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イデアの憂い・2

 自室に入ったイデアは、今の気分を態度で表現するかのごとく、荒々しく椅子に座った。机の上の紙山が僅かに揺れ、何枚かの書類が床に落ちた。


 気を静めるように息を吐き、一呼吸置いた後、

 椅子に座ったまま落ちた書類を拾い上げ、何とはなしにそれらを眺める。

 朝から晩まであちこちから届き、既に目は通してあるそれらの書類には良い事ばかりが書いてある。


 軍事予算から始まり、軍備拡張、増強、果ては兵舎の建て替えまで。

 中央の再建計画に加え、10年、20年先を見据えた各主要都市を地盤とする地域の活性と、それらに伴い新たに広がる街道網を描いた大陸の姿と理念が書かれた未来予想図。


 少し前なら、こんなモノはただの理想的な夢を広げ書いただけの紙くずと鼻で笑って破り捨てていたところだ。何処にそんな資金があるのかと。


 しかし、今やそれが夢に留まらず、手の届くところにまで来ている。

 ランドールという辺境の安寧秩序を引き換えにして――。


 ランドールが中央や主要都市と双璧を為す程の経済力を有しているのは、かなり昔から知られている。

 しかも、それだけの経済的発展を遂げながらも、実際に活用している範囲はランドール領土の二、三割だという。

 一体どれだけの資源があればそんな事が可能なのか、イデアには想像もつかなかった。


 ただ、もしも、活用されずに遊ばせている残りの資源を最大限に利用出来たならば、政治屋連中や商人達の描くこの夢の未来図は、実現出来るのかも知れない。


 だが、イデアは政治屋連中が空想するこれら夢物語に興味が持てない。

 その中にランドールが含まれていないのだから持てるはすがなかった。


 ランドールをのけ者にした王国の未来になど興味が持てないし、王国の理念を知りたいとも思わない。


 むしろ、逆に怖い。

 今の中央は、城中から外の大通り、そして貴族街から庶民街の隅々にまで、まるで祝賀会でも開かれているかのごとき盛り上がりを見せている。

 祝賀会に参加する民衆の彼らは、以前ならば考えられないような愛国心をもって、王国の一員である事に誇りと自信を持ち、王国再建、そして拡大に想いを馳せている。



 中央を逃げ出したあの日。シスネは無事逃げ出せたとの連絡を送って来た際に言った。


 ――数は力なのです。

 ――数を揃えるというのは、簡単そうでとても難しい――と。


 数は力。

 頭では理解していても、あまり実感としては感じられずにいたその事が、実際に自分の目で見てようやくにして実感出来た。


 ――数万人にも及ぶ見ず知らずの人々が、本気で正義を信じ、ただただ私一人を本気で叩き潰す為だけに集まり、絶対的権力を持つはずの王家の住まう城に押し掛ける。

 ――処刑台の上でそれを実際にこの目で見て、聞いて、知った時、私は心の底から怖くなりました。


 ――数の力は、私の想像を遥かに越えていた。

 どれだけ策を練ろうと、どれだけ準備をしていようと、どれだけ強い決意で挑もうと、数の暴力は、それらをいとも容易く踏み砕く。

 所詮は私の武器など、本で学んだだけの付け焼き刃にしか過ぎませんでした。


 ――私が考えている以上に、ランドールの勝率は高くはなかった。



 その時は、黙って静かにシスネのその言葉を聞いていたイデアだったが、その言葉の意味は分かる気がした。


 民衆達が城に押し掛けた時も、処刑台に詰め掛けた時も、そして今の熱狂も、どれも根っこは同じ。


 充足感を伴う一体感。

 反対の意見を一言でも口にしようものなら、罵倒されてしまうのではないかと、そう感じる程の恐怖を覚える。


 そして、熱気を伴うこの輪の中に、ランドールが入り込む隙など微塵も見せぬまま、中央の炎は、草原を走り抜け、山々を飛び越え、やがて方々まで燃え広がっていく。


 ――何故だろう。

 何故、この輪の中にランドールは入らないのだろう。

 どうしたら仲間に入れて貰えるのだろう。


 今回だけでなく、イデアは王国に来てから幾度となくそんな風に自問した。

 その答えは未だ出ない。



「いかんなぁ」


 唐突にひとり言を呟いたイデアが気を引き締める様に自身の顔を両の手の平で叩いた。


 ――今考えるべきはそこではない。

 ランドールの現状だ。

 シスネとは連絡が取れている。順調にランドールの向けて進んでいる様だった。

 だがランドールとの連絡が取れない。

 そして、順当ならばランドールと交戦しているであろうハイドラ将軍とも。

 どういう状況に陥っているのかが分からない。

 どちらが勝っているのか負けているのか、既に終わっているのか続いているのか。なにひとつ情報が入って来ていなかった。


 その為イデアは、ハイドラへの援軍と称してランドール地方への遠征をさんざ求めたが、各都市の代表者で構成される議会には聞き入れて貰えず、ならばと今日はアルガンに直談判を行ったが結果は変わらなかった。


