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ヨビ

「ねっ、ねっ、シンジュ。座って座って」


「え……。あ、うん」


 僅かな光が射し込むだけの薄暗い部屋の中で、促されるまま私はちょこんと床に座った。

 私がいるのは檻の外。少年とは鉄格子を隔てている。


「僕はね、ヨビって言うの!」


 檻の中、少年――ヨビは楽しそうに笑った。


「ヨビ?」


「うん! 僕の名前だよ! 改めて! よろしくね! シンジュ!」


 パァと笑顔を咲かせるヨビ。

 場所が薄暗い檻の中である事を考えれば、ヨビの表情はその場では非常にアンバランスなものに見えた。底抜けに明るい表情。何だか背景にお花が浮かんでいる様な気さえしてくる。


「今日はすっごい日だよ! 僕ね! カカリ以外で人間に会うのって初めて!」


 きゃー、と両腕を大袈裟に振って、ヨビが全身で喜びを表現した。

 その一方で、私はカカリさんとやらに違和感を覚えた。


「ヨビ……君、で良いんだよね?」


 尋ねると、キョトンとした顔で小頚を傾げられた。


「違うよー。僕はね、ヨビって言うの!」


「あ~……。――まぁいいか……。ヨビはいつからここにいるの?」


「ずっといるよ!」


「ずっと? ずっとってどのくらい?」


「ずっとだよ!」


 ニコニコとヨビが答えた。


 そのずっとと言うのがどの程度の期間なのかを聞きたかったのだけど、とにかくずっとという事らしい。


「人間に会うのは初めてなの?」


「カカリ以外は初めてだよ! 後は、チッチとかピッピとか!」


「チッチとかピッピ?」


「僕のトモダチ! 今は居ないけど、来たらシンジュにも紹介してあげるね!」


 くるくるっと、両腕を広げて一回転しながらヨビが言った。忙しない子。

 テンション高い時の私も人からこんな風に見られているのかと、何故かそんな事を思って心の中で自嘲する。


「チッチはね~、いつもご飯の時間になったら来るの~。ピッピは~、あそこの穴から入って来るの~。ピッピが最初のトモダチなんだけど、ピッピがピッピッやピッピッピを連れて来てくれて~、そこからみんなトモダチなの~」


「んん?」


 ピッピやピッピッピやら、擬音の様な名前を早口言葉みたいに告げられて、やや戸惑ってしまう。

 戸惑いながらも、ヨビの指差した穴に顔を向ける。

 この薄暗い部屋の唯一ともいえる光源。光が溢れる穴。

 あの小さな穴から入って来るピッピ――小鳥?


