堕ちた地
「お待ちしてやした」
シスネ達が屋敷の前まで来ると、重たげな鉄の門が音も無く開いた。
そうして門の内側から声を掛けて来たのは、赤目で黒い肌をして耳の長い痩せぎすの悪魔であった。
「まだ居たのか!?」
ヒロが慌てた様にアテナを構え、臨戦態勢を取った。
つい癖で銃口を向けたが、壊れたアテナに銃としての機能は既に無い。
そんな事とは知らない悪魔――トテトテが「ひぇ」と体を縮こまらせて怯えた。
そんなトテトテの様子に、アテナを構えたままのヒロが少し意外そうな顔をした。
ヒロが意外だと感じたのは、悪魔が悪魔らしからぬ怯えを見せた事よりも、「初対面の者が銃にビビっている」というところにあった。
銃の無い異世界のせいで、銃口を向けられても誰も怯えない。ビビらない。わけのわからない玩具か何かと鼻で笑う者までいる始末。
だからこそ、トテトテの反応はヒロには意外なものだった。
「大丈夫です。彼は屋敷の使用人です」
クローリの肩から降りながら、シスネが諭す。
同意するようにトテトテが何度も首を縦に振った。
「使用人?」
と、壊れたアテナを構えたままヒロ。半信半疑といった様子であった。
「トテトテと言いやす。どうぞお見知りおきを」
猫背を更に曲げて恭しく頭を下げたトテトテ。
挨拶の言葉を終えると頭を上げたトテトテが、ふとリナに顔を向けた。
ギョロリとした目玉を向けられ、驚いたリナの体がビクリと半ば反射的に震えた。
「リナさんですよね? ジルさんが中でお待ちでさぁ」
「母さんが!?」
先程とは違った驚きを見せたリナは、慌てた様子で門を潜り、トテトテの脇を抜け、屋敷の中へと駆け込んでいった。
「皆さんもどうぞ中へ」
トテトテは一歩横に避けると、片腕を振り、そうしてシスネ達を中へと促した。
長くランドールに住む者であっても、この場でトテトテに会った事があるのはシスネだけである。
ミキサンのように一見して悪魔とは分からない姿ならばまた違ったのかも知れないが、シスネ以外の者は、悪魔らしい容姿をしたトテトテが屋敷に居た事に訝しげな表情をしていた。
存在自体を聞かされていたクローリ達、ランドール家の戸惑いは然程でも無かったが、ヒロとハロはいまだ警戒を解いた様子ではなかった。
悪魔とは、騙す者。信用してはいけない者。
これまでの旅でそれを嫌という程味わった二人ゆえ、それは仕方がない事なのかもしれない。
シスネ達が屋敷の中に入ると、広いリビングの中でリナとジルが互いに無事を喜び、抱き締めあっている場面であった。
今のいままで気丈に振る舞っていたリナが、人目も憚らず大声で泣き、大粒の涙を流している姿に、一同も心の何処かでホッと胸を撫で下ろした。
二人の様子を少しだけ眺めた後、トテトテに促されてそれぞれがリビングに設けられたソファーへと腰を据えた。
「みなは無事ですか?」
改まった場に届く第一声。
紅茶を淹れるためリビングを離れようとしたトテトテを止めたのはシスネであった。
視線だけをシスネに向けたトテトテは、シスネの顔を見た後、紅茶を諦め、体ごとシスネに向け直した。
「勿論無事でやんす」
その言葉に、無表情のシスネを除いた三人から安堵の笑みが零れる。
「何があったのです? ランドールに」
吉報すらもサラリと流し、シスネが急かす様に質問を続けた。
無事だと告げた後に見せた微かに揺れた赤い瞳――そんなものなど無かったかの様な淡々とした口調。
実際は飛び上がって喜びたい程の朗報であるが、シスネがそれをすれば間違いなくこの場にいる全員の度胆を抜く。パッセルなどは「シスネ様の頭がおかしくなった」と思う事だろう。
トテトテは、どう説明しようかといった様子で「う~ん」と考え込んだ後、
「あっしも姐さんや黒服さん達の話を横から聞いた程度しか知りやせんので、その辺りの説明は姐さんにでも聞いてくだせぇ。少し前に連絡しておきやしたから、ぼちぼち来る頃かと」
「そうですか……」
