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【幕間】100の儀式・7

「もぅ、ヒロってばぁ」


 枯れ木に囲まれた湖のすぐ傍。

 設置されたテーブルの上に置かれた人の頭ほどの大きさがある水晶。それに目を向けながら、心配そうにハロは呟いた。

 現在この場にはハロしかいない。

 アビはおいかけっこを待つ間、残した仕事をしてくると開始直後にハロを残して何処かに行ってしまった。


 ハロが見ていたのは、水晶に映り込むヒロの姿。

 待っている間は退屈だろうと、ゲームの途中で湖に戻って来たリドルが置いていったものである。

 その水晶に映るヒロを見守りながら、ハロが溜め息をつく。表情には心配の色が濃く浮いていた。


 予想はしていたけれど、ヒロはスタート直後から現在まで、リドルの仕掛ける罠のその全てに引っ掛かっていた。

 魔法の影響下ゆえ、その事自体は仕方ないと思いつつ、ハロは気が気ではなかった。


 とはいえ、ヒロはリドルの仕掛ける罠に嵌まりつつも、上手く立ち回りいまだ捕まらずに逃げ回っていた。

 水晶から視線を外し、ハロがチラリと砂時計へと目を向ける。


 透明なガラス容器の中にある砂はほとんど落ちきり、制限時間までは幾ばくもない。

 また視線を水晶へと戻す。

 水晶の中では、大きな○✕が書かれた扉の、○の方へとヒロが箒ごと突っ込んでいる場面であった。

 音が無いため、見える場面から状況を想像するしかないのだが、おそらくリドルに二択の謎掛けか何かでも出されたのであろう。

 そうして、おそらくヒロはわざと間違った方の扉を選択し、突っ込んだ。


 ○の扉の先には、大きな網を持ったリドルが待ち構えていて、突っ込んで来たヒロを捕獲しようと網を振っていた。

 しかし、そこは箒を手足の様に操るヒロ。

 上手く避けて、リドルの網を掻い潜り、今回も捕まらずに逃げる事が出来たようだ。


 散々罠に嵌まりながら、そのどれも上手く逃げ出したヒロの様子と残り時間を鑑み、――このまま上手く逃げ切れるんじゃ?――と、ハロは内心で少し安堵した。


 しかし、気を取り直すように頭を振る。

 それを嘲笑うのが悪魔であると、ハロは知っている。

 油断した先で、爪を突き立てるのが悪魔なのだ。


 ハロの懸念は、リドルが悪魔だからという事も勿論あるが、それだけでは無い。

 そもそも、スタート直後からリドルは本気でおいかけっこをしている様に、ハロには見えなかった。

 仕掛けられた罠の数々も、一見すればヒロを捕らえるために工夫を凝らしている様に見えるが、罠に嵌めるだけ嵌めて、最後はわざと見逃している様にハロには見えた。


 リドルは遊んでいるのだ。

 ヒロをからかって楽しんでいるのだ。


 おそらく、リドルが本気で捕まえようと思えば、ヒロはすぐに捕まってしまうだろう。

 何故なら、ここはリドルのホームグラウンド。


 祈るような気持ちで、ハロは水晶を眺め続けた。



 砂の残りがもう一握りという頃になった時である。

 今までおふざけ半分でヒロを追い掛けていたリドルの動きがピタリと止まった。

 ヒロはヒロで、勝ちを確信しているのか余裕の表情をしていた。


「あぁ、もう、油断して」


 水晶に映る余裕綽々のヒロの様子に、焦れたようにハロが文句をつける。

 勿論、その声はヒロには届かない。


 そうして、時間まであと数秒と迫った時、突然リドルが姿を消した。


「あっ」


 水晶を見つめたまま、ハロが思わずすっとんきょうな声を上げた。

 消えたと思った次の瞬間には、リドルはヒロの肩に手を置いて、その体に触れていた。


 ヒロは負けてしまった。


 口をあんぐり開けて水晶を見ていたハロが、力が抜けたようにその場でポテンと尻餅をついた。


 その場で俯いたままハロは考える。

 半分分かっていたのだ。ヒロは負けるだろうと。

 それでも、――もしかしたらヒロならば――という期待が心の何処かにあった。

 しかし、悪魔はそんなハロの淡い期待を一瞬で踏み砕いた。


 リドルの持つ魔法常識破壊(ファンキーワールド)は、ハロにとって一番警戒しなければならない魔法だという事は変わりない。

 しかし、このお題と称したおいかけっこにおいてを言うならば、最も警戒すべきはことごとく罠に嵌める常識破壊(ファンキーワールド)ではない。こんなもの、おいかけっこではからかいついでの遊びのための魔法でしかない。


