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絶体絶命

 僕はたった一人ぼっちだった。

 そこは灰色の世界。

 見上げた空は雲ひとつ無いのに、辺り一面が灰色に覆われている。

 周囲に生命と呼べるものは無く、僕と良く似た容姿の人達の屍が、膝を抱えて震える僕の周囲にうず高く積み上がっている。

 屍は死臭を漂わせ、吐き気を催す不快な匂いを常に放っていて、僕の鼻にこびりついたソレは、死臭以外の匂いを僕から奪っていった。

 無数の屍は、何故か僕に全ての顔を向けていて、目玉の無いぽっかり空いた黒い空洞がこちらを怨めしそうに見詰めている。

 半開きになった口からは、すきま風にも似た呪詛の言葉が永遠に紡がれて、いい加減頭がどうにかなってしまいそうだった。

 ――ううん。

 もうなっているのかも知れない。

 もう自分ではそれすらも分からない。


 ずっとひとり。

 灰色の世界で屍に埋もれたまま膝を抱え、いつまで経っても枯れやしない涙をぽろぽろ溢して、僕はひとり。


 もう疲れた。

 何も降って来やしない空を眺めるのは疲れた。

 泣くのも疲れた。

 こびりついて離れない腐った匂いに、なんにも出て来やしないのに何度も吐き気を覚えるのも疲れた。

 無数の黒い眼窩の視線を一身に浴びるのも疲れたし、屍の渇ききった唇から絶え間なく吐き出される呪詛に耳を傾けるのも疲れてしまった。


 もう疲れた。

 きっとこれは罰なんでしょ?

 罪の名前は分からないけど、僕が綺麗な空を見たいと思ったから。

 だから罰。そういう罰。

 それはきっといけない事だったの。

 願っちゃいけない事だったの。


 だから僕は素直にこの罰を受け入れよう。

 綺麗な空を見たいと願った、傲慢で、欲にまみれた願いの罰を甘んじて受け入れよう。


 疲れた僕が、ソッと目を閉じる。

 目を閉じたのに、不思議とさっきよりぽろぽろぽろぽろ涙が溢れて来る。

 泣くのは疲れる。

 泣きたくないのに、何故だか涙が溢れて来る。

 胸が締め付けられて、苦しくなって、僕は我慢しようとグッと体に力を込めた。



 ふと、閉じた目蓋が明るくなった。

 目を瞑っているのに明るくなった。

 

 不思議に思って目を開けると、目の前、何にも無いところからニョキッと手が生えていた。

 白い綺麗な手。

 見惚れてしまうくらいに綺麗な手。


 初めて見るはずなのに、何故か少し懐かしい気がした。

 何処かで見た気はするけれど、結局僕は何処で見たのか思い出せなかった。


 思い出せないまま、灰色しか世界に生えた白いその腕に見惚れていると、肘までだった腕が唐突にヌルッと伸びて、膝を抱えていた僕の腕を掴んだ。


 とてもびっくりはしたけれど、不思議と恐くはなかった。

 腕から伝わる体温が温かかった。

 生命と呼べるものの無い灰色で、冷たい世界で初めて温もりというものに触れた。

 その温もりに嬉しさと同時に離れたくないという焦燥が沸き立って、僕は思わず、掴まれた腕とは反対の手で、白い腕を掴み返した。


 途端、僕は体ごと腕が強く引っ張られた。

 驚く間もなく、僕の視界は眩しい、とっても眩しい光に包まれた。


 光に目が眩んでいると、背後から「元気でね」と、知らない女の人の声がした。

 驚いて僕が振り返ると、知らない人達が沢山いた。

 一体いつからいたのか、僕に良く似た容姿の人達は、優しい顔をして全員が僕を見ていた。

 代わる様に、無数にあったはずの屍がいつの間にか無くなっていた。


 僕は、突如背後に現れた人達に手を伸ばそうとしたけれど、片方は白い手に掴まれているし、もう片方は白い手を掴まえていて、どちらを振りほどこうかと迷った。


 僕が迷っていると、「私達はいいの。行って。絶対に離しちゃ駄目よ」と、髪の長い女の人が語り掛けて来た。

 優しい笑顔だった。

 

