【幕間】100の儀式・4
ポンと軽快な音を立てて消えた悪魔リドルは、次の瞬間にはヒロの目の前に立っていた。
赤い目をした長い耳の悪魔がそこにいた。
「やぁやぁどうも初めましてぇ! 俺様の名はリドルだっ!」
満面の笑みを浮かべて自己紹介をしたリドルは、手を差し出すようにヒロの番だと示した。
しかし、その仕草の意味が分からずヒロがたじろぐと、リドルはもう一度同じ言葉を口にした。
「俺様の名はリドルだっ!」
どうぞ――と、ばかりにリドルが再びヒロに広げた手を向ける。
「ヒ、ヒロだ」
「ヒロ! ワォ! 素敵な名前じゃないかぁ。ヒルみたいで」
言って、笑顔のリドルはヒロの手を無理矢理取ってぶんぶんと握手を交わした。
それから、「君の友達かな?」と口にして、何処からともなく取り出した巨大なヒルを、ヒロの手にベチャリと置いた。
「うわっ!」
突然にヌルヌルとした粘液を纏ったヒルを手渡されたヒロが、驚き、慌ててヒルを投げ落とす。
地面に落ちたヒルがポンと音を立てて消えた。手についたヌルヌルは消えなかった。
そんなヒロなど眼中にないように、リドルはクルリと一回転しながら横に体をスライドさせて、今度はハロの前に立った。
大袈裟な仕草で自身の前にやって来たリドルに、思わずビクリとハロが体を震わせた。
「はじめまして、小さなお嬢さん! ♪きゃわゆいあなたのお名前は!?」
歌うようにリドルが問うと、「ハロ……だけど……」と、ちょっと泣きそうな顔をしてハロは答えた。
「ハロ? ハロ。ハロ~♪」
指をピコピコと小刻みに動かして陽気に挨拶を交わしたリドルは、得意げな顔をしてパチと指を鳴らした。
ポンと小気味良い音と共に、ヒロとハロの前にポップコーンと中身の入ったコップが現れる。
思わず手に取る二人。
ハロの分は、きちんとハロのサイズに合わせてあった。
二人が出した物を手に取った事を確認すると、リドルはまたまた指を鳴らし、二人の後ろに椅子を出現させた。ハロの物は小さく、それでいてプカリと宙に浮いていた。
素早く二人の後ろに回り込むと、ヒロの肩に右手を、ハロの肩に左手の小指を置いたリドルが、押さえ付けるようにして二人を椅子に座るよう促す。
半ば強引に二人が座った後、リドルはまた消えた。
「これからリドルのショーが始まるんだってさぁ! 楽しみぃ!」
いつの間にかヒロの隣に現れていたリドルが、ワクワクを口調に乗せて二人にそう話し掛けた。
そんなリドルは、座席に座り、手にはポップコーンを持っていて、まるで自身が観客であるかのように、それをパクパクと口に放り込んでいた。
目まぐるしく動くリドルは止まらない。
座席ごとまたポンと消えたリドルは、お立ち台の上に現れると、被っていたシルクハットを外し、手に持ったまま両手を広げた。
「さぁ! 皆様お待ちかね! いよいよショーの始まりだぜぇ!」
リドルが声高に宣言すると、何処からともなくアップ・テンポな音楽が流れ出した。
その時、音の大きな音楽より更に大きなガツッという鈍い音が鳴り響いた。
途端に音楽が止まり、辺りがシーンと静まりかえる。
ついで、ドタッと何かが倒れる音と、「いたっ」という声。
座っていた椅子が突然消えて、ヒロが地面に尻餅をついた音だった。
尻餅をついたヒロをジュースとポップコーンまみれにしてから、それらも椅子の後を追って消えてしまう。
「リドル、お遊びは終わりです。あなたのショーを観に来たわけじゃありません」
真面目な顔をしたアビが、杖を地面に突き立てたまま言った。
途端に、リドルの顔が不機嫌なものになる。
「おいっ!おいっ!!おいっ!!! アビ! これからだぜ!?」
「リドル、あなたのおふざけに付き合う気はありません」
「良いだろちょっとくらいふざけたってっ!? 久しぶりの観客だぞ!?」
「駄目です」
「相変わらずノリがわりぃ奴だなぁ! 見ろ! すっかり空気が冷めちまった!」
肩を竦めて憤慨したように溜め息をつくリドル。
「なんなのコイツ……」
リドルに視線を向けたままのハロが、ぼやくように問うた。
アビか応じる。
「あの悪魔の名はリドル。この湖に取り憑く悪魔です」
アビがそう言うと、お立ち台の上から、――チャオ――とリドルがウインクまじりにハロを見た。
それからリドルはお立ち台を離れ、スィーと宙を進んで三人の元へと近付いた。
「リドルだ。さっき自己紹介しただろ? もう忘れちゃった? 俺はお前らの名前をバッチリ覚えてるぜ?」
告げ、次いで二人に両手で指を差し、「クリスに、――ジェニファー」と、二人に向けて自信満々で名を口にした。
「全然違うし」
ハロが呆れた口調で言った。
「冗談だ。ヒロにハロだろ? 名前が似てるけど、もしかして二人は兄妹? 全然似てないねぇ。特に体のサイズが。まぁそれは良いや。とにかく、二人に会えて嬉しいよ。なんせ久しぶりにアビ以外の人間に会ったからね。フゥ!テンション上がっちゃう!」
