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未来を見据えて

 ヒロとの会話を終えたシスネが部屋を出ると、部屋の外で待っていると思っていたハト――アデライトの姿が見えず、普段ならば用事が終わるまで待機している使用人達にしては珍しい事もあるものだとシスネは思ったが、落ち着いて来たとはいえ有事であるし、――何か急ぎの用が出来たのだろう――程度の軽い感想に留め、ひとり、城の地下から二階にある司令部(何故、玉座の間を司令部と呼ぶのかシスネは理解に苦しんだが)を目指した。


 その道中の事である。


 例え自宅の屋敷だろうと、常に誰かが側に付き、基本的にひとりで歩き回る事の無い超のつく豪族ランドール家の姫君シスネが、――何かいけない事でもしている気分だ――と、ちょっとだけワクワクしながら、されど無表情にゆったりとした足取りで歩みを進めていると、一階の大広間にて、十人程のハト達が輪を作って何かを話し込んでいた。


 気配を殺しているつもりはないけれど、気配が薄いシスネの姿には気付いていない様で、広い大広間にあって円陣でも組みそうな程に密集し、誰もが真剣な表情をしている。


 シスネはその輪の中に、今日のお側番――シスネの側で雑用をこなす係。ハトで毎日ローテーションを組んでいるらしい。同じ者がやった方が毎日の引き継ぎも無く効率が良いだろうに――と、シスネは常々思っているが、何故か交代制じゃないと駄目らしい――であるアデライトの姿を見付けた。


「アデライト」


 小さな、しかし良く通る声でシスネが名を呼ぶと、その場にいたハトの全員が、ギョッと驚いた表情でシスネに顔を向けた。

 十数人もの人間が、突然、勢い良くこちらに振り返る様は実に心臓に宜しくなく、流石のシスネも僅かに体を硬直させ恐怖にも似た感情を抱いたが、鉄の姫はそれを尾首にも出さない。無表情。びっくりはしたけれど。かなり。


 少しの間、互いにびっくりしあってから、名を呼ばれたアデライトが輪から外れて、小走り気味にシスネの前へとやって来た。


「はい! いかがされました?」


「いえ……。特に用というわけではありませんが、部屋を出たらあなたが居なかったものですから」


「も、申し訳ありません」


「何かあったのですか?」


「へ? ――あっ、いえ、何も問題はありません」


 答えながらも何やら若干眼を泳がせるアデライト。

 そんなアデライトをやや不審に思ったシスネが、アデライトから視線を外し、彼女の背後、少し離れたところで輪になるハト達へと目を向けた。


 シスネの視線を受けたハト達は、露骨に視線こそ逸らさなかったものの、いつもよりほんの少し、シスネに向ける笑顔がぎこちない。


 普通なら見落としてしまうその違和感であるが、シスネはそういったものに敏感だ。

 ランドール家に生まれながらあまり期待もされず、それでも少しでも認められようと周りの大人の顔色を伺いながら過ごした幼少期が、シスネのそういった感覚を強くしたのだろう。


 ただ、隠し事があるらしい彼女達から悪意は感じ取れなかったため、シスネはそれ以上は尋ねなかった。


「今からフォルテのところに行くつもりでした」


「はい。お供します」


 頭を下げ、告げたアデライトを共に添えて、シスネは姿勢正しくやや頭を下げた残りのハト達の脇を通り過ぎた。


 その時、ふと気が付いた。

 足を止め、振り返ってアデライトを見る。


 急に足を止めたシスネに、アデライトが不思議そうな顔をしていたがそれには構わず、シスネは視線をアデライトの顔から下へと下げた。

 そうして、他のハト達と同様の物がアデライトの服にもある事を確認した。


 シスネが気が付いたのは、ハト達の服の胸元に差し込めれた小さなピン。

 仕事をする際に、髪や服が垂れて邪魔にならない様に留めておくための物で、大抵のハトが愛用している。

 ゆえに、そのピンがハト達の服に付いてる事自体は珍しくないのだが、シスネが気になったのは、そのピンの頭の部分が見慣れたモノとは違っている点。


 やや歪な三角形の頭をしたそのピンを見て、シスネは――ああ、これが――と、心当たる。

 ハト達がつけているそれは、「ヒロ様ファンクラブ」なるものの会員を表すピンであるらしい。

 シスネはそれを、ほんの数十分ほど前にフォルテに聞かされたばかりである。


 ヒロがランドールに来てまだ一週間ほどであるが、彼はその短期間の間でいつの間にかランドールの人気者になってしまっているらしい。


 まだあどけなさの残るルックスから展開される小生意気そうな仏頂面、口を開けば小言にも似た悪態が飛び出すが、困った者がいればめんどくさそうな顔をしつつも大陸でも屈指の力を惜しむ事なく使い、助ける。

