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趣味と仕事とシスネ様

 ランドールと王国の協力関係が明確に築かれたあの日から1週間が過ぎていた。


 相変わらず落ち着かないと感じる空の上。

 雲と並んで建つ屋敷の庭で、今日も今日とてやる事が無い――というか、いままで常に働き詰めでろくに休日らしい休日を過ごした事の無い主人に、「良い機会だから」と、何もさせてくれない使用人達に根負けした主人――シスネは、何をするでもなく1日中庭から街を眺めて過ごしていた。


 天空領に来てから10日。

 長期休暇ではあるが別に長過ぎるという程でもない期間。なのだが、シスネは今の自分が自堕落になってしまった様ですこぶる居心地が悪かった。


 人は働けば誰でも疲れるとか、休む時は休む、メリハリが大切――などなど。もっともらしい事を言って周囲を納得させるシスネだが、肝心の本人が出来ていないという矛盾には気付かないでいた。趣味が無いというのも原因ではあろう。


 働いていないと居心地が悪いと感じるシスネ。自然とため息が多くなる。

 しかし、彼女はそういった不満を口には出さない。自分の事ゆえ自分で処理しようとする。

 そんなため息ばかりのシスネの様子に、「お疲れが抜けていないようだ」と勘違いして、「もっと休んでください」と主人を慮る使用人達。

 両者共に気遣うゆえの悪循環。

 そんなシスネの今日この頃。

 


「ランドールの冒険者もこんな気持ちなのでしょうか?」


 昼過ぎ。

 庭先に設けられた椅子とテーブル――通称「姫様ゾーン」で街を眺めていたシスネは、ティータイムの紅茶を運んで来たパッセルにそんな事を尋ねた。


「と、仰いますと?」


「やる気はあるのに、様々な要因が重なって、それで結局何も出来なくて、日がな1日ただぼんやりして過ごす……。自分がその立場に置かれて初めて理解出来ました。――やはり、冒険者への検問は無くして正解だったのかもしれません」


 シスネの言葉にパッセルが少し険しい表情を作った。


「シスネ様とあの自堕落達を一緒にしてはなりません。彼らは元々やる気が無いのです」


「ですが……退屈ではありませんか? やる事が無いというのは。現に、天空領になって以来、街の雑務ばかりで冒険者らしい事はしていない彼らですが、人が変わった様に仕事に精を出しています」


「あれは、ヒロ様が『働かない奴は天空領から叩き落とす』と脅されたからです。嫌々やってるんですよ」


「嫌々でも、何もせずにボーとしている人よりは役に立っています」


 無表情で、なんの感情も伺いしれないシスネの様子ではあったが、やや自虐的にも聞こえる台詞に、パッセルが小さく息をついた。


「これまでランドールの為に献身的に働かれてこられたのです。十日ばかりの休息くらいで、その様に卑下してお考えになる必要はございません」


「そうでしょうか?」


「勿論でございます」


 はっきりと明言したパッセルだが、それでもシスネは納得していないのか、パッセルから視線を外し街の方へと顔を向けると、おそらく無意識であろうため息をついた。


「良い機会でございますし、趣味のひとつでもお持ちになっては如何でしょう?」


「趣味……ですか?」


「はい。例えば――」


 料理、と口から出そうになって、パッセルは慌てて口をつぐんだ。

 シスネの手先が壊滅的なまでに不器用なのは、使用人ならば誰もが知っている。

 先日起きた「サンドイッチ争奪戦」でそれは再確認された。

 料理だけではない。

 絵や裁縫など、手先を使うもの全般が壊滅的。

 運動もからっきしで、そもそもシスネが元気に走り回っている姿すら想像出来ない。

 かろうじて、歌だけはその良く通る声のためちょっとしたものだが、感情の起伏が無い鉄の姫ゆえか、曲調に全く抑揚が無く、シスネの歌はまるで聖書か専門書を朗読している様なものであった。

 それは、歌って聞かせた子守唄でもって「愉しげな歌を無感情な抑揚の無い声で歌い、そのせいで不気味に聞こえ、それが夢にも流れてうなされる」というトラウマを、幼いフォルテに植え付ける程。


