人知れず・2
ランドールに到着し、馬車から降りたシスネ。
その鉄の仮面を絶句させたのは、目の前に広がる光景であった。
街や木々など、まるで最初から何も無かったかのように広がる荒れた更地。
本来であれば、秋に一歩を踏み出した風に揺れる深緑と鮮黄のコントラストを描く森があり、実りの秋に動物達が舌つづみを打つ。
それはランドール住民も同様で、今年も実り多き森に感謝するという意味を込め、「豊穣祭」と称した馬鹿騒ぎの下準備に、街は大いに盛り上がりを見せている頃合いである。
しかし、いまシスネの目の前に広がる光景には、そんな予感など欠片ほどもない。
もともと資源を王国に差し出すつもりであったシスネではあるが、それはあくまで比喩的な話であって、街道の拡張に木を切り倒す事はあっても丸裸にするほど持っていくとは思っていない。
実際、王国の開拓班も邪魔な木々だけを排除しただけで、余計なところにまでは手を加えてはいない。
むしろ、人手が足らないランドールに代わり、魔王の穴の前後の街道を整備してくれてありがとう、という気持ちであった。
どうせ遊ばせている土地である。ランドールの人々が安心して暮らせる事を思えば、その土地の半分を持っていかれようが、痛くも痒くもない。
無くなってしまった木々や街もシスネを絶句させた要因では勿論あるのだが、それだけには留まらない。
「よう、遅かったな。道にでも迷ったか?」
ルイロット近郊からランドールまでは一直線の一本道。迷うわけなどないと分かっていてそんな事を口にする少年の姿を目にし、シスネは絶句し、その冗談にろくに反応も返せなかった。
一目にそれは山であった。
小高い山のその頂きに、少年は気だるげにあぐらをかいて座っていた。
肩に立て掛ける様に箒と武器を掲げたその少年――ヒロは、自身が築いたモンスターの屍の山の上で、シスネ達の到着を待っていた。
「これを……あなた一人で?」
答えなど聞かずとも分かりきっていた事。
普段のシスネならそんな事は口にしない。
ただ、信じられなかった。
目の届く大地を埋め尽くす屍の絨毯。
どれだけの数がいるのか見当もつかない。
それを殲滅せしめたのが、万の軍隊ではなく、たった一人の、まだ少しあどけなさの残る少年一人が為した所業であるという事が、にわかには信じられなかった。
「流石に魔力がすっからかんだ。まあ、四時間位寝たけどな」
強がりなのか、ヒロは、ふんと鼻でも鳴らしそうに無愛想な顔をして告げた。
四時間位寝た。
それは裏を返せば、それ以外の時間はずっと戦っていたという事ではないのか?
口にはしなかったが、シスネはその尋常ではない所業に呆れにも似た畏怖を覚えた。
「ヒロ、大丈夫? 怪我はない?」
絶句する一同から抜け出したハロが、心配そうにヒロの元へと近付いた。
顔や手など素肌に貼り付くパリパリに乾いた血。
紺色のローブは染み込んだ血で変色し、濁った紫色になっていた。
見れば見るほど、ヒロの様子は傍目には深刻な状態に見えた。
「あると思うか? ――いや、訂正する。タンコブが出来た」
アテナや箒を蛙の中に収納するだけの余力も無いヒロを見て大層心配したハロであったが、そんなハロの心配をよそに、疲れた顔こそしているヒロだがまだ余裕があるようであった。
ハロがホッと息をつく。
胸を撫で下ろしたのも束の間、ハロが少し怒った顔を作った。
「ほらもう、見せて。治したげるから」
「いいよ、タンコブくらい」
「いいから見せなさいってば」
鬱陶しそうに頭の上を飛び回るハロを手で追い払おうとするヒロだったが、結局、根負けした形でハロを渋々受け入れた。
余裕ぶってはいるヒロだが、実際はギリギリであった。
半日ほどで魔力が枯渇し、それを補う為に蛙の腹に溜め込んでおいた魔力、体力、怪我などの回復薬の大盤振る舞い。
本来は1日に二、三本が限界のそれらを無理矢理飲んで、この異常を乗り切り、偉業を成し遂げた。
無論、目撃者などいない。本当に1人だったと証明する事も出来ない。
ヒロが勝手にやって、勝手に成し遂げただけ。
副作用なのか四時間程寝て体力の回復に努めたヒロであったが、魔力が全く戻らない。
頭は痛いし、吐き気もする。銃を撃ち続けた両手はいまだに痺れが消えない。
ローザとクララは共に壊れ、アテナもシリンダーがぶっ飛び、最後の30分ほどはアテナのバレルを柄に見立て、鈍器よろしく銃床で叩いて仕留めた。
見せないだけで、気付かせないだけで、ヒロは何度も血反吐を吐き、何度も死にかけた。
そうやって死ぬ気で得たモノといえば、大軍相手に一人立ち向かい勝利したという達成感だけ。
けどまぁそれもいいかと、ヒロは思う。
ふとあの横顔を思い出した。
