王国と聖女
かつて、この大陸はいくつもの国が跋扈する無法の地であった。
その頃の大陸では、毎日何処かで国と国との小競合いが起こり、時にそれが大きな争いに発展し、争いの数だけ沢山の血が流れた。
戦乱の大陸。
その頃の大陸を歴史学者はそう呼び、いつしかその呼び名が広く浸透していった。
そんな血塗れの大陸に転機が訪れたのは、群雄割拠する国々の中に新たな1つの小国が生まれた事に端を発する。
その小国は、争いに事欠かない戦乱の大陸の中において、敗れ、散っていったいくつかの国々の生き残り達が寄り集まって出来た国であった。
その寄せ集めで出来た小国は、激動する大陸で生き残るにはあまりに小さく、弱い存在であった。
大陸の覇権を牛耳らんとするいくつかの大国からしてみれば、その小国はさして注視する相手でもなく、そんな小国の誕生よりも大国の支配者達の目下の懸念は、如何にして他の大国を打破し、自国が勝利する為にどんな采配をしようか――そこに頭を働かせる方が重要だった。
しかし、その小国の誕生から僅か一月足らず、大陸に激震が走った。
当時の大陸で幅を利かせ、覇権というその頂きに最も近いとされていた三つの大国のひとつを、取るに足らない存在と思われていた小国が打ち負かしてしまった。
電撃的な番狂わせであった。
この小国の台頭により、三つ巴であった大陸の勢力図が大きく描き変わる事となる。
周辺諸国が戦々恐々とする中、小国の躍進は止まらない。
自らが打ち負かした大国の領土を得、その版図を大きく広げた小国は、勢いそのままに、自らが大陸の覇者にならんと大陸中の国全てに宣戦を布告。即日の進行を開始した。
この大陸全ての国を敵性国家と見なした宣戦布告から数ヶ月後には、その国は大陸の東側をほぼ手中に収め、大陸の三分の一ほどを掌握せしめた。
誕生してから僅か数ヵ月。もはやその国を小国と呼ぶ国は居なくなった。
新たな大国の誕生である。
この大躍進に慌てた残る2つの大国は、これまでの不和を一旦横に置き、一時的な不可侵を結び、そうして進撃を続ける新たな大国のその覇道への歩みを止めるべく、連合軍として挙兵する事となる。
これが大陸史で最も大きな戦いとして後世に残るものとなった。
新たな大国は、自らを「天の尖兵」と称し、連合国を迎え撃つ。
ぶつかり合う両者の争いは他の国々をも巻き込み、いつしかその姿は「連合軍」対「天の尖兵」という一騎討ちの様相へと様変わりした。
両者の戦いは、1年にも及ぶ長いものであった。
戦いの最中、誰もが思った。
この戦いに勝利した者が、大陸の覇権を握るのだと。
そうして、広大な焦土と数多の戦死者、それに追随する当時の人口の半分もの犠牲者を出しながらも、1年戦争は終結した。
戦いの末に勝利を収めたのは、天の尖兵を自負する新大国。
誕生から二年足らずで、小国は大陸の覇権を握るまでに成り上がった。
大陸を賭けた両者の争いが終結した事を機に、無法の地と化していた戦乱の時代も終わった。
その戦いを最後に、大陸はいままでの争乱が嘘の様に静けさを取り戻し、多くの犠牲と幾多の嘆きを礎に、長く続く平和な時代を手に入れた。
それは千年の都と称される程に、繁栄謳歌を極めた。
拓けた平野部の多く広がる大陸で、長く育まれた各産業と、都市部の周囲に拡がる豊かな耕地。更には地勢に恵まれ、人々は安定した生活を甘受し続けた。
これが、現在に続く王国の成り立ちである。
☆
大陸のほぼ中心に位置する王国の首都ハイヒッツ。
そこから西に向かって大陸の端まで進むと、横長に丸い大陸の形の中で、大陸が欠け、少し凹んだ様な地形の場所にたどり着く。
そこには大陸の中心に向かって盾のような山脈が並び、背後には遠浅の海が広がる。そこが辺境にある天然要塞の地、ランドール。
その真反対。
大陸の東側で大きな領土を保持する領地が存在する。
始まりの地とも呼ばれるその土地にある都市の名は、神都オーデイン。
宗教の総本山でもあり、教会の聖地とされる都市である。
その都市の東側に、一際大きな建物が聳え建っている。
大聖堂と呼ばれるその建物の中の広い空間。中に入れば誰もが見上げる王国一の高さを持った天井と、派手になり過ぎない、しかし祭祀を行う場所という意識を念頭に置かれて作られたであろう繊細で厳かに彩られた内装。
その中で、老若男女問わず多くの人々が、祈りを捧げるように佇んでいた。
始まりの地である神のお膝元神都オーデインには、熱心な信者が数多く、彼らは毎日のように大聖堂にやって来ては、こうして神への祈りを捧げて過ごす。
そんな信者達の前に居るのが、聖女と呼称される1人の女性。
白を基調とした修道服に身を包み、白い建物の内装と纏う白の服の中にあって一際映える黒髪。
細表の顔立ちで、真っ直ぐな黒眉が強さを象徴しているようであった。
聖女は、しばらく信者達を前にして、背筋を伸ばした立ち姿と通りの良い声で聖書の一節を朗読した後、読み終えたばかりの聖書をゆっくりと閉じた。
やや下を向いていた顔を正面に向けた聖女は、満足げに微笑むと、二言三言の言葉を紡ぎ、一礼。
信者達もそれに倣い、みな聖女に一礼を返した。
そうした後、聖女は、お付きのシスター数人を引き連れて、静かに大聖堂の奥へと消えていった。