 趣味を持ってみては、と言ったにも関わらず、シスネに出来そうな趣味が頭に思い浮かばず、冷や汗を流してパッセルが沈黙する。


 例えばと言ったきり固まってしまったパッセルを見かねたシスネが、「パッセルは何か趣味はありますか?」と話題を変えた。


「は、はい! 趣味というか、ストレス解消の手段ですが……」


「ストレス解消ですか? どの様な事を?」


「え~……と、ですね……」


 それだけ言ってまた固まる。


 言えない。言えるわけがない。

 パッセルに限らず、使用人達がストレスという名の欲求不満を秘密の花園で満たしているなど、シスネに言えるわけがない。

 かと言って、シスネ同様に他にパッセルが趣味といえる様なものもない。適当な、その場限りの嘘を主人につけるわけもなく、パッセルは答えにほとほと困り果てた。


「また今日も庭で日なたぼっこか、シスネ・ランドール」


 如何にしてこの難局を乗り切ろうかと、頭をフル回転させていたパッセルの耳に届いた声。

 後方、やや上空から届いたその声を、パッセルは天の助けだと思った。

 ありがとうと叫んで頬にキスをしてあげてもいいと本気で思った。

 屋敷仕えになってから、一、二を争う難局。そう感じるほどにパッセルは追い込まれ、この場を逃げ出したくて仕方がなかったのである。

 そこに奇跡のように降って湧いたその声に、パッセルが天の助けだと思ったのもまた、仕方がない事であったのだ。


 パッセルが声のした方に顔を向けると、箒に跨がって庭の上空に浮かぶとんがり帽子の魔法使い・ヒロの姿があった。


「皮肉ですか?」


「そういうわけじゃないが、あんたの妹にこき使われて、愚痴を言う相手を探してたところだ」


 愉快そうに笑いながらヒロはゆっくりと庭に降り立った。


「すみません。本来ならあなたはランドールの客人であるはずなのに」


「別にもてなしを期待してランドールに来たわけじゃないんだ。それは構わない。一応、儀式に必要なアイテムを貰うって交換条件だしな」


「儀式?」


「ああ、それが色々と物要りなんだ」


 言って、ヒロは指でカウントでもする様に、――月光花の花弁だろ、百節仙人掌のトゲに、梟イカの隅に――と、レアアイテムの名称を順に挙げていった。


「ハロ様が言っていた「とある魔法」というやつですよね? それ全部必要なんですか?」


 話の途中、やや呆れ顔をしたパッセルが口を挟んだ。

 ざっと挙げたであろう今のだけでも、レアアイテムの数が20は越えている。


「そうだ。――あんたに貰った鳳凰石もそのひとつだな」


 パッセルに応じ、それからシスネに目を向けてヒロは言った。


「月光花の花弁は時期が過ぎてしまっていますね。――たしか屋敷の倉庫に乾燥させたものが何本か……。他にも、いま挙げた中でいくつか倉庫に眠っている品があったはずです」


「あ、ああ。フォルテ・ランドールも同じ事を言ってた」


「それで、ヒロ様はこき使われてるわけですね」


「まぁな」と、ヒロは小さく笑った。


「今日はハロ様は一緒ではないのですか?」


 自身の頭の上辺りの空間をちょいちょいと指差し、ヒロの被るとんがり帽子の中を示したパッセル。

 ハロは大体いつも、ヒロの肩かとんがり帽子の中に身を隠している事が多い。


「あいつは、ランドールに来てからは街の子供に取られちまった。子供が好きだからな、ハロは。いいオモチャにされてるよ」


 世話好きの延長か、はたまた元からの気質か。ハロは小さな子供達にとって絶好の遊び相手らしく、忙しく動き回る大人達に代わって毎日もみくちゃにされていた。

 加減を知らないだの、汚い手で触るから埃っぽいだの、毎夜毎夜ヒロに愚痴を言いに来ているが、それでも朝になれば楽しそうにまた出掛けていく。なんのかんの言いつつも好きなのだろう。


「退屈なら、姫さんも混ぜて貰ったらどうだ?」


「それも楽しそうですが、私が行くと親達が気を遣いますから、たぶん逆効果です」


 真面目くさった顔をして答えたシスネに、それもそうかと、道化た仕草をしたヒロが笑う。


「あんた、趣味のひとつも無いのか? まぁ俺も趣味らしい趣味なんて持ってないが……。――そうだな。たまに本を読むくらいか?」


「本は、私も良く読みます」


「……俺が言ってる本は、屋敷にある小難しい専門書の事じゃないぞ? 小説――なんかこうファンタジーの書かれた本とか、恋愛系とか?」


「そういう類いのものはあいにくと……」


 シスネの答えにヒロはなにやらぶつぶつと――専門書も趣味になるのか? 微妙なとこだな――と呟き、それからまたシスネに顔を戻して、「それは趣味とはちょっと違うか?」と問い掛ける様に口にした。


