立派なものです
アレーヌ街道を道なりに進むとルイロットの街に繋がり、そこから更に進めばランドール地方へ続く。
関所を抜け街道を進む馬車は、すぐに二股に分かれる道に差し掛かった。
向かって右方向、ルイロットへと続く道には進まず、馬車は左側、ランドール地方へと続く街道を進んだ。
関所からの距離が近いため、ルイロットに向かわず真っ直ぐランドール地方に向かう馬車の姿に、本来ならば怪しむ声のひとつやふたつがあってもおかしくは無かったのだが、後方からは馬車を引き止める様な声は聞こえて来なかった。
ランドールを目指して進む馬車の上。
「クローリ様、さっきの若い兵、なかなかのルックスでしたね」
御者台のすぐ後ろにある垂れ幕から顔を出したミナが、少し愉快そうな顔をして、手綱を握るクローリに話し掛けた。
「ミナもそう思った? 少し童顔だったけど、ああいう頑張ってる子を見るとついつい手を貸したくなっちゃうわ」
まるで悩みだとばかりに、嘆息混じりにクローリが溢した。
そうした後、クローリはもう必要ないかと、頭に被っていた薄いローブを剥ぎ、顔を曝け出した。
ミナも同じ薄手の布で上半身を覆っていて、本来ならばそれは、上半身を腰まで覆うようなローブであるが、体の大きなクローリには合わず、そのせいか今のクローリの見た目は赤ん坊が着けるヨダレ掛けの様な装いになってしまっている。
楽しそうにクローリとミナが談笑する一方で、パッセルは小さな驚きと感嘆の中、走る馬車の開けた後方から離れていく景色を眺めていた。
しばらくそうしたまま、不意に呟く。
「凄いものですね。妖精の隠蔽術というのは……」
自分達の乗るこの横長のドーム状をした簡素な布が全面に張られた馬車は、自分達と、そして途中で得た旅に必要な最低限の物しか積まれていない。
であるのに、先程の関所で行われた検閲に引っ掛る事なく通り抜ける事が出来た。
荷台にいたパッセルやミナからはハッキリと検閲者達が馬車の後方の垂れ布を開き、荷台全体の様子と一番手前に置かれていた荷物を手で開け、中を確める様子が視認出来た。
こちらからは相手の姿はハッキリ見えるのに、向こうには荷台の中の三人が全く見えている様子では無かった。
パッセルはその様子を、出来の悪い冗談でも見ている様な気分だと思いながら眺めた。
「そうですね。立派なものです」
ひとり言の様に呟いたパッセルの言葉に返す声があった。
それを発したのはパッセルの対面で横座りで過ごすランドール家前当主シスネ・ランドールその人であった。
パッセルが凄いと表現した事に対し、シスネが立派と口にした事に、少し不思議なものでも見た様な感覚をパッセルは覚えた。
それが顔にでも出たのか、補足でもするかの様にシスネが言葉を続けた。
「どんな形であれ、生き抜くための力というのは立派なものです」
「生き抜くための力ですか……。確かに、そう考えると立派なものですね」
納得がいったのかパッセルが頷くと、シスネも小さな頷きで返した。
シスネが立派と形容したのは、馬車の中にいるシスネ達からは見えないが、馬車の上空を相棒ヒロと共に飛んでいるであろうハロについてである。
魔導の申し子たるヒロの相棒ハロは妖精である。
いくつか存在する妖精の中の【モルガン族】と呼ばれる一族の出身で、モルガン族は他の一族とくらべ、比較的人前に出る事に抵抗が無い妖精であった。
その理由は、妖精族の中で最も魔法に秀でた一族であるからだ。
モルガン族は、相手の力を読み解く妖精心眼をはじめ、隠蔽、隠密などの魔法に長けた種族であり、それゆえ、そこらの人間程度には絶対に捕まらないという自負がある。
二重、三重と魔法を重ねた時の本気のモルガン族は、魔力探知や気配感知などものともせず、探索魔法系の最上位である暴視すらも掻い潜る。
元々の好奇心旺盛な一族の欲を満たすために、長い年月をかけて獲得したその魔力は、こと生存に関していえばどんな生き物よりも高いと言えた。
それはモルガン族の日常が証明しており、例えば、【妖精の花】と呼ばれる木ほどの背丈もある植物、その花の蕾から生まれたばかりのモルガン族の幼生は、言葉を覚えるよりも先に隠密魔法を覚えるとちやほやと可愛いがられる。末は賢者か国王か、といった具合である。
特にハロは幼生の頃から優秀で、一年に一回花開く【妖精の花】が咲いたその花の中に、ハロは居なかった。花が咲いたと同時に魔法によって隠れたのである。
「空だったんだろう」と、他のモルガン族がその花の事など忘れかけた2日後、空腹に堪えかねたハロがひょっこり現れた。
以来、モルガン族一の才女としてハロはもてはやされた。
モルガン族でも飛び抜けて優秀なハロに限らず、こと隠蔽術において妖精の右に出る者はいない。そう言われる程、妖精は幻覚や隠密などといった「姿を隠す事」に特化した種族である。
それは、人やモンスターが溢れる世界の中で、小さく弱い妖精が生き抜くための力。命を繋ぐための知恵。
ヒロが外からの侵入に厳しいランドールや中央の王城に入れたのも、このハロの魔法のお陰である。
ハロはこの隠蔽魔法を用い、シスネ達の旅を補助した。
そのお陰で、中央近郊からここルイロットまでは特に大きな問題も無く進む事が出来た。
大きな問題は無いが、小さな問題は多々あった。
ただそれは、逃亡に関してというよりも、慣れない長旅をこなす上でのものであったので、気にしなければ気にならない、程度のものでしかなかった。