聖女が居なくなったのを見計らったように、大聖堂の広い空間に、絢爛な鐘の音が響く。
それを合図に、信者達も続々と広間を後にした。
本日の務めを終えて、聖女の間と呼ばれる自身の部屋へと歩く聖女。
その道中、聖女がふと何かに気付いたような顔をした。
後ろに連れたシスター達には見えないその顔を、すぐにまた普段の顔に戻した聖女は、何事も無かったように自室を目指して歩いていった。
部屋の前まで来ると、聖女は軽く一礼し、そこでお付きの者達と別れた。
聖女はひとり、部屋の中へと入っていく。
部屋の扉を閉めた聖女はすぐに奥へとは向かわず、扉の前で立ち止まり、聞き耳でも立てるようにしばらくその場で身動ぎせずに立ち尽くした。
防音のしっかりした部屋の中には、聖女の呼吸音以外に音と呼べれモノはなかった。
ふぅと一度息を吐き出すと、ようやくにして止めていた足を奥へと向け動かし、そのまま向かいにあった机まで歩んだ。
「お借りした兵隊達は、どうやら失敗したようです」
聖女だけの空間。
誰も居ない部屋に向けて、少し残念そうな顔をした聖女が言った。
言葉を発した後、聖女はじっと様子を伺うように立っていた。
しばらくして、
「予備を使ってしまわれるのですか?」
問うた。
ただ1人の部屋で聖女は問い掛け、そうして答えを待った。
聖女とは、大陸を席巻する宗教の中において、神託によって選ばれる唯一無二の存在。
その役割は、神の声を聞く、というもの。
もっとも、これは比喩的なもので、本当に神の声が聞こえるわけではない。
そういう体裁で人前に立ち、それに沿うた振る舞いをして、それらしい言葉を口にした。
聖女といえば聞こえは良いが、その実、広報のトップといったところ。
無論、実はお飾りですなどと公表してはいない。
宗教の顔。
教会の象徴。
神の代行。
そういう建前の存在。
教会の声を人心に届けるのに都合が良い、というのが主な理由である。
もともとの聖女とされる女性――言うなれば、初代聖女には、本当に神の声を聞くという力があったらしい。
おとぎ話にも似た眉唾物の記録ではあるが、数百年前の書物にはそういう記述が多々見られる。
聖女の始まりは、大陸が乱れ、そこかしこで殺し合いをしていた頃にまで遡る。
戦乱の大陸。その中にひとつの小さな国が生まれた。
名をハイヒッツ国。現在の王国の基礎となる国である。
夢戦に敗れドン底だった者達を拾い上げ、導き、再び大陸の覇権を握らんとその小さな国の王として立ち上がったのが、ハイヒッツという名の男であった。
武勇に長けていたハイヒッツであったが、それだけで大陸の覇者になれる程、甘いものでもない。
しかし、彼は成り上がった。
一念発起した二年後には、ハイヒッツは大陸の覇者となった。
その大陸統一を成し遂げたハイヒッツの傍には、いつもひとりの女がいた。
その女性は、神の声を聞く事が出来る特別な女性であった。
女性は神託によってハイヒッツを導き、支え、時に奇跡ともいえる神の神業を代行せしめ、そうしてハイヒッツを大陸の頂きへと押し上げた。
ハイヒッツと共に国を導き、この大陸統一の大きな力となった女性こそが最初の聖女。
そこから代を変え、いまも聖女という存在があり続ける。
神を頂きに置き、その救いの語り部となる宗教の形が作られ始めたのはこの頃である。
その流れの中で、争乱の世の記憶と爪痕をいまだ多く残していた大陸に、世が乱れた元凶として、悪を形にした存在「悪魔」という概念が生まれた。
外界との接触が全く無い森の奥深くで暮らしていたとある一族が外界を目指した時期でもある。
王家の、王権神託。
そして、教会の聖女。
こうしてそれらは、不運とも言える悪魔の登場を糧にして、古き縛り、しかし絶対的な権力である両者は出来上がった。
ただし、絶対権力の両者であるが、その立場は全く同じではない。
王権神託によって絶対の地位を守って来た王家ではあるが、長く続く単一権力による支配は、徐々に綻び始め、昨今ではそれが急速に進み、いまや崩壊寸前であった。
対して、聖女、そして教会の地位はいまだ磐石。
権力による支配ではなく、宗教という救い、或いは拠り所によって人心を掌握してきた教会は、僅かな綻びすら見せていなかった。
神は絶対の正義という世界の在り方がある限り、人が神に救いを求める限り、揺るがない。
たとえその正義が仮初の救いであったとしても。
ただ真実があるとすれば、それは今の聖女が、かつての聖女と同じように、本当に神の声が聞こえる奇跡の持ち主であるということ。
今の聖女が、聖女としての役割を持った最初の頃。
その地位は、広報のトップとしての位置付けにしかなかった。
教会の物事を取り決めるのは教皇。その下に数人の大司教が続き、その次に聖女という地位があった。
しかし、神の声が聞けない飾りの聖女とは違い、神の声を聞くという御業を持った今代の聖女は、その力によって教会の舵を手にした。
表向きはそう見せずとも、裏ではその実権を確実のモノとした。
全ては主の命じるまま。
「わかりました。では、私が直接中央に赴きます」
聖女は、自分以外誰も居ない部屋の片隅に顔を向けたままそう応じた。