 そうして、微笑む沢山の顔に見送られ、腕を引かれるまま僕は光の中へと吸い込まれていった。



 気付くと、僕の顔のすぐ近くに顔があった。

 可愛い女の子の顔。

 僕はこの顔を知っている。

 今の今まで忘れていたのに、不思議と思い出せた。

 その子は、新しく友達になった女の子。

 見れば、女の子の手が僕の腕をしっかりと掴んでいて、僕は掴まれた腕とは反対の腕で、女の子の腕をしっかり掴まえていた。


 腕を見ていると、突然と女の子が僕を抱き締めて来た。

 とても温かくて、何故だかまたぽろぽろと涙が溢れてきた。


「ヨビ、捕まえた」


 僕を抱き締めたまま、女の子がそんな事を言った。





 ヨビを抱き締めるなり、気力が尽きたのかシンジュとヨビが二人仲良く地面に倒れたのを、少し離れた場所でミキサンとチェリージャン、プヨプヨの三人は目にした。


 慌てて二人が駆け寄る。

 すぐに二人分の小さな呼吸が聞こえて来て、駆け寄った二人が安堵に胸を撫で下ろす。


「まさか本当に止めてしまうとは……。執念ですわね」


 倒れる二人を眺めながら、クックッと愉快そうにミキサンが笑う。悪戯そうな子供の、しかし独特の大人びた笑い方。


「それは良いが……。この状況ではなぁ」


 チェリージャンがうんざりそうに息を吐き、上空へと目をやった。

 上空ではこちらを眼下に見据える悪魔達の姿がある。ミキサンやチェリージャン、そしてシンジュによって力ずくで奪われたヨビを取り返そうと構えている。


 二度目のチャレンジとなるシンジュの異界渡りによる正気を失くしたヨビの救出が行われている最中、ミキサン達はたった三人だけで波の様に押し寄せる悪魔の猛攻を凌ぎきった。

 時間にして約二分程。それほど長い時間でも無かったが、体力、魔力共に既に限界であった。


 特に、狂による魔力の発露の副作用で激痛に苦しむシンジュを助け、二度目の狂使用時にもシンジュの負担を軽減しようと女神の御手(ミューズ)を行使したミキサンの魔力減少が著しい。

 もともと、光魔法の適性が無い上に、それを破棄ボーナスで無理矢理に上げて、禁術による魔法の改造まで行った。

 そうして、残りカス程度に残っていた魔力も、ヨビ救出のために使い切った。


 もはやミキサンに魔力は全く残っておらず、失った両腕を女神の御手(ミューズ)によって()()()()()()()()偽装していたが、今のミキサンにはその紛い物(イミテーション)を維持する事も出来ていなかった。


 「両腕を差し出す」という禁術の対価。そして代償。

 腕という概念ごと禁術に捧げ、治す事も叶わぬ両腕は再生させる事も叶わない。

 それだけではなく、悪魔の猛攻によって小さなその体のところどころから血を流している。満身創痍。

 平気そうな顔こそしているが、少女は立っているのもやっとという状態であった。


 ミキサン程ではないが、チェリージャンの方もシンジュへの憑依に悪魔の相手にと魔力を使い、魔力はほとんど残っていない。


 唯一プヨプヨだけは元気なのだが、不死身というだけでプヨプヨは戦う事にはやや不向き。どちらかと云えば不死身という特性を前面に押し出した肉壁こそが彼の役割。

 しかし、その不死身の肉壁も、ヨビや悪魔の攻撃に幾度となく曝され、プヨプヨ風に言うならば「中央ハイヒッツにある残機が少ない」状況であった。


「さて……、どうしたものかしらね」


 顔を上げたまま、ミキサンが一人言のように呟いた。

 口調とは裏腹に、その表情にはいつもの余裕が無い。

 その顔が、魔力の無い状況でこの場を切り抜けるのが厳しいと物語っている様だった。



「ミキサン! あれ!」


 不意にプヨプヨが上空を指差した。

 そちらに目を向け、ミキサンの表情が更に険しくなる。

 向けた先――悪魔がひしめく上空に、黒い魔方陣が展開されていた。

 魔方陣からは禍々しく大きな魔力が放たれていて、一目にそれが危険な物であると判別出来る。


「いつ来るかと思っていましたが、よもやこのタイミング――いえ、むしろこのタイミングだからこそですわね」


 疲れからか、ミキサンが語尾を掠れ気味に吐き出す。


「悪魔共は何をしようとしている? アレはなんの魔法だ?」


 同じ様に上空のそれを見上げながらチェリージャンが問うた。


「召還魔法ですわ」


「召還?」


「ええ。悪魔は死ぬと煙となって消えますが、無になる訳ではありませんの。その肉を形作っていた瘴気がその場に留まる。そうして蓄積された瘴気に魔力を注ぐ事によって、新たな悪魔が生まれる。――王国に押し寄せて来た数多くの悪魔が死んで蓄積された瘴気ですもの、さぞ大物が召還されて来る事でしょうね」