しかしながら、ハトであるパッセルやミナが見て見ぬフリを出来ない問題でもあった。
起こった問題の大半が、敬愛する主君に関係するものばかりであったためである。
簡単に言ってしまえば、衣、食、住。
行きはまだ良かった。
長旅とはいえ、迎えに来た王国の馬車やランドール家の所有する馬車は豪華で、外観のみならず内装も行き届いていたし、街を幾つか経由しての移動という事もあり、食う、寝るにもさほどに困らなかった。
行きはよいよい帰りは酷い。
処刑される寸前から着のみ着のままで逃げ出したシスネ達に、行きと同じレベルのまともな足など用意出来るはずは無く、途中でどうにか手に入れた馬車は、荷車にただ屋根がついただけの簡素な物であった。
小綺麗ではあるが安物の衣服。
芋や野菜屑のスープなどの簡素な食事。
ガタガタと揺れる乗り心地の悪い荷台。
大陸でも一、二を争う大富豪ランドール家の姫が得る物として、それらはあまりに貧相。
その待遇に対し、シスネから特に文句などは出なかった。
彼女はそう言った愚痴を溢す性格ではないし、その時の最善がそれならば、それに理解を示し、納得する。
ランドールという土地は、悪魔の住む呪われた地として名を馳せる一方、豊かな土地としても知られている。
そして、その広大に拡がる豊かな大自然の中に、ポツンと場違いの様に美しい街並を有して建つのが、二人の姫君の住まう場所ランドールである。
大きな括りで見た場合、秘境の中の理想郷であるランドール。そしてそれを治めるランドール家というのは、膨大な資源、莫大な資産を持っている。
これらをランドール家当主の資産と見るならば、シスネ、そしてフォルテの二人は、資産家、と言えるだろう。
ただ、シスネはこの莫大な資産を自分個人の財産とは見ていない。
その莫大な資産について、シスネは「ランドールという街を回す為の運営資金」、という捉え方をしている。
街を管理するランドール家として、自分はそれを預かり管理する身、というのが裏方シスネの認識で、妹フォルテも姉のその教えがあってか同様の認識を持っている。
街を回す為のはずの財が膨らんでしまっているのは、単に一万程が住む小さな街ゆえ、外に出ていく支出よりも、外から入る収入の方が圧倒的に多いので貯蓄が増える一方だ、という話。
そして、この街の運営資金を帳簿から外した場合、実は、現在のシスネが持つ私財はとても少ない。
シスネは、立場や役目を考慮せず、自分個人の生活に関して言えば、私物というのは無ければ無いで構わず、生きる上で最低限の物が揃ってさえいれば良いと思っている節がある。
彼女にとって、「物」は物でしかない。
彼女が本当に大切にしたいのは物や街などではなく、そこに住まう人々であり、人々が安心して暮らす為のツールとして物や街があるに過ぎない。
そういう考え方を持つシスネゆえ、当主の座を妹フォルテに譲った事で、私財の少なさがより顕著になった。多少の不便や質素である事への不満など、シスネには湧いたりはしない。
だがハトの二人、特にパッセルは「旅の待遇の悪さ」が非常に気になったらしく、彼女の旅は「如何にしてシスネ様に快適に過ごして頂くか」というものに終始していた。
とまぁ、妙なところに神経をすり減らすパッセルではあったが、シスネはその事について軽く諌める程度で、強くやめろとまでは口にしなかった。
言わなかったというより、言えなかった。
もともとイデアが用意していた馬に繋ぐ荷車は逃亡期間の早い段階で確保出来たのだが、如何せん、シスネは「床座」というものに慣れていなかった。
ランドールに限らず、大陸では基本的に椅子に座る。床に直接座る事は基本的には少ない
庶民ならばともかく、幼少期さえ冷めた子供として日々を生きて来た姫君シスネともなれば、地べたに座るという経験はほぼない。彼女はそれを「はしたない」とさえ思っている節がある。
荷車を確保した時、その中へと乗り込んだシスネは、中を一瞥し、どうしたものかと少しだけ悩んだ末、結局、横座りにて荷車に揺られた。数時間揺られ続けた。
鉄の姫君は、いつ如何なる時も不動の姿勢を崩さない。
体こそ、でこぼこ道の作る振動で揺さぶられるものの、無表情に、凛として在り続けた。
その結果、シスネは野宿の際の夕食時に、「足が痺れて動けない」という、冗談みたいな状況に陥った。
不器用にも程がある――とはクローリの言葉。
足が痺れて動けない、だけならば良いのだが、足が床擦れしているわ鬱血しているわ目眩はするわで悲惨なものであった。
シスネの足を目の当たりにしたパッセルとミナが発狂したのは言うまでもない。
そんなシスネ達の様子を見て、「エコノミークラス症候群だな」と当たり前みたいな顔をして言ったヒロの言葉の意味を、他の異世界人が理解出来たわけではなかったが、続く「とにかく同じ姿勢でずっと居るな。下手したら死ぬらしいぞ?」という言葉は理解出来たので、以降は適度に足を崩したり、休憩を挟むようになった。
その出来事があったゆえ、待遇の改善に心血を注ぐパッセルにたいして、シスネは強く言えない。
迷惑をかけた事への後ろめたさにも似た感情と、頑張っている人に対し「頑張らなくて良い」と言い聞かせる傲慢さが、シスネの口を重くした。
余談だが、その時の足の治療にもハロの魔法が一役買っていたりする。
そんなこんなで続けた旅も、もう二、三日の辛抱。
ランドール改革における街道の改善もあって、予定よりもずっと早く、目指すランドールまではあと数日の距離にまで来ていた。




