パールハーブ・Ⅲ
シスネさんの許可を得た後、ランドールの屋敷を出た私は、笑顔で千切れんばかりに手を振るヨビに見送られ、その足で中央へと向かった。
今日も退屈そうな門番さんに挨拶して、街の外へ。
それから、門から少し歩いたところにある地下へと続く穴へと入る。
この穴は天空領と大地を結ぶ唯一の道で、穴は馬車がすれ違える程度には広い。
それが緩やかなカーブを描きながら、大地との接地面へと続いている。
不思議と穴の中は暗くない。
ぼんやりと穴の周囲の壁が光っていて、松明などの灯りを必要とせず進んでいける。
何故壁が光っているのかは分からない。分からない事は大体が神様のせいと決め付けと置くと、どんな事も案外すんなり受け入る事ができたりする。
「おう、嬢ちゃん」
途中で見付けて拾った細長い木片で壁をカリカリしながら鼻唄混じりで歩いていると、後ろからやって来た馬車に声を掛けられた。
「あっ、こんにちはロンベルさん」
木片をポイっと後ろ手に投げ棄てて応じた。たぶん子供みたいな事をしていた様子はバッチリ見られているだろうから、慌てて捨てたそれに意味はない。
立派な髭を蓄えた体格の良いこの人はロンベルさん。ランドールの商い全般を仕切る偉い人。おんとし63歳。
何かと私を気に掛けてくれて、いつも美味しいお菓子をくれる素敵なおじ様。
私が家出してランドールを出た際に、私が迷惑をかけちゃった人でもある。
ロンベルさんは、私が行方不明で騒ぎになった時に、手助けしてしまったと自己申告したのだとか。
私には何も言わなかったけれど、もしかしたらランドール家に怒られたりしたかもしれない。
でもロンベルさんは私に対して全然怒ってなくて、ランドールに帰ってきてから、迷惑かけてごめんなさいと謝りに行った時も笑って許してくれた。
どころか、次はもっと上手くやれよ――と、次があったら協力するぞ的な申し出てを向こうからしてきたりした。子供みたいに悪戯っぽく笑っていた。
その時にこっそり教えてくれたのだが、
ロンベルさんは、郷土愛こそ強いものの排他的なランドールの考え方を変えたいと思っているそうだ。
だから、そのためにランドールの子供達はもっと外との交流を通し、積極的に外を知るべきだと。そして、それが結局は将来的にランドールのためになる――そんな風に考えているらしい。
そういう理由で、私が見聞を広げるために外に行くと言った時にも協力的だったようだ。
外とも取り引きを行う大商人さんらしい考え方だと思った。
そんなロンベルさんは現在、沢山の荷を積んだ馬車の御者台に座っている。
手綱を握っているのは部下の人。
秘書的な感じの若い人で、良く一緒にいるのを見掛ける。
「中央に行くのか?」
馬車が完全に止まると、ロンベルさんが御者台に座ったまま尋ねてきた。
「はい。ちょっと用事がありまして」
「なら乗ってけ」
「良いんですか?」
「ワシらも今から行くところだ」
ロンベルさんはそう言った後、――荷台で良ければな――と自慢の髭を揺らして笑った。
そこからは、ロンベルさんのご厚意に甘えて荷台の後ろの空いたスペースを確保したのち、荷台から足をぶらぶら投げ出して馬車に揺られた。
カタカタと荷の音を鳴らして、馬車は中央を目指して進んでいく。
焦げ茶色をした地面は、舗装されているわけでも無いのになだらかで、以前、ランドールを出る際にブラッドさん達と乗った馬車ほどにお尻は痛くなかった。
カタカタと小刻みに揺れながら、馬車はのんびりと進んでいく。
馬車の後方に素乗りした私は進行方向とは逆を向いているため、遠ざかっていく景色がなんだかちょっと新鮮に見える。
これで岩ばかりの洞穴じゃなければもっと面白かったのにと、そんな事を思う。
