理由が必要ならば
「ごめんなさい。勘違いしたみたいです。本当にごめんなさい」
先程の傍若無人な振る舞いなど無かったように、意外にも素直に謝罪し頭を下げたリナに、シスネ以外の一堂が不可解なものを見たような顔を作った。シスネだけが無表情。
「なんだ急に? 自己紹介だけで納得したのか?」
眉間に少しだけシワを寄せたヒロが尋ねた。
口にしないだけで、素直過ぎて怪しいとでも言いたげであった。
「納得と言うか……。お父さんに特徴は聞いて知ってたから……。ランドールの御当主様の事は……」
横目でヒロの顔を一瞥したリナが答えると、ヒロがシスネを一瞥した。
「そうですか。あなたのお父様が……」
その呟いたシスネの言葉に含みがある様に聞こえたリナは、少し何かを考えた後、やや間を置いてから慌てた様に口を開いた。
「あ、違くて! 別に悪口を言ってたとかそういうんじゃなくて……、あの、お父さん――父はもともとランドール出身で、それで」
「ランドールの?」
極僅かに驚きを含んだ表情をして聞き返したシスネは、一度自身の斜め後ろにいたミナの方へと振り返った。
シスネのその匂いの確認に、ミナが小さく首を横に振る。――知らない匂いだと――
「お父様はどちらに?」
「あの……、数ヶ月前に村がモンスターと悪魔に襲われて、元冒険者だった父は戦って、それで……」
「そうでしたか――。すいません。失礼な事を聞きました」
「い、いえ!」
無表情ではあるものの、一領主としては随分と態度の柔らかいシスネの様子に、リナは若干のバツの悪さを覚えた。
リナの知る領主というのは、大体が偉そうな奴である。(と言っても、辺境の小さな農村育ちのリナは、他の領主に会った事もなければ口を利いた事も無いのだが、イメージ的に、である)
「先程、」
「は、はい」
シスネからの言葉に、リナが思わず姿勢を正した。
どうやらシスネを前に萎縮してしまったらしいリナに、シスネは出来るだけ柔らかい口調を意識して話し掛ける。
「馬車の中で聞いた話だと、先程、あなたが言った事を鑑みるに、お母様が人拐いにあった、という認識があるのですが?」
「……はい」
「それはいつ頃の事ですか?」
「一昨日です。騒ぎのせいで村の人がほとんど他所に移っちゃって、それで、私達も村を捨てて他所に移住する為に準備してたんだけど、一晩経っても帰って来なくて……。それで、私一人でルイロットに行ったら、最近、この付近に人拐いが出る様になったからそれじゃないかって……」
「あなた一人で探してたの?」
ややうつむき加減で自身の現状を口にするリナに、クローリが尋ねた。
「今はルイロットも人拐いどころじゃないからって……。だったら、わたしが助けなきゃ。たとえ一人ででも、わたしが助けなきゃ」
後半は自分にそう言い聞かせている様な呟きであった。
シスネは少しだけそんなリナを眺めてから、
「あなたは父親似ですね」
「え?」
「人拐いどころじゃない、ですか……。それならば――」
「おい」
ヒロがやや怒った様な顔をして、シスネの言葉を無理矢理に遮った。
シスネの返事を待たず、咎める様な口調で続けた。
「お人好しも良いがシスネ・ランドール。あんたも急ぎだろ?」
ヒロの言葉に、シスネが無表情に――しかし、ヒロには少しだけシスネが意外そうな顔をして自分を見ている、という説明の難しい確信のようなものがあった。
「あなたからそういう台詞が出て来るとは思いませんでした」
そんな指摘をされ、ヒロが若干バツが悪そうにシスネから視線を外した。
「俺は万能じゃない。助けてやれる奴や、助けてやれる状況にも限りがある。そんな事は一々説明しなくてもあんたなら分かるだろ」
ヒロが舌打ちでも飛び出して来そうな厳しい表情をしたあと、一瞬だけ覗き見るようにクローリに視線を向けた。
「……すいません。怒らせるつもりはありませんでした」
「別に怒っちゃいない……。いないが、あんたがこいつを――外の奴に――」
そこまで口にして、ヒロは自身をまじまじと見つめているリナの方を横目に見、「ああ! もう! ……くそっ」と、苛立った様子で頭をガジガジと掻いた。
――お人好しが過ぎる。
そんなヒロの様子に、シスネはそういう感想を持った。
――ただ人一倍英雄願望が強いというわけではない。
大陸の三賢者にまで数えられ、魔導の申し子とまで呼ばれる程の卓越した魔法の才覚を有するこの青年は、それでも自身の力の無さに憤っている。
本気で、目の前の困っている人々全部を救いたがっている。
そして、見ず知らずの赤の他人を見捨てる事に、本気で憤っている。
――人助けが悪いわけじゃない。
