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時代の構築・Ⅱ

「どうぞ」――と、部屋の中から返って来た言葉を認めた後、シスネの本日のお側付きパッセルが、シスネに代わりゆっくりと扉を開いた。





 シスネが足を踏み入れたその部屋は、ランドール家の屋敷の最上階の角部屋に位置し、屋敷の中で一番陽当たりの良い部屋。

 以前はシスネとフォルテふたりの実母がいた部屋で、彼女が亡くなってからはしばらくそのままになっていた。


 誰かが使うのは当分先だと思っていたその部屋には、現在、新しい部屋主が存在する。


 シスネが部屋に入るとすぐに、部屋の二面に設置された大窓から差し込まれた光が視界に飛び込み、眼の眩む様な一瞬の眩しさにシスネが僅かに目を細める。

 部屋の中には、二人の人物の影が床に細く伸びていた。


「調子はどうですか?」


 部屋の中の人物――その片方に顔を向けつつ、シスネは声をかけ、そちらにゆったりとした歩調で足を進めた。少し遅れてパッセルが後ろに続く。


「御覧の通りです」


 シスネの問い掛けに、少し困った顔をした妙齢の女性が応じた。

 女性は、口元や目元に年相応のシワを刻みながらも、気品のある顔立ちをしていて、――いい年齢の取り方をしているな――と、シスネは女性をそんな風に評し、自分もこういう歳の取り方をしたいものだと密かに思っている。