 そういうこましゃくれた弟の様なところが、使用人達の琴線に触れたようだ――話を聴き、そういう感想をシスネは抱いた。


 それとは別にシスネが意外だと思ったのは、使用人達が一応異性に興味があったらしいという事。

 特に、カナリアの影響を色濃く浮けたハトにたいし、てっきり彼女達は同性にしか興味がないものとばかり思っていたが実はそうではなかったようだと、考えを改めた。


 だからシスネは、立ち止まった自身に不思議そうな顔を向けるアデライトにその事を尋ねようと口を開いた。


「ヒロの――」


 その名を口にした途端、アデライトの空気が変わった事にシスネは気がつき、最後まで言い終える事なく言葉を止めてしまった。


 シスネの表情が無表情から少し険しいものになる。


「アデライト。まさかと思いますが、私とヒロの会話を盗み聞きしていたのですか?」


 少し責める様な口調で問われたアデライトが、へっ? だか、はぇ? だか曖昧に溢した。

 彼女は盗み聞きなどという使用人としてあるまじき行為などしていないのだが、まさか盗み聞きを疑われるとは思ってもおらず、意味が直ぐに理解出来なかった。

 頭の中で何度かシスネの言葉を反芻し、少しだけ時間がかかったがその言葉の意味を理解すると同時に激しく首を振って、自身に険しい目を向けるシスネに否定の意を示した。


「めっ、滅相もありません! 盗み聞きなど! シスネ様に誓って私めはその様な事は!」


 大慌てで釈明する。

 アデライトを含め、使用人達はこういう場面で、何故か全員シスネに誓う。

 神でも女神でも無く、何故か全員がシスネに誓い、身の潔白の証明をシスネに求めて来るのである。


 ――神と同列以上の扱いを受ける私は、彼女らの中で一体どういう立ち位置なのだろう?


 そんな事を頭の片隅で思いながら、シスネは「そうですか」と、それだけ言った。

 カナリアならばいざ知らず、このシスネを神の如く崇拝する使用人達が自分に嘘つくとはそもそも思っていない。盗み聞きも同様であるが、――一応、念のため――くらいの気持ちで尋ねてみたのだ。


 ただ、ヒロの名前を出した途端に狼狽した様子が気にはなったので、再開させた歩みと共にその事をそのまま直接尋ねた。


「アデライト」


 前を向き、しずしずと足を動かしながら名を呼んだシスネの口調はいつもの淡々としたものだった。


「はい」


「先程、ヒロの名前を出した時にあなたが少し慌てた様に見えたのですが、何故でしょうか?」


 アデライトからすぐに返事は無かった。

 言葉を選んでいるのか、アデライトは少し間を空けたあと、


「ファン……だからでしょうか」


「それは知っています。名を耳にしただけで慌てた理由を尋ねているのです」


 シスネから返って来た言葉に、アデライトはやや怪訝な気持ちを抱く。

 シスネが何を聞きたいのかが判断出来ず、頭の中でシスネの言葉を反芻して考え込む。

 シスネは特に急かす事もせず、城の長い廊下をゆっくり歩きながら返事を待った。別にこのままこの場で答えが分からずとも良いと思っている節があるので強く答えを求めない。興味半分。


