剣と槍・Ⅲ
轟音。
地響き。
土煙。
それらを混濁させて空から降ってきたのは、ハイヒッツの大門に聳え立っていた巨大な鉄の門扉であった。
鉄で出来たその扉には無数の小さな傷やへこみがある。
先のモンスターの襲撃からハイヒッツに住まう者達を守りきった名誉の傷であった。
その名誉の対価は、ハイヒッツ住民達の命であり笑顔。
その代償は、歪み、軸がズレ、開閉する事もままならなくなった扉としてのアイデンティティ。
そんな鉄の門扉が、突然空から降ってきたのである。
視界を通り過ぎた何かは、扉の影で、その事から門が本来あるべきところから飛んできた事が分かる。
それが分かったところで事態は何も変わらない。
突然と空からやって来て広場に突き刺さり、大地に大きなへこみと亀裂を作った扉の出現に、広場にいた誰もが口をポカンと開けていた。
誰ひとりとして声を発しない。
文字通り、降って湧いた現実に、誰の思考も追い付けていなかった。
どれだけの重さがあるのかも良く分からないほどに巨大な鉄の扉の登場は、それほどに現実味の無い光景であった。
そんな広場の人々を現実に引き戻したのは、人々から現実味を奪い去った他ならぬ扉であった。
飛んで来た扉は、元からそこにあったのではないかと思うくらいに直立不動。見事なウルトラCの着地を見せていた。
これが縦ではなく横だったならば、カジカやイデアはおろか、野次馬達の何人もがぺちゃんこになっていただろう。
だが現実には、扉は誰を負傷させる事もなく、人々がすし詰めになった場所を縫うように避け、誰も居ない場所に着地をして見せたのだ。
まさに、幸運であった。
そんな奇跡とも云える扉は、本来の形とは違い上下が逆さになった状態で立っていた。
支えがあるわけでもないのに立っていた。
そうやって立つ扉の上部――本来であれば足元――は、強い衝撃でも受けたのか、鉄としてあり得ない程にへこみ、貫通していた。見ていると、分厚い鉄に見せ掛けた粘土かと錯覚しそうになる。
その貫通した穴の辺りには、閂のための金具が取り付けられいるのだが、衝撃ゆえか、それが今にも外れそうになってプラプラと振り子のように揺れていた。
静寂に包まれていた広場に、カツンと小さな金属音。
揺れていた金具が耐えきれずに落ちた音。
それを呼び水に、広場に絶叫が巻き起こった。
一気に血の気を引かせ、顔面を蒼白にした人々が、叫び声を上げながら我先にと逃げ出し始めた。
当然だ。
巨大な鉄の扉が空から降って来たのだ。当たったら痛いでは済まない。
今は綺麗に立っているが、広場に聳える鉄の門がバランスを崩し、いつ倒れてくるからも分からない。
押し合いへし合い、蜘蛛の子を散らすようにあっという間に広場から人の気配が無くなった。
水を打った様に静まりかえった広場には、イデアとカジカ、そして両者が引き連れていた部下達だけが残された。
先程まで殺気立って剣を向けていたイデアも、そしてそれを向けられていたカジカも、さっきまでの争いなど無かったかのように、もうお互いにお互いを見ていなかった。
二人の視線は、ただ茫然としたように巨大な鉄の塊に向けられていた。
そんな中で、最初に口を開いたのはカジカであった。
「凄まじいな、お前……」
カジカの声に、ようやく正気を取り戻したイデアが、塊から視線を外してそちらに顔を向けた。
言葉を発したカジカだが、彼はイデアは見ず、やはり鉄の扉へと顔を向けていた。
――こいつはいまなんと言った?
――凄まじいな?
