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クイーンオブ不器用

 時間を巻き戻し、服のシワを気にするフォルテが中央へと向かった日の3日前まで遡る。



 ランドール地方から中央までは、天空領の速度を鑑みて約3日程。


 その間、フォルテが新しい当主として奮起し、今度の打ち合わせのために細かなところまで詰めて、カナリアやミキサンと話し合っていた。


 そうして中央を目指し始めて二日目の朝。

 霧とも雲ともつかない薄い膜で覆われていた天空領は、ランドールの朝を告げる鐘の音と共に晴れ渡り、快晴の空に照れされた。


 鐘の音と同時に、ランドール住民達は一斉に働き始めた。

 いつものランドールの光景。

 なんて事ない日常。


 そんな見慣れた街の日常を、シスネは丘の上にある屋敷の庭からぼんやりと眺めていた。


 フォルテはカナリア達と部屋に篭って、朝から何やら話し込んでいる。

 何か意見を出せればと、自分もその話し合いに参加しようとしたシスネだが、「お疲れでしょう。ゆっくりしてください」というフォルテの言葉で参加は叶わなかった。


 ならばと、当主だった頃にやっていて、一月近く離れていた雑務でもしようかと思ったが、特にたまっている仕事は無いとハトに言われて、こちらも断念してしまった。


 曰く、

 突然ランドールの領主となった新米当主フォルテの負担を、慣れるまではみなで分散させよう、という話になっているらしく、使用人達に加え、商会などの揮下組織までもが自主的に負担軽減の為に動いているらしかった。

 というわけで、特に急ぎでやらねばならない仕事などは無かった。


 昼間にミナから聞いた話では、住民達は鍛冶工房を中心として何か大掛かりな物を作っている様子であった。

 時折、カンカンと金属を叩く音が街の方から聞こえて来るのはそのためであろう。

 その何かの正体までは分からないが、その輪の中に何故かカラス達とヒロが加わっていた。


 男ばかりでなく、女子供までも働いているのが庭から見る事が出来た。

 何かを乗せたいくつもの荷台を走らせる人々。

 それは街だけでなく、街の外に広がる森の中でも、木々の隙間からチラチラと見つける事が出来る。


 現在のランドールの森にはスライム以外のモンスターは皆無である、との報告をカナリアから聞いている。

 安全になった森を走り回る子供達の笑い声が、庭にいてもひっきりなしに届いた。

 念のためか、或いは勝手知ったる森ゆえか、子供達に混じり冒険者達の姿もちらほらと見る事が出来た。

 子供達はただ森で遊んでいるわけではないらしく、遊び半分、お手伝い半分、といったところのようで、森の方々を駆け回った子供達は、背負った篭に何か集めて、貯まったら街と森の境にある門まで戻り、そうしてまた森の中を駆け回っていた。

 


 誰もが何か自分の役割をこなしている。

 働かない事で定評のある冒険者達でさえ、忙しなく動き回る現在のランドール。


 そんな中で、シスネだけがやる事がない。

 ゆえに、やる事がないシスネは庭でぼんやりとランドールの街を、遠目に忙しなく働く住民達を眺めていたのである。

 ようするに暇だったのだ。


 趣味のひとつも無いシスネは、とかくこの日がな1日のんびりする時間が無駄に思えてならなかった。

 かと言って、やる事が無い。

 結局シスネは、その日は1日中、庭から眼下で忙しなく働くランドール住民達を眺めて過ごした。


 明日もこの調子だろうか?

 暇そうに目立つ庭で過ごすシスネに気付いている使用人はいるだろう。

 しかし、誰からも声を掛けられなかった。


 ――勝手に中央に行って、挙げ句おめおめと戻って来た自分に怒っているのだろうか……?


 そんな事を思ったシスネだが、使用人達は別に怒ってなどおらず、むしろ帰ってきたばかりでお疲れだろうし庭でゆっくりしていて欲しい――と、そんな配慮の結果、誰もシスネに声を掛けなかったのであった。