小さくダンスを刻み、楽しそうにリドルが言う。
そんなリドルとは対照的に、鬱陶しそうな顔をヒロが作る。
「俺、コイツ苦手だわ」
「おいっ! なんだよ? 会ったばかりでそんな寂しい事言うなよ。もしかして歓迎が足りなかった? それとも、お腹ペコペコで機嫌が悪い? ――シェフ! シェフー!」
芝居染みた様子で言ったリドルが、ポンとヒロ達の目の前から消えて、消えたと思った次の瞬間には、コックの格好をしたリドルが、豪華な料理を乗せた台車をガラガラと押して枯れた木々の間から現れた。
また始まったと三人が呆れていると、白いクロスで着飾ったテーブルと、椅子がニョキっと地面から生えた。
「本日のメニューは、毒々しい色の前菜に、痺れ毒水仕立てのスープ。新鮮な腐乱魚のムニエルと、お口直しに巨大ヒルのシャーベットを。それから、悪食吐馬のステーキをお楽しみ頂きました後は、マンドラゴラの絶叫サラダをご堪能して頂きます。当店自慢の料理の数々、一口食べれば天にも昇る夢見心地間違いぃなぁし! どうぞお召し上がりください」
テーブルに、次々と料理を並べていったリドルは、全てを並び終えると仰々しい動作で深々と頭を下げた。
テーブルの料理は、どれもこれも怪しいオーラを放っていて、見た目のグロテスクさは勿論、ニオイも目に染みる程の強烈なものであった。
「誰が食うんだよ……」
腐った魚のムニエルを指で摘まんで持ち上げながら、ヒロが不快そうに眉をひそめ、その隣ではハロが――うへぇと、ヒロの持ち上げたソレを興味深そうに眺めた。
「おや? お気に召さない? 自信作なんですが」
リドルが人差し指でスープを掬い取り、口に含む。
したり顔でそれを味わったリドルは、そののちブルリと体を震わせ、「おぇー」と舌を出した。
「どうやら材料が腐っていたようですね」
分かりきった事を口にし、リドルがテーブルごとポイっと湖に投げ捨てる。
ドボンと音を立てて水面に浮いたそれらは、水に沈むよりも早く、ジュワリと溶けて無くなった。
「あなたに付き合っていると埒が明きません」
はぁ、と額を押さえてアビが溜め息を溢す。
「悩み事か? なんでも俺に話してみろよ。友達じゃないかっ」
コックを止め、いつの間にか元の服装に戻ったリドルが、アビと肩を無理矢理組んで、ドンと自身の胸を叩いた。
煩わしそうにリドルを腕で引き離したアビが、また溜め息をつく。
「友達になった覚えは無いんですが……」
すっかり元気を無くした様子のアビがそう言って、それから気を取り直してリドルに事情の説明を始めた。
ヒロとハロが痺毒の深水を求めてここにやって来た事。
しかし、入手方法に困っている事。
それらを、リドルに丁寧に説明していくアビ。
意外にも、リドルはふざけるでもなく、時々相槌を打ちながら静かにアビの話を聞いていた。
そうしてアビが説明を終えると、なるほど――と、リドルは説得したように一度大きく頷いた。
「事情はだいたい分かった」
「分かってくれましたか」
「もちのろんだよ。ようするに、二人は俺と友達になりたいんだろ?」
「全然分かってない!」
半狂乱になってアビが叫ぶ。
怒り心頭のアビに、落ち着けとリドルが手の仕草だけで諌めた。
「分かってるとも。いいか、アビ? 知ってると思うが、俺は気まぐれだ。だから、自分の気に入った奴にしかお題は出さない。ここまでは良い?」
「……ええ」
アビは、フーと深く息を吐き出しながら応じた。
「じゃあ聞くぞ? アビは俺の友達だ。だろ?」
「……そうですね」
「友達の友達は、友達だ。だから、そっちの二人にお題を出してやる。俺様優しい?」
「ええ、優しいです」
うんざりした様子でアビが肯定すると、リドルが笑顔を浮かべた。
それから、手をパンッと打ち鳴らすと、「よしっ。じゃあ二人も聞いてくれ」と、リドルがやり取りを傍で聞いていたヒロとハロに顔を向けた。
二人が無言で頷く。
「たぶん二人が気になってるのは『お題』ってとこだと思うから、まずはそこから説明させてもらおうと思うんだが……。お題ってのは、言ってみりゃ取引だ」
「取引?」
ヒロとハロが顔を見合せた。
「ああ、そうだ。交換条件ってやつだなぁ。何に使うのかは知らないが、まぁとにかく、二人は湖の底に溜まってる痺毒の深水が欲しい。でも、おっかない雷や毒が邪魔して取りに行けなくて困ってる――だろ?」
「まぁ、そんなもんだ」
「そこまで分かったら後は簡単だ。二人に代わって、俺が取って来てやる」
「アイテムをか?」
「ああ、そうだ。だが、さっき言ったように交換条件だ。俺がアイテムを取って来てお前らに渡す代わりに、お前らには俺が出すお題を、クリアしてもらいたいんだ。別に深く考える必要はない。ちょっとした遊びだ」
「友達同士の?」
「そう……。そうだ! 友達の――。遊びだ」
告げて、リドルは嬉しそうに笑った。




