中央の中で
「おはよう、チェリージャン」
「ああ、おはよう」
朝の何てことないやり取りを交わした宿の一室。
二人が中央に来た初日に借りた部屋である。
朝はほぼ必ずといっていい程に痛む頭に渋い顔をしつつ、シンジュが支度を整える。
その間に、チェリージャンは朝食を貰いに宿の一階にある食堂へ。
頭痛のせいで朝は食欲が沸かないらしく、昨日からいつでも食べられる様にとサンドイッチにしてもらっている。
チェリージャンの分もあるが、彼は食べない。自然とそれはシンジュの昼ご飯になった。
シンジュが中央に来て3日目の朝である。
その日は朝から中央は慌ただしかった。
ただ、それは政治の中心に限った話で、シンジュを含めた民衆達にまでは広がってはいない。
いまだお祭り気分が続く庶民街で、シンジュは解呪者探しに奔走していた。
初日はチェリージャンが、2日目はシンジュとチェリージャンが手分けして情報の収集にあたったが、帰ってくる言葉は「今はいない」というものがほとんどだった。
何人か中央に留まる実力のある魔法使いを紹介してもらい訪ねてみたが、シンジュの説明にみな首を傾げるばかり。
別にシンジュの説明が下手というわけではなく、呪いを解いて欲しいというシンジュ本人に、肝心の呪いが掛かっていないのである。悪戯だと怒る者さえいた程だ。
シンジュが呪いと表現する『狂』は、ステータスとしては『人技』というスキルに該当する。
言わば、特技の様なモノだが、それを呪いと表現されても誰だって意味が分からないと首を傾げるだろう。魔法や呪いに理解のある者ならなおのこと。
このスキルに対しての見解は、魔法ギルドでも教会でも、どこに行っても同じだった。
では、スキルを消す魔法や、封じる魔具やアイテムなどは無いかと尋ねてみれば、一時的な物はあれど、どれも長く続くような代物では無かった。
一時的でも良いので、と魔具の購入を匂わせてみたが、これがとんでもなく高額な物であった。とてもではないが、今のシンジュに出せる額では無い。
シンジュは泣く泣く魔具の購入を諦めた。
これが2日目の出来事。
☆
中央に来て3日目となる今日は、少し趣向を変えてスラム街に行こうという話になった。言い出しっぺは私。
スラム街といえばガラの悪そうなイメージがあるので、中央のそれをスラム街というのは正確では無かったりする。
中央は、王家のお膝元という事もあって、地方に比べれば治安はさほどに悪くないらしい。街並みや通りを歩く人々の服装を見る限り、貴族と庶民でやや貧富の差が激しいが、それで盗っ人などの犯罪者が蔓延るというまではいかないようだ。貴族がお金持ちなのは、どこでも一緒だと思うし。
中央の民が住む居住区は、大きく分けて貴族街と庶民街の2つに分かれている。
その庶民街は、更に2つに分かれていて、中央生まれの根っからの中央育ちの者が住む地区と、出稼ぎなどで中央にやって来た者が住む地区である。
地方の様々な土地の者が集まる地区だけに、後者は少々荒っぽいというのが通説。昨日話に聞いただけで行った事は無いので、その荒っぽいとやらがどれだけなのかは分からない。
そういうわけで、貴族の中にはその地区をスラム街、なんて呼ぶ者がいるという話である。
ただ、一般的にイメージする様なひどいところでは無いというのが正直なところのようだ。
「はぁ、良い匂い」
スラムに伸びる通りを、鼻をクンクンと鳴らしてふらふら歩くのが私である。そのすぐ隣を、凛々しい青年――精霊から人に扮した姿のチェリージャンが歩く。
並んで歩いていても、まあ恋人には見えない。あまり似てない兄妹がいいとこであろう。
「呆れたな。さっき歩きながら朝食を食べたばかりじゃないか」
チェリージャンが小さなため息混じりに言うと、私はちょっと照れくさくなって頭を掻き、「甘い物は別腹なんで」と笑ってみせた。
「食欲旺盛なのは構わんが、どれだけ滞在するのか分からんのだ。多少の――」
「え?」
「買ってるし!」
チェリージャンが少し驚いた顔で言った。
彼がちょっと目を離した隙に、丁度私が屋台の焼き菓子の袋を握ってお金を払っているところだった。
あまりの早業に、チェリージャンはある意味で我が目を疑いかけたのか、確かめる様に小刻みに瞼を瞬かせている。
「美味しいよ?」
手に入れた一口サイズの焼き菓子を口に放り込みながら小首を傾げる。
甘い匂いに籠絡されるのが早すぎる私であった。
「朝はともかく、お前、食うの好きだな」
「うん。美味しいものを食べるのは好きだよ」
言うとちょっと呆れた顔をされた。
「いやまぁ、お前の金だから良いんだが、滞在費が無くなっても知らんぞ?」
「私ね、美味しい物を見て『食べたい!』って思った時に食べないと損だと思うの。前に知り合いの人がそんな事を言ってて、確かにって何か納得しちゃって」
チェリージャンからの忠告に、私の持論を展開しておく。
持論ってほど立派なものでもないし、人からの受け売りだったりするけれど。
「誰だ、そんな妙な事を吹き込んだ奴は」
「冒険者さん」
素直に答える。