シスネはそれだけ呟いてから、リナ達のいる方へと顔を向けた。
その視線に、リナの背中越しでこちらを向いていたジルが気付く。
「彼女はどうしてここに? ――いえ。どうやってここに?」
トテトテへと顔を戻したシスネが問うた。
「なんでもルイロット地方で悪魔に捕まって、それでランドールの地に拐われたそうで。それを、たまたま居合わせたスライムが助けて、この屋敷に届けてくれた、とまぁこんな感じでさぁ」
「そうですか、あの子が……。それであの子は?」
「ジルさんの話では、彼女を届けて直ぐに何処かに行ってしまったそうでやんす」
シスネは少しだけ何かを考える素振りを見せた後、
「屋敷もそうですが、あなたはここで何を?」
「あっしでやんすか? あっしは留守番でやんす」
「――留守番?」
「へい。御領主さん――いえ、元領主さんでやんしたね。姐さんやフォルテさん達は、元領主さんを探しに出てるんでやんすが、すれ違いでここに帰って来るかもしれないってんで、あっしだけここに。――ほぼ強制で」
結界だって万能じゃないってのに――ぶつぶつと小言を付けたし、いつものごとくひっぱたかれた頬の痛みを思い出したかの様に、トテトテは自身の頬を軽く撫でながら告げた。
それから、シスネが更に質問を重ねようとしたところ、「お話中すみません」と、横から声が割って入って来た。
ジルであった。
「わたくしジルと申します」
「存じております。私はシスネと言います」
「あの、ランドールの領主様……でございましょうか?」
「元、です。今は違います」
おそるおそるといった様子で尋ねたジルに、淡白なシスネの返答が続く。
ジルはシスネに会った事はない。
しかし、向こうは自分を知っているのでは? と、何故かその一言二言の短いやり取りでジルはそんな事を思った。
シスネから向けられる淡白な表情と、なによりその赤い瞳が、なんでも見透かされているような気にさせた。
ジルは少しだけシスネの目を見つめた後。
「娘を助けて頂いて、本当にありがとうございます」
深々と頭を下げたジル。すぐ隣にいたリナが慌てた様子でジルに続いた。
「助けるといった程の事はなにも。たまたま、目的地が同じだっただけです。それに――」
そこで一旦言葉を止め、シスネは疲れた顔でソファーに深く体を預けて天井を見上げるヒロへと顔を向けた。
「お礼なら彼に。私達だけではここに辿り着く事も困難だったでしょう」
「……俺はガキンチョを助けた覚えはない」
天井を見上げたまま、まるで悪態でもつくようにヒロは応えた。
ヒロの頭のすぐ隣、背もたれにちょこんと座っていたハロが苦笑いで肩をすくめた。
「ここから見てやしたが、あんちゃん凄く強いでやんすね」
「……見てたなら手伝えよ」
「あっしはこの屋敷から出れやせんし、あっしなんかが行っても邪魔になるだけでさぁ」
ヒロを誉めたトテトテは、両手に銃の形を作って「あれぞ天下無双ってやつでやんしたね」と、ケヒケヒ笑いながら再現でもする様に手製の銃をむやみやたらに撃った。
それからたった今思い出したように尋ねた。
「怪我は大丈夫でやんすか? 悪魔の魔法があんちゃんの腹を貫いた時はキモが冷えやした」
ヒロは何も答えずただ天井を眺めたまま、されど心の中で――余計なことを――とトテトテに舌打ちした。
目撃者など居ないと思っていたヒロの偉業だが、実はちゃっかり見ていた者がいたのもヒロにとっては誤算だった。しかしそれ以上に誤算だったのは、実は怪我ひとつないと豪語し、余裕綽々のその態度は強がりだったと暴露された事がなによりの誤算だった。
「ヒロ」
耳のすぐ横。えらく無機質な声色をしたハロの言葉がヒロの耳に届く。
「……なに?」
ヒロは顔を天井に向けたまま、――また小言が始まるのか――と、そんな事を思い、ややつっけんどんな態度で応じた。
基本的にハロは面倒見が良い。
苦手ではないが、人付き合いを億劫だと思っているヒロの性格も良く把握している良き相棒である。