 女性の応じを耳にしたあと、シスネは女性から顔を外し、部屋の中にいたもう一人に目を向けた。

 視線の先では、新たな部屋の主となった少年――ヨビ・ランドールが木目調の机に突っ伏して項垂れていた。


「ヨビ」


 シスネが声を掛け、そこでようやく机の木目と至近距離でのにらめっこに興じていたヨビが、突っ伏したまま顔だけをぎこちなくシスネへと向けた。

 向けてきたその大層不満そうな顔にシスネは小さな嘆息をついたあと、諭すような柔らかい口調で告げた。


「お勉強が苦手なのは分かりますが、あまりニーナを困らせては駄目ですよ」


 それを聞いたヨビが唇を尖らせる。


「だってぇ、お勉強ってつまらないんだもん」


「そうですね。お勉強はつまらないかもしれませんね」


 シスネの同意するような言葉に、「ならさぁ!」と、笑顔のヨビが突っ伏していた体を勢い良く腕で起こした。

 しかし、続くヨビの言葉をシスネが遮る。


「ですが、ランドール家に加わった以上、あなたにも最低限の知識は必要です」


「でもね、シスネ」


「その方がシンジュは喜びます」


 反論しようとしたヨビの言葉をシスネが封殺する。

 ヨビは何か言いたげにしていたが、結局、「わかった」と口にし、ダラダラと座っていた姿勢を正した。

 その様子が少しおかしくて、シスネの口元が僅かに弛む。

 何かにつけてシンジュの名前を出せば、まるでそれが魔法の呪文かなにかのようにヨビは納得する。


「それじゃあ、ゆっくり続きを読んでいきましょうか」


 ヨビのやる気が少し戻ったところで、ニーナは優しくそう言ってお勉強の再開を促した。

 ヨビは小さく頷くと、机の上に広げてあった本を手に取り、ゆっくりと、時々詰まりながら本を音読し始めた。


 ヨビの朗読を聞きながら、ヨビの妨げにならぬように注意してニーナがシスネの隣に並ぶ。

 ニーナもシスネも何も言葉を発さず、少し離れた位置から二人でヨビの声に耳を傾けた。


 しばらくして、邪魔にならぬ程度の声量でシスネの方からニーナに話し掛けた。


「根気のいるものですね。誰かに何かを教えるというのは」


「ええ。ヨビ様は特に」


 そう応じたニーナが小さく顔を綻ばせる。


 本人の承諾を得て、ヨビは養子としてランドール家に迎え入れられた。

 カビ臭い檻の中から一転し、大陸でも一、二を争う巨万の富を持つランドール家となったのだ。

 灰かぶりも真っ青なヨビの劇的なシンデレラストーリーは、養子として迎えられた翌日にはランドール住民全員の知るところとなった。

 しかし、まだ発表されただけで御披露目はされていない。

 ヨビは、人生のそのほとんどを檻の中で過ごしたせいで、読み書きは勿論、物の名称すらロクに知らなかった。

 他にも、人との接し方、最低限のマナーなど、当たり前の事が当たり前に出来ない。

 魔王を質問責めにしてしまう程に物怖じしないヨビゆえ、人前に出す事自体は問題ないのだが、如何せんモノの道理を知らなさ過ぎる。

 彼に会いに屋敷を訪れ、そこでたまたまヨビの着替えに遭遇したシンジュをほぼ素っ裸で追い掛け回し、シスネを当惑させたのは記憶に新しい。

 養子とはいえ、仮にも一領地の末弟がそれではとてもではないが人前には出せない。

 それゆえ、ヨビには教育が急務であった。

 年齢よりはずっと幼く見えるヨビとは云え、少なくとも同年代の異性を裸で追い掛け回すなど論外である。

 勿論その時のヨビにやましい気持ちなど全く無かったが、ミキサンの制裁を受けたのは言うまでもない。


 そのヨビの教育に辺り、白羽の矢が立ったのが、王国の宮廷付き教育係として従事していたニーナ。

 婚約のご破算により無駄になってしまったが、シスネが中央在住の折り、王家たるや、と王族のマナーを叩き込んだ女性である。


 本来であれば、教育を含めたランドール家の屋敷内の雑務はハウスキーパーであり、総監督の様な立場にあるカナリアの仕事であるのだが、カナリアの異常を知っているシスネとフォルテが二人揃って待ったをかけた。

 カナリアの教育は独善的で偏見が多分に含まれたモノである。

 基本的な学問はその限りではないが、ランドール家を妄信的に崇拝するカナリアの一般常識というのは、世間とは大きく剥離している。

 それを遅まきながらも理解した姉妹ゆえ、カナリアに変わる教育者が必要だったのだ。


 最初こそ、シスネにニーナを推薦されて若干戸惑ったフォルテであったが、パッセルの助言もあり、このニーナをヨビの教育係として迎えるというシスネからの提案を受け入れた。


 そうして、中央を良く知るカジカにニーナ説得の役を与えたその日の内に、ニーナは必要最低限の荷物だけを持ってランドールへとやって来た。


 シスネとしては、ニーナがランドールに来るという事は中央を見限る様な行為ゆえ、もっと難航するものだと考えていた。じっくりと時間を掛けて中央の首を縦に振らせてやろうと。

 ところが、いざ蓋を開けてみればニーナは即決だったと、迎えに行ったカジカは語った。


 聞けば、もともと年齢を理由にシスネを最後に城遣えを止める予定だったのだという。

 それは前々から王宮の耳にも入っている話であったため、カジカから話を持ち掛けられたその足で、ニーナは――少し早いが、教える相手も居ないので――と、城遣えを止め、そうしてカジカと共に帆馬車に揺られ、なんの問題もなくランドールへとやって来た。


 そうして、何の問題もなくニーナはヨビの教育係となった。


 とはいえ、シスネは話を聞いて思うところもあった。

 年齢を理由に一線から引こうという者をまた引っ張り出しても良いものかと。




「ニーナ」


「なんでしょうか?」


「申し訳ありません」


 シスネの唐突な謝罪に、ニーナが少し驚く。


「急にどうされたのです?」


「本当なら、余生を穏やかに過ごしていたはずであるのに、教員係になど付けてしまいました。ヨビの教育係に――と、フォルテに進言したのは私です。少し、考えが足りませんでした。迷惑をかけて申し訳ありません」


 シスネの言葉にニーナが慌てて首を振った。


「いいえ。迷惑などとは少しも思っておりません。むしろ、あなたの下で働ける機会をくださって感謝しております。私を評価して頂いて推薦してくれた事も含め、感謝の念は抱けど迷惑などとは感じておりません」


「そう言って貰えると、少し気が楽になります」


 そう応じ、二呼吸置いてシスネは言った。


「最初は、私がやろうと考えていたのです。フォルテに当主を譲ってからは以前よりも時間に余裕が出来ましたから」


「シスネ様ならば教育者としても申し分ないかと存じ上げます」


 ニーナの言葉にシスネが首を小さく横に振った。


「いいえ。教育者として誰かに何かを教える自分を考えてみましたが、私では駄目だと思いました」


「理由をお訊きしても?」


「……私の知る教育者像というのは祖母です。その祖母は、大変厳しい人でした。今の私があるのはその厳しい祖母のお陰である事は否定しません。教師としても祖母は有能だったのでしょう。しかし、私は厳しいだけの祖母が嫌いでした。反面教師とでもいうべきか、ああはなるまいと頭ではそうならないと思っていても、教えているうちに祖母の様な教育をヨビに課してしまうのではないか……。そして、そんな心配を抱くせいで逆に甘くなり過ぎるのではないか――そんな風に思ったのです。現に、私はフォルテには甘いですから」


 無表情にシスネがそう言うと、それを聞いたニーナはクスクスと小さな笑い声を溢した。

 笑うところがあっただろうかと、シスネが訝しがる。

 真面目なシスネらしいといえばらしい――と、ニーナは笑う。考え過ぎるのは彼女の悪い癖なのだろうとも。


「そう思える内は、まだ大丈夫だと思います」


「そういうものですか?」


「そういうものです」


 優しげな眼をシスネに向けて、ニーナは小さく頷いた。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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