破棄・Ⅱ
この世界の魔法は、実に様々な物が存在する。
生活に根付いた物から争いのための魔法まで、その種類や効果は多岐に渡る。
そんな千差万別の魔法の中において、どの魔法にも必ず適用されるいくつかのルールというものがある。
ひとつは、魔法を覚えるためには、決められた条件の儀式をこなさなければならないという事。
例えば、火を操る初級魔法・炎操を覚えるには、炎を24時間絶やさず焚き続ける――というのが、獲得のための儀式の条件。
他にも、じゃんけんで百人に百連勝して覚える魔法だったり、特定のアイテムを数日間、長いものでは数年もの間、身に付ける儀式といった条件のものも存在する。
解釈による儀式の穴も含め、魔法を得るためにはこの儀式をこなさなければならないというルールは、どんな魔法でも変わらない。
これがひとつめのルール。
ふたつめは、魔法の特殊な使い方――破棄。
これは自分の習得している魔法を棄てるというもので、大抵の場合、似た効果のあるより強い魔法を覚えた際などに、効果の弱い魔法は不要と判断した者が破棄を行ったり、形振り構わずより強い魔力を求める者が意図的に破棄する場合などがある。
魔法の破棄によるメリットは、破棄による魔力の底上げ。
破棄をする事によって、より強い魔力を獲得出来るのである。
ただし、破棄による魔力値の上昇は、さほどに多いわけではない。
仮に、一般的に優秀とされる魔法使いがひとつかふたつだけ持っている上級の魔法を破棄したとして、底上げされる魔力値は100が105に上がる程度の上昇。
これを、「たかが5の上昇」と取るか「5も上昇した」と取るかは個人の器量によるが、通常であれば上級の魔法をひとつ覚えるにも、S級のモンスターの討伐であったり、手間や時間のかかる様な、それ相応の大変な儀式をこなさなければならない。
ゆえに、たいていの魔法使いは中級クラスの魔法を破棄する事はあっても、上級魔法ともなるとその儀式の大変さを鑑み、破棄による魔力の上昇よりもそのまま持ち続ける事を選択する。
これは厳しい条件の儀式をこなす苦労を考慮しての判断と、破棄のデメリットを考えてのもの。
魔法の破棄は、その言葉通りに魔法を棄てるというものだが、一度破棄した魔法は二度と使う事が出来ない――これがデメリット。
習得のための儀式を再度行ったとしても、それが一度破棄した魔法であったなら、魔法を覚える事は出来ない。
破棄した魔法は、生まれ変わりでもしない限り二度と手に入らないのである。
このデメリットにより、初級や中級に関わらず、魔法を破棄する魔法使いは極端に少なく、むしろこの破棄は、魔法使いよりも剣士などの方が使う事が多い。
魔法使いにとって、魔法というのは云わば商売道具である。
魔法使いという商売を強くするため、商売道具を棄てるというのは本末転倒であろう。
しかし、剣士は剣が一本あればいい。
剣士にしてみれば、魔法はオマケであり、魔法使い程に強くもない魔法を持ち続けるくらいならば、破棄した魔力を用い肉体強化でもした方がまだ使える――と考える者が一定数存在するためである。
とはいえ、前述の通り魔法の破棄による獲得魔力は微々たるものであるため、いくつか魔法を棄てたところで劇的に強くなるわけではない。
ただこれは、上級魔法までの話。
その上――究極級や神話級ともなると少し話が違って来る。
このクラスの魔法になると、破棄による魔力上昇値は劇的に跳ね上がる。
究極級や神話級の魔法破棄による上昇値が膨大な理由は、それらを獲得するための儀式、その難易度の高さと過酷さが理由としてある。
その獲得難度の高さは、それらを扱える術者の絶対数が圧倒的に少ない事が証明しているが、究極級や神話級だからといって必ずしも膨大な魔力が得られるとは限らない。中には上級とあまり変わらない魔力上昇値しか期待出来ない神話級の魔法も存在する。
それら上級とさほどに変わらないにも関わらず究極や神話級と呼ばれる魔法――言うなれば、上級と究極級のちょうど間。
それらは、簡単に言うなれば、会得するための儀式の条件が解明されていない魔法を指す。
上級と究極級の中間にあたる魔法を総称した呼び方が無いゆえ、究極級、或いは神話級と表現されているに過ぎない。
例えばそれは、メアリーが持つふたつの魔法、
怠け者はあと5分と呟いたや、血塗れの貴婦人などがそれにあたる。
