時代の構築
◇
「よーう、朝から精が出るな!」
そんな快活な声が、ランドールの街の広場の一角に木霊した。
中央再建のための物資を馬車に積み込む作業を指示していたイェジンは、朝にも関わらず妙に甲高いその声の方へと、若干の不快感を滲ませた顔で向けた。
「お前ら、まだ居たのか……」
呆れた様な口調で言ったイェジンの視線の先には、浅黒い肌をした男性――カジカが片手を軽く上げて立っていた。
後ろに数人の部下を引き連れたカジカは、初めてイェジンと対峙した時の強固な鎧を脱ぎ、武器も持たずにラフな格好であった。
一応腰から剣を下げる部下達もそれは同じで、みなが身軽な装おいである。
それとは対照的に、イェジンをはじめ、周囲で積み込み作業やランドール住民に指示を出すランドールのカラス達は、カラスを模した顔の面こそ着けていないが、いつもの黒い装いをきっちりと着こなしている。
「さっさと中央に帰れ。無駄飯喰らい共めが」
舌打ちでもつきそうな顔をして、イェジンはカジカから視線を外して、作業の続く広場に目を向け直した。
王国軍所属の蛮族の英雄カジカ率いる琉星旗団、約二百人。
一度はカラスと刃を交えた彼らであったが、窮地の際にイェジンの許可の元、ランドールへと逃げ込み、それ以来ずっとランドールの世話になっていた。
何をするでもなくずっといる。
ランドールに避難した際、武器を全て取り上げられてしまったゆえ、対悪魔との防衛戦にすら彼らは参加していない。
名目上は捕虜という形になっているが、悠々自適にランドールの街を散策する姿は、とても捕虜には見えない。
中央は目と鼻の先なのだからさっさと帰れと、イェジンはここ数日だけで何度同じ事を口にしたか分からない。
中央が襲撃を受けた日から既に五日目。いい加減帰れ、というのがイェジンの素直な気持ちである。
「ハッハー! 残念だな! 実は昨日、予てから提案していた事をフォルテに許可してもらった!」
「様を付けろ。ぶち殺すぞ。――なんの許可だ?」
イェジンが問うと、カジカがニッと歯を見せて笑った。
「今日から同僚だ。よろしくな!」
「………………は?」
思わずカジカの方へと顔をやって、イェジンが不可解な表情を作る。
「だから、同僚だ。ランドール住民として迎えてもらった。もともと、俺達は中央に忠誠心なんざないからな。故郷復興のため、俺達を捨て駒みたいに扱う中央よりもここで再起を図りたいと言ったら、まぁ最初はフォルテも渋っていたが、昨日ようやく許可を貰った」
「様を付けろ。殺すぞ。――貴様らがカラスに入ったなど、何の冗談だ?」
「いやいや、大マジだ。あと、カラスに入ったわけじゃない。組織を新設してもらった。――コウモリ。それが俺達、新ランドール家の鳥よ!」
ハッハッハッと、腰に両手を当てたカジカが大口を開けて笑う。
「コウモリか……。お似合いだな」
「そうだろ? 皮肉が利いてる!」
浅黒い肌と、中央を見限った立場。その両方を掛けているだろうコウモリという組織名。
それを踏まえたイェジンの皮肉を込めた言葉など意に介さず、カジカがまた笑う。
実は当初、カジカはランドール家に降るつもりはなく、ランドールギルドの冒険者になろうとしていた。
ところが、「このギルドで二百人など抱えられん」とレンフィールドに断られてしまった。
大陸一の落ちこぼれギルドに、既存の冒険者を含め約二百五十人の冒険者を抱えるだけの甲斐性はない。
かといって、他のギルドでも駄目なのである。
カジカ達他大陸の者達は、王国との戦に敗れ、そうしてこの地にいる。
いわば敗者である。
敗者にはそれ相応の色々な制約がある。
王国最強の槍とまで称され、その武勇を轟かせるカジカが、将軍にもなれず、いつまでも危険な前線に送り込まれるのはそういう理由がある。
また、軍人としてのカジカ達と、王国民としてのカジカ達では、見る視点によって王国民の評価、反応が違うのも理由としてあげられる。
浅黒い肌をした他大陸の者達は、一目でそれと分かる。
自分達は勝者で、彼らは敗者だという意識が働き、カジカ達を下に見る。それで不要な諍いが起きるというのも珍しくない光景であり、そんな他大陸の厄介者達を、ギルドはなかなか受け入れてはくれない。
そんな偏見に満ちた状況にあって、ランドールは早い段階で彼らを受け入れた。
排他的で外の人間を嫌うランドール。彼らは異物を排除し、自分達だけの存在しか許さない。
それは紛れもない事実なのだが、そんな彼らが二つ返事で異物を飲み込み、その輪の中に取り込む絶対の条件というものがある。
それが、ランドール家からの鶴の一声。
ただそれだけで、ランドールは全てを受け入れる。
絶大の信服ゆえの絶対の従順。
カジカ達がランドールに来た当初、ランドール家は彼らを捕虜として扱った。
しかし、捕虜とは名ばかり。王国を牽制するための建前でしかない。
その上で、問題を起こさぬ限り、他大陸からの客人として扱うとカジカに言い含めた。
この客人扱いに気を良くしたのが当のカジカ――ではなく、彼が苦楽を共にして来た部下達であった。
カジカはもともと、他大陸にて国を治めていた王家の王子である。
他大陸の辺境にあった小さな国。
王国との戦に敗れ、今は亡きその小さな国の中とはいえ、カジカが王族の血筋である事には違いない。
