灯火の子・Ⅱ
それは、私がいつもの様に部屋に籠って、この論説文こそが正しいのだ、と得意気に主張する気難しい本を読んでいる時に現れた。
静かな私の部屋は物音ひとつしない。
時折、本を読み進める私が本を捲るかすかな紙擦れの音と、遠く、何処からか聴こえて来るフォルテの笑い声だけが広がるそんな空間。
その静寂の中。
突然、ガタンと大きな音が私の部屋に響いた。
本から顔を上げ、そちらを見る。
音は、部屋の奥。私のドレスをまとめて収納してある小さな部屋から聞こえた様だった。
飾ってあるドレスが落ちたのかと思い、椅子から立ち上がり奥へと向かう。
部屋の扉前まで近付き、扉に手を伸ばしたところで、私は頭を小さく傾げた。
小部屋の中から声がしたのである。
この部屋の出入口は、いま私が立っている扉がひとつあるだけで、他に出入口となる様な扉や窓などは無い。
にも関わらず、小部屋の中から声が聞こえてくるのが不思議だった。
ふと、読んだ本の中のひとつに、『転移魔法』なる魔法の記載があった事を思い出す。
別の場所から別の場所に、一瞬の内に移動するそういう魔法があるらしい。見た事はない。
もしかしたらそういった魔法で声の主はやって来たのかもしれない。
玄関なんて知らない不法侵入者である。
人拐いかも知れない。
これは人を呼ぶべきかと思い、声の主に気付れぬ様にゆっくりと扉から距離を取り、部屋を出ようと後ずさる。
数歩下がった時だった。
パキリと小さな音がした。
何かを踏んでしまった私が鳴らした音らしかった。
とても小さな音だけど、静かな私の部屋にあってその音はやけに大きく部屋に響いた。
足下を確める。
白い小さな骨が、バラバラになって床に散らばっていた。
はて? 毎日カナリアが掃除してくれているはずなのに、何故私の部屋の床に謎の骨が転がっているのだろう? 不思議な事もあるものだと、自身の非運を呪った。
そんな事を思っていたら、小部屋の扉が勢いよく開けられた音が、私の耳に届いた。
途端に、私の体が強張り、恐怖が全身を支配する。
咄嗟に声が出せず、足元の骨を見つめる様な格好で固まった。
おそらく、既に相手にはこちらの姿を見られているのに、何故だか私は動いてはいけない、動いたら見付かってしまうとでも云うように微動にしなかった。出来なかったと表現すべきか……。
しかし、それも僅かな間。
恐る恐る顔を上げ、小部屋の方へと視線を向ける。
子供がいた。
二人。
フードを深く被った男の子と、同じフードから絹の様な金色の髪を腰までさげた女の子だった。
どちらも私と同じくらいか、少し年上。
「見付かるの早くない?」
男の子が、私ではなく女の子の方に顔を向けて言った。
「わたくし、隠れるのは性に合いませんの」
「いや、そういう問題じゃないでしょ」
呆れた顔で男の子は言って、女の子に向けていた顔をこちらに向け直した。
男の子の黒目が私を捉える。
「えっと、……………………かくれんぼをしてました」
男の子が告げた。
それを耳にした女の子が小さな嘆息混じりに、「浅い」と残念そうな表情でポツリと溢した。
「ほっといて」
眉根を上げた男の子がすぐに悪態をつく。
そんな二人のやり取りはともかく、どうやらかくれんぼをしていたらしい。
うん。
それを真に受けるほど私は馬鹿では無いのだが、子供二人とはいえ、変に騒ぎ立てて暴れられたら大変だと思い、「そうですか」と納得した返事を投げておいた。
沈黙が流れた。
無駄に広い私の部屋に、いつも通りの静寂が戻る。
ただいつもと違うのは、部屋に私以外の人がいるという事。しかも二人も。
流石に相手が子供だったという事もあり、邂逅直後程は身の危険を感じなくなったが、見ず知らずの不法侵入者には違いない。
どうしたものかと考えていると、私より先に男の子が口を開いた。
「つかぬ事をお聞きしますが」
「なんでしょうか?」
「シスネ……ちゃん、ですよね?」
意外な言葉が飛んで来て、つい半歩下がる。
たぶん、生まれて初めて「ちゃん」付けで呼ばれた。
呼び捨てか、様付けか、姉様のいずれか。それ以外で呼ばれた記憶が無い。
そんな事はどうでも良くって、どうやら男の子は私の名前を知っていたらしかった。
「そうです。ランドールの者でしょうか?」
あいにく私はほとんど街には行った事がなく、丘にあるこの屋敷に籠りっぱなしの生活を送っている。
それゆえ、私が知っているランドール住民は、使用人を除けばごく一部の方に限られていて、この二人の顔を私は知らなかった。
ただ逆に、屋敷に籠りっぱなしの私の顔であっても、ランドール住民ならば知っていても不思議ではない。
普段は町には行かないけれど、年にいくつかある催事などには私も一応参加している。
進行していく催しを、ただ座ってぼんやり眺めている事を参加していると言って良いならばだけど。
私の問い掛けに、ああそうだと男の子が頷いた。
「何故、私の部屋でかくれんぼを?」
別に本気でかくれんぼをしていたなどと信じてはいないが、とりあえず会話から何か引き出せないかと、適当な質問をぶつけてみる。
尋ねられた男の子が、僅かに渋い顔をした。
それはそうだろう。
かくれんぼをしていたと言ってしまった手前、彼はもう引くに引けない。このままかくれんぼをしていたと押し通せねばならない。
かくれんぼなどは遊びゆえ、思い付きだとか適当な事を言えば済むのだが、そうすると、今度は当然の様に「何処から入ったのか?」という質問が私から飛んで来る。
その私の質問に、彼はなんと答えるだろう?