メアリーのそのふたつの魔法は、どちらも上級に匹敵する強力な魔法であるが、その評価が上級以上と目されるのは、体現者がメアリーしかおらず、獲得のための儀式条件がしっかりと把握され、魔法研究者達に周知されていないからである。
ようは、強力で、かつ良く分からないから神話級に収まっているに過ぎない。
おそらく解明が進めば、メアリーの魔法は上級の位置に落ち着く魔法であろう。
獲得条件である「二十年の内、十年を寝て過ごす」という条件は、難しくはあるもののやる気さえあれば誰でも獲得し得うる魔法だからである。ゆえに上級。
条件が分かっていても獲得出来ないものや、そもそも条件の解明自体が困難な魔法が、真の意味での究極級、神話級の魔法といえるだろう。
この超難度の究極級、神話級の魔法を破棄するという行為は、ヒロの様に過失的にでも失わない限り行われる事はまず無いと言っていい。
それらを破棄して得られる魔力は膨大で、一見すれば魅力的ではあるのだが、魔法というのは魔力があるだけでは使えない。いくら途轍もない魔力の持ち主であっても、魔法を覚えていなければ宝の持ち腐れでしかない。
まして、代えの利かない究極級や神話級ともなれば、破棄によるメリットよりもデメリットの方が大きい。
それを十分に理解しつつ、それでもミキサンは所持魔法の全破棄を選択した。
先の事など二の次。
優先すべきは「今」を乗り越えられる力。
それが今のミキサンには必要であった。
ミキサンの所持していた魔法で、究極級、神話級に該当する魔法は全部で七つ。
ヘカトや絶対魔王主義、蝿王や属性系攻撃魔法の最終到達点などといったものである。
1人で七つもの神話級を所持している事自体、ミキサンの実力の高さを物語っているが、彼女はシンジュを救うため、それを全て捨てた。
これにより、ミキサンの魔力は、全力である魔王化使用時の約五倍近くにまで膨れ上がった。
そうして、今後の事など度外視してまで手にした膨大な魔力を獲てまでミキサンが行ったのは、回復系を主とする光魔法の獲得であった。
魔法名――慈愛の手。
光魔法の上級とされる魔法で、高位の神官などが人々の救済のため、或いは救済をきっかけに獲得する事が多い。
儀式条件もそれに見合うもので、一目に助からないと分かる様な怪我人、病人を前に、それでも匙を投げず、助けたいと心から願った者だけが得られる魔法。
ミキサンが七つの神話級を棄ててまで得た魔法は、上級ではあるが然して珍しくもない癒しの魔法であった。
元々、ミキサンは魔王という悪魔に位置付けされているためか、光魔法の適性が皆無であった。
ミキサンは以前、シンジュとの生活を行うに辺り、彼女の怪我や病気を見越して簡単な光魔法を覚えようとした事があったが、簡単な初級の光魔法でさえ、いくら儀式をこなしてもミキサンには獲得する事が出来ず、諦めた経緯がある。
魔王然とした高い魔力かあっても、適性が無いゆえ獲得に至らなかった。
そのため、慈愛の手を獲得するために、ミキサンは魔法の破棄によって強引に適性を上げ、破棄によって膨れあがった魔力の約一割を生け贄にし、そこまでしてようやく上級光魔法を獲得した。
無論それだけでは終わらない。
慈愛の手を取得したミキサンは、破棄ボーナスの残りの九割を使って、慈愛の手に改造を施した。
魔法というのは、儀式を重複するなどによって、その効果を引き上げる事が出来る。
しかし、ミキサンが今回用いたのは、重複による効果の上昇ではなく、改造。
魔法のルールを逸脱した、禁術と呼ばれる行為である。
儀式を行うのではなく、相応の代償を払って行われる魔改造。
代償は、魔力、肉体の一部、命――などなんでもいいが、「負」である程効果は高い。だからこその禁術。
慈愛の手の改造のため、ミキサンは膨大な魔力と、自身の切断された両腕を差し出した。
魔王がそれ程の代償を払ってまで行った禁術は、魔法の効果を高めるだけに留まらず、魔法自体を更に上へと進化させた。
この魔改造により、慈愛の手は上級を飛び越え、更なる魔法の高み――神話級へと到達。
クラスが上がった事による変化で魔法名を変え、女神の御手となった。
破壊を冠する魔王が、力もプライドもかなぐり捨て、クソッタレと罵る程に嫌いな神と名の付く癒しの魔法を獲得したのである。