「そうですね。学ぶためと楽しむための読書は、少し違うかもしれません――あなたは器用だそうですから、何をやらせてもそつなくこなすのでしょうね」


「器用貧乏なだけだよ。あんまり役には立ってない」


「一昨日ここに来た時に、シドがあなたの事を誉めていましたよ。俺の弟子に欲しいくらいだと。断られちまったと笑っていました」


「あ~……親方か……」


 若干バツが悪そうにヒロが小さく頬を掻く。

 シドこと、ランドールの鍛冶工房棟梁――住民達には愛称である「親方」と呼ばれる事が多い。


「親方が誉めたのなら、ヒロ様の器用さは自信を持って良いと思いますよ。あの方、滅多に人を誉めませんから」


「そうですね。その器用さを、少しで良いから分けて欲しいものです」


「姫さんは不器用だもんな」


 ヒロの台詞を聞いた途端、笑顔のままパッセルの顔がひきつったが、それには気付かないヒロの言葉は続く。


「この間のサンドイッチもひどかった。まず、まともに持てない。持ったそばからトマトの汁がぼたぼたと溢れて来るからな。――で、噛めない。何段重ねだよってくらいの重量感のせいで、口をおもいっきり開けても入らないんだよ。顎がいてぇ。それから――」


 シスネの背後でアワアワと狼狽するパッセルなどお構い無しに、ヒロのダメ出しは続けられる。

 含んでいた空気が締まり、締まり過ぎて息苦しささえ覚え始めるパッセル。

 天の助けと思っていたそれは、実は地獄の最下層に自身ごと引き摺り込む悪魔の囁きだったのだと、この時になって初めてパッセルは悟った。

 ここは悪魔の住まう土地――ランドール。

 神の御手と見せ掛けた、悪魔の魔の手が蔓延る場所。



 ヒロが登場した時点で、さっさとその場から逃げておくべきであったとパッセルが後悔する一方で。

 シスネは怒るでもなく悲しむでもなく、無表情のまま淡々とした様子で黙って聞いていた。

 ヒロからのさんざダメ出しを聞きながら、青い顔をしてどうやって止めようかと頭を必死に巡らせていたパッセルが、死なばもろとも、強引に「ヒロ様……そのくらいで……」と口にした時。


「けど、旨かったぞ?」と、ヒロがなんでもない顔をして言った。


 シスネは、ほんの少し、意外そうな表情を見せて――けれどそれは一瞬で、すぐに無表情をかぶり直した。


「切った物をパンに挟んだだけですから……。素材自体は一流の物でしたし」


「まぁサンドイッチだからな。けど、これから練習すれば色々と他の料理も出来るようになるだろ」


「料理を趣味にする程、私は器用ではありません」


 シスネの言葉に、ヒロが小さく小頚を傾げた。


「下手だから練習するんだろ? 最初から上手い奴なんていない。不器用なりにもそうやって練習して、少しずつ出来るようになって、それが趣味になるんだろ?」


「……そう……ですね。――そうかもしれません」


「まっ、料理を趣味にするかどうかは、あんたが決める事だけどな。ただ、そん時は試食に呼んでくれ。高級食材を使った料理なら、いつでも歓迎だ」


 言って、ヒロがまた笑う。悪戯そうに。


「考えておきます」


 シスネは特に表情も見せず、そう述べるに留めた。

 ヒロは微笑みを浮かべたまま小さく息をついた後、「ゆっくりし過ぎたな。そろそろ俺は戻る」と告げ、何処からともなく箒を取り出した。


「じゃあ」と、ヒロが箒に跨がり片手を軽くあげる。


「じゃあ……」と、釣られる様にシスネも同じ仕草と言葉で返した。


 ははっと笑い、ヒロはゆっくりと高度を上げると、街の方へと戻っていった。

 シスネとパッセルは、離れていくその背中を静かに眺めて見送った。


 