 時間僅かになってヒロを捕まえたのは、リドルの持つ別の魔法【影移動】である。

 この魔法は、繋がってさえいれば影から影へと瞬時に移動出来る魔法。


 ハロは俯いていた顔を上げ、上空を見上げる。

 頭の上では、厚く大きな黒雲が時折雷を発生させながら佇んでいる。

 そのせいで、雷徒の皿の中は全域が影に覆われていた。


 つまりリドルは、この森の中であれば、影移動でいつでも、どこにでも、瞬時に移動出来るという事。

 姿を現した当初から、リドルが急に消えたり現れたりしていたのもその魔法の力であった。

 自身よりもずっと速い箒に乗ったヒロの先回りをして、リドルが罠を準備出来たのも影移動があったからである。

 速いとかすばしっこいとか、そういう次元の話ですらない。


 妖精心眼(ルビーアイ)でリドルを見たハロは、それを持っている事を知っていたゆえ、たぶんヒロは勝てないだろうと予想していた。

 そしてそれはハロの予想通り、ヒロの敗北で終わった。



 ハロがそうやって考え込んでいると、ヒロとリドルが森の奥から戻って来た。仲良さげに談笑なぞをしながら。

 その様子に、ハロはグッと下唇を噛んだ。


 ――おそらくここからだ。

 リドルの狙いはきっとここから――


 一度、決意でもするように、ハロは強く目を閉じた。

 そうして、開いた時には深刻だった顔を止め、いつものハロを意識して表情を柔らげた。


「おっかえりー。あとちょっとだったのに、残念だったわねー」


 戻って来たヒロに向け、快活にハロが言った。


「おー、もうちょっとだったけどな」


「まぁ今回は俺様の勝ちだったが、な~に、次があるじゃないか」


「そうだな。よしっ、次は勝つぞ!」


 気を取り直すように笑顔になったヒロ。


「ああ、そうだとも! 気分を変えて次に行こうじゃないっ!」


 応援でもするかのようにヒロの背中を叩いたリドルの言葉に、ハロは背中に嫌な汗を流した。


 ――やっぱり、次のお題がある。

 ――ううん。次だけじゃない。きっとその次も、そのまた次もある。

 ――それこそが、リドルの狙いなのだから。


 魔法、常識破壊(ファンキーワールド)は、その効果の上辺だけを見れば、ただテンションが上がってノリノリになる――という、あまり危険の無さそうな魔法に見える。

 しかし、この魔法が恐ろしいのは表面だけでは決して分からない。

 ファンキーという陽気な名前とは裏腹に、常識破壊(ファンキーワールド)の属性が【闇】に分類されるのは、それだけ危険な魔法であるとの示唆に他ならないのだから……。


 一刻も早くここを抜け出さないと……けど、どうやって――。


 ハロは焦る気持ちをひた隠し、表面では、次だ次だと笑い合うヒロとリドルに合わせて自身も笑顔を見せつつ、この状況からどうにか抜け出そうと、そのどうやってを必死に考え始めた。