「何を言ってる?」
ひどく不可解そうな顔をして、イデアは尋ねた。
カジカはこの『巨大な鉄の扉を広場に降らせた』のをイデアの仕業だと思ったのだ。
丁度、彼女が剣を抜いて切りかかってきたタイミングだったゆえ、そんな変な勘違いをカジカは起こした。
同じ王国軍であったとはいえ、カジカはイデアの実力も、そして聖剣の事もあまり良くは知らない。
ただ、うっすらと「聖剣には護りの力があるらしい」と耳にしていたので、護り=頑丈な扉の事かと、なんとなくそんな風に思った。
そのため、聖剣ならばこういう事も可能なのかと……。
無論、聖剣イプシロンにそんな力はない。
しかし、聖剣と、そしてそれを持つイデアの力を勘違いしたカジカは、小さな溜め息のあと、ここでようやくイデアに顔を向け何かを諦めた様に両手を上げて降参のポーズを取った。
――これは勝てんわ――と。
突然大人しくなり、投降する様な態度を見せたカジカに、イデアの不可解だった表情が更に強くなる。
「貴様、一体なんの――」
「将軍!」
イデアが言いかけた時、慌てふためいた様子で彼女の部下達が駆け寄って来た。
そうして部下達は、有無も言わさずイデアの体を掴むと、数人掛かりでズルズルとイデアの体を引き摺り始めた。
「な、なんだ貴様ら!? 何をしている!? 離さんか!?」
悪態をつきながら抵抗するイデアだったが、流石に自身自慢の屈強な部下に取り押さえられた状態から簡単には抜け出せず、引っ張られるまま、広場を去っていった。
カジカがイデアの事をあまり知らないように、カジカを良く知らなかった部下達は、この鉄の塊が降るという所業をカジカの仕業だと考えたのだ。
正確には、カジカのバックにいるであろうランドール家の所業だろう――と。
なんせ街ごと空に浮かせる連中である。鉄の門を浮かせて落とす事など造作もないだろう。
だから、カジカのピンチにこの鉄の塊を落とすという攻撃を仕掛けて来たのだ、と。
無論、それはイデアの部下達による勘違い。
しかし、そんな勘違いをした部下達は、これは不味いと、イデアを連れて逃げる選択をしたのだ。
イデアが消えた広場で、カジカはもう一度、自身のすぐ横に聳え立つ鉄の塊を見上げた。
しばらく見詰めた後、
帰るぞ――と、周囲で心配そうな顔を向けてくる部下に告げたカジカは、そのまま馬車に乗り込み、ハイヒッツを後にした。
閑散とした広場には、ただ巨大な鉄の門だけが残された。
のちの撤去には一月を要したという。
しばらくの間、首都ハイヒッツでは「鉄の雨事件」と名付けられたこの一連の話で持ちきりになった。
時同じく、天空領ランドールでも「鉄の雨事件」が話題をかっさらった。
前代未聞の事件。
ただ、ところ変われば話の受け取り方も、それについての考え方も違うものである。
同じ話であっても、両者の話には要所で微妙に違うところがあった。
それは、「誰がそれを為したのか」という部分。
ハイヒッツでは、カジカ、そしてランドール家の仕業だと。
ランドールでは、イデア、そして彼女の持つ聖剣の力だと。
そうして噂が噂を呼んで、最強の剣と最強の槍に対し、互いに震えあがった。
どちらでもないその真相の答えは、塊の撤去後、事件の風化と共に人々の興味から外れ、いつしか忘れ去られた。
それを為した人物も、自らが仕出かした事だと名乗る事は無かった。
何故ならば彼女は、騒ぎにするなと、きつく言い含められていたから。
しかもそれを起こした動機が「聖剣を間近で見たい」というふざけたもので、その過程で「道が狭くて通れないなら、壊れて動かない扉を無理矢理開けちゃえば馬車が通れるじゃん」なんてものだったとは、彼女は口が裂けても言えない。
本物の聖剣で興奮していたのと、早くしないとチャンスが消えちゃうという焦りから、力みすぎ、やり過ぎてしまった結果、ああいう形になってしまったのも反省すべきところであった。
絶対にバレてはいけない――そうやって、彼女は鉄門のように口を堅く閉ざした。
そんなわけで、結局、真相は永遠の闇の中へと消えていった。