 そう答え、ミキサンが皮肉っぽく笑う。


「召還される前に潰しておきたいところだが……」


「無理ですわね。あなたも、わたくしももう魔力が空ですわ。先手必勝で潰すなどとてもとても」


「なら」


「逃げますわ――。シンジュを――」


 と、口にしたミキサンの言葉が止まる。

 代わりに、チッと舌打ちを打つ音。


 いつの間にか悪魔に囲まれ、ミキサン達は退路を失ってしまっていた。

 魔力も無しにこれを突破するのは困難であった。


「ど、どうしようミキサン」


「情けない声を出すんじゃありません事よ」


「だ、だって、これじゃあもう逃げられんないよ!?」


 泣きの入り始めたプヨプヨを横目で見、ミキサンが小さく嘆息する。


「あいにくと両腕の無いわたくしでは、シンジュを担ぐ事は出来ませんわ。癪ですが、シンジュと――そこの小僧は二人に任せましてよ?」


「――ああ」


 ミキサンに促され、チェリージャンが二人をそれぞれ両肩に担ぎ上げた。

 サポートでもする様にプヨプヨがチェリージャンの隣につく。


「どうするの?」


 プヨプヨが心配そうに問い掛けると、ミキサンがハッと鼻で笑った。少し意地悪そうな顔で。


「決まっているではありませんか? 主のためならば、魔法だろうと両腕だろうと魂だろうと、なんでも、いくらでも差し出しますわ」


「そ、それなら僕だって!」


「あなたと心中など死んでもゴメンですわ」


「で、でも!」


「うるさい――全く。あなたはもう少し――」


 言い掛けた時、一瞬、ハイヒッツの空が夜の帳でも降りたかの様に真っ黒になった。

 空が瞬きでもしたかの様な暗闇。

 それは一瞬であったが、気付くには十分過ぎる漆黒であった。


 三人が顔を上げ、空を見る。

 

 ハイヒッツ上空に浮かぶ魔方陣の前に、他の悪魔とは明らかに様相の異なる一体の悪魔が佇んでいた。


「やはり来ましたわね、貴族(ノーブル)級……。まぁ、それだけ向こうも必死という事なのでしょうが」


「……凄まじい魔力だ。上級の悪魔よりも格段に魔力がデカイ」


貴族(ノーブル)は、言わば魔王の側近。魔王に次ぐ二番手。一対一(タイマン)ならともかく、数体同時となるとわたくしでも少々手に余りますわ」


 ハイヒッツ上空に現れた貴族(ノーブル)に目を向けながら言って、ミキサンは懐から何かを地面へと落とした。


 それは、フォルテから渡された通信用の水晶であった。

 取り出したそれを、ポンとプヨプヨに向けて軽く蹴飛ばす。

 少し慌ててプヨプヨは自身に転がって来る水晶を受け止めた。


「退路は開いて差し上げますわ。その水晶は通信の他に位置を知らせる魔具だそうですから持っていきなさい。流石にあれだけの魔力を発する悪魔が現れれば、あのクソ生意気な小僧がでばって来るでしょうし、保護してもらうと良いですわ」


 そう告げ、ミキサンは二人から顔を外すと、また上空へと顔を向けた。


 チェリージャンは何も言葉を発さず、ただ静かに頷いた。

 クソ生意気な小僧というのが誰かは知らないチェリージャンであったが、この少女が、貴族(ノーブル)級の相手が出来ると判断する程の実力者なのだろうと、ミキサンの口振りから察する事が出来た。

 と同時に、この少女が命を賭けても時間稼ぎしか出来ないのだろうという事も理解した。

 勝てるならば、その小僧とやらを頼ったりはしないだろう。


「準備は良いかしら?」


 空を見上げたままミキサンが尋ねた。

 後ろの二人に届くかどうかという小さな声で、――くれぐれもシンジュを頼みましたわよ――と付け加えて。 

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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