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灯火の子

八章です

 見上げた空は、薄く散りゆく雲がまばらに遠く遠く広がる。

 視線を少し下に落とすと、白い花が鮮やかに枝葉に咲いていて、朝のまだ薄暗い、それでいて霞の様に光が包む春先の朝の背景と良くあっていた。


 花を眺める私の目に、吐き出した白い息と細かな塵が浮いてみえた。

 普段は見えないそれらを覗き込む様に目を細める。


 屋敷の庭には、子供の私の背丈よりもずっと大きい花樹が何種類も植えられているが、まだ朝方と夜は肌寒いこの時期に花をつけるのは、吐息の霧に霞む向こう側で白い花を咲かせるその一種だけであった。


 お世辞にも温かいとは言いにくいこの時期に、厳しい冬を乗り越え、いの一番、どれよりも早く小さな花を咲かせるこの木が好きだったりする。儚げでいて、冷たい空気など無いかの様に力強く咲く花を見ていると、――優しい春だよ、厳しい冬は終わったよ――と告げられている気がするから。


 吹いた風に、枝から取れた白い花びらがハラハラと舞う。


 北の山脈から吹き下ろされる冷たい風は、途中にある森に遮られ、冷風(ひやかぜ)そのままに庭までは届かない。

 けれど、木々に当たった風は上へと昇り、それが上空の風とぶつかり、混ざり、緑の匂いと湿り気を帯びた風となって緩やかに街や森よりも一段高い丘の上にあるこの庭の草木を揺らす。


 白い花の木は、もともとこの大陸には無かった品種なのだという。外来種。余所者。

 意図的に持ち込まれたのか、偶然種が荷に紛れていたのか、どういった経緯でこの木が海を渡ってやって来たかなど知る由もないが、余所者ばかりのこの大陸で、種は枯れるでも腐るでもなく、芽吹き、育ち、花開き、実りをつけ、そうして今や堂々とその存在感を大陸に示し続けている。


 まだ蕾も多い七分咲きといった木を眺めていると、背後――少し遠くから私を呼ぶ声が聞こえて来た。

 体を半歩そちらにやって、顔を向ける。

 若い女性が私に向かって歩みを寄せているところであった。


「シスネ様、お身体を冷やしますわぁ」


 私の傍まで来ると女性はそう言って、私の肩に厚手の肩掛けを乗せた。

 私をシスネ様と呼んだこの女性はカナリアという名の屋敷仕えである。


「ほら、こんなに冷えて。早くお屋敷に戻りましょう」


 私の両手を取って、暖でも取る様にカナリアが自身の手で私の手を包み込む。

 私の手が冷えているせいか、カナリアの手はやけに温かく感じた。


 風邪をひいたらまたお婆様に小言を言われると思って、素直に頷き、屋敷の中へ戻る事を了承する。

 別に私が勝手に風邪をひくのはいい。誰もそこまで心配はしない。

 ただ、フォルテに移りでもしたら大変だ。お婆様の小言が倍かそれ以上になるに違いなかった。

 ただまぁもっとも、私もフォルテも風邪に限らず病気というものになった覚えがトンとない。


 素直に屋敷に戻るため足を動かす。

 数歩歩く。


 歩きづらかった。


 だから尋ねた。 


「なぜ、私の両手を握ったまま歩くのですか?」


 私の両手をしっかり握ったまま、器用に後ろ向きで歩くカナリア。

 まるで、歩きたての赤ん坊を掴まえながら歩くようだが、私は今年で8つになる。まだまだ子供だという自覚はあるが、少なくとも歩くのに補助を必要とする歳ではない。


「この方が暖かいと思いましてぇ」


 暖かいのは否定しない。

 否定しないけれど――


「歩きづらいのですが?」


「大丈夫ですぅ。万が一にシスネ様がお転びになっても、このカナリアめがしっかり掴まえておりますのでぇ、安心してお転びください。全身で受け止めて差し上げますぅ」


 言ってニッコリと微笑むカナリア。


 転ぶ事を推奨された気がするが、おそらく私の気のせいだろう。

 結局、手の温もりに負けた私は、カナリアに両手を握られたまま屋敷へと戻った。ほんの十数メートルだしまぁいいか、というのもあった。


 屋敷に着くなり、「はい、転ばずに来れましたねぇ。偉いですわぁ」と、言葉とは裏腹にひどくつまらなそうな顔をして言ったカナリアが印象的だった。

 カナリアの表情は、転ばなかった御褒美のギュッ、をした時にはいつものニコニコ顔に戻っていた。

 転ばなかっただけで抱き締められるほど誉められるとは思ってもみなかったが、彼女は人懐こいのか立場に拘らずスキンシップをしてくる事が多い。

 凄く。


 