 陽も落ちた夜の頃。

 だからか、シスネは普段の自分ならばやらない事でもしてみようかと思った。

 折角だから、良い機会だから、暇だから。そんな軽い気持ちでシスネは自室を離れると、屋敷のすぐ隣に並ぶ建物へと向かった。

 そこは使用人達が生活する離れのような建物で、準備に追われて忙しいのか、帳の降りた時刻にも関わらず建物内部に人の気配は無かった。

 閑散とする建物に入ると、シスネは真っ直ぐと目的の場所へと向かった。





 深夜の事。

 ヒロはフォルテに呼び出されて訪れたランドール家の邸宅にいた。

 ランドール領の防衛計画なるものを相談され、昨日からカラスや鍛冶組合と共にその準備を進めていたヒロ。

 呼び出されたのはその進捗状況の報告や、必要な資材の確認のため。

 そうして、用事を終わらせたヒロが庭へと出ると、屋敷の隣にある使用人達の離れ、その一角に明りがついている事に気がついた。


 カラス達は総出でヒロの手伝いに駆り出されている。おそらくまだ街の鍛冶工房でトンカントンカンやっているはずである。

 屋敷の方はまだ点々と明りがついているが、離れはその一部屋だけ。


 ――消し忘れか? それとも誰かいるのか?

 ――あそこは食堂の辺りか?


 そんな事を思いながら離れに入り、ヒロは明りのついた部屋に向かった。


 そうしてたどり着いた食堂。そこで見たものにヒロは眉根を寄せた。


 ――なぜシスネ・ランドールがこんなところにいる?


 何故――というか理由は分かる。

 広い食堂の広い炊事場。

 そこに広がる大量の具材を前に、シスネは何やら難しい顔をして突っ立っていた。


 唖然としたヒロが見ていると、ヒロに気付いたシスネの肩が僅かに揺れた。

 自分しか居ないと思っていたら無言のヒロがいて驚いたのだろう。

 だが、そこは氷の姫君。

 どんなに驚いても、心臓が飛び出るくらいにびっくりしても、その鉄の仮面は少しばかりも揺るがない。無表情。


「こんばんは。何か用ですか?」


「……こんな夜更けに何してる?」


 聞いたヒロだが、何をしているかは分かっている。

 シスネの前には何十枚と積み上げられた薄切り――とは言い難い厚薄混じったパン。

 そうして敷かれたパンの上に乗るハムにレタス、トマトにタマゴ。 

 それらを見たら一目瞭然。

 誰が見たってサンドイッチを作っていたのだろう。

 分からないのは、何故こんな夜更けに、邸宅の方ではなくこちらの離れなのかという事。


「……いくらお腹が空いたからってこれはないだろシスネ・ランドール。姫君は姫君らしく、使用人の誰かにでも頼めば良いだろうに」


「失礼な。あなたは勘違いしています。私は別に小腹が空いたからここにつまみ食いに来たわけではありません」


「……じゃあその、大量のサンドイッチはなんだ?」


「これは、その……。遅くまで仕事に励む使用人達に、お夜食でも、と思ったのですが……」


 言ってシスネが小さなため息をついた。


「軽い気持ちで作り始めたのが失敗でした。それは認めます。……出来ると思ったのです。いくら不器用な私でも、切ったパンに具材を挟むだけのサンドイッチくらいならば出来るだろうと……」


 そう告げられたヒロが炊事場にあったサンドイッチに目を向けた。


 最初は薄く、最後は厚い、斜めに切られたパン。

 その上に同じようなハムが乗り、同じような野菜達が乗っている。

 これでもかと歪に積み重なっている。

 タマゴは無い。

 あるのは炊事場の床やテーブルに散乱する殻と中身、そしてサンドイッチの上の黒く焦げた何か。


 台形のピラミッド。或いはピサの斜塔。

 アゴが外れるのではと心配になるくらいに高く、ひどく不恰好なサンドイッチであった。

 

「ただ真っ直ぐ切るというのが、これほど難しいものだとは思ってもいませんでした。パンを切ろうにもナイフに力を入れると柔らかいパンが潰れるばかりで上手く切れません。それでも強引に、まぁ柔らかいから潰れてもある程度戻るだろうと、ようやく切ったら厚みがバラバラです」


 シスネは積み重ねられたパンを一瞥し告げた。

 当てたナイフを引くのではなく、上から強引に押し切ったであろうパンは、潰れ、少し歪な形をしていた。

 それから、パンから目を外し、大量に広がる具材へと視線を移す。


「具材も同様で、何故か真っ直ぐ切れません。トマトに至っては、潰れて、零れて、切り終わった頃には中身が半分ほど無くなっていました。しかも汁でびちゃびちゃで、それが零れて周囲を汚します。それで、ナイフを固定して、トマトの方をナイフに押し当てれば上手く切れるのでは? と、そう思って試してみましたが、結果は同じでした。世の中の料理人というのは一体どうやってトマトを潰さずに切っているのでしょう?」


