恩を売る
◇
売れるだけの恩を売っておこうか。
最初にそう言ったのは、天空領ランドールの領主であり、ランドール家の現当主フォルテ・ランドールであった。
王国の首都ハイヒッツ――中央と呼ばれるその都市が、大地を埋め尽くす程のモンスターと陽光を隠す程の悪魔に襲撃されたのは、つい昨日の事。
一晩明けてもいまだ僅かに煙の立ち上る中央の街並みは、栄華を誇った大都市とは思えないほど酷い有り様だった。
崩れ、柱が焼け落ちた家々が散見する中央は、先の防衛戦には勝利した。
堅く、高く聳え囲む塀は、モンスターの波をモノともせず押し返し、上空を覆う悪魔の黒雲も蹴散らした。
されど、傷ついた中央の何処からも、それを喜ぶ歓喜の声も、猛る勝利の雄叫びも聞こえて来ない。
多くの死人が出た。
それを越える多くの怪我人が出た。
街のあちこちの寄合所には、薄汚れ、血と汗にまみれた人々がいた。
手当てを受けて動けぬ者と手当てがもう必要のない者が一緒くたに押し込められる寄合所からは、怪我人のうめき声と悲しみに満ちた嗚咽だけが聞こえて来ていた。
本来ならば、それら心身共に傷ついた民に手を差し伸べるはずの中央政権も、今はそれどころではない。
中央の象徴でもある王城は三割程を残して崩落し、もはやただの瓦礫の塊であった。
政権の中心たる貴族達とて良心が無いわけではない。民を助けたい気持ちはある。
しかしながら、自分達の足元すら危うい状況で、民にまで手を回す余裕がない。
仮にそちらを優先しても、この期に乗じて不満を爆発させた民による革命など起きようものなら、目も当てられない。
彼らにとっては、まずは自分達の土台修復こそが急務であった。
中央に近いふたつの都市でもそれは同じで、狙いを定められたのは中央であったが、その余波は周辺都市にまで流れていた。
被害こそ中央より少ないものの、今日明日に周辺領地から助けが来る見込みも薄い。
中央政権、そして周辺領地。彼らに余裕が生まれるまで、民はこの状況を自分達でどうにかするしかならず、自力で耐え忍ばねばならなかった。
やる事は山積み。
もはや何処からどう手を付けたらいいのかも定かではない。
食糧こそ数日ならば何も問題などないが、中央周辺の村々は僅かな生き残りを残し既に壊滅してしまっていて、もともと自給自足とは程遠く、周辺の村からの作物で成り立っていた中央の食糧事情は深刻であった。
先の襲撃で、いくつかの備蓄分が燃えたのも痛手であった。
備蓄が無くなれば、いよいよ略奪が起こる。
加えて、いまだ多くの遺骸が放置されたままになっており、秋口とはいえ日中はまだ汗ばむこの時期は腐りも早い。
疫病が流行る前に、そちらの処理も行わねばならない。
まともに雨風凌ぐ家も無い状況で、体調を崩す者も出るだろう。
時間が経てば経つほど、中央の人々は追い込まれていく。
なにひとつままならない。
こういった場面での態勢が整っていない。
災厄とは縁遠かった磐石な千年の都だったからこそ変わる事の無かった古い内部構造が、事ここにきてその脆弱性を露呈させる形となったのである。
そんな中で、数千人規模の援助が中央にやって来たのはまさに不幸中の幸いと云えた。
年寄りと子供を領地に残し、荷馬車に積んだ大量の物資と共にやって来たランドールの者達は、この日、初めて忌み嫌う首都ハイヒッツの地を踏んだ。
☆
「つーかーれーたー」
夕焼けが射し込み始めた頃。
そう言って、丘の上にあるランドール家の屋敷にあるソファーにベチャっと――本当にベチャっと音を立てて潰れたのはスライムの少年プヨプヨであった。
「ごくろう。今日はもう休んで良いぞ。明日もよろしく頼む」
ソファーに潰れた形も良く分からないプヨプヨに、小さく微笑みを浮かべたフォルテがそう声を掛けた。
「ええっ……。明日もするのー?」