「変な事をお聞きしますが……」


 しばらく互いに無言で歩き、長い廊下の角に差し掛かったところで考え込んでいたアデライトがようやく口を開いた。


「なんでしょう?」


「シスネ様は誰かを好きになった事はおありでしょうか?」


「勿論あります。フォルテをはじめ、使用人もランドールの人々もみな、私は好きです」


「いえ、そうではなく……」


「そうではなく?」


「あの……、異性を、という意味です」


「………………ああ。色恋沙汰という意味ですか?」


「はい」


「無いと思います」


 一旦足を止め、顔だけを後ろのアデライトに僅かに傾けてシスネは言った。

 曖昧さを含めた否定。

 それがどう云った感情なのか分からないゆえ、シスネはハッキリと否定はせず、そう述べるに留める。

 それから、一応の確認のため問うた。


「その『好き』は、私がフォルテに向ける物とは違う物なのですよね?」


「はい……。家族愛とはまた違うと思います」


「ならば、やはり無いと思います。私の『好き』には、優劣や優先順位こそありますが、そういった区別はありません」


 淡々とした口調で吐き出された言葉に、アデライトがやや困惑したように小さな苦笑いを浮かべた。


 分かってはいたのだ。

 この方がそういう方であると。

 この方は、表情以上に自分の感情に淡白だ。誰かを好きになった事が無いのも、照れ隠しでもなんでもなく事実なのだろう。

 だが――と、アデライトは思う。


 表情と同じで、そういったモノが全く無いというわけでもない。

 ただ、疎いだけ。

 ただ、気付かないだけ。


 そうであるならば、まだ可能性が消えたわけでは――


「釘を刺すわけではありませんが、先に言っておきます」


 アデライトの思考を遮って、無表情にシスネが言った。


「なんでしょう?」


「ヒロを伴侶にするつもりはありませんよ」


 アデライトが驚く。

 ビクリと顔が強張った。

 釘を刺すつもりはないという言葉とは裏腹に、アデライトは先手を打たれたと思った。

 「バレてる!?」とも。


 ヒロ様ファンクラブ――実はそれは建前でしかなく、その実態は「ヒロに悪い虫が付かない様に牽制する役」である。

 ランドール家の使用人達が総出で、そういう役を担っている――訂正。ファンクラブ会長クローリだけはガチ。

 使用人達は別にヒロを好きでもなんでもない。

 人として、という意味ならば好きだが、恋愛対象として好きではないのだ。

 何故なら、彼女らの愛の全てはシスネとフォルテ、二人の姉妹にだけ注がれるモノ。他に目移りなどしない。揺らがぬ愛。


「私には色恋沙汰は分かりません。ですが、ヒロがランドールに、そしてランドール家に入れる血として有益であるというのは分かります。ですが、そのために恋がなんたるかすら知らない私と無理矢理くっつけて、ランドール家の婿に来させるというのは、私は違うと思います。彼には彼の人生があるのですから」


 淡々と自身の考えを口にするシスネに、アデライトが焦燥にも似た困惑顔を浮かべ、そこに追い討ちでもかける様にシスネが「どうせカナリアでしょうが」と言葉を続けた。


 ぐぅの音も出なかった。

 シスネの予想は全くその通りで、ヒロ婿入りの言い出しっぺはファンクラブ副会長のカナリアである。

 彼女は、ヒロほどの逸材ならばランドール家の婿として申し分ないと、使用人達を集めて言い放った。是が非でもその血をランドール家に組み込もうと宣った。


 姉妹ラブの使用人達からしてみれば面白くない話なのだが、どんなに愛そうと同性である以上、シスネやフォルテとの間に子は出来ない。跡取りが生まれない。そうなれば、当然ランドール家は断絶してしまう。

 そんな事は言われずとも分かっている。

 だが、面白くはない。理性で納得出来ても、感情が納得出来ずにいる。


 そんな不満を妥協させるだけの魅力が、ヒロという人物にあるのも面白くない。

 魔法に関して言えば、ヒロ程の逸材は大陸のどこを探してもまず見付からないだろう。

 なにより、ランドールに偏見を持っていないというのが大きい。


 魔法に限らなければ、優秀な者は大陸にそれなりの数がいるだろう。

 だが、悪魔の末裔と幅を利かせるランドール家に婿入りするとなると、その数は極端に下がる。好き好んで悪魔の懐に入ろうとする者は少数なのである。

 その少数の物好きも、ランドール家の莫大な富に惹かれて来た邪な者ばかりだ。

 そうやって欲にまみれてランドールにやって来る婿よりも、偏見がなく、好意的なヒロの方が婿として重宝されるのは必然であった。

 ゆえに、ヒロに白羽の矢が立つ事になったのである。

 そうして、シスネ、或いはフォルテとくっつけ、跡取り誕生に向けて発足されたのが「ヒロ様ファンクラブ」である。

 

 実はこの話については、既にカナリアからヒロの耳に入っている。

 話を聞くなり、意味わからん――と、一蹴したヒロだが、話がヒロの耳に入った時点でカナリアの第一目的は完了といえた。


 好きかどうかは別にして、婿やら結婚といった直接的な単語を意識させるのが重要だと、カナリアは考えている。

 ヒロくらいの年齢ならばそれだけで、相手――シスネやフォルテをそういう相手だと意識してしまう。そうすると、二人の事を考える時間が自然と増える。

 容姿は姉妹のどちらも文句のつけようがない。

 スタイルは――まぁちょっとシスネは胸の辺りがアレだが……。


 富などには興味ないヒロだが、女性に興味がないわけではない。普段は硬派を気取っているが、健全思春期男子が「好きにしていい。なんなら二人まとめて――望むなら使用人もまとめてハーレムを築いてくださって結構」とカナリアに言われれば、どうしたってその先を考えてしまう。想像してしまう。

 カナリアのとった行動は、男子相手には実に効果的であろう。

 目で追い始めたら兆候の現れ、夢に出たらほぼ王手である。



「でも、まあ……」


 こちらの意図が全てシスネに露呈してるんじゃないかと冷や汗を流すアデライトを尻目に、シスネがポツリと言葉を溢す。


「ヒロならば、フォルテの相手として私も反対はしませんよ。勿論、双方が合意の上ならば、という話ですが」


 それだけ言って、シスネはまた歩みを再開させた。

 一拍遅れてアデライトもそれに続く。


 しずしずと歩くシスネの背中を三歩離れた距離で追いながら、


 ――いえ……。どちらかといえばヒロ様は……。


 アデライトは声には出さず、歩いていくシスネの背中に向けて語りかけ、――前途多難ですね――と、ヒロの道が険しい事を予見して苦笑いを浮かべた。

これにて七章完結です。

八章は書き貯まり次第更新予定です。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
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