 言い訳でもする様に、饒舌多弁になったシスネの話は続く。


「トマトが駄目なら……と、タマゴを焼いてみようと思ったんです。卵というのは脆いというイメージがあったのですが、これが意外に丈夫で、軽く打ち付けただけでは割れませんでした。今度はもう少し強く、と力を込めて打ち付けたら、潰れて、手の中でバラバラになりました。イメージ通りにやはり卵は脆かったのです……とても……。力加減が難しい食材です。それでも何個か試して、ようやく綺麗に割れたので焼いてみたのですが、見る間に焦げてしまいました。それで私、速さが重要かと思って、今度はいつでも火から離せるように待ち構えたのですが、いざ火から上げようとしたらタマゴがフライパンに張り付いてしまい、上手く引き剥がせませんでした。そうして崩れないように慎重に剥がしている間に、また焦げて、何度やっても駄目で……。卵というのは脆いだけでなく焦げやすい食材という事を知りました」


 シスネは捲し立てるように述べ、最後にピラミッドのように積み上げられた完成品に目をやった。


「焦げはともかくとして、とりあえず具材の形が歪でも、味は変わらないだろうと、パンに具材を乗せてみました。最初にハムを乗せてみたのですが、ハムだけだと栄養のバランスが悪いかと思って、レタスを乗せたんです。レタスは具材の中でも一番綺麗に切れましたし……。それから、ハムの薄桃色とレタスの薄緑を見ていると彩りが気になったのでトマトを乗せて、一番上にパンを乗せて具材を挟みました。時間は掛かりましたが、なんとかサンドイッチの形にはなったと思って、手を離したら倒れてしまいました。形が歪で傾くのです。厚みのある箇所、薄い箇所と、色々と食材の角度を変えてみましたが駄目で……。最終的に、わざわざ挟まず個別に食べたら良いのでは? という結論に落ち着きました。そこに来たのがあなたです」


「……そ、そうか」


 ややひきつり気味のヒロが返すと、シスネがふぅと息を吐いた。


「本当に、私は何をやらせても不器用です。つくづく自分が嫌になりました。まさか具材をパンに挟むだけのサンドイッチひとつ満足に作れないとは……。本当に、私は駄目ですね。ちょっとだけ……泣きたくなりました」


 正直、どう返したら良いのかヒロは大変悩んだ。

 そうやって悩むヒロの顔をどう見たのか、


「心配せずとも、食材を無駄にするつもりはありません。流石に行儀が悪いので落ちてしまった物までは食べませんが、残りは私が食べます」


「……一人でか? 食べ切れる量じゃないだろ……」


 使用人の数を考慮して用意されたであろう食材の山。とてもではないがシスネが一人で処理出来る量ではない。


「食べます」


「いや、無理だろ?」


「食べます」


「無理だって」


「食べます」


「なにムキになってるんだよ」


「ムキになどなっていません」


「なってるだろ」


「なってません」


 無表情に言い切るシスネ。

 ヒロはしばらく何も返さず、沈黙する。

 そうして少し間を空けてから、小さくため息をついた。


「まぁ、なんでもいい。形はあれだが、貰ってっていいか?」


「……この不出来な物を人様の口に入れるのは気が引けます」


「腹に入れば一緒だろ? 俺は小腹が空いたからここに来たんだ。貰っていいか?」


「……このような物で良ければ」


 無表情に、しかし渋々といった様子でシスネが許可を出した。

 お許しを得たヒロは、サンドイッチのひとつを手に取り、指でグッと抑えないとすぐバラけそうなそれを、ひと口かじった。

 そうして何度か咀嚼し、飲み込み、「うん……まあ……サンドイッチだな」と感想を告げ、魔法生物の大沼蛙を呼び出した。

 訝しがるシスネを余所に、ヒロは炊事場の上に転がっていた食材の全てを腹に収めさせるよう蛙に命じた。

 あっという間に飲み込み、食材は綺麗に蛙の腹の中に。


「こいつの腹は保存が聞くからな。冒険者必須の魔法だぞ」


 と、聞いてもいない説明をするヒロ。

 時間を置いてゆっくり食べるつもりだ、と言いたいらしかった。


「そうですか……。では、すみませんが、処理の方はよろしくお願いします」


「おう。 ――サンドイッチの礼に片付けは俺がやっとくぞ」


「いえ。自分で汚したのです。自分で片付けます。あなたはまだやる事もあるのでしょう? あなたも含め、みな朝から忙しそうですし、手を煩わせては申し訳ない」


「……そうか? じゃあ……」


「はい。じゃあ……。お仕事頑張ってください」


 そう言葉を交わし、片付けは自分ですると言ったシスネを残してヒロは食堂を後にした。



 そうして、特に減ってもいない腹を手に持った巨大なサンドイッチで満たしつつヒロが離れを出ると、カナリアを筆頭にしたカラスやハトの使用人達20人ほどが、建物を出たすぐのところで待ち構えていた。


