そんなの絶対間違ってる
「無事か?」
「チェリージャン?」
気付くと私の目の前に人型のチェリージャンが立っていた。
地下の牢屋でヨビと会話をしていた時、突然私の背後に黒いモヤが現れた。
あわてふためく私を容赦なく包み込み始めた黒いモヤ。
ここに落ちて来た時と同じモヤに、もうお別れの時間なのかと、そう思った。
黒いモヤに包まれながらもヨビに二言三言の言葉を告げた私は、気付いたら元居た教会へと戻って来ていた。
どうやったのかは分からないけど、黒いモヤの中に居た私の腕を強引に引っ張ったチェリージャンに助け出されたらしい。
強く掴まれたままの腕がちょっと痛い。
「ちゃんと助けただろ! 離せよ!」
私を掴む腕とは反対側。
チェリージャンに腕を掴まれたカラカラさんが居た。私とチェリージャンを地下に落とした張本人。
どうやら私が地下でヨビと会っている間に、チェリージャンによって捕縛されたようだった。
離せ離せと喚くカラカラさんを、怒った顔のチェリージャンが腕を捻って静かにさせようとする。
「いてぇって!」
今度は痛い痛いと喚くカラカラさん。
教会の中がさっきより煩くなった。
心なしかズキズキと頭が痛んできた。
「カラカラさん」
「……なんだよ?」
私が呼ぶと、カラカラさんは喚くのを止めて険しい表情をこちらに向けた。
「魔人って聞いたけど……。人と悪魔の」
「悪魔の血が入ってちゃ悪いのかよ」
カラカラさんが眉を上げて、不機嫌に吐き捨てた。
「別に悪くなんてないよ。そうじゃなくって、ちょっとだけ協力して欲しい事があって」
「なんであたしが……」
苦い顔をして渋るカラカラさんに、ちょっと悪そうなイタズラっぽい顔をして言う。
「それで、私を落っことしたのはチャラって事で――良いよね、チェリージャン?」
問うと、チェリージャンは私の顔を一瞥し、ため息をついた。なんだかちょっと呆れてるみたいな顔。
「好きにしろ」
「ありがと。助けてくれた分も」
礼を言うと、チェリージャンはまた小さなため息をついて、掴んでいたカラカラさんの腕を離した。
ようやく解放されたカラカラさんが、弾けた様に腕を振り、一歩後ろに下がる。
「逃げるなよ?」
強く掴まれていた腕を労る様に擦るカラカラさんに、チェリージャンが言った。
「……あたしは協力するなんて言ってないだろ。――だいたい、チャラも何も助けたんだから良いだろ」
「反省が足りないようだな?」
脅す様な口調のチェリージャンに、うっと渋面を作ったカラカラさんが唸った。
どうやら私の知らないところで「反省」なる何かが二人の間にあったようだった。
どんなやり取りが行われたのかは分からないけれど、カラカラさんの協力は必要だと思ったので、「チェリージャン」と呼び掛けて諌めておく。
「カラカラさんの協力がたぶん必要だと思うの……確証は無いけど……。――でも、地下に行く……には……」
「まぁ待て。続きは宿に帰ってからだ。顔色が悪いぞ」
だんだんと痛みが大きくなって来て、喋るのもキツイ私を見かねたチェリージャンがそう提案してくる。
「……うん」
コクコクと小さく頷いて返す。頭を振ったら余計に頭が痛くなった。猛烈な立ちくらみに襲われて、ふらふらと倒れそうになる。
ズキズキなんて音は痛み頭が作り出した幻聴なんだけど、なんだか本当に聞こえて来そう。
「ひゃ?」
なんて事を思っていたら、体が突然浮き上がった。
びっくりして思わず変な声が出た。
「チェリー……ジャン?」
体が浮き上がった事よりも私を驚かせたのは、立ちくらみのせいで黒くなっていた視界をゆっくりと回復させた私のすぐ目の前にあるチェリージャンの顔だった。
どうやらお姫様だっこをされたらしい。
ズキズキが一瞬で鳴り止んで、代わりにドキドキが胸の奥から鳴り響いてくる。
たぶん、こっちは幻聴じゃなく本当に胸が鳴ってる。
「……聞こえてないよね?」
「何がだ?」怪訝そうに尋ね返して来たチェリージャン。
「いや……別に」
自分から尋ねておいて何が「別に」なのかは自分でも良く分からない。