 常識破壊(ファンキーワールド)が世界に初めて発現したのは、ずっと昔の事である。


 王国の中のとある街で、ソレは生まれた。

 ソレを生み出したのは、仕事で街を訪れた一人の男であった。

 男は、芸を見世物にして生計をたてる大道芸人を生業としていた。

 街から街へ、村から村へと渡り歩いて芸を見せていた男であったが、その生活は困窮していた。


 男の芸は、当時としては珍しい陽気な道化の格好で行われるものであった。

 見た目こそ、物珍しさで足を止める者も少なくなかったが、それは最初の一芸二芸だけで、最後まで男の芸を見る者はほとんど居なかった。


 その理由は、魔法が世界に生まれたから。


 男が行う手品や一発芸。以前ならば目にした誰もが驚き、興奮し、時に笑い、芸をする男の周囲にはいつも人だかりが出来ていた。

 しかし魔法が世界に生まれ、溢れた世の中において、種も仕掛けもある男の芸など、なんの驚きも興奮も生み出さない。

 魔法ならばもっと凄い事が出来ると、人々は知ってしまったからだ。


 生活は苦しかったが、男は芸を辞めるつもりはなかった。

 何故ならば、男は人々の驚いた顔を見るのが好きだった。

 興奮して、キラキラと目を輝かせ、食い入るように見つめてくる子供達の顔を見るのが好きだった。

 自分の芸で笑ってくれる人々の笑顔を見るのが堪らなく好きだった。


 とは言え、好きだけでは食っていけない。

 ならばと男は芸を変え、コミカルな踊りや音楽で、人々を楽しませようと考えた。


 だが、それも上手くはいかなかった。

 おかしな格好をして、道化た仕草で踊る男には、おひねりが飛んで来るどころか、汚い言葉や馬鹿を見るような視線が飛んで来た。時には石が飛んで来る事もあった。

 果ては子供を拐おうとする犯罪者ではないかと、武器を持った大人達に追い回された事も、一度や二度ではない。


 男はそれでも芸の道を辞めようとはしなかった。

 いつかまたあの頃のように笑ってくれるだろうと信じ、手を変え品を変え、もう一度人々の笑顔を見るために、男は街から街を渡り歩き続けた。


 そんな男の物語は、ある時、唐突に終わりを迎えた。


 男が最後に訪れたのは大陸の中心に程近い大きな街であった。

 これだけ大きな街ならば、自分の芸に笑ってくれる人がいるかもしれない。

 いつも以上に気合いを入れて、いつもの道化の格好で、男は意気揚々と大きな通りで芸を始めた。


 しかし人波はどれも通り過ぎるばかりで、足を止めてくれる者は居なかった。

 それでも男は、石を投げられるよりは幾分かマシかと思い、客のいない通りで芸を続けた。


 そんな男の元にひとりの小さな少女がやって来た。

 少女は不思議そうに男の芸を眺めていたが、しばらくすると、ははっと声を出して笑顔を溢す様になった。

 男は嬉しくなって、少女のために自身が出来る芸を次々と披露していった。

 男が何かする度に少女は楽しそうに笑った。

 そんな少女に吊られたのか、次第に人々が足を止めて、男を囲み始めた。

 男の周囲に久方ぶりに笑いの輪が出来た。


 ああ、自分はまだ頑張れる。

 まだ観客を沸かす事が出来る。

 男は嬉しくて仕方がなかった。


 芸が終盤に差し掛かった頃。

 男はこのまま終わってしまうのが名残惜しくなった。

 ずっと人々の笑顔を見ていたい。そんな気持ちになった。


 だからか、男は久しぶりに手品をしてみようと思った。

 魔法に比べたら大した事のない手品だが、工夫すれば派手な演出は出来るはずだ。

 そう考えた男は、手持ちの手品のいくつかに即興で手を加え、派手な演出と共に人々に披露して見せた。

 観客達の方に手を向けて、何もない手の平からポンと花束を出した。


 途端に観客達が驚いた顔をする。

 驚いてくれている。これならいけるかもしれない。

 男がそう思った時、輪から飛び出してきた一人の観客に、男は剣でバッサリと斬られてしまった。


 何が起きたのか分からず男が胸元を見る。

 肩から腹にかけて、男の体から真っ赤な血が溢れ出していた。

 さっきまでの楽しげな空気は一変し、その場からいくつもの悲鳴が上がる。


 男を切ったのはその街に住む貴族であった。

 男は知らなかったのだ。

 手の平を人に向けるという事の意味が。

 手から魔法が飛び出す世界において、それは非常に相手に恐怖を与える仕草。貴族の間では、そういうマナーが生まれ、定着しつつある事を、街から街へと渡り歩く生活をしている男は知る由もなかったのだ。


