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パールハーブ


 えっちらおっちら坂道を上ってようやくたどり着いたのは、ランドールの丘の上にある拓けた場所。

 別に疲れたわけでも無かったけれど、なんとなく癖のようなもので、ふぅとひと息ついた。


 立ち止まって眺めたその場所の周囲に広がる庭は、背の高さを整えられた緑の芝生が広がっていて、それについて、情緒の無いミキサンは「苔」という残念な感想を以前に吐き出していた。

 まぁ、空を飛んで上空から見下ろすとそんな感じに見えなくもないのだが、色づく木々が並ぶ豊かな庭園は、ランドールが誇るランドール家の大屋敷。その庭である。

 そんなランドール家の屋敷の庭の感想に、苔という表現はどうかと思う。コケにしているとかけたつもりなのだろうか?


 この緑の庭に足を一歩踏み入れれば、そこはもうランドール家の敷地内なのだが、この敷地内というのも実に曖昧で、そもそも「ここから、ここまで」と云った様な区切りが無かったりする。


 まずもって、門とかは無い。

 下から丘に上って来たら、庭がドーン、屋敷がデーンと構えていて、門も無ければ柵もない。境界らしい境界が無いのである。


 もっとも、柵は無いが丘の周囲自体が急勾配の崖の様な感じになっていて、柵があってもなくても人が出入り出来る様な場所にはなっていない。あんまり端っこに行くと落ちそう。


 仮にこの崖を登って来る命知らずな人が居たとして、そんな人相手に柵などあってないような物だと思うので、これはこれで良いのかも知れない。

 ただやっぱり端っこに近付き過ぎて誰かが落っこちる前に、柵くらいは作っておくべきなんじゃないかと常々思っている。


 そんなおっちょこちょい殺しと異名を持つ丘――かどうかは知らないが、その丘の中心。

 緑の草といくつもの木々を従えて立つのが、ランドール家の屋敷。

 その中で、ランドールの姫君二人が君臨する。

 丘の下から見上げたランドール家の屋敷は、指で計れるくらいの大きさだけど、間近で見ると中央で見た御城くらいに大きい。

 逆に、丘というよりちょっとした小山のようなこの高台から街を見下ろせば、通りをゆく人々が小さく見える高さと距離がある。


 私の自宅からも結構距離があって、街をグルリと迂回する様な道のため普通に歩くとランドール邸まで四、五十分はかかる。

 ミキサンみたいに空間転移なんて贅沢は言わないから、せめて浮遊(フロート)くらいは使いたいなぁと思わずにはいられない。

 魔力が無いから私には使えないけど……。


 丘に立つ屋敷から視線を外して右に顔を向ければ、やや遠く、お城のようなランドール家の屋敷とは違う本物のお城が聳え立っている。

 中央にあるこの国の王様が住む城。たぶん庶民派の私が最も関わらない場所。

 お城の周囲には、王国の何処よりも緻密で豊かな街並が広がり、ここからだと幾重にも屋根が重なって見える。


 反対側からビュゥと風が吹いて、その風に呼ばれる様に反対を向けば、王様のお城とは別のお城が立っていて、そのお城からはにょきにょきと場違いな見た目の大砲がいくつも生えている。


 ヒロさんが作ったらしいけれど、アレはどう甘く見ても中世ヨーロッパ的なこの世界の風景にミスマッチしていて、宇宙大戦とか人間VSロボットみたいな近未来の戦いでレーザーをピュンピュン撃つタイプの見た目をした兵器である。


 あの人はランドールをどうしたいんだろう?



「シンジュ!」


 ヒロさんがもたらす行き過ぎたテクノロジーに想いを馳せていると、何処からか私を呼ぶ声が聞こえた。


 ランドールのお城から屋敷の方へと視線を移すと、凄い勢いでヨビがこちらに走って来る姿を見付けた。

 ランドールに来てから、ヨビはずっと元気いっぱいだ。

 その証拠に裸足である。

 足が窮屈なのが嫌らしく、隙を見てはこうしてすぐ裸足になる。

 そして、その度に足裏を真っ黒に汚してはニーナさんに怒られている。


「わっふぅ!」


「わっ」


 全くスピードを緩める事なく、全力疾走のままヨビが両手を広げて全身で飛びかかって来た。

 私も全身で受け止め返す。


 別にぶち当たったら痛いという事も無いので受け止めるのだが、ちょっと照れ臭いのでヨビには早めに女性への接し方というのを学んで欲しいところ。

 ちなみに、受け止めずに避けるという選択肢はない。

 先日、私の自宅で同じ様な状況があった時に、びっくりした私が思わず避けたら、目標を失ったヨビが壁と正面衝突を起こすという事故があった。

 顔面から壁に突っ込んだヨビが、鼻血をダバタバと出して自宅の床を血溜まりに変えた痛ましい事故であった。


 しかし、そんな痛い思いをしてもめげないのがヨビである。

 彼は今日もこうして私にロケットダイブをかましてくる。

 私が避けないと信じているようだが、そこはちょっとくらいは疑っても構わないのではないだろうか……。


 中性的で女の子みたいに綺麗なヨビの顔が血まみれになるのは嫌なので――というか、いま避けたらそのまま柵の無い崖へとダイブしかねないので、勿論避けないのだが、もしかしたらそれが私に抱き着くためのヨビの策なんじゃないか――と、チラッとそんな事を思う。

 柵が無いのに策がある。ミステリー。

 

「危ないから飛び込んで来ちゃ駄目だってば」


 そう注意しつつ、私にしがみつくヨビの額をペチッと叩く。


「えへへっ、ごめんなさい」


 悪びれた様子は微塵も見せずに、笑顔でヨビが謝ってくる。


 うん。許す。

 許しちゃう。

 その可愛い笑顔を見たら大抵の事は許してしまう。ショタ万歳。童顔でチビっちゃい背丈とは裏腹に実は同い年だけど……。


 にへらっと笑うヨビの顔を眺めて、吊られて頬が弛みそうだった。

 どころか、なんだか花のような良い匂いがヨビから漂って来て、思わず頭ひとつぶん背の低いヨビのその髪に顔を埋めたくなった。

 同い年とか関係ない。可愛いは正義。


 危うくクンカクンカ仕掛けたところに、私の平静さを引き戻すかの様な声が割って入った。


「ヨビ様! 靴! またニーナに怒られますよ!」


 メイド服に身を包んだハトの人が、ヨビの物とおぼしき靴をぶらぶらと手に携えて小走り気味に駆けて来た。

 抱き着いたまま、ヨビがそちらに振り返る。


「凄いねミナ! 本当にシンジュが来たよ!」


「ニオイで分かりますから」


 ミナさんが、当たり前のような顔をして告げる。

 私ってそんなに匂うだろうか?

 ちゃんとお風呂に入っているのに……。

 クンカクンカして自分の体臭を確める。

 特に臭いわけでもないし、楽しくもなかった。


 真似してヨビが私の胸に――胸に!? ――顔を埋めたままクンクンと鼻を鳴らした。

 慌て、ヨビの体を腕で強引に引き離す。


「女の子の体臭を嗅がないでください」


「臭くないよ?」


「そういう事じゃないの……」


 ヨビが不思議そうに小首を傾げた。

 その仕草がとても可愛らしい。

 尊い。




「それより靴を履いてください」


 ヨビの尊さに感動していると、ミナさんが靴を差し出しながら言った。


「え~っ」


 すっごく嫌そうな顔をしてヨビが渋る。

 するとミナさんが、チラッと私に視線を向けて来た。

 無言でその視線を受け取る。


「履かないなら私帰るね」


 私がそう言うなり、ヨビは引ったくる様に靴を受け取り、その場でお尻を付けて座り込む。そうして、そそくさと靴を履き始めた。


「履いたよ! 偉い?」


 どこか誇らしげな満面の笑みを浮かべて、足元を見せびらかすようにヨビがポーズを取る。

 奇声を上げそうになり、慌てて口元を押さえて衝動を呑み込む。


 マジ尊い。


 神の創造せし最高傑作に、力いっぱい抱き着きたくなる衝動を歯を食い縛ってグッと堪えて、「偉い偉い」と頭を撫でるだけに留める。

 撫でる。


「今日はシンジュから来てくれたの?」


 撫でる。


「僕ね、もう朝の分のお勉強は終わったんだ」


 撫でる。


「……シンジュ?」


「…………はっ。――あっ、えっと、ごめん。今日は遊びに来たわけじゃないの」


「えぇ~」


 とても不服そうにヨビがしかめっ面を作り、服の袖口をグイグイと引っ張ってきた。


「昨日も遊んだじゃない」


「昨日は昨日。今日は今日」


「……また今度ね」


 今度っていつ? 明日? ――と、間髪入れずに尋ねて来るヨビを軽い調子でいなしつつ、私達の様子を傍で眺めていたミナさんへと顔を向ける。


「シスネさんに用事があるんですけど」


「お取り次ぎします。――どうぞ屋敷でお待ちください」


 促され、ミナさんの後に続いて屋敷へと歩を進めた。




「ね~、今度っていつ~?」

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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