのため、リドルからの「攻撃」に気付いた時点で、ハロは「危険である事」を強く意識して「攻撃」になんとか対抗している。
無論、精神的なものゆえ、それにどれだけの効果があるのか、そもそも意味があるのかもハロには分からなかったが、なんとかまだリドルに食らい付けるだけの気力は保てている。
――リドルとの勝負はおいかけっこではあるが、馬鹿正直に逃げる必要などない。
――どんな形であれ、捕まらなければ自分の勝ちなのだから。
じわじわと、しかし確実に破壊されていく理性の中、その考え方自体が本当に正しいのか、今こう考えている事も実は非常識で間違っているのではないか――そんな自身の考え方、常識すら疑わなくてはならない世界の中、疑心暗鬼と戦いながらハロは悪魔に挑もうとしている。
見える敵と見えない敵の挟み撃ち。
猶予がどれくらいあるのかは分からない。
浸透が緩やかだろうと、魔法が効いている以上、リドルを敵だと認識出来ている間に終わらせられなければ敗北。
「ああ、そうそう」
笑顔を見せるハロに、リドルが何かを思い出したかの様に口を開いた。
「さっきはヒロが逃げる役だったから、今度は俺様が逃げる番だ」
リドルの言葉に笑顔だったハロの表情が一気に強張った。
「それで文句はないな? かくれんぼが得意な妖精ちゃん♪」
ハロが舌打ちでも打ちそうな顔でリドルを睨んだ。
ハロの視線を真っ向から受け止め、リドルがニヤリと不敵に笑った。
ハロは、ギリッと小さな歯軋りを鳴らした後、気を落ち着けるように息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「良いわ。それで」
ハロが了承すると、満面な笑みを浮かべたリドルが一度大きく手を打ち鳴らした。
「それじゃあ始めちゃおうか~」
指を鳴らしたリドルが砂時計を出現させ、それをテーブルの上に置いた。
「砂時計をひっくり返したらゲームスタートだ。じゃあ、俺様は先逃げるぜぇ? 30数えたら追い掛けて来てくれ」
そう言い、片手をヒラヒラと軽く振りながら、リドルはスキップの出来損ないみたいな足取りで森の中へと消えていった。
それを静かに眺めて見送った後、ハロはお預けをくらって不服そうにするヒロの傍まで身を寄せた。
「ヒロ」
「なんだよ?」
「もし、私が負けたら……」
そこまで言って、ハロは言葉を止めた。
頭を振り、嫌な想像を払いのける。
怪訝な顔を向けてくるヒロに小さく苦笑してから、ハロが息を吐いた。
「だらしない弟に代わってお姉ちゃんが勝って来るから、ここで大人しくしてなさいよ」
「だれが弟だ」
ぶすっとした表情でヒロは返し、ひと呼吸置いたあと、――けどまぁ、と続けた。
「やるからには勝て。――頼りにしてるぞ、相棒」
真面目な顔でヒロが言った。
途端にハロがきょとんと目を点にした。
「なんだ?」
何やら驚いているハロの様子に、ヒロが尋ねた。
「……ううん。なんでもない。――あっ、そうだ。明日はいよいよランドールの豊穣祭ね」
「ああ」
「実りの日は、私が一緒に回ってあげても良いんだけど……。せっかくのチャンスだから、お姫様を誘ってみたら? むしろ誘いなさい。好きなんでしょ、お姫様の事」
悪戯っぽく笑って、強制だと言わんばかりの強めの口調でハロは言った。
「ふむ。そうだな。せっかくのチャンスだし、デートに誘ってみるか」
真面目な顔のまま、妙案だとヒロが深く頷いた。
そんなヒロの様子に、クックッとハロが声を圧し殺して笑う。
常識破壊の魔法下にあるヒロは、普段は隠している自分の裏側を堂々と曝け出す事に抵抗が無い。普段どんなにひねくれている者でも、抵抗が無いため素直に自分の気持ちを口にする。
ありがとうとか、好きだとか、ごめんなさいとか、いつもは恥ずかしくて言えない事も正直に言えてしまう。
――随分素直になっちゃって。
羞恥というものをまるで見せず、真面目な顔でそんな事を言うヒロが可笑しくて仕方ない。
何故ハロが笑っているのか分からず、ヒロが不思議そうに首を傾げる。
「ヒロにとってこの魔法が本当に怖いのは、無事に魔法空間を抜け出せても、この中の出来事を覚えてるってところかもね。――ちゃんとデートに誘うのよ? わかった?」
「ああ、任せろ。簡単だ。余裕だ」
ヒロの力強い頷きに、ハロがまたクックッと笑う。
言質は取った。
言い訳なんて聞いてやらない。
これはなんとしてでも無事にランドールに帰らなきゃね。
決意でもする様にハロは頷くと、気合いを入れるため両頬を強く叩いた。
30秒は、とうに過ぎている。
そうして、木々の方をキッと睨みつけ、リドルの待つ森の中へと入っていった。