「嬢ちゃん、中央には何しに行くんだ!?」
離れていく景色を眺めていると、荷を挟んだ反対側からロンベルさんが話し掛けてきた。
少し距離があるのと馬車の音でちょっと聞き取りづらいが、何と言っているか分からない程ではない。
「ランドールを出たあれから中央に行ったんですけど! 宿に荷物を置きっぱなしで帰ってきちゃったからソレを取りに!」
向こうに届くように大きな声を意識して返す。
「まああれだけの騒ぎじゃ、荷物なんてほっぽりだして逃げて来てもしょうがねぇわな!」
そう言ってロンベルさんが笑う。
どうやらロンベルさんは、私が悪魔の襲来から慌てて逃げ帰ってきたとでも思っているらしかった。
正確には違うのだけれど、違うとも言えない。
あの時の私は騒ぎの途中で気を失って、気が付いたらランドールギルドのベッドの上にいた。
その頃には、既に中央の騒ぎも終息していて、いつものごとく終わってから誰かに話を聞いて詳細を知る事になる。
たいていその役はミキサンだ。
説明の後で、家出について凄く怒られたのは言うまでもない。
ミキサンをはじめ、レンフィールドさん、アイさん、親方さん、イーリーさん――と、色んな人に怒られて、土下座が板についてきた。
しかし、いまだ土下座魔法の獲得には到らない。そもそもそんな魔法が無いのかも知れない。新魔法発見ならず。
「ロンベルさん達は復興のお手伝いですか!?」
「いや、商売だ!」
「商売?」
復興の手伝いだと思っていて尋ねたので、商売という答えにちょっと意外な気になる。ついて出た言葉がつい小さくなった。たぶん御者台の二人には聞こえてない。
「物ばっかあっても仕方ねぇからな! 働いて使う奴がいねぇと! けど、向こうはその働き手の怪我人が多すぎて治療所はどこもてんやわんやだ! そこで回復薬の出番ってわけだ!」
「じゃあ、この馬車の物って!」
「ほとんど回復薬だ! ランドールの物は品質も良いからな! 飛ぶように売れるぞ!」
なるほど。それは儲かりそうだ。
小説の主人公達も、こういう場面で回復薬や回復魔法で大儲けしている事が良くある。
需要がたくさんあるのなら、商売のしの字も知らない私でも回復魔法でひと稼ぎ出来そうである。
魔法なんて使えないけど。
悲しい。
もっとも、無理をすれば使えないわけではない。
あの地獄のような激痛に耐えさえすれば、魔法を使えるようになった。
ただ、激痛にもがき苦しむ私に治療を頼みたいかというと、私が怪我人の立場ならばきっと頼まない。お前の治療が先だろ、と言うに違いない。
それから時々会話(主に商売がなんたるか)を交わしつつ馬車に揺られていると、突然周囲が広くなった。
穴を抜けたのである。
大きな天空領の真下は影に覆われていて、穴の中より薄暗かった。夜でもないのに穴の中より暗い外。頭の上には端っこが見えないくらいでっかい岩の塊。ちょっと恐くて不思議な感じがした。あとちょっと肌寒い。日光が当たっていないせいだろう。
しばらく落ちて来ないかとちょっとソワソワしながら上を眺めていると、ようやく馬車が塊の真下を通り抜けたのか、突然に空が現れた。
薄暗いところにいたせいかちょっと眩しくて、目を細める。
まばらな雲が広がる空からは、ほぼ真上になった太陽の暖かい光が降って来ていた。
馬車は走る。
日の光を浴びながら真っ直ぐ進んで行く。
進むほどに遠ざかってゆく景色と新たに加わる景色。
距離が離れるほどに、大き過ぎて良く分からなかった天空領がだんだん視界の中に収まって来る。
そうして天空領の全景が視界にすっぽり収まる頃になって、ようやく私は中央の大門にたどり着いたのだった。