 何処からか聞こえる鳥の囀ずりと、吹き抜ける少しだけ冷たい風に揺れながら、しばらくそうしていると、そんな二人のいる庭に姿を見せた者があった。


 気配に気付いた二人が街から顔を外し、そちらを見た。


「ミナ、どうかした?」


 やって来たのはミナであった。

 パッセルが声を掛ける。

 声を掛けてから、パッセルはミナのやや後ろいるリナの姿にも気付いた。


「リナ、さっきのやつ」


 パッセルからの問い掛けにミナはすぐには応じず、自身の後ろに居たリナへと顔を向けて、促すようにリナへと言葉を投げた。


 シスネを前にして少し緊張しているのか、やや恐縮している様子のリナが、何度も小刻みに首を振り了承の意を示す。

 そうしてリナは、ミナのすぐ隣まで歩みを進めると、身に纏う着慣れない上等の服のポケットへと手を差し入れた。


 リナがいま着ている衣類は、ランドールに移住するにあたりランドール家から支給された物である。

 それを支給された当初。リナはその服の上等さに「まるでお姫様が着るドレスのようだ」と喜んだ。

 しかし、喜んだのも束の間、いざ袖を通してから違和感を覚えて複雑な顔をした。


 生まれも育ちも貧しい農村であるリナは、今までごわごわとした安物の服と、村が廃れて以降はボロ切れの様な服しか着た試しがない。そんなリナにとって、滑る程にさらさらな手触りがして良い匂いのするその服はあまりに上等過ぎた。

 そうして上等過ぎた末、着心地が良いのに着心地が悪いという摩可不思議な状況に陥った。


 支給されたこの上等な服は、豊かなランドールの物だけあって、一般的な王国人民が着ている物より品質は良い。

 ただ、リナが形容した「お姫様」には程遠く、ランドールでは普段着として着られている程度の物である。

 あまりに上等過ぎたとリナが感じたのは、今までが悪過ぎたというだけの事。


 リナの衣類事情はともかく。

 そんな着心地の悪さを感じる服のポケットからリナが取り出した物。

 手の平の半分程の大きさがある1枚の金属プレートであった。


 鉄の仮面はそのままに、されどそれを見たシスネの目の色が僅かに変わった。


「何処でそれを?」


「友達に貰ったんです。良かったら使ってって……。手紙も」


 プレートを見た途端、シスネの雰囲気が変わった事に気付き、――まさか盗んだと思われてるんじゃ――なんて心配しつつ、やや緊張した面持ちでリナはそう答えた。

 リナは答えついでに、証拠ですとばかりに空いた手でポケットから更に1枚の紙を取り出した。

 両方をシスネへと手渡す。


 シスネはまず、受け取ったプレートの表を少しだけ眺め、それからすぐに裏返した。

 プレートの裏には、ランドール家を表す大きな翼紋様が描かれた刻印。間違いなく、シスネが特別に発行した物である。


 プレートを確かめた後、受け取った手紙を開き、読む。

 流石のシスネも、これが誰の筆跡かなどは分からないが、別にリナの言い分をデマカセだとも思っていない。

 その場では深く尋ねなかったものの、最初に会った時に、ランドールに友達がいると言っていた覚えもある。


 簡潔に「リナをよろしく」といった内容の短い文章と、取って付けた様に書かれた心配しなくても良いという旨、そして最後に一言、シスネに向けられたお世話になりましたとの一文が書かれた手紙。


 手紙を読み終えたシスネは、一度小さく嘆息した後、目を瞑り何事かを考え込み始めた。


 ――欲しがっていたから発行したランドールへのフリーパス。

 それを手放したと言う事は、もしかしたら彼女はもうランドールに戻るつもりは無いのかもしれない。

 魔王の言うように、彼女にランドールは狭すぎたのだろうか……。


 ――しかし……。


 シスネはゆっくりと目を開けると、リナへと視線を向けた。


「彼女が何処に向かったのか知っていますか?」


 リナは少しだけ、う~んと悩んで、それから「たぶん、中央だと思います」と答えた。


 リナのその答えに、シスネはまた嘆息した。今度はさっきよりも大きく。


 ――偶然なのか……。それとも必然なのか……。どちらにせよ。彼女はまだ駒として盤上にあり続ける運命にあるようだ。


「とにかく、これで役者は揃ったわけです。まだ中央にいるのか分かりませんが……。彼女を――シンジュを探し出しましょう」


 ――料理はまた今度……。

 ここには居ない誰かに向け、心の中だけでそう告げると、やるべき事を見付けた姫は久方振りに動き始めたのである。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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