誰しも、助けを求める者が目の前にいれば、そういう気持ちを多少なりは抱くもの。
親しい者ならば、その気持ちはより強い。自分がランドールを想うように。
――しかし、何処かで線引きは必要になる。
2つに1つの選択を迫られた時、どちらを取るか。どちらを優先させるか。
人は人であって、万能の神では無いのだから――
――それでもこの青年は、その限りある救いの中で取り零す救えない者達を前に、自分の力の無さに憤る。
力が無いから救えないのでは無い。
この青年ならば、たとえどんな困難な状況からでも人を救える。それだけの力がある。
けれど、力があるだけではどうにも出来ない。救えない。彼の体はひとつしか無いのだから――
そうして、無愛想な表情で、面倒くさそうな態度をして、その内心で激しく苛立ちを募らせる。
――お人好しや英雄願望どころじゃない。
これはもはや呪いに近い。
好き勝手自由を謳歌出来るだけの力を持つがゆえに、人の良いこの青年を縛る呪い。
シスネは無表情のまま、しばらくヒロを眺めながら思考したのち、口を開いた。
「あなたが捨てられないのなら、二者択一は私がしましょう」
「……なんの話だ?」
告げられたヒロが意味が分からないと眉をひそめる。
「理由が必要ならば、理由も用意します」
「だからなんの話だ?」
問い質すヒロに、当たり前の様な態度でシスネが答えを口にする。
「勿論、彼女の母親を助けに行く――そういう話です」
「だからぁ!」
吐き捨てるように言ったヒロの言葉など聞いていないかの様に、シスネはヒロから視線を外すと、不安そうな表情で二人のやり取りを見ていたリナへと顔を向けた
「そういえばまだ名前を聞いていませんでしたね」
リナが、ハッとしてシスネの顔を見上げ、慌てて「リナです」と答えた。
シスネは小さく頷くと、またヒロに顔を向け直した。
「元、とはいえ、モーリィはランドール住民でした。そうであるなら、リナも半分はランドール住民。私が助ける理由が必要ならば、それで十分です」
「モーリィ? 誰だ?」
「……お父さん」
ヒロが問うとリナから呟きにも似た返答があった。
「は?」
「モーリィは、わたしのお父さん。――どうして……」
何故、教えてもいない父親の名前を知っているのかと、先程とは違った意味で不安げな顔をのぞかせるリナ。
そんなリナに、シスネはやはり無表情で、知っているのが当たり前だとでもいう風に答えた。
「ランドール住民で私の知らない人はいません。――たとえ、その頃の私が6歳であってもです」
基本的に屋敷を出ないシスネゆえ、「名前だけ」という注釈がつくものの、ランドール約一万の住民達の名前を覚えている。知っている。
住んでいる者。
住んでいた者。
新たに生を受けた者。
亡くなった者。
それらを全て把握している。
ランドール住民は郷土愛が強いらしく、土地を離れて外で暮らすという選択をする者は非常に少ない。
少ないゆえに、ランドールを知り尽くすシスネならば、元ランドール住民で冒険者、という僅かな情報さえあれば、リナの父親が誰かと特定する事も容易かった。
直に見た事があるというのも大きい。
「モーリィ? 何処かで聞いた名前ね?」
シスネの口から出てきた名前に、アゴに手を当てたクローリが記憶を辿るように考え込む。
「13年程前にランドールギルドに所属していた冒険者です」
シスネが疑問の答えを口にする。
クローリが「ああ」と呟いた。
「私が街に来る前だから会った事はないわね……。けど、たしか『インバス』のメンバーじゃなかったかしら?」
「そうです」
「インバスって、レンフィールドがリーダーをしていたあのインバスですか?」
やり取りにパッセルが加わる。
引退前のレンフィールドが率いていたパーティー『インバス』。たとえ冒険者でなくとも、その名前はランドールの大抵の者が知っていた。
「有名なのか?」
何か聞きたげに、されど口を挟むのを躊躇っていたリナに代わり、ヒロが尋ねた。
「ランドールの中に限れば有名です。ランドールギルド始まって以来のAランクパーティーですから」
シスネが言うと、ヒロが横目にリナを見、「なるほど」と呟いた。
「コイツの才能は血筋か……」
ヒロの呟く様な言葉に、シスネは特に反応は見せず、向けられたリナはやや苦笑いを見せていた。
リナは優秀な冒険者の血筋には違いない。
ただ、リナの父親モーリィは剣士であった。魔法の才に秀でていたワケではない。
リナの魔法の才に関しては、どちらかといえば母親であるジルの血筋であった。中央の貴族街に住むそれなりに知られた貴族の娘。