ちょっと聞いてみたい気もする。
渋い表情を浮かべる男の子の真っ黒な瞳をじっと見ながらそんな事を思っていると――
「ごめん、やっぱかくれんぼは無しで」
そんな答えが返って来た。
思わず面食らう。
「無しと言うのは、あなた方はかくれんぼはしていなかった――という事でしょうか?」
「うん」
あっさりさっきの発言は嘘だったと認める男の子。
嘘だというのは分かっていたけれど、こうも簡単に嘘を突き通す事を放棄するとは思わなかった。
でも逆に、それがある意味では嘘をつけない誠実さの様にも見えて、印象としては悪いモノではなかった。
ただ、かくれんぼだろうとなかろうと、私が想定している質問の中身も流れも変わらない。
質問が振り出しに戻っただけだから。
「かくれんぼでないのなら、何故私のドレス部屋に居たのですか?」
「あ~」
尋ねられ、バツが悪そうに頬を小さく掻いた男の子は、助けを求める様に隣の女の子へと顔を向けた。
私もそちらに目を向ける。
女の子の真っ赤な瞳と眼が合った。
私と同じ、血の様に赤い瞳。
「あなたに答える必要のない事ですわ」
それだけで気が強そうだと判断出来るほど、眉をきつく上げた女の子がピシャリと言ってのけた。
「何処から入ったのです?」
「以下同文」
「答えてください。子供とはいえ、あなた方は私の部屋に無断で入って来た怪しい侵入者です。このままでは人を呼ばねばいけなくなります」
「ご勝手に」
両腕を組み、やれるものならやってみろと言わんばかりの態度で女の子が鼻を鳴らした。
「いや、ちょっと、それは困るんだけど」
女の子のその言葉に慌てたのは男の子の方だった。
その様子に、気の強い女の子よりもこちらの方が御し易そうだと判断した私は、狙いを男の子に絞った。
そう決めて、私が更に質問を重ねようとした時、コンコンと背後から扉を叩く音が聞こえてきた。
反射的にそちらに顔を向け、「どうぞ」と返す。
フォルテは「姉様」と声を掛けながらノックするので、扉の向こうの誰かは使用人だとすぐに分かった。
「失礼致します」
そう言って入って来たのは、案の定使用人のひとりであった。
大人の登場にちょっと安心して、顔を正面に向け直す。
そこには誰も居なかった。
二人は忽然と姿を消してしまったのである。
その事に驚いていると、「声が聞こえた様でしたが、何かありましたか?」と、背後の使用人から質問が飛んで来た。
そちらに顔を向け、こちらに訝しげな表情を見せるその顔に視線を合わせながら、私はどう答えようかと迷う。
正直に告げるべきか。
しかし、二人の姿は既に無い。
使用人の落ち着きぶりから、おそらく二人の姿を目撃してはいない。
果たして、正直に誰かが居たと答えて信じてもらえるだろうか?