「シンジュはどうやってここに来たの?」


 穴を眺めながらピッピについて考えていると、ヨビからの問い掛けがあった。

 私も、自分が何故ここにいるのか良く分かっていないので、すぐには答えず、一度、座ったまま上半身を捻って、自分が進んで来たであろう背後に顔を向けた。


 そこにあったのはただの無機質な石壁であった。


「あれ?」


 一面ただの壁しかない背後の様子に疑問符を浮かべる。

 私は確かに今見ている辺りからやって来たはずであった。

 しかし、壁を注意深く観察しても人がやって来れそうな入り口などは見られない。石壁を見る限り、あのグニョグニョっとした柔らかな感触がある様には見えなかった。


「シンジュが来た時はね、なんだかグニョグニョした黒い穴があったよ」


 顔をヨビに向け直し、「そうなの?」と確認する。


「うん。今は消えちゃってるけど……。――シンジュ、もう帰るの?」


 とても残念そうな顔をして尋ねられた。返事にとても困る顔。

 どうやって来たのかも分からないので、どうやって帰るのかも分からない。そもそもここが何処なのかも分からない。

 中央にあるスラムの教会にいたはずが、いつの間にか薄暗い檻の前にいる。

 まぁ……ただ――


 檻の中で、心配そうにこちらを見つめるヨビの顔を見つ返す。


 仮に帰り方が分かっていても、こんな悲しげな表情を向けられて、「じゃあバイバイ」とは言えない。

 しかも、理由は分からないけど、ヨビはずっとこの檻の中に閉じ込められているようだった。そんな子供を一人残して帰れるわけがない。


「まだ帰らないよ。どうやって来たんだっけってちょっと思っただけ」


 私がそう言うと、またヨビの顔がパァと明るくなった。


「じゃあね! じゃあね! 僕ともっとお話しよう!」


「うん」


「キャァ~!」


 会話を了承しただけで、最高だ、と言わんばかりに幸せそうな様子で檻の中をくるくると踊るヨビを見て、なんだか私もちょっとだけ幸せな気持ちになれた。





 夏の匂いが僅かに残る初秋の宵は、過ごしやすい夏の宵と違って少しばかり肌寒い。

 走る馬車の外を、微睡みながら眺めていた女性は、小窓から入り込む風を顔に受けながら――今年の冬は例年よりも冷えそうだ――と、そんな事を思いつつ、今しばらくはこの過ごしやすい気候が続く様にと、流れていく景色を見送りながら願った。



 女性の乗った馬車が街道を進んで行く。

 三頭の馬に引かれる馬車は大きく、中には女性を含め、他に二人の女性が乗っていた。

 御者台で手綱を握って座る男の体は大きく、そのせいか、大きめであるはずの馬車が一回り小さなサイズかと誤認しそうになる。


 四人を乗せた馬車は進む。

 現在、馬車が走っているのは、アレーヌという都市に程近い街道。

 少し前までは獣道と言っても差し支えない位に荒れた道であったが、急ピッチで進められた改修と拡張により、今は馬車が余裕をもってすれ違える程に広く整えられていた。


 しばらくカラカラと回る車輪の音を鳴らしながら進んだところで、馬車は街道に設けられた関所にたどり着いた。

 関所を目にした御者台の男は、一度遠くを見る様に頭からすっぽり被ったフードを僅かに上げて、関所へと目を向けた。

 薄い布切れの下、男が怪訝な顔をした。


 ――こんなところに関所などは無かったはずだ……。

 並ぶ馬車の最後尾に自らの乗る馬車を着けた男は、そんな事を思いながら関所を眺めた。


 関所――には違いない。

 ただ、とりあえず形だけ取り繕う様に設けられた様で、木造の簡素な造りであった。

 鎧を身に付けた兵士らしい兵は数人見える程度で、後は商人か何か、臨時的に雇われた者の姿が見えるだけであった。


 小さな不安を持ちながら順番を待っていると、二十分程で順番が回って来た。


「どこ行きだ?」


 御者に向け、慣れた様子で大幅に端折った質問を兵士が投げて来た。


「ルイロットです」


 間を置かず、値踏みする様にこちらに目を向ける兵士に、事務的な口調で御者の男が答えた。


「荷の中身は?」


「食料品と服。それから酒も少し」


 兵士は細かく頷くと、馬車の真横にいた雇われに顎で指示を飛ばし、「確認するぞ」と事務的に告げた。


「どうぞ」


 後方を見るでもなく、御者の男が了承の意を示した。


 真横に居た男と、それとは別に男が一人。計二人が馬車の後方へと移動した。

 馬車の後方から、布を剥ぐ乾いた音だけが聞こえて来る。

 御者は、特に何をするでもなく、静かに確認が終わるのを待っていた。


 しばらくして、


「よし、いいぞ」


 兵士が軽い調子で片手を振って、通れと促してきた。


「ご苦労様。――これ、少ないけど良かったらお仲間と呑んで」


 兵士に労いの言葉を投げた後、御者は横に置いあった木箱を兵士へと差し出した。

 兵士が木箱を覗き込むと、中には二本の酒瓶が藁に包まれ横になっていた。


「おお、気が利くな。有り難く頂戴する」


「良いのよ」


 僅かに顔を綻ばせた兵士に、御者の男がパチリとウインクをしてみせた。

 図体の大きい男から、まさかウインクが飛んで来るとは思っていなかった()()()()は、それを見てギョッとし、同時にゾクリと背中を粟立たせた。

 そうして、若い兵士は危うく落としかけた木箱を慌てて抱え直すと、「つ、次!」とややひきつった顔で後方の馬車へと声を掛け、仕事を再開させた。


 ウインクで若い兵士の度肝を抜いた後、小さく笑った御者が手綱を動かすと、馬車はまたカラカラと車輪を回して街道をゆっくりと進み始めた。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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