モーリィと共に駆け落ちし、中央にもランドールにも居場所が無くなった悲運な二人。
「リナ」
「……はい」
「私があなたの母親を助けるのに協力したい、と言ったら、迷惑ですか?」
「いえ! そんな! ――でも……」
リナがやや恐る恐るといった様子で、ヒロに目をやる。
ヒロの態度から、何やら切羽詰まった状況にあるらしいと察していたリナが、本当に良いのかと、口には出さず目で問うていた。
しばらく、リナの視線を全身で堪能したヒロは、諦めた様に大きなため息をついた。
「どうせ嫌だと言っても行くんだろ? ランドールの姫さんは」
お人好しめっ、と悪態のような呟きで締め括ったヒロに、シスネが小さく頭を下げた。
「感謝します」
「姫がそう言うならアタシ達に異論は無いけれど、助けようにも拐われた場所も分からないんでしょ?」
クローリに尋ねられたリナが申し訳なさそうに頷いた。
「ミナはどうですか?」
シスネの言葉にミナが首を振る。
「すいません。流石に範囲が広すぎて……。さっきから似た匂いを探してはいるのですが、おそらくここからでは距離があるのか、それらしい匂いはしません」
「困りましたね。協力を申し出ておきながら、いきなり壁にぶち当たってしまいました」
全然困っていなそうな無表情をしたシスネがぼやく。
実際は、拐われてから2日経っている事もあり内心で焦っているし、どうしようかと悩んでいるのだが、鉄の姫の表情は何処までも頑なだった。
だが、シスネには余裕があった。何故なら――
「まぁ、問題ないだろ。任せろ。余裕だ」
「その台詞があなたから出て来るのを期待していました」
シスネに告げられ、うっ、と図星でも突かれた時の様な苦い表情をヒロがした。
それからヒロは、そんな自身の様子を見て笑いを堪えるハロに向け、「笑ってないで寄越せ」と仏頂面で言い放った。
「はいはい」
軽快に返事を返したハロが広げたヒロの手の平に降り立つ。
そうやって、手の上で立ったまま、ハロが小刻みに自身の背中に生える羽をパタパタと揺らした。
揺らした羽からキラキラと輝く光がヒロの手の平に落ちる。
しばらくそうやって、ハロは光を振り撒き続けた。
「それは?」
ミナが興味津々といった様子で尋ねた。
「まんま妖精の粉よ。暴視が使える様になるの」
「暴視ってあの暴視ですか?」
「一時的だけどな」
「こんなもんかしら? ――よっと」
手の平に粉で出来たほんの小さな山が出来たところでハロがヒロの手から離れた。
「ホントは妖精の羽ごと飲むのが正しいんだけどね。――って、コレあんまり言わないでね? 私はヒロがいるからともかく、他の妖精が乱獲されちゃうから」
ハロがお口にチャックの仕草をしたあと、ちょこんとヒロの肩に乗っかった。
そうして愉快そうに、「ささっ、ワタシの粉をグイッといっちゃって頂戴」とヒロに向け、笑って急かした。
「嫌な言い方するな」
仏頂面で言ったヒロは、妖精の粉が盛られた手を口元に近付ると、顔と一緒に一気に傾け、飲み込んだ。
「暴視」
一回限りで暴視を使用可能になったヒロは、すぐさま魔法を行使した。
呟く様に吐き出された言葉の直後。ヒロの左目の瞳が金色に変化した。片目のみなのは、マジックアイテムによる一時的に会得した魔法ゆえ。効果は10分程で消える。
黒と金のオッドアイとなったヒロは、両目を見開いたまま効果範囲を広げていく。
暴視は、解析系魔法の最上位とされる魔法。
その効果範囲は術者の魔力に依存する。
その為、魔導の申し子ヒロの範囲たるや半径500キロにもおよぶ。
どんなに厳重に隠された魔具や人であっても、暴視を発動中のヒロから逃れるのは難しい。
ヒロはしばらくそうやって黄金の目玉でじっと立ち尽くした。
見守る周囲のシスネ達からは言葉のひとつも発せられない。
木々のささめきだけが響く中、暴視を用いて自身の母親を探すヒロの背中を、祈るような気持ちで見ていたリナに、ヒロがゆっくり振り返った。
そうして振り返ったヒロの顔が、悲しそうな、何か言いづらそうに顔をしていた事に、リナの心が大きく跳ねた。
――駄目だった?
――見つけられなかった?
それとも――
リナの頭に様々な想いが過る。
母親の顔。
毎日のなんて事ないいくつものやり取り。
家族の団欒。
死んだ父親の事。
思考の中で、たくさんの思い出が急速に流れていく。
リナが、泣き出しそうになる気持ちを堪えて、ヒロの言葉を待っていると、ようやくにして悲しげな表情をしていたヒロが呟くように尋ねた。
「お前の母親なんて名前だっけ?」
「………………ジルよ」
とても冷ややかな口調でリナが言い、ヒロの肩に乗るハロが堪えきれずに吹き出した。