ポヨンと潰れていた体を子供の姿に形作って、プヨプヨが渋面を顔いっぱいに張り付けた。
「しばらくはお願いする」
「むーりー」
「そこを頼むよ。シンジュには、お前の活躍をちゃんと報告しておいてやるから」
「お姫様だっこ?」
「は?」
「お姫様だっこしてあげて、って言っておいて」
「ああ……、まぁ……構わないが」
「よしっ。絶対だかんね!?」
小さなガッツポーズと共にそう吐き出したプヨプヨは、ソファーの上で溶けていた先程の疲れなど忘れたように、じゃあと元気よく片手を上げ、そのままポヨンと人型からスライムへと姿を変えた。
彼は魔王ミキサンのように、場所から場所へ瞬時に移動する魔法・空間転移を使えない。
代わりに、スライムの体からスライムの体へと意識をスイッチさせて移動するという意識のみの転移が行える。
じゃあと言ったにも関わらず、スライムがいまだソファーの上にいるのはそのため。
ただし、このスライムに意思と呼べる程の知性は無い。
世界の約十分の一の水を媒体にして生まれた全にして固のモンスター・スライムの、個にして全を束ねる知性を持った一匹は、屋敷に意識のスイッチ用のスライム一匹だけを残し、自らの主人であるシンジュの元へと戻っていったのである。
プヨプヨが去った後、フォルテは小さく息をつき、一匹のスライムが乗るソファーにもたれ掛かる様に腰を落とした。
柔らかいソファーが衝撃で大きく揺れて、乗っていたスライムがポヨンと小さく跳ねた。
フォルテがプヨプヨに頼んだ仕事というのは、大量の荷の運び込みであった。
といっても、ランドール領地内にあった備蓄分ではなく、スライムの体をスイッチさせて瞬時に移動する事の出来るプヨプヨが、方々を駆けずり回り大陸の至るところからかき集めて来た物である。
破壊された中央の再建には、沢山の資材や食糧が必要不可欠。
なれど、規模の大きな首都ハイヒッツの建て直しには、ランドールにあった備蓄では全然足りず、何処からか調達する必要があった。
そこで力を役立てたのが、スライムがいるところなら大陸の何処であろうと行き来出来るプヨプヨであった。
プヨプヨが冒険者必須とも言われる【大沼蛙の腹袋】という空間拡張魔法を持っていた事も幸いした。
所有者の魔力に依存するプヨプヨの魔法の拡張範囲は広く、大量の物を一度に飲み込む事が出来た。
意識をスイッチ出来る範囲には半径五百メートル内、という制限があるらしく、プヨプヨは何度も体をスイッチしては必要な物をかき集めた。
スライムという、非力ではあるが数だけは腐る程いる手足が、数の利を活かして物を片っ端から集め、それをプヨプヨが蛙の腹袋に詰め込み、いっぱいになったらランドールに戻り、中央へと向かう馬車が並ぶ広場にて詰め込んだ物を吐き出す。
馬車への積み込みはランドール住民によって行われた。
プヨプヨはそれを十数往復と繰り返した。
やってる事は凄いのだが、如何せん大陸中を回っているため、頑張っている姿は誰にも認めて貰えない。
それはまぁ、疲れただのもう無理だのと愚痴のひとつやふたつ溢したくもなるだろう。
ソファーの上でひんやりとほどよく冷たいスライムの触り心地を確かめながら、フォルテはそんな事を思った。
次いで、何故、お姫様だっこなのだろうと小首を傾げた。
想像してみる。
シンジュが人型のプヨプヨをお姫様だっこする姿を。
――逆じゃないか?
男がお姫様だっこされて何が嬉しいんだ?
そこまで考えてから――いや、待てよ――と、お姫様だっこされるプヨプヨをスライム型に想像し直す。
――ふむ。こっちなら違和感はないかな――と、自身が膝の上に乗せたスライムを実際に抱き締めながら、フォルテはひとり満足そうに頷いた。
フォルテのいるその部屋に、前ランドール家当主であり姉であるシスネが訪れたのは、それからすぐの事だった。