分かるのは、結局私はお姫様だっこのまま宿まで運ばれる羽目になったという事。
道行く人の視線がとっても恥ずかしかった。
☆
「お姫様だっこのまま宿に連れ込まれるシチュエーションってどう思う?」
借りていた宿の部屋に入るなり、言わなきゃ言いのに、つい照れ隠しでそんな事を口にした。
途端にチェリージャンが呆れる様な、鬱陶しそうな、なんとも言えない苦い表情で私を一瞥し、優しくベッドに横たえられる事を期待していた私を、投げ捨てる様にベッドの上に落とした。
「痛いよぅ」
「よし、元気になったな」
堅いベッドでお尻を強打した私の文句など聞かず、一仕事終えたみたいな口調でチェリージャンは告げた。
「はいはい元気になりましたよ。誰かさんのお陰でね……」
あ~恥ずかしかったと、悪態でもつくように溢しておく。
嬉しいのと恥ずかしいのと腹立たしいのが一緒くたに出た言葉。
「それで? わざわざこいつに協力を求めてまで何を企んでる?」
チェリージャンが怖いのか、それとも申し訳ないと思ってなのかは分からないけど、宿まで素直に私達について来たカラカラさんを一瞥しチェリージャンが尋ねた。
カラカラさんの顔は、教会からずっと不機嫌そうだった。
「企んでるなんて人聞きの悪い」
小さく頬を膨らませて抗議し、それから私は地下に落ち、チェリージャンと離ればなれになった後の事を、二人に話して聞かせた。
気付いたら牢屋に居た事。
そこで出会った少年の事――ヨビの事。
そして最後に、ヨビを助けてあげたいという旨を伝えた。
「アタシは嫌だぞ? そんな犯罪者みたいな真似……」
話を聞くやカラカラさんがそう声をあげた。
カラカラさんにはヨビを助ける為の悪魔の穴を作ってもらわないといけない。その為の協力のお願い。
ヨビのいる地下牢が中央の何処にあるのかは、頭の中に開いたマップで確認したので把握しているけど、そこに行くまでの手段が乏しい。
強引に、力ずくで――というのはあまり現実的じゃない気がするし。
「カラカラさんは出入口だけ作ってくれれば良いから」
私が言うと、カラカラさんは少し困ったように頭を小さく掻いて、どうしようか考えているようだったが、やや間を置いて「まあ……それだけなら、大丈夫……かな?」と、少々不安そうにしながらも応じてくれた。
そんなやり取りを私達がする一方で、
チェリージャンは難しい顔をして何かを考え込んでいるようだった。
しばらく考え込んだ後、チェリージャンは組んでいた腕をほどいておもむろに口を開いた。
「まぁ、助けたいという気持ちは分からなくもない」
チェリージャンの言葉に私が顔を綻ばせかけた時、「ただ」とチェリージャンが付け加えた。
「牢屋に閉じ込められているのは、何かしら理由あっての事だろう。可哀想だからという理由だけで、おいそれと助けて良いものではない」
チェリージャンの言葉に少々ムッとする。
「生まれた時からずっと牢屋に閉じ込めておかなきゃいけない理由ってなに?」
ちょっと怒ったように言った私に、チェリージャンは一瞬だけ横目を向けて「さぁな」と答えた。
チェリージャンが助けに来るまでの間――二時間くらい? 私はヨビと色んな話をした。
なんて事ない日常会話から、どうしてヨビが牢屋にいるのかなどの少し踏み込んだ話まで。
その中で、ヨビはいつから自分がここにいるのか分からないと答えた。物心つく前から、ヨビはあそこに閉じ込められているらしかった。
話相手はピッピやチッチ。牢屋の小さな隙間からやって来る小動物。
カカリという名の人間もいるにはいたようだけど、カカリは1日一回ご飯を持って来るだけの僅かな時間にしか現れないそうだ。
カカリ――ヨビが名前みたいに言っているだけで、多分「係」。牢番なのだろう。
一度もここを出た事が無いと言うわりに、不思議とヨビは外の物事を良く知っていた。
それらの知識は、おそらく本を読んで得た物だろうと、牢屋の隅っこに積み重なった本の山を見て思った。
日常会話はともかく、あまりヨビの事を詮索するのは申し訳ないという気持ちはあった。