なんとはなしに横を見て、こちらを見ているシスネと目が合って、慌ててヒロはシスネから顔を逸らした。
ヒロが顔を僅かに赤らめ露骨に自分から視線を外した事に、小さな疑問を抱いたシスネだが、その小さな疑問の答えを考えるより早く横から言葉が割って入る。
「ほんとに……無くなっちゃったんですね」
静かにヒロとハロを眺めていたシスネが、ミナの声で意識をヒロ達からそちらに向け直した。
口のへの字に曲げて、泣くのを我慢している風なミナの声色。
シスネは少しだけ、ランドールがあった辺りに視線を向けた後、ミナの言葉に応じた。
「そうですね。無くなってしまいました。でも、たぶんみんな無事です」
ミナがびっくりした様にシスネに勢いよく顔を向けた。
同じように――ただしこちらは、ミナよりも小さな驚きをもってパッセルが問うた。
「何故、そう思われるのです?」
薄っぺらいその場限りの慰めなど、シスネは口にしない。
代わりに、小さくとも、可能性のある耳障りの良い言葉を口にする。
尋ねでもしなければ、悪い可能性は自分の中だけに留め置くのはシスネの悪い癖だと思っているパッセルだが、しかしそれは見方を変えれば、物事を淡々と眺めるシスネが僅かにでも可能性があると考えるからこそ耳障りの良い事を口にする、という事でもある。
善くも悪くも、可能性があるから口にし、可能性があるから口にしない。
そういうシスネだから、何かしら根拠があって「みんなは無事」と言ったのだろう。
誰もが諦めてしまいそうになるこの惨状を見て、それでもそう言うだけの根拠。パッセルはその根拠を問うた。
「カナリアが生きているからです」
シスネは当然だといった態度で答えた。
何故、カナリアが生きていると分かるのかとパッセルが尋ねるより早く、シスネがその答えを口にした。
「私は、カナリアとひとつの契約を交わしています。魔法による契約です。カナリアが死んだ場合、それは一方的な破棄扱いになります。それが私の中に無いという事は、カナリアはまだ生きているという事です」
契約の内容までには言及しようと思わなかったパッセル。
ただ、連絡も取れず、ランドールが危機的状況の中においてなお、シスネがここまでの旅でさほどに心配の色を見せなかったのは、その契約とやらがあったせいかと思った。
「とにかく、何故か残っている屋敷に行ってみましょう。リナの母親もそこに居るそうですし」
シスネが促すと各々が頷き、そうして一行は、荒れた大地を埋め尽くす屍の中にあって、そこだけポツンと場違いのように佇む屋敷を目指す。
目指すと言っても、さほどに大層なものでもない。今のシスネ達からも見えている。入り組んだ街中ならばいざ知らず、直線距離にして目と鼻の先。
ただ、足場がとかく悪い。
仕留めた獣の皮を剥がず、そのまま敷物にしたかの様な大地。1メートル進むにも苦労した。
屍は、一見するとほぼ無傷に見えるものが多く、「刺激したら起きるんじゃないか?」と思ってしまうほど。
しかし、そのどれもが眉間、ないしこめかみに穴が空いていて、そこから赤黒い血を流し、絶命していた。
「これってどうするんですか? 鼻が曲がりそうです」
屋敷を目指して屍の上を歩くミナが、鼻を指で摘まんだまま言った。
ミナの言う「これ」とは、おびただしいモンスターの死骸、そして周囲に漂う血生臭さである。辺りに蔓延する死臭がキツく、鼻の利くミナでなくとも鼻の奥がツンと痛くなり、こみ上げて来るものがある。
死ぬと霧散する悪魔と違い、元が獣であるモンスターは死んでもそのまま残る。
夏を過ぎ、初秋を迎えた季節とはいえ、日中はじわりと汗が滲む程度にはまだ暑い。そう日を置かずして、いずれ腐敗し、更に悪臭を放つ事だろう。
「そうですね。このままではランドールだけでなく近隣にも疫病が広がりかねませんし、なにより、これ程の死体がひとところにあっては、『ランドールは死体置き場になった』と勘違いされてしまいます」
シスネの冗談に、ミナが鼻を摘まんだままクスクスと笑う。
「焼くにしても、この量じゃちょっとした災害よね」
シスネを肩に乗せたクローリが周囲を見渡しながら告げると、「無事な木々にも燃え移りかねませんね」と、無表情のシスネが、しかし何処か愉快そうに応じた。
「それについては当事者になんとかしてもらえば解決なのでは?」
当たり前みたいな顔で言ったパッセルに、一番後ろで聞いていたヒロの顔から、ただでさえ流し過ぎた血の気が引いた。強がって余裕ぶったツケが回ってきたと、若干後悔した。
「魔王の主人にでも相談して魔王にやらせましょう。主人の言い付けを反古にした罰、とでも説き伏せて」
シスネがそう提案すると、「それが良い。流石姫。ナイスアイデアだ」と何故だかヒロが激しく同意した。