ヒロやハロの関係に限らず、母か姉かというほどに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる存在というのは、誰にとっても有り難いモノ。
だが、甲斐甲斐しい世話というのは、その程度に比例して「ウザイ」と思わせる可能性を秘めていたりもする。
無愛想だが別に反抗期というわけでもないヒロにとって、世話焼きハロの存在は有り難いモノであるが、カッコつけてクールに決めたいヒロとしては、隠したい部分を人目も気にせずおおっぴらにされる行為は「ウザイ」。
それは、隠していたエロ本を見つけた母親に、本をきちんと本棚に整頓される様な行為に近い。
「見せなさい」
「…………問題ない」
「見せなさい」
「……余裕だ」
「見、せ、な、さい!」
「大丈夫だって言って――」
ここでようやくヒロは天井から視線を外し、傾けていた首を正し、そうしてハロの方に向け直した。
向けて直ぐ、ポカンと口を開けて身動ぎもせずに自分を見ているハロに気がついた。
――否。
ハロの視線は、ヒロの頭を飛び越えその後ろを見ていた。
「手伝うわハロちゃん」
背後から聞こえてきたのは、奇妙に裏返ったクローリの声。
途端に、ヒロの背中に稲妻のごとき悪寒が走り、全身に鳥肌が立った。
そうして、背後から放たれる殺気にも似た獣の気配に、ヒロが慌てて立上がり、立上がると同時に逃げた。
が、駄目。
「ヒィ……ッ」
ヒロの体は、背後から伸びて来た太い二本の腕にガッチリとホールドされてしまった。
そのまま強引に引き寄せられたヒロの背中に、分厚いタイヤの様な感触。ヒロがそれを認識した時には、既にクローリの胸の中に収まってしまっていた。
「ささっ、ヒロちゃん。脱ぎ脱ぎしましょうね」
「や、やめろ!」
抵抗するヒロだが、この怪物の腕力から抜け出すには奇跡でも起きない限り不可能である。
万全のヒロならば可能だったかもしれないが、無茶をして魔力を枯渇させた今のヒロでは逃げ出す事これ叶わない。
ヒロを片腕で押さえつけたまま、クローリは空いた手で強引に服を脱がそうとする。
「服を脱がすな! 離せ! ――あの……離してください」
「恥ずかしがる事ないじゃない。男同士なんだから」
「あんたが言うと別の意味に聞こえるんだよ!」
ギャアキャアとヒロが騒ぐ中、その様子を無表情に眺めていたシスネだったが、そっとため息をつく。
それは何も子供のように喚くヒロに呆れて出たため息ではなく、あらわになったヒロの腹部に痛々しい傷があったためである。
思っていたより、よほどのダメージを受けているらしい。
そう考えてから――それはそうだ、とシスネは考えを改めた。
大地を埋め尽くすモンスター達の屍の山。
加えて、死ぬと消えてしまうため確認は出来ないが多くの悪魔もいたようである。
それらをたった一人で相手取りタンコブひとつで済むわけがない。
――駄目ですね、私は……。
そういうため息。
その時、突然屋敷が大きく揺れた。
ビリビリと空気の震えるような感覚。
「何事です!?」
シスネのすぐ隣にいたパッセルが、反射的にシスネを体を掴み、支えながら声をあげた。
「まさかもう……」
目を見開き、呟いたトテトテが慌ててリビングから離れ、庭へと飛び出した。
最初にミナがトテトテに続き、やや遅れてクローリと羽交い締めにされたままのヒロが続いた。
体を掴むパッセルを手の仕草だけで離すよう促すと、シスネが立上がり、そうして自身も続こうかとした時に二度目の揺れ。
倒れる程の揺れでもなかったが、再び心配性のパッセルの腕が伸びてきて、そうしてシスネはパッセルに肩を支えられたまま、一番最後に庭へ出た。
「どういう事です?」
庭に出た後、先に飛び出していた面々に倣って上――敷地と外とを隔てる塀の向こう側を見上げたシスネが、ひとり言のように言葉を投げた。
シスネ達の視界の先。
屋敷の周囲を埋め尽くす黒い影。
無数の悪魔の姿があった。