「……なんだ? 何か用か?」


 眉をひそめたヒロが問うと、カナリアがクスクスと笑った。


「随分余裕ですわねぇ、魔導の申し子ヒロ様。別にあなたに用などありませんわぁ。私達は、あなたが手に持つ物に用があるのです」


「……あっそ」


 投げやりに返したヒロが、挑発でもするかの様に大口を開けて、まだ三分の1ほどが残るサンドイッチを口の中へと無理矢理に押し込んだ。

 頬を膨らませたヒロが見せつける様に咀嚼する。


「知っていますかヒロ様?」


「ん?」


「シスネ様が料理をされたのは、今日が初めての事です。シスネ様は度を越えた不器用オブ不器用。そのシスネ様が不器用なりにも一生懸命料理をされるお姿……。カナリアめは、あの姿を見ただけで寿命が五年――いえ、十年は伸びました。

 ヒロ様は見ていなかったから知らないでしょう……。

 パンひとつに悪戦苦闘するシスネ様を。

 はしたなくもなまめかしく、淫靡に、トマトの汁がついた指を遠慮がちに舐めるシスネ様を。

 力を入れ過ぎて手の中で卵を割ってしまった時に溢した「あ」という可愛いらしいシスネ様の声と、形容しがたい無垢な表情を……」


 盗み見ていたその時の光景を思い出しながら語るカナリアは、自身の体を両腕できつく抱き締め、恍惚の表情を浮かべた。ゾクゾクと腰の辺りから背中に昇ってくる得も言えぬ感覚に身を委ねた。


 ――変態だ!


 ヒロはなんの疑いも持たず、心の中でカナリアを変態と位置付けた。

 そんな事を思うヒロなどその場に居ないかの様に、変態は感極まった様に身震いして、うっとりと、恍惚の表情のまま続けた。


「ああ……今日は記念日です。ええ、そうですとも。今日という日を忘れないようランドールの祝日に制定致しましょう。毎年、この日はみなでサンドイッチを食べるのです。サンドイッチ記念日です」


 この変態をどう乗り切ろうかと考えつつ、ヒロは咀嚼もほどほどにして口内の物を飲み込むと、「――それで?」と問うた。


「誰もが一度は食べてみたいと妄想したシスネ様の手料理。プレミアの一品。その価値たるやお値段プライスレス。とても値など付けられません。それを食べる権利というのはぁ、全ての者に平等に在るべきだとぉ、カナリアめは思うのですぅ」


「……俺が貰ったサンドイッチだ」


「ええたしかに。その通りかもしれません。ですが、シスネ様はこう仰いました。遅くまで仕事に励む使用人達のお夜食に、と。であるならば、やはりここは、使用人達でわけ合うべきだと、カナリアめは思うのです」


「ああ、分けてやるよ? 余ったらな」


 鼻で笑ってヒロがそう告げた途端、カナリアの後ろに控えていた全員が、それぞれ武器を一斉に構えた。


「ふっ。俺に勝てると思うのか?」


「ランドール家の使用人たる者、欲しい物は勝ち取るのみ――ですわぁ。たとえヒロ様がシスネ様の命の恩人で、ランドールの大切な御客人であっても、それはそれ、これはこれ。――覚悟はよろしくて?」


 蛙の口から取り出した箒を、数度クルクルと回した後、カナリア達に穂先を突き付けたヒロが不敵に笑った。

 不敵に微笑んだまま告げる。


「食事の前の軽い運動に付き合ってくれるって事か? 悪いな」


 

 こうして、仕事そっちのけで行われた「シスネ様の手料理争奪戦」は、軽い運動どころか不屈の精神で立ち上がる使用人達の奮闘によって、朝方まで繰り広げられたのであった。

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script?guid=on小説家になろう 勝手にランキングに登録しています

ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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