言ったのはブラッドさん。食通さん。
「……だろうとは思ったがな。そういうのは冒険者とか兵士とか、明日は我が身を心掛けて生きてる連中の考え方だ」
「そんなものかな?」
「そんなものだ」
そこで私が「う~ん」と考え込む様に唸った。
まあ明日は我が身と言うならば、今の私も似たようなものなんじゃないかと思ったりする。
宵越しの金は持たない、とかいう話なら少し違うかも知れない。お酒呑めないし、というか未成年だし……。
私が考え込んでいると、どうせロクな事じゃないだろうとでも思ってそうな顔をしたチェリージャンが、小さく息を吐いた。
考えているようで考えていないのが、この目の前の少女である――と、チェリージャンは知っている。物知りさん。出会って10日程なのに、私より私を知っていそう。そんな気がする。
そして私は、なんだかんだで結局は――
「ま、いっか」
こう言うのだ。私は。
「何が『ま、いっか』なのかは知らないが、中央は広い。やる事は沢山あるぞ?」
「忙しくなるね」
「ああ」
「全部食べ歩きするのに何日掛かるんだろう?」
「そっち?」
今度は本気で呆れられた。
そんな会話をしながら、たまに買い食いをしてスラムの通りを二人で歩いていく。
今のところ、スリもカツアゲをしてくる悪い人もいない。
スラムとは名ばかりの安全な地区。ちょっとだけ残念な気持ちになる。相変わらずテンプレは無さそうだ。
何事もなく、ただ財布の中身を浪費し、それに反比例するように私がお腹を膨らましつつしばらく歩くと、通りに面した教会が目についた。
中央は広いせいか、ところどころで教会の建物を目にする事が出来る。
昨日1日だけでも四件見つけて、訪ね、解呪についての話を聞いた。
でも、なんの成果も得られませんでした!
教会の中に入る。
中はどの教会も似た造りになっていて、天井の高い礼拝堂がドンと構えていて、いくつかの長椅子が規則正しく並んでいる。
正面には神父さんが立つ壇上と机があって、その後ろには三メートル程の神様の像が立っている。像の後ろには鮮やかに染色のなされたステンドグラス。お高そう。
ランドールにも教会があるけど、ランドールと中央では祈る対象が違う。女神様と神様。
どう違うのか、何故違うのかは私は簡単にしか知らない。
フォルテちゃんが言うには、ランドールでは自然と先祖を奉るのだという。
なにやら小難しそうな規律が並ぶ中央の宗教と違い、ランドールはそんなに教義がしっかりしているものじゃないらしい。そもそも宗教じゃないと言っていた気もする。線引きは良く分からない。
ただ、ランドールの場合は、簡単に言えば、自然と人の生の積み重ねに感謝しなさいというものだ。
大雑把だけど、私はなんとなくそれを分かる気がする。
しかし、それだと、じゃあ女神様はなんなんだ、という話になるのだけど、あの女神様には実はモデルがいるのだと女神様が直に教えてくれた。
遠い昔の人。
ランドール家の始祖――初代ランドール。それが女神様のモデルになった人。フォルテちゃんやシスネ様のご先祖様。
耳が長くて、大きな翼を持った綺麗な人。
初代ランドールという存在が、長い時間の中で形を変え、そうして出来上がったのがランドールを守護する女神という存在。
そう、女神ランドールは教えてくれた。
もともと、自然と共に生きる生活を送っていたランドールの一族にとって、自然を敬うのは当たり前の事で、そこに、初代ランドールを敬う形態が溶け込み、今のような形になったのだそうだ。
だからランドールは、自然と、そして人の生の積み重ねに感謝し、敬う。
それを私に語った時の女神ランドールは、少し照れ臭そうにしていた。自分が敬まわれているのがむず痒い、そんな風。
私は、神様なんて人間とは違う遠い存在だと思っていたけれど、はにかむ女神様を見て、それで何だか随分近くにある存在なんだと思うようになった。
女神様は、容姿だけでなく声も綺麗だったりする。実際に会った事があるので私はそれを知っている。誰にも言っていないけど。
「誰もいないね」
礼拝堂の中程まで進み、そこで建物の中を一瞥した後、私はひとり言みたいに呟いた。
教会の中は礼拝者どころか神父さんやシスターもいない。
「待っている時間も勿体ない。出直すか」
チェリージャンが言うので、私が同意の頷きを返す。
特に興味もなさそうに教会を後にしたチェリージャンだったけど、私は折角だからと少しだけ教会の中を眺めた。
別に何かが気になったとかそんなじゃない。ただなんとなく、観光に来たから見ておこう、といった風。
そうして、像やステンドグラスを軽く眺めてから、踵を返そうとした時、一番前の長椅子から、ヒョイと頭が飛び出した。
私とチェリージャン以外に人がいるとは思っていなくて、ちょっとだけびっくりした。
こちらに振り返ったその顔は、私の知っている顔だった。
「あれ~? 一昨日の田舎もんじゃん」
ちょっと楽しげな顔をして話し掛けて来たのは、一昨日、冒険者ギルドで私を騙くらかして小銭を稼ごうとしたペテン師少女であった。