けれど、私のそんな気持ちなど吹き飛ばすように、ヨビは私の質問に明るく笑って答えてくれた。
牢に閉じ込められているのに、嘆くでも叫ぶでもなく、太陽みたいに笑うヨビを見ていて、私は悲しくなった。
一人、薄暗い牢屋閉じ込められていて、どうしてこんなに楽しそうに笑えるんだろう――
彼は私といる間、助けてなんて言葉は一度も口にしなかった。
もしかしたら、ヨビは自分がどういう境遇なのかも分かっていないのかもしれない。
そんな事を思ったら、無性に悲しくて、泣いてしまった。
「僕、変な事言った? ごめんね。泣かないで」
憐れみの涙を流して泣いてしまった私にヨビはそう言った。
ヨビは自分が不幸だなんて思っていないのに勝手に憐れんで泣いて、酷く失礼な事をしているのは私なのに、それなのに彼は自分が泣かせたと思って申し訳なさそうな顔で謝った。
ヨビはなんにも悪くないのに。
凄く単純で、深く考えない私だけど、その時に、この明るくて優しい少年をここから出してあげたいなと、そう思った。
私が去った後も、ヨビはずっとここにひとりぼっちなのかと。助けてあげなきゃと。
「そう思うのって、おかしな事なのかな?」
「……別におかしくはない。だが、その少年を助ける事で、どれだけのリスクを負うことになるか分からない。下手をすれば、お前は王国を敵に回すかもしれないのだぞ?」
「……そんなの分かってるもん」
「分かってない!」
怒鳴るように言ったチェリージャンに、私はビクリと体を震わせた。
「お前が数時間も居てバレなかったんだ。魔人の協力があれば、誰にも見付からずにそいつを連れ出す事は出来るだろう。だが、居なくなった事は必ずバレる。そうなれば、必ず追っ手が掛かるだろう。――お前は強い。だが、強いだけだ。一生追われ続けるかもしれない奴を、ずっとお前は守り続ける覚悟があるのか? 途中でほっぽり出さないと誓えるか?」
表情にも声にも怒りの色があった。
険しい表情で私を見るチェリージャンに、根負けして私は視線を外した。
「……分かんない」
「中途半端に関わるくらいなら始めから――」
「でも! ――でも、約束したもん……」
泣きそうな、消え入りそうな声で告げた。
黒いモヤに包まれ、牢屋から離れる直前。私は約束した。
外を見てみたいと言ったヨビに、――私が連れてあげるから――そう約束した。
チェリージャンの言う事はきっと正しい。
私の事を心配してくれているのも分かる。
頭でその事を理解していても、感情が理解はしてくれない。
「約束したもん……」
駄々を捏ねる子供みたいに目の端に涙を浮かべて呟く私を、チェリージャンはしばらく黙って見つめていた。
そうして、嵐の前の静けさの中で待つ様な、とても長く感じる居心地の悪い沈黙を作った後、チェリージャンが大きなため息をついた。
「分からんなぁ。何故、一度会っただけそいつを助けたがるのか……。そいつが何故閉じ込められているのかも知らないのだろう?」
「知らない……。――知らないよ。だってヨビはなんにもしてないもん。ひとりぼっちで、ずっと閉じ込められてただけだもん。ヨビが何をしたかなんてきっと誰も答えられない」
そこで一度言葉を止めて、ヨビの事を頭に浮かべた。
屈託なく笑う無邪気な笑顔。
想像の中のヨビがきゃあきゃあと嬉しそうに牢屋の中を走り回り始めて、真面目な話をしているのに私は釣られて笑いそうになってしまった。
それから、やっぱり怒ったような顔をして私の言葉の続きを待つ背高なチェリージャンの顔を見上げた。
その時には、涙はすっかりへっこんでいた。きっと、太陽みたいに笑うヨビは私の涙なんか簡単に乾かしてしまうのだ。
「でも、ヨビがどうして閉じ込められているかはなんとなく分かる。――ずっと昔から、そう決められていたんだと思う」
「どういう意味だ?」
問い掛けたチェリージャンの顔をまじまじと見つめたまま、私は答えた。
「ヨビはね、人とは違うの。見た目が違う。――耳が長い。ただそれだけで、ランドールの人は一生を檻の中で過ごさなきゃいけない。――そんなの、絶対間違ってる」