そんなカジカゆえ、部下達は彼が王国でぞんざいな扱いを受けているのが耐え難い程に不満であった。
敗戦国の王子ゆえ、本来ならば処刑されてもおかしくはない立場であり、生きているだけ幸運ではあるのだが、危険な前線に送られ、かといってそれで武勲を立てても出世など望めるものでもない。
そもそも純粋な王国民ではないゆえ立場が弱く、肩身も狭い。
部下達からしてみれば、自分達だけならば甘んじて受け入れるそれらの逆境を、いまだ主君と信じるカジカが受ける事が我慢ならないのである。
そんな状況にあって、王国の一部でありながらも独立した自治区を保つランドールは、カジカを捕虜ではなく、客人として扱うと決めた。
それもただの客人ではなく、要人クラスの国賓の様な扱いである。
国亡き王子を、ランドールは最大限の礼儀をもって迎え入れたのである。
カジカに対するそのランドールからのもてなしに、部下達は我が事のように喜んだ。
王子が王子としての扱いを受けている――そんな当たり前の事に、部下の中には涙ぐむ者さえ居た程だ。
そうやって数日を過ごしている内に、カジカの心は中央よりもランドールの方に傾いていった。
同じ再起を図るならば、自分達を蛮族と蔑む中央よりもランドールの方が良いのではないだろうか――と。
ランドール家の対応も心を動かす要因ではあったのだが、なによりカジカの心を動かしたのは、ランドールの人々が自分達をあまり稀有な目で見て来ないというところにあった。
浅黒い肌のカジカ達は、どうしたって目立つ。
先述した通り、その目立つ容姿が仇となって、中央ではトラブルが絶えなかったのだが、ランドールの人々はあまり肌の色を気にしている風にカジカには見えなかった。
というより、自分達より目立つ輩がランドールには多すぎる。カジカはそういう感想をランドールに抱いていた。
まず当主であるランドール家からして目立つ。
長い耳を持つ三姉妹。
長女は屋敷でしか見掛けないが、遠目にも分かる燃えるような赤毛を持つ次女は、屋敷だろうと街だろうと一際異彩を放っているし、上の二人とは一回り程も歳の離れた一番小さな三女は、一番態度がデカイ。たぶんこの街で一番デカイ。
それらに付き従う怪物の様なナリをした大男――いや、オネエも目立つ。
奇抜な服と突飛な行動で周囲の視線を集めるメイドもいる。
流行っているのか、顔に『負け犬』とタトゥーを入れた男達もちらほら目につく。
他にも、街中の至るところに居座るスライムと、それらを従えて歩く人の姿をしたボススライムもいる。
人前に姿を見せる事がほとんどないと言われる妖精が普通に表通りを飛んで、子供達と楽しげに遊んでいるし、気難しいとされる精霊が主婦に混じって普通に買い物をしている。しかも顔が良いせいか人気らしく、奥様方に良く囲まれていた。
道の真ん中、広場の端っこ、屋根の上――等々。見掛ける度に違う場所で寝ている奴もいる。オマケにソイツは名前を三回呼ぶと身の毛もよだつ化け物になる。
極めつけに、街の一角にある大きな屋敷の庭先では、猫背で痩せぎすな悪魔が洗濯物を干している。初めて見た時は、何の冗談かと思った。
ランドールは、とにかく変わり者が多い街であった。
そんな中で、「日焼けかな?」程度に肌がちょっと人より黒いだけのカジカ達など目立つわけが無かった。
加えて、イェジンというカジカ達と同郷の者がランドールには既に居て、その浅黒い肌を見慣れているというのも一因としてあるだろう。
――変わった街だ。
だが、良い街だ。
見た目など気にせず、誰もが普通に接し、笑顔が溢れている。
この変わった街に住む変人達の一員になるのは、存外に悪くない。
そして蛮族の王子は、自らの意思で、大陸の覇者たる王ではなく、一領地の領主に過ぎないランドール家の下に付く事を選んだ。
「馬車を一台借りれるか? 帆のあるヤツが良い」
「見れば分かるだろう。余裕は無い」
荷物を山の様に積み忙しなく出て行く荷馬車の列へと顔を向けながらイェジンが応じる。
もともと馬車が少ないランドールはもちろん、今は中央の民からも馬を借りて物資の運搬を行っているが、それでも足りず、まさに人馬一体で馬車馬のごとき忙しさである。
「なら……、そうだな。積んだやつで良い。向こうで荷を降ろして用事が済んだら戻って来る」
「……徒歩で行け、徒歩で」
鬱陶しいそうにカジカへと顔を向け、シッシッと手で追い払う様な仕草と共に歩きで行けと促した。
「仕事なんだ。要人を迎えに行く」
「要人?」
「ああ。鉄の姫君の御用達でな」
「シスネ様と言え。殺すぞ」
射殺さんとばかりに睨みつけたイェジンに、カジカが小さく肩を竦めた。
そうした後、一台の馬車に当たりを付けると、「おーい! ちょっと運ぶの変わってくれ」と、気軽な調子でカジカはその馬車へと近付いていった。
荷の積み込み作業をしていた男が困った顔をして、視線をイェジンへと向ける。
「……変わってやってくれ」
イェジンに促されコクコクと頷くと、男は静かに馬車を離れ、別の馬車の積み込み作業に加わりにいった。
「用が済んだらさっさと戻って来いよ」
御者台へと乗り込んだカジカにイェジンがそう声をかける。
カジカが片手を上げて応じる。
そうして、カジカと二人の部下を乗せた馬車は、ゆっくりと中央を目指して進み始めた。