 男が倒れたあと、誰も男を不憫に思う者は居なかった。

 男を斬った貴族が言った。

 人々に「魔法」で危害を与えようとしていた狂人を斬り伏せたと。

 そう言って、貴族は男を指差して笑った。

 罪もない男を斬ってなお自慢気に笑った。

 そんな貴族を周囲の者達が称え始める。

 良くやってくれた。ありがとう――と、口を揃えて男に感謝を述べたあと、民衆は貴族と同じように瀕死の男に向かって指を差し、ざまぁみろと笑い始めた。


 男は、手の平を向けたというたったひとつの仕草で悪者になった。侮蔑の対象となった。

 激痛と悔しさに身を焦がしながら陽気なメイクで涙を流す男の姿が滑稽に見えて、さっきまで男の芸に笑っていた者達が男を馬鹿にして腹を抱えて笑っていた。


 狂ってる。

 馬鹿げている。


 朦朧とする意識の中で、血を流して倒れる自分を笑う者達の声に、男は絶望した。


 絶望した男は、死の間際で強く呪った。

 斬った男をではない。

 笑う民衆達でもない。

 男は魔法という存在を呪った。

 仕事を、人生を、そして命さえも――自分の全てをめちゃめちゃにした魔法など、この世から消えて無くなれと、薄れる意識の中で祈った。

 理不尽とすら感じる非常識な魔法が、常識として罷り通る道理など壊れてしまえと願った。


 そうして強い恨みを抱いたまま、男は死んだ。

 だが男の強い感情は、消える事なくその場に留まり、男の死を糧として世界に新たな魔法を生み出した。


 産声を上げた魔法は、死んだ男の体を中心に大きな街を包み込んだ。

 すぐに変化は現れなかった。

 街は男の死など無かったように、いつもと変わらずに回っていた。

 しかし時間と共に、魔法は人々の内側、深く深くに浸透していった。静かに、誰にも気付れる事なく、ひっそりと――。


 最初の変化は街の一角にあった酒場で起きた。

 その日の酒場は、昼間にも関わらず大変な盛り上がりを見せていた。

 祝いの日でも無いのに人々は呑めや唄えやの大騒ぎ。

 誰もが、()()()()()()呑んでいた。

 今日の客はノリが良いなと、酒場の店主は笑っていた。


 そんなお祭り騒ぎの中でちょっとした小競り合いが起こった。

 それは酔っ払い同士の喧嘩で、酒場では良く見る光景であり、特に珍しいというわけでも無かった。

 だが、その日の喧嘩はいつもと様相が異なった。

 喧嘩をしていた男二人の内の一人が相手を殴り殺してしまったのである。

 原型が分からなくなる程に殴られて死んだ男が、酒場の床に倒れこんでいた。


 しかし、それを見ていた他の客達は「喧嘩なんだから仕方ない」と笑った。

 人が目の前で死んでも誰一人して気にも留めず、何事も無かったかのようにどんちゃん騒ぎは続けられた。


 その出来事を皮切りに、街のあちこちで人が人を殺す出来事が相次いで起こった。

 しかし、そんな状況下にあっても街の住民達は笑ってそれらを眺めていた。


 たまたま通りを歩いていて肩がぶつかった老人を殴り殺した時も、それを見ていた人々は、「肩がぶつかったなら仕方がない」と笑った。


 ケチで有名な商人を品を卸しにきた農家が殺した時も、「相手が気に入らなかったなら仕方ない」と人々は笑った。


 兄弟喧嘩の延長で弟を刺し殺してしまった兄を見ても、「兄弟喧嘩なら仕方ないね」と母親は笑った。


 魔法が深く深く浸透するにつれ街は狂っていった。

 誰もが常識を失い、常軌を逸した。

 倫理観が崩壊し、悪い事を悪いと思えなくなっていた。

  

 のちに常識破壊(ファンキーワールド)と名付けられた魔法が生まれてから数時間後には、その大きな街は、民衆同士が殺し合う地獄となった。

 誰もが、ほんの些細な事で人を殺し、些細な事で殺された。


 街に残った最後の一人は、後からやって来た冒険者によって、自宅の庭先で首を吊ろうとしていたところを保護された。

 別の街へと連れ出され徐々に冷静さを取り戻した男に、冒険者達は何があったのかを尋ねた。

 返った来た答えに、尋ねた冒険者達は戦慄する事となる。

 男は言った。


 ――なんとなく殺したくなった。だから、みんなに合わせてその場のノリで殺した。

 ――ひとりになったら寂しくなった。だから、みんなに合わせて死のうと思った。


 答え終わると、男は涙を流して泣き出した。

 ――正気じゃなかった。

 ――みんなみんな、狂っていた。

 そう言って、男はわんわん泣いた。




 最後の一人が街を離れ、誰も居なくなった街の中心には、最初に死んだ道化の格好をした男の死体があった。


 死を呼び水にして、男の願いは成就されたのだ。

 願い通り、街は確かに常識として罷り通る道理が壊れてしまった。

 法、秩序、道徳。

 人と獣との境界であり、人を人として足らしめる()()()()()()()()()()()()


 こうして、闇魔法・常識破壊(ファンキーワールド)は、危険性と共に、世界にその存在を知らしめたのである。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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