もうひとつの秘宝
「俺の出番は無さそうだな」
壁に映し出された首都ハイヒッツの様子を眺めながら、ポツリとヒロが独りごちた。
ハイヒッツ全景を映すそれは、人の顔がハッキリと見える程のピントでは無いのだが、首都の上空に群がっていた黒い鳥の集団の様な悪魔の姿を監視するには十分の精度がある。
そうして、画面を見ながらヒロは、空飛ぶ要塞・天空領ランドールの心臓部とも云える城の地下にて、動力源であるクリスタルに魔力を注ぎ込み続けていた。
先程ハイヒッツに新たに現れた悪魔――ここに居ても感じ取れる魔力。かなり強い――と、ヒロは自身がそれの相手をしに出向こうか迷った。
出向いて、その個体を倒すだけなら可能だと思った。
ただ、天空領を動かすエネルギーを生み出す役割を担うのがヒロゆえ、ヒロがそれを怠ると天空領は動かない。
もともとヒロ無しで浮いていた島ゆえ、墜落する心配こそ無いものの、ヒロやランドール住民が総出で作り上げた兵器の類いは動かなくなる。
カラス自身の魔力を用いて動く魔力式の飛行魔具やライフルなどはその限りでは無いが、首都ハイヒッツ同様、天空領にも悪魔が断続的に攻撃を仕掛けて来ているため、それらを兵器無しにカラス達だけで防ぐのは難しい。
個々の技量は決して低くは無いカラス達だが、如何せん、悪魔に対して数が少な過ぎる。
そういう理由もあって、攻めるべきか守るべきかヒロは悩んだのだが、その悩みは短い間に勝手に解決してしまった。
ヒロが悩んでいたら、悩みの種である目標が消失してしまったのだ。
ただ魔力を抑えただけかとも思ったが、そうではないとすぐに悟る。
その個体がいた辺りに、魔力の申し子の異名をとるヒロでさえ、――信じられない――と驚愕する程の力を持った何かが現れたのだ。
これにはかなり慌てた。
慌て、すぐさま状況を確認しようと、壁に映る映像を拡大してもらうため、司令部にいるフォルテへと連絡。
連絡を受けたフォルテからの指示で、ハイヒッツの拡大映像――魔力を感知した辺り――の画面に切り替わった。
そこでヒロは、やや遠巻きで表情こそハッキリと見えないが、あのランドールギルドの受付嬢――シンジュの姿を見つけた。ランドールに向かって軽やかに手を振るシンジュ。
こっちは大丈夫だとでも言いたげなその様子に、ヒロの顔が険しくなる。
――アイツ、あんなに強かったのか……。
――いや……。それよりも魔力が無いんじゃなかったのか?
――なぜ嘘をついた?
しばらく険しい顔で画面に映るシンジュを見ていたヒロだったが、――初対面だったしな。もしかしたら、強いのを知られたくないのかもしれない。普通に暮らしたいってやつか――という結論を導き出した。
うんうん、と腕を組ながら納得顔を作るヒロ。
家出したのは実力がバレそうになったからか。なるほどね――と、勝手な妄想で自己完結させるヒロ。
シンジュ同様、異世界小説に毒された者の末期といえた。
同じ異世界人だからという理由で、チート持ちでも不思議は無いとあっさり受け入れたヒロは、シンジュの活躍によって終息に向かい始めた今回の騒動に、ふぅと肩の荷でも降りた様に息を吐いた。
俺の出番は無さそうだと呟いた後、ヒロはもうひとつの疑問を解決しようと、大沼蛙の腹から通信用の水晶を取り出した。
そうしてすぐに連絡を取る。
すぐに行きますという相手の了承を得たのち、ヒロはクリスタルに手を触れ、新たに魔力を注ぎ込んだ。
そうやって悪魔の残党処理をしながら、ヒロは呼び出したシスネが来るのを待ったのであった。
☆
「何か?」
ヒロの元に着くなり、無表情で尋ねて来たシスネ。
クリスタルに手を当てたまま、声の方へと振り返り、ヒロが少し困った顔をする。
「あ~……。え~っとだな……」
こちらに顔を向けながら目を若干泳がせるヒロの様子に、シスネは僅かだけ不可解な気持ちになったが、すぐに――ああ――と、ヒロの様子の理由を悟る。
「アデライト。外で待っていてください」
顔を僅かに後方に向け、シスネは自身の背後にいたアデライトという名のハトの一人にそう声を掛けた。