私が迷い、何も言わないものだから、使用人の怪訝そうな顔が強くなる。
二呼吸の間を取り、結局、私は「たまには朗読でもしようかと思ったもので」と、適当に誤魔化して、真実を話さなかった。
訝しげながらも、その使用人は「そうですか」と納得の言葉を吐き出し、興味も無いのか、或いはどうでもいいのか、事務的に頭を下げて部屋をそそくさと出ていった。
閉まった扉に目を向けながら、私は、ハァと大きな溜め息をついた。
おそらく、私が適当に言った朗読などという言葉を真に受けてはいないだろう。
きっと、一人言を言う変な奴、とでもお婆様に告げ口でもしにいったのだ。
また小言が増えそうな予感に気が重くなり、また大きな溜め息を溢す。
嫌な気分は溜め息と一緒に吐き出し、気を取り直して小部屋の扉の傍まで歩みを寄せる。
少し緊張しながら取っ手に手をかけ、ゆっくりと開く。
この扉を開けた先。結果は薄々分かってはいるが、私の聴覚がいつもより研ぎ澄まされているのが分かる。
音のない静かな部屋のせいか、私の緊張で早鐘を打つ心音が部屋中に響いている様な気がした。
うるさいくらいの心臓の音を内から聴きながら、ひたすらに呼吸を浅くし、耳を澄ませる。
そうして扉をゆっくり開いた。
案の定というか、小部屋の中にあの二人の姿は無かった。影も形もない。
緊張は何処へやら。
嫌になるくらい簡単に肩の力が抜ける。
部屋も特に変わった様子はなく、こうも何も無いと、さっきのアレは私の幻覚だったんじゃないかという気までしてくる。
正直言えば、部屋の扉がノックされた時、他の誰かが駆け付けた事に安心して、二人から目を離してしまったのは失敗だと思った。
目を外したら、突然襲いかかられても咄嗟に動けない。
まぁもっとも、運動神経皆無な私が、それで咄嗟に動けるかどうかは怪しいものだ。私の事だから、動くどころかビックリして目を瞑ってしまいそうである。
しかしそれでも、今後同じような事があったら、相手から目を逸らさずに対応しようと思った。厳重なランドールの、更に厳重なこの屋敷に侵入者や強盗などそうそうあるものではないけれど、覚えておいて損は無いと思う。
居住いを正し、狭い部屋の中を一度見渡す。
私のサイズに調整された飾り気の少ないドレスが並ぶ以外、特に変わったところは無かった。
しばらく立ち尽くして眺めていたけど、いつまでもこうしていても仕方ないと、踵を返して部屋を出る。
そうして扉を閉める直前、はて? と目についた物に小首を傾げた。
扉と床の薄い隙間。そこに小さな骨が挟まっていた。
何故こんな私の部屋の床に骨が落ちているのだろう?
なんのモノかも分からないその小さな骨は、真ん中から綺麗に折れていた。
折れた骨の片割れは、少し離れたところでバラバラになって床に散らばっている。
小さく息を吐いてから、隙間に挟まる骨を拾おうと、閉めかけだった扉をまた開く。
腰を落として骨を拾い、顔を上げようとした時に、視界の端で何かがキラリと光った。
そちらに目をやる。
吊るされたドレスの下に転がるソレは、身を屈めねば見えない場所にあった。
ドレスをかき分け、拾い上げる。
金属の擦れるジャラリとした音が、静かな小部屋に響いた。
それはクルミほでの大きく赤い宝石のついたペンダントであった。
「なぜ、鳳凰石がこんなところに……」
手にしたペンダントに険しい表情を向けたまま呟く。
そのペンダントは、鳳凰石ランドールと銘のついた我がランドール家に伝わる秘宝。
どんな物であろうと石コロと大差ない宝石になど私は興味が湧かないが、そこかしこにコロコロ転がっている石ころとはわけが違う。不思議な事もあるものだ――では済まない。
本来、こんなところに落ちていていい物ではない。
贋作かと思い、何度か手の上でひっくり返し、本物なのかを確かめようとした。
しただけ。
宝石に詳しくもなければ、家宝とは云えそもそも興味が無かったので、こんな風に手に取ってまじまじと眺めた事がなく、私にはこれが本物か贋作か判断がつかなかった。
仮に本物だとして、それがなぜ私の部屋に?
私が留守の時にお婆様が部屋に入り、その時にでも落としたのだろうか?
鳳凰石を見つめたまま、どうしようかと考える。
現在の持ち主であるお婆様に見せれば、これが本物かどうかはおそらくすぐ分かる。
しかし……、勝手に持ち出したなどと言い掛かりをつけられては堪らない。
たかが石コロの所在を巡って、不愉快な目に遭うなど真っ平ゴメンだと思った。
それに――
何処からともなく現れ、煙の様に消えた先程の二人も気にかかる。
場所やタイミングを鑑みれば、あの二人がコレに関わっているとも十分に考えられる話。
考えた末。
私は鳳凰石を懐にしまい込むと、そのまま静かに部屋を出た。