「見てください。赤い綺麗な石です」


 そう言って、勉強中の私が本を広げる机に親指大ほどの石を置いたのは、今年で5つになる妹のフォルテだった。

 どうだ読めるかと言わんばかりの小難しい文字が並ぶ本から顔を外して、そちらを見る。

 フォルテによって「カエルさんのお腹」と命名された小袋から取り出された、石や草花、貝殻、何かの――骨? とにかく色々な物が、少し大きめの卓上を有する私の机に規則正しく並べられている真っ最中であった。


「綺麗な石ですね。まるで宝石の様です」


 わずかに赤く色づく石を手に取って、そう感想を述べた。

 小枝ほどの何かの骨は見なかった事にした。

 何故私の机に骨が乗っているのだろう?

 不思議な事もあるものだ。


 私が誉めると、フォルテが嬉しそうにニコニコと笑って、「それはですねー、親方の家の裏庭で見付けました」と、拾った場所の説明をしてくれた。得意気なその顔に、なんだか少し可笑しくなる。


 親方というのは、ランドールに住む鍛冶職人の頭領。強面だが優しいらしい。

 会った事はあるが、私はほとんど話した事がない。なので「らしい」。


「うっすらと赤く色が付いているのは、魔石ランドールを含んでいるからでしょうか?」


 手の平に乗せた石を確める様に指先で転がす。

 石は、見る角度によってまばらに散らばる赤色が強くなったり弱くなったりしている。

 ランドール地方では、魔石ランドールという特殊な石が採掘出来る。

 良質な物は地下深くなどに眠っているのだが、純度が低く、使い道の無い程度の物は、そこらを適当に掘り返せばたまに出てくるらしい。

 一通り眺め、石から視線を外してフォルテを見ると、フォルテは何故か惚けた様に口を半分開けて私を見つめていた。


「どうかしましたか?」


 尋ねると、フォルテは感心した様な口調で、「姉様はなんでも知っているのですね」と告げてきた。


「なんでもは知りません」


 答えながら、石を元の位置に戻す。


「そうなんですかぁ? でも、たくさん知っています」


「沢山本を読みましたから」


「なるほどー」


 分かっているのかいないのか、フォルテは納得顔でうんうんと頷いた。

 それからフォルテは石を手に取り、「赤いのはランドールが入っているから」と、覚えようとでもするかの様に私の言った事を何度か復唱した。

 

 その様子が面白かったので静かに見ていると、フォルテが前触れなく私の机の上に並べた宝物達を手早に「カエルさんのお腹」に仕舞い始めた。


「お母様に教えて来ます」


 得意気にそう言ってニンマリ笑うと、何かと忙しいフォルテはぴょんぴょんと跳ねる様に部屋を出て行った。

 フォルテの出て行った扉に顔を向けながら、私は閉じた扉の向こうから聴こえるドタドタと床を打ち鳴らす足音を静かに見送った。


 足音が聴こえなくなる。

 一人で賑やかなフォルテが居なくなった私の部屋は、いつもと変わらないはずなのに妙に静かに感じる。

 物悲しいような気持ちになって、私は朝陽を待つように、或いは春を待つように、早くまた来ないかな、なんて事を思う。


 気持ちを切り替えて読みかけの本に顔を戻す。

 知性をひけらかさんとばかりの小難しい文章が並ぶ本。退屈でつまらない本。

 ふと、私の視界の隅っこに何かが映り込んだ。

 見ると、卓上に何かの骨らしき白い棒が乗っていた。


 はて? 何故私の机に正体不明の骨が置いてあるのだろう? 不思議な事もあるものだ。


 持っていたペンでピンっと弾いて何処かに飛ばし、無かった事にした。 

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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