アデライトは頭を下げて了解すると、シスネを残し、静かに部屋を後にした。
重たげな鉄の扉が堅く閉まる。
「悪い。お姫様なんだから御付きがいるよな」
呼び出したのはシスネだけゆえ、当然一人で来るものとばかり思っていたヒロが詫びた。
「いえ。水晶ではなく、わざわざ呼び寄せた時点で配慮すべきでした。――それよりも、何か私に用事でしょうか?」
シスネが問うと、ヒロは自身の首元に手をやり、身に着けていたペンダント――鳳凰石ランドールを外した。
まさかまた突っ返してくるんじゃ――と、シスネが心配していると、ヒロは外した鳳凰石を右手にぶら下げ、残った左手を懐へと差し入れた。
そうして懐からヒロが取り出した物を見て、無表情を常とするシスネが、僅かに眉をひそめた。
ヒロの右手には鳳凰石ランドールが握られている。
そして、左手。
鳳凰石ランドールが握られていた。
「聞くが、鳳凰石は全部で何個ある?」
両手にそれぞれペンダントをぶら下げながらヒロが問い質す。
「……ひとつだけのはずです。――はい。私の知る限りでは、ランドールの秘宝鳳凰石ランドールはひとつだけです」
「じゃあ、何故これがここに二つある?」
ヒロのやや強めの問い掛けに、シスネは答えず、おもむろにヒロへと歩みを寄せた。
そうして、ヒロがぶら下げるペンダントをそれぞれ両手に受け取る。
両の手にペンダントを乗せたシスネが、見比べる様にペンダントを眺める。
表を見、裏返す。
両方の形に全く差異は無い。
何処から見ても同じ物であった。
違うのは、片方のペンダントには小さな隙間に埃が詰まっているという点。
まるでずっと放置されていた様な――そこで、はたと何かに気付いた。
気付いたが、シスネはそれを顔には出さず、ペンダントから顔を外して無表情のままヒロに向けた。
「何処でコレを?」
「ここだ」
「ここ? この部屋の中でですか?」
「そうだ」
ヒロの答えに、シスネがまたペンダントへと顔を向ける。
何かを考える様子のシスネ。
少し間を置いて、ヒロが口を開く。
「この部屋は城の真下――地下にある。街みたいに、フォルテ・ランドールの魔法によって後からくっついたものじゃなく、もともとこの天空城――魔王の城にあったものだ」
ヒロが言う。
数百年も昔。
大陸を恐怖で支配した魔王がいた。
その魔王が住み処としていたのが、空を漂う天空の城だとされている。
主を失った以降も、城は空に留まり続け、散歩でもする様に大陸の空を漂い続けた。
数百年もの間、大きな変化も無く漂い続けた城は、偶然見付けたヒロの自宅となった。
空き屋ならぬ空き城を勝手に自身の所有物としたヒロだったが、それを更にランドールによって奪われた。
奪われたといっても、もともとヒロの物でも無かったが、ヒロからすれば「奪われた」なのであろう。
それについては双方の了解の上で、既に終わった話である。
そうして天空領ランドールとなった魔王の城だが、ヒロが言う様に、もともとこの天空の島には城だけがポツンと建っているに過ぎなかった。
島というのも大袈裟で、城の足下に申し訳なさげな程度に小さな島があるだけの代物であった。
そんな天空の城を、街を抱える程の島へと変貌させたのが、天空領の領主にしてランドール家の現当主、フォルテ・ランドールその人である。
ランドールの家に生まれ落ちた者が、いくつかの条件を満たした時に手にする強力な魔法。
どんな魔法を覚えるのかは個々人で違う。
シスネの場合は理想郷であった。
この理想郷は、何もシスネが世界で初めてというわけではなく、シスネの7代前と15代前のランドール当主も、同じ理想郷を持っていたと、ランドール家の資料に残っている。
シスネとフォルテの実母は、当主にはならなかったためランドール家の魔法を獲得するに至らなかったが、彼女らの祖母も理想郷とは別の魔法を当主になった際に獲得している。その祖母の魔法もまた、過去の当主達が持っていたと資料には記されている。
ランドール家だけが扱う事の出来るそれらの魔法は、他の魔法とは一線を画すほどにその力は強い。
ハッキリとランク付けこそされていないが、上級の更に上。神話、究極クラスの魔法といっていいだろう。
基本的にこれらの魔法はランドール家によって秘匿とされており、いわばランドール家の切り札の様な扱いである。
使い手はランドール家のみという稀少さに加え、情報の開示も一部の者にしかされていない。
しかしながら、極秘の記録として残っているため、そんな稀少な魔法であってもその中身――条件、効果、範囲などは使わずとも把握されている。
一度も使った事が無いにも関わらず、シスネが理想郷で魔王を倒す事が出来ると判断し、媒体の破壊という弱点の改良まで加えられたのはこの為である。
そうして、膨大な資料に残るランドール家の魔法の中にあって、フォルテの獲得した魔法は未知の物であった。
記録を取り始めた四代目の頃からの資料の何処にも、フォルテと同じ魔法の記載は無かった。
これに慌てたのが当のフォルテ本人ではなく、カナリアであった。
知らない魔法というのは、当然ながら実際に使ってみなければどんな魔法なのか分からない。
初級や中級程度の魔法ならば試しに使ってみるというのも手ではあるが、上級や、更にその上の強力な魔法となると、使った後の危険度が大きいため、安易に試す事が出来ない。使ったら大爆発しました、では話にならないのである。
また、使用の際にそれに見合うだけの大きな魔力も必要とする。
魔法の才覚に恵まれなかったシスネなどは、魔法の発動に鳳凰石ランドールという、魔力を溜め込む性質を持つアイテムの力を借りねばならなかった。
それも数年越しでようやく一回使えるかどうかの代物。
シスネがそうであったように、同じく過去に理想郷を持っていた当主達も、魔法の才が無かったと記録にある。
この事から、理想郷は魔法の才覚に恵まれなかった当主が覚えるものである事が分かる。
夢の世界にランドールの街を閉じ込める理想郷という魔法は、その性質上、一度発動さえしてしまえば魔法の維持に魔力を必要としない。ランドールの街に住む住民達が、維持に必要な魔力を肩代わりする仕組みであるためである。
そんな性質ゆえ、理想郷とは魔法の才に恵まれなかった当主が覚えるのだろう、というのがシスネとカナリアの導き出した答え。
たいして、妹フォルテは魔法の才能に恵まれた。
姉とは真逆。
数百年続くランドール家の家系図を見ても、フォルテ程に魔法の才に秀でた当主はいないのでは無いかという程。
しかし、フォルテはその才能を表に出す事を嫌う。
姉と比べられるのが嫌なのだ。
自分の方が姉よりも優れているのに、それを誉めらるのが嫌なのである。
その手の話をすると露骨に不機嫌になるため、シスネやカナリア達もフォルテの前でその話題を口にはしない。
フォルテは、姉であるシスネを何よりも尊敬し、目標としている。
だからこそ、フォルテは同じ土俵で姉に評価されたいと思っている。
魔法というのは、何も戦う事だけに使われる力ではない。才覚があればそれを使ってやれる事はいくらでもある。
シスネからしてみれば、魔法を使いたがらないフォルテのそれは才能を遊ばせて置く行為で、勿体ないと常々思っているのだが、本人にそれを指摘すると不機嫌になってしまうので、もう半分諦めている。
シスネとフォルテ。二人の姉妹。
姉妹は真逆だ。
フォルテは、活発で愛嬌も良く、運動神経や魔法の才覚にも恵まれている。
それに対し、姉であるシスネは真逆。
シスネは優れた何かを持たない凡人。
ただランドール家に生まれたというだけ。
シスネはいつかランドールギルドでフォルテに言った。――あなたは何も持っていないのだから、と。
あれは半分、才気に溢れた妹への当て付けに近い。
何も持っていないのはシスネの方。
何も待っていないからこそ彼女は欲した。ランドールを支えるための力を望んだ。
それが、徹底的に鍛え上げられた戦力としてのカラスであり、街を動かすための補助力としてのハトであり、それらを作り、まとめ上げるだけの努力であった。
内に何も持っていないなら、外を固めてそれを補ってしまえば良い。
力の無い彼女には、それを埋める力が必要だったのだ。
そうやってシスネは、19年という歳月のほぼ全てを自身が当主になるための努力に注ぎ込んだ。
だから、あの場でそれを言われたフォルテは黙り込んだ。
シスネが望む物を全て持っているフォルテが、ただ姉と同じが良いというワガママでそれを遊ばせている事を、遠回しに責められたのだ。言い返せるはずもなかった。
凡人シスネは、努力のみで名主としてあり続けた。
歴代一とも称されるランドール家当主の全ては、ただ努力のみで出来上がった。
仮に、シスネとフォルテが双子であったならば、当主として将来を期待されたのは間違いなくフォルテであっただろう。
なんの才能も無いシスネが期待されるはずもない。
しかし、それは例えばの話で、実際に先にこの世に生を受けたのはシスネであり、子宝に恵まれると伴侶が死ぬという呪いと、ランドール家の者は子を一人しか残さないという長きに渡る常識の末、なんの才能もない彼女は当主になる道を選ばざるを得なかった。
歩き出すのも遅く、言葉を覚えるのも遅かった幼少期のシスネは、幼児に対するものとは思えない程の厳しい教育を祖母より受けた。
ランドール家の当主が凡人では駄目なのである。
大陸の中に敵しかいないランドール家の当主が凡人では、ランドールはあっという間に潰れてしまう。
お家だけでなく、街の存続に関わる。その意識下のもとで行われたシスネへの厳しい教育。
そこに生まれたのがフォルテである。
ランドール家に二人目が生まれる事など前代未聞であった。
フォルテが生まれた事で、いよいよお払い箱となったシスネ。
このまま、シスネではなくフォルテが当主になるのだと思われていた。実際、当主であった祖母もフォルテに後を継がせる気でいたのだが、それを頑なに許さなかったのが、シスネとフォルテふたりの実母である。
二人の実母は才能豊かな女性であったが、それらが霞む程にとにかく優しい人だった。
慈愛に満ちた表情でいつもニコニコと微笑んでいる――そんな人物。
そんな彼女は、フォルテが生まれた途端、シスネを軽視する当主や当時の使用人達の態度が許せなかった。
フォルテを産んで以後、体を壊し、床に伏せっていた優しいだけの彼女だが、この時ばかりは自慢の赤毛を燃え上がらせ、烈火のごとく怒り狂った。
このままフォルテが家を継げば、本当にシスネの居場所が無くなってしまうと危惧し、フォルテが当主になる事を彼女は頑なに拒んだ。
その母の期待に応えようと、シスネはこれまで以上に努力を重ね、そうして当主の座を祖母から勝ち取ったのである。
そんな姉シスネを間近で見ていたからこそ、フォルテは姉を尊敬し、自分もああなりたいと目標にするのだが、如何せん甘やかされて育ったせいで上手くはいっていない。
フォルテを甘やかし、溺愛しているのが当の姉なのだから、フォルテにしてみれば、姉のようになりたいけれど姉に愛される今のポジションも捨てがたい、といったところだろう。
その結果が、甘やかされつつ努力するという中途半端な結果になってしまったのだ。
そんなフォルテではあるが、二人目として生まれた事も前代未聞なら、当主となって獲得した魔法も前代未聞であった。
自分の所有する魔法がどういう物か判別する魔法鑑定眼を獲得するため、魔法を使うのも覚えるのも嫌がるフォルテにほぼ無理矢理(カナリアがひどく興奮気味に)覚えさせて、当主の魔法がどういうものか知ろうとしたが、上手くはいかなかった。
これについては、のちにヒロと共にランドールへとやって来たハロに、妖精だけが持つとされる鑑定眼の上位互換魔法妖精心眼で調べて貰った。
しかし、ハロから返って来た答えは「そんな魔法持ってないみたいだけど?」という言葉であった。
これにより、使えるけど持っていないという不可思議な状況に陥る。何から何まで前代未聞であった。
本人も含め、まだカナリアでさえ全てを掴みきれていない彼女のその魔法。
その効果のひとつが空を漂う魔王の城と、ランドールをくっつけるという物である。
この魔法の力によって天空領ランドールとなった。