 ――ここらが潮時かもしれん。


 イデアはそう考える。

 未練もない王国の将軍という地位を放り捨て、ランドールへ亡命しようか……。

 イデアはおおいに悩んでいた。

 本当なら、こんなに悩む事なくさっさと王国を抜けてランドールに向かいたいイデアだったが、そんな彼女の考えを押し留めていたのがシスネの存在であった。


 シスネはイデアに、ランドールに来いと直接は勿論、そういう色を匂わせる言葉の一言だって言わなかった。

 ただ、カモとしての本分に務めよ、と。


 ランドールとの連絡が取れないのはシスネも同じらしく、今のランドールがどういう状況かはシスネにも分からないようだった。

 シスネにもイデアにも分からない状況の中で、それでもシスネはイデアの力を必要とはしていない。


 ――何故だろう?

 ――自分は信用されていないのだろうか?


 ふと浮かんだその不安を、イデアがかぶりを振って打ち払う。


 ――そんな事はないはずだ。

 でなければ、自らが処刑されようとしているあの土壇場で、私を頼ったりはしない。


 イデアはランドールにとって有益なカモであると同時に、王国では名の知れた将軍であり、有名人である。実際、それなりに人気者だと自負しているイデアの挙動は人々に注目されやすい。

 カモとして顔を隠し通すには、それなりの注意を払って動かねばならない。


 イデアは更に思考を重ねる。

 今はあの時の同じくらい、切羽詰まった状況ではないかとイデアは思っている。

 なのに何故、シスネは自分を呼び寄せないのか――。


 結局、考えてもイデアは答えを導き出せなかった。

 出せるはずもなかった。


 シスネの隠した思惑(想い)には気付けなかった。



 シスネは、イデアをランドールに呼び寄せるつもりは無かった。

 たとえランドールが滅びようとだ。

 中央で将軍にまで出世し、軍属ではあるものの安定した生活を享受するイデアを、わざわざランドールに呼び寄せる必要をシスネは感じなかった。

 そのままランドールのカモを演じ続け、たとえランドールが滅びようとも生き残り、そしてこの先を生きていく。

 それで良いと思っていた。


 イデア本人は納得しないかもしれないが、父であるリコフも、娘が生きていけるなら構わないと、シスネのその想いに応えた。「なんのかんの、アイツも中央で楽しくやってるみたいだしなぁ」と付け加えた上で。


 ゆえに、本人の意志次第ではあるので、イデア本人が行きたいと望みそのように動けば、ランドールでも何処でも好きな場所で好きに生きたら良いと考えるシスネだが、シスネからイデアをランドールに呼び寄せる事は決して無いのである。

 もしも、シスネからイデアを呼び戻す事があるとすれば、それはランドールと王国が、本当の意味で手と手を取り合い、分かり会えた時である。


 カモとしての本分に務めよ。

 その言葉に続く、中央で幸せに生きよという言葉は、シスネとリコフの間でのみ交わされる言葉。イデアの耳には決して入らない言葉である。


 そうして、本人の知らぬところで勝手に自身の人生を決め付けられるイデアの元に、ひとつの報がもたらされたのは、翌日の早朝の事であった。


 その報は、たまたま近くの湖の調査に出ていて本隊との合流が遅れた数人の兵が、ルイロットに駆け込み、そうしてもたらしたものであった。


 兵からの報告は、アルガン並びに議会を大きく揺るがせた。

 拒否し続けていたイデアのランドール地方の遠征を、あっさり受け入れる程に。


 とにかく情報を欲した中央は、イデア将軍のランドール地方派遣を先駆けにして、混乱する情勢の把握に動き出した。

 ともすれば、彼らの描いた空想版図が水泡に帰しかねない事態。



 ランドール地方消失の一報は、時代の激しいうねりを確かに予感させるものだった。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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