イデアの憂い
◇
「どうか行かせて頂きたい!」
荘厳さを演出する為に敷かれた華美な絨毯の玉座の間。
そこで、城中に轟こうかという大声を上げたのは将軍イデアであった。
「くどいぞ、イデア将軍。軍人の貴様が出向いて何の意味がある?」
玉座から届いた深い声が玉座の間に響く。
居住まいを正した騎士達が立ち並ぶ先、金銀細工の細やかな装飾が施された玉座を背にした声の主――アルガンの顔は、病床から起き上がって間もない事もあり、やや疲れた様な顔をしていた。
「ですから! 何度も申し上げました通り――」
「何度も申したならば口を閉じよ。貴様にはこの歓声が聞こえぬか?」
アルガンの声以外、立ち並ぶ騎士の些細な鉄鳴りすら聞こえぬ静寂の場。
アルガンが口にしたのは比喩的な、この場ではない外の民衆達を表した言葉であった。
現在、首都ハイヒッツを含めた主要都市は、かつてない程の好景気の予感に沸いていた。
膨大な資源を持つランドールの財が、改革に着手し始めてから10日という時間差を経て、王国に流れ始めた為である。
中央の門を潜り抜け、荷馬車に揺られて次々と運ばれて来る木材や鉱石などの山。様々な物が列を為し淀みなく流れてくる壮観な光景は、ほとんどの者に初めての驚愕と、否が応にも押し寄せる期待感を与えた。
それと同時に、今のいままで彼の辺境の地はこれら全てを独り占めにしていたのかというイラ立ちをも沸き立たせる。
互いに微動だにせず、無言の応酬を二呼吸程とった後、イデアが折れたように目を伏せ、「貴重なお時間を頂き、ありがとうございました、アルガン陛下」と頭を下げた。
やがて、頭を上げたイデアは、周囲を見渡すこともなく、静かに踵を返し、玉座の間を後にした。
☆
イデアが玉座の間を出ると、扉の外に控えていた副官がすぐに近付いて来た。
イデアとは、新兵時代から長い付き合いのある副官は、出て来たイデアの顔を見て、――駄目だったか――と悟るだけでなく、表情には出さない怒りをも感じ取った。
――服を着て歩く苛烈が怒っている。
その怖さは、今でも同期内での語り草。酒の席での会話の一興。
何も言わず、廊下をやや早足で歩くイデアに、副官も黙ってついていく。
軍人達が居とする兵舎は、城の外にあった。
その兵舎に向かってイデアは城を出た。
そうして城を出て、ようやくにして黙り込んでいたイデアが口を開いた。
「ハイドラ将軍より連絡は?」
副官には目も向けず、足も止めず、正面を向きながら歩くイデアが副官に尋ねた。
「ありません。こちらからも呼び掛けてはいますが、あいにくと連絡の取れぬ状況が続いています」
「……そうか」
そのやり取りの後、また無言が続く。
さほどに離れていない兵舎。その入り口が近付き始めたところで、今度は副官の方から話し掛けた。
「イデア、最近のお前は少しおかしいぞ。何をそんなに焦っている?」
上司と部下ではなく、同期として、或いは友としての心配を乗せた副官の言葉、口調に、ここで初めてイデアが足を止めた。
一間置き、
「なぁ、ルシオ」
「なんだ?」
「お前は今の中央をどう思う?」
「中央をか?」
副官ルシオは、少しだけ逡巡ののち、
「良くなって来ている」と口にした後、「では、不服なんだろうなお前は」と、イデアの怒りが再熱しない様に配慮した言葉で、急いで話を進めた。
なにやら難しい顔をしたイデアは何か言いたげではあったが、肩をすくめたルシオを見て、結局特に反論らしい反論はしなかった。
目に見えて良くなって来ているわけではない。改革からまだ半月も経っていないのに、急に何かが変わるわけはない。
ただ、立場に関わらず、人々の表情はみな明るい。以前より活気に溢れている。 目に宿る生気が明らかに違う。
それもこれも、ランドールから物が流れて来ている為だ。
栄華を誇ったかつての王国が、再びその頃の力を取り戻そうとしている――少なくともルシオの目には、今の中央はそんな風に見えた。
「俺は別に政治家連中の回し者ってわけではないが、活気に溢れていると思ったのは本心だ」
「私とて、別にその事に不満があるわけではないさ。生活が豊かになるのは良い事だ」
特に表情も変えずにイデアは言うと、また止めていた歩みを再開させた。
「なら何が不満だ? 何故、わざわざアルガン殿下に直談判までしてランドール地方への遠征をしたがる?」
二人は歩きながら会話を進め、そうやって兵舎の中へと入っていく。
「ハイドラ将軍から連絡が無いからだ」
「確かに連絡が無いのは気にはなるが、もともと――」
兵舎の中で擦れ違う兵が敬礼を向けてくる。
それにイデアとルシオは軽く礼で返し、更に進む。
イデアの隣まで歩み並んだルシオは、周りの目を気にする様に、先程よりやや音量を落とした声で続きを口にした。
「もともと、アイツは手柄を独り占めしたがる奴だったし、それで連絡を怠り気味だっただろ」
そういう奴だとルシオが笑う。
恨み節を言い出せばキリがない。とにかくハイドラという男は昔から手柄に対して貪欲だった。だからこそ将軍にまで成り上がったのだろう。
「だとしても、全く無いというのは異常だ」
「まさかランドールの連中に負けたでも言いたいのか? 一万の兵力だぞ? 有り得ん」
「逆だ」
「逆?」
「ランドールがどういうところか、お前も知っているだろう」
「そりゃな。悪魔領ランドール。今やこの名を知らない奴は余程能天気に生きてる奴だけだろうよ」
「ハイドラは、以前よりランドールを目の敵かの様に語る事が多かった。聞いた話では、遠征が決まった時には、『これは聖戦だ』と声高に出兵したそうではないか」
「