神と魔王
多大な犠牲を払い、魔法――女神の御手を獲得したミキサンは、獲得と同時に手にしたばかりの力を直ぐ様に発動した。
魔法の発動と共に、失ったはずの両の腕を模すように、ミキサンの肘から先に白肌の腕が現れる。
顕著したばかりの腕の調子を確かめもせず、ミキサンはその手ですぐにシンジュに触れた。
もはや地べたを転げ回る気力も無いのか、シンジュは身動ぎひとつせず青ざめた顔で伏していた。
「これで駄目ならもはや打つ手はありませんわ」
祈る様な気持ちを含んだまま、ミキサンが小さく溢し、そうして女神の御手によるシンジュの治療を試みた。
女神の御手は、回復系の魔法の中でもやや特殊な効果を持つ魔法で、魔法の対象となる者の異物となる物を掴み、取り除く事が出来る。
「掴む」という事象に際限はなく、それは怪我や病気を文字通り「掴む」。
本来ならば形など無いそれらを、触れられる物へと変質させ、掴み、そうして対象者から取り除き、治療する。
大小の概念など無い様に、ただ掴んで、握り潰すなり、放り捨てるなりさえすれば、どんな異常とて瞬時に、そして完璧に治療してみせる。
女神の御手とはそういう魔法。
シンジュの身体に手を触れたミキサンは、まずその身体の全身を蝕んでいるであろう痛みを掴んでシンジュから取り出すと、虫ケラでも殺すように軽く握り潰した。
使用者であるミキサンにしか見えないその痛みの塊は、手の内で何の抵抗も見せずに粉々に砕け散り、空気の中へと溶けて消えた。
激痛に身を焦がしていたシンジュだが、痛みが無くなったのかすぐに穏やかな表情をみせた。
その顔にミキサンが小さく胸を撫で下ろす。
「治ったのか?」
すぐ傍で同じ様にシンジュの治療を続けていたチェリージャンが尋ねた。
「ええ。ひとまずは……。ですが、痛みの元を断たねば意味がない」
シンジュの顔から視線を外す事なくチェリージャンに言葉を返した後、ミキサンは激痛に曝され大量の冷や汗を流すシンジュの額にソッと手を触れた。
そうして、痛みの大元とされるスキル【狂】の除去に取り掛かった。
女神の御手の特殊な力を使い、形無きスキルを形ある物に変質させる。
真っ黒いクルミ程の塊が、シンジュの側頭部からピョコンと半分ほど頭を覗かせた。
それを視認すると、ミキサンはそのスキルの塊に躊躇なく手を伸ばした。
「ッ!?」
触れた途端、ミキサンの手がバチッと弾かれた。
鈍器にでも強く殴られた様な衝撃。
「たかがスキルの分際で抵抗するとは」
黒い小さな塊を見やりながらミキサンが不敵に笑う。
それからもう一度塊に手を伸ばす。
触れた途端、また強い衝撃。
最初の油断していた時ならともかく、今度は一切怯む事なく塊を掴んだ。
先程よりも強い衝撃が、掴んだミキサンの手をはね除けようと何度も叩いて来るがミキサンは動じる事なく塊を掴み続け、強力な磁石の様に堅くシンジュにくっつく塊を引き剥がすため、腕に力を込めた。
半分ほど姿を見せていた塊が、僅かに動いた時。
「……は?」
ミキサンの手の中で、突然塊が消失し、目標を失った手が空気を掴んだ。
一度手を開き、中に何も無い事を確認したミキサンは、広げ見ていた掌から視線を外し、顔を上げた。
目玉だけを左右に動かし、周囲を見渡す。
無くなったのは塊だけではなかった。
倒れ伏していたシンジュも、傍で様子を見ていたチェリージャンも、そして周りの風景さえも全て消えてしまっていた。
そこは何も無い、ただ白いだけの空間であった。
ここは何処だと思う間もなく、ミキサンは自身の後ろにひとつの気配がある事に気が付いた。
周囲の状況も、自身に何が起こったのかも、なにひとつ分からないミキサンであったが、それでも驚くでもなく慌てるでもなく膝立ちであった体をゆっくりと起こして立ち上がった。
そして、ゆっくりと気配の方へと振り返る。
そこに居た人物に目を向ける。
その人物の顔を視界に捉えたミキサンが僅かに意外そうな顔を作った。
「はじめまして。魔王ミキサン」
最初に声を発したのは相手から。
良く通る声で落ち着いた口調であった。
「ごきげんよう。まさかあなたの方から接触してくるとは思ってもいませんでしたわ」
目の前の人物――女神ランドールに向け、ミキサンはそう不敵に笑って見せた。
ミキサンにとっては、これが女神との初めての対面であったが、自宅の書斎に残る本や教会などで見た女神の同じ容姿に、すぐにそれが女神であると気が付いた。
気が付いただけ。
女神を前にしても畏れや敬いなど、ミキサンにはこれっぽっちも湧きはしなかった。
むしろ少し怒っている。
「何故邪魔をしましたの?」
もう少しでシンジュを苦しめる元凶であるスキルの排除が出来る――というところで起きた女神の横やり。
ミキサンがスキル【狂】を除去する直前、女神ランドールはミキサンを異空間へと飛ばしたのである。
僅かに怒気を含んだミキサンからの問い掛けに、女神が小さく首を振った。
「アレに触れてはなりません。アレは、あのままにしておいて下さい」
「却下。あんな物をあのままシンジュの中に残して置くなど、有り得ませんわ」
「魔王。貴女はアレがなんであるか、気が付きましたか?」
その質問にミキサンは少しだけ間を空け、女神の顔を真っ直ぐに見上げ、それからやや重くなった口を開いて答えた。
「おそらくですが……。――そう……アレは言うなれば魔王の卵――違いまして?」
女神が深く頷く。
「そうです。完全育成による突発的に誕生した貴女とは違う。正真正銘の魔王の元となる物です」
「ならば尚の事、アレをそのままにはして置けませんわ。あの力は強過ぎる。強大で、禍々しく、制御もろくに出来ず、シンジュの身体を蝕ばむ」
「分かっています」
シンジュの身を案じず、心配を混ぜた自身の言葉に淡々と返した女神の返答に、ミキサンのイラ立ちが増す。
「分かっていて、アレをシンジュに何故与えた? 一体何を企んでいるのかしら?」
言い、ミキサンが魔力と共に殺気を女神に向けて躊躇なく放つ。
「誤解です。私の意図では有りません」
「しらばっくれるつもりですの? シンジュに力を与えたのはあなたでしょう? シンジュからそう聞いていますわ」
「確かに、彼女に力を与えたのは私です。ですが、私が彼女に与えたのはアレとは別の物です。何故アレが彼女の手にあるのか、私にも詳細は分かっていません」
「あなたの意図ではないと?」
女神が強く首を横に振る。
「違います。私が彼女に与えたのは、この厳しい世界でも一人で生き抜けるための力です。あんな危険な物をたとえ間違いでも与えるはずがない」
「しかし実際にシンジュはそれを持っている」
「はい。その事については私も考えました。何故そんな事になってしまったのかと……。私が彼女に与えたのはいくつかの魔法と、【王】というスキルです」
「王?」
「はい。簡単に説明すると、人を魅了し、惹き付ける力。私は彼女にソレを与えました。――ところが、いざ蓋を開けてみると、何故か彼女のスキルは【狂】という今のスキルに変質してしまっていました」
女神の言い訳染みた言葉を、ミキサンは殺気を向けたまま静かに聞いていた。
そうしたまま、まるで値踏みでもする様な目を女神に向けて思考する。
ややして、
「原因は?」
「……ハッキリとした事は分かりません。――ただ、アレはあちら側……。神の所有物でした。その事を鑑みるに、私が力を与えた際に神が私に気取れぬ様、何らかの干渉を行って来たのでしょう。そうして、スキル【王】に手心を加えたその結果が【狂】です。勿論、気付かなかった私にも非はありますが、私の意図した事ではありません」
「あなたの言葉を信じろと?」
「信じる信じないは勝手ですが、それではまとまる話もまとまりません。平行線を行くばかりで話が進まず、彼女を救う機会を逃しかねない。それはあなたも望まないはずです」
ミキサンは何も答えず、女神の顔を眺め続けた。
怯まず、構わず、女神が続ける。
「それに……、彼女は――シンジュはこの事を知っています」
「知っている?」
「はい。彼女には私の不手際を含めて、いまあなたに説明した事と同じ事を、より詳細に、包み隠さず話しました。彼女がランドールを出たのはそのせいです。彼女なりに迷惑にならぬ様にと考えての事でしょう。なので、家出についてはあまり叱らないであげて下さい」
「余計なお世話ですわ。叱る叱らないはあの方の判断を仰いでから決める事。関係無いあなたがしゃしゃり出る幕はありませんことよ」
「すいません……。あの方というのは?」
その女神の質問にミキサンの眉がほんの僅かに動いた。
「こっちの話ですわ。無関係のあなたは引っ込んでなさい」
「冷たい……」
「神が魔王に温もりでも期待していますの?」
「同じランドール――いえ、エルフではありませんか」
「体だけですわ。中身は別物だと理解なさい」
冷たく言い放ったミキサンに、むぅと女神ランドールが少し頬を膨らませた。
おどける女神のその仕草に、既視感の様な僅かな引っ掛かりをミキサンは覚えたが、そんな小さな違和感よりもシンジュの今後についてを考えるのを優先させ、空気でも入れ換える様に「それで」と、やや冷めた口調で話を切り出した。
「いつわたくしを元の場所に帰してくださるのかしら?」
「戻っても、アレには手を出さないと約束してください」
「わたくし、出来ない約束は致しませんの」
「ふふっ、悪魔らしくないと笑うべきか、約束してもらわないと困ると嘆くべきか、悩むところですね」
「約束はしませんわ。悪魔らしくないと仰るならば、悪魔らしく力ずくで戻せと従わせても構いませんことよ?」
「大した力も無い私ですが、今のあなたになら負ける気はしませんよ」
「試してみましょうか?」
不敵に笑ったミキサンが魔力を滾らせ、魔法を行使した。
「あなたが新たに得た力――女神の御手は、言わば女神である私自身の手。私の手で私は殴れ――」
最後まで言い終わる前に、ミキサンを見た女神の口が固まる。
信じられない物を見たとでも言いたげに、女神ランドールは絶句した。
それは、全てを棄てて女神の御手を手に入れたはずのミキサンが、それとは別の魔法を行使していたためである。
女神の御手は、白肌の眩しい美しい手であるのに対し、女神の眼に映るミキサンの右腕は幼女にはあまりに似つかわしくない程に巨大で、ミキサンの体格と同じくらいの大きさであった。
腕は浅黒い肌をし、触れれば切れてしまいそうな程に鋭く伸びた五本の爪が生えている。見るからに危険な代物だと判る腕が、女神に向けられ凶悪なオーラを放っていた。
「そ、それは……」
おののいた様子の女神がミキサンから一歩離れる。
それを見てミキサンがニヤリと口角を上げて笑う。
「魔法名、【反逆者の右腕】。神に反逆した者、喧嘩を売った者に与えられる地獄の反逆児レブルの右腕――さぁ、試しましょう。ええ、そうしましょう」
「……ズルい」
「ボコボコにして差し上げますわ」
ミキサンが一歩歩み寄ると、同じだけ女神が下がった。
それを数度繰り返した後、観念したのか女神ランドールが両手で待ったのポーズを取った。
「わ、分かった。分かりました。戻します。戻せば良いんでしょ、戻せば」
「判って頂ければ結構」
フンと鼻を鳴らしたミキサンが、反逆者の右腕を女神に向けるのを止めた。
そうして、ブツブツと小さく愚痴を溢しながら、女神はミキサンを元の場所に帰したのである。




