時代の構築・Ⅳ
ヨビの部屋を出た後、シスネはその足でフォルテの私室へと向かった。
ノックの直後に返って来た言葉に、パッセルが部屋の扉を開く。
「ここで待っていてください」
扉を開けたパッセルに向けてそう言うと、パッセルが頭を下げて了承の意を示す。
シスネが部屋に入ると、パッセルが外からゆっくり扉を閉めた。
部屋の中には、書類の山とにらめっこをするフォルテの姿があった。
ゆっくりとした足取りで、紙束の積まれた机の元へと向かう。
シスネが近付くと、そこでようやくフォルテは俯き加減で眺めていた書類から顔を上げた。
事務仕事をしていたせいか、フォルテは普段の自然体そのままの髪型ではなく、後頭部に乗せる様なポニーテール姿をしていた。
普段の髪型を燃え猛る獅子のたてがみと形容するならば、今のポニーテールは馬の尻尾という名称は名ばかりの狼のそれのように見える。
腰に届こうかとするその赤毛は、フォルテが生来持つ雰囲気と相まって、見た者に威圧感を与えるある種の武器となっているが、結い、纏めるとまた違った印象を醸し出す。
見た目からして彼女は特別だと、フォルテを前にするとシスネは度々思う。
人の上に立つ者にとって、雰囲気が持つ力は非常に重要である。
たいていの者であれば、フォルテの燃える赤毛を見ただけで萎縮してしまう。それほどの力強さがフォルテの赤毛にはあった。
それは、交渉の場においては強い影響力を持っている。
強さ、気高さの象徴である獅子と、熱、活力を彷彿とさせる炎。その2つが組み合わさるフォルテは、まさに理想といえた。
生まれ持ったこればかりは、努力ではどうしたって手に入らない。
たとえ髪色を真似ても、髪型を模しても、それは偽物であり、本物には遠く及ばない。
赤い獅子がフォルテならば、シスネは薄い青色の、何かの小動物だろう。
つくづく自分はランドール家の理想像とは縁遠いな――と、そんな事を思う。
シスネとフォルテは顔立ちこそどちらも整ってはいるが、姉妹でありながらあまり顔は似ていない。
フォルテは母に良く似ていて、赤毛を揺らす背中は母そのものであった。
性格は、全然違うけれど。それでも、母に似ているところがあるというのが少し羨ましくある。
フォルテがいつもと違う髪型であったせいか、場の雰囲気に呑まれそうだった。
そんなシスネにフォルテの声が掛かる。
「何か用ですか?」
シスネは一度心の中で深呼吸し、気を落ち着けてから応じた。
「大した事ではありませんが、少し聞きたい事があったので」
「豊穣祭の事でしょうか?」
「はい」
シスネが頷くと、フォルテはフゥと小さな息を吐いて椅子にもたれ掛かった。
「一度中止にして、何故また行う事にしたのです?」
「祭事だから――では、駄目ですか?」
少しだけ苦く笑った顔でフォルテが答えた。
シスネは一呼吸置いてから、
「駄目というつもりはありません。祭事は、大事な儀式です。特に二祭祀のひとつでもある豊穣祭は、私達の御先祖様方がこのランドールの地にたどり着いてからはもとより、囚われの身であった時でさえ欠かす事なくひっそりと続けられて来た古来からの行事」
「はい。十分に理解しています」
「あなたが中止にすると言った時、私は反対しました」
「はい。そうです」
「中央の現状は理解しているつもりですが、だからと言って、中央のご機嫌取りの為だけに一度も欠かさなかった祭祀を中止にする必要はないと」
「はい。その様に言われました」
「その反対の声を聞いた上で、それでもあなたは中止にしました。豊穣祭に使うはずだった物を中央の復興のために使いました。まぁ、必要な物自体はスライム達の力を借りればどうとでもなると思いますが、そうまでしておいて、やっぱりやります――では、住民達に示しがつきません」
シスネは決して声を荒げる事なく、静かな口調で告げた。
「その事については、考えが足らなかったと反省しています。決定を二転三転させて混乱させてしまいました」
神妙な面持ちで告げたフォルテを目にし、シスネが静かに――されどしっかりと頷く。
「それが分かっているなら良いのです」
こういうところが甘く、教育者に向いていないのだろう――そんな事を思いつつ、シスネは「話はそれだけです。仕事の手を止めてすみません」と踵を返した。
「あっ、姉さん」
部屋を出て行こうとしたシスネを、フォルテが少し慌てた様子で引き留めた。
「なんです?」
足を止め、半身だけを翻したシスネが尋ねると、フォルテは何故か少しバツが悪そうな顔をして椅子の背もたれにかかる自身の髪を、小さく指で遊び始めた。
フォルテの手遊びを目にしたシスネは、半身だけ向けていた体を正し、真っ直ぐにフォルテへと向け直した。
髪を弄り出すのは、何か言いにくい事がある時に見せるフォルテの癖。
自分では気をつけているつもりらしく、人に見られない様に後ろ手を体で隠しているようだが、嫌でも目につく派手な赤毛が小さく揺れるため上手く隠しきれてはいない。
フォルテは意でも決する様に一度小さく息を吐いた。
「実は、周辺の領地の人々にも豊穣祭を楽しんでもらえたら――と、そんな風に考えていまして……」
それを聞いたシスネが、彼女にしては珍しく露骨に眉をひそめた。
「門を開ける――そう言っているのですか?」
「そうです。こんな時に祭りなど――と、思う人もいるでしょう。ですが、私はこんな時だからこそ、すこしでも楽しい事をして」
「何が楽しい事ですか!?」
シスネが声を荒げる。
聞いた事もない程の姉の大声に、フォルテがビクリ震え、言葉を止めた。
「分かっているのですか? ランドール家が、そしてランドールというものがどれだけ嫌われ者なのか?」
「分かっています」
「いいえ。あなたは分かっていません。あなたは本当に、門を開ければ外の人々が来ると、そう思っているのですか? ――ええ、来ますよ。閉じられていた門を開けば、人は来るでしょう。ですがそれは、純粋に祭りを楽しみにやって来た者ではありません。悪意を持って、敵意を抱いて、祭りを、ランドールをめちゃくちゃにしてやろうとやって来た者です。嫌われているというのはそういう事なんです」
「お言葉ですが、向こうが嫌っているからといって、こちらまで嫌ってはいつまでも溝は埋まりません」
「性善説ならば聖者にでもしてください。理想を語るのは構いません。語るだけならば。しかし、理想は理想でしかない。現実はそんなに甘いモノではありません。あなたは知らないのです。私もそうでした。人の内に潜む悪意というものが、どれだけ深く、根強いのか。それを向けられるというのがどういう事か、あなたは知らないのです」
普段よりもやや強い口調で言ったシスネ。
フォルテが少し悲しそうな顔をした。
「……姉さんは、外の人達が憎いですか?」
そのフォルテからの問いに、シスネが返事に詰まった。
憎いか?
と、問われれば、シスネは外の人々が憎いわけではない。
処刑台に登りこそすれ、それは中央政権の判断であって、中央の人々に何をされたわけでもない。
ただ彼らは、世界の当たり前に従っただけ。
「憎いわけではありません。彼らはそう教えられたから、そうしただけです。悪を悪だと断じただけに過ぎません。それが世界の普通なのですから」
呟くようにシスネが言うと、フォルテは小さく微笑んだ。
「良かった」
「良かった?」
「はい。実は昨夜、姉さんの処刑台の様子を記録玉で見させてもらいました。あの言葉が、その場かぎりの嘘ではなく姉さんの本心なのだと今ハッキリと分かりました。だから、良かった。――私も同じ気持ちです。姉さんも本当は仲良くしたいんですよね? 外の人達と食卓を並べられるような――そんな未来を待っているのですよね?」
「それは……」シスネはそこで言葉を止め、囁くように「そうですね」と溢した。
「なら、まずはそこから始めてみませんか? 豊穣祭から……。悪意を持った人が、祭事を台無しにするかもしれない。それは十分に分かっています。そうならないよう万全を期します。頑張ります。もともと、ランドールの信用などゼロ――いえ、マイナスなのです。無い物を失う事を恐れるよりも、少しでもプラスに出来る可能性があるなら、どうかお願いします。門を開けさせてください。みんなで、豊穣祭を楽しみましょう!」
シスネが目を瞑り、逡巡する。
あまり芳しくない表情であった。
しばらくして、シスネがゆっくりと目を開いた。
「命を……狙われるかもしれません」
「分かっています」
「万が一にも、あなたにもしもの事があれば、私はきっと一生後悔します」
「それは私も同じです。姉さんに万が一があれば、私は自分を一生許せないでしょう」
シスネがイヤイヤでもする様に小さく首を振る。
「私などどうでも良いのです。――フォルテ、分かってください。私は、ランドールよりも――いえ、世界の何より、あなたが大事なのです。怖いのです。あなたを失う事が」
「私は死にません。姉さんも死なせません。絶対上手くやります。だから、お願いします。門を開ける事を許してください」
真っ直ぐ自分の目を見てくるフォルテに、思わずシスネも見つめ返す。
沈黙が流れ、布切れの音ひとつしない。
長い沈黙の後、
「当主はあなたです。あなたがそうしたいのであれば、そうしてください。私はあなたの判断を尊重します。私が、自分で、あなたに従うと、そう判断しました」
シスネの妙に強調する様な言葉を聞き、フォルテが一瞬キョトンとした顔つきになった。
それからフォルテは小さく笑う。
「分かりました。姉さんが、自分で、そう判断したのですね。何があっても、私のせいで、なんて言い訳はしません。泣き事なんか言いません」
「はい。それで結構です」
真面目な顔をしてそんな事を言う姉がおかしくて、フォルテがまた声を出して笑う。
「真面目な話ですよ?」
「分かっていますけど、姉さんがあまりにも子供扱いするので、ついおかしくて」そう言ってフォルテが「一応、当主なんですよ。私は」と胸を張った。
シスネがクスリと小さく笑う。
「そうですね。――では、ご当主様に全てお任せしましょう」
「はい。任せてくだ――」
言いかけ、突然、シスネとフォルテがほぼ同時に勢いよく横に顔を向けた。
二人の視線が注がれたのは、部屋の角に置かれた棚、その上にちょこんとお行儀良く飾ってあった一体のぬいぐるみ。
うさぎを模した三十センチ程のぬいぐるみは、二人の視線が集中する中、唐突に右手を上げた。
指なんてものは無いのに、ぬいぐるみはそのまんまるの手で、まるで親指でも立てている様な仕草を作っていた。
自身が子供の頃から大切に所有しているそのぬいぐるみが突然動いた事にフォルテがギョッとし、シスネは驚きながらも不動を貫いた。
そうして二人が驚く中、うさぎのぬいぐるみはピョンと棚から飛び降りた。
着地に失敗して頭から床にボトッと落ちた後、うさぎは上半身を起こすと、少し照れくさそうに頭をかいた。
赤いふたつのボタンの目と黒いボタンの鼻、そして糸の口を張り付けただけのその顔。しかし、当たり前の様な顔をして立ち上がった。
頭が重いのか少しフラフラと立ち揺れたうさぎは、そのまま何事も無かったかの様に床をピョンピョンと跳ね進むと、部屋の扉をジャンプで器用に開けて、そうして部屋を出て入った。
ぬいぐるみの奇行にしばらく呆気に取られていたシスネとフォルテだったが、遠ざかっていく気配と共に落ち着きを取り戻し始めた。
シスネがふぅと小さく息を吐く。
「任せろ――と云う事でしょうか?」
「その様です。――しかし、本当に突然湧くんですね」
「そうですね。しかも突然湧いたわりに、こちらの動向を知っている。まるですぐそこで聞いていたかの様に……」
「アレ、街に出たら騒ぎになりませんかね?」
「なると思いますが……。魔王に悪魔、スライムに精霊……。今さらうさぎのぬいぐるみが街に現れたところで――という気はします」
「……たしかに」
フォルテが頷く。
それからシスネがまた小さく息を吐く。
「好きにやらせてあげましょう。悪いようにはしないでしょう」
「分かりました。こっちはこっちで豊穣祭の準備を進めていきます」
そう頷きあい、どんどんと遠ざかっていく加護の気配を二人で静かに眺めた。
部屋のすぐ外で待機していたパッセルが「ウサギが!? ぬいぐるみが!?」と、慌てた様子で飛び込んで来たのは、それからしばらく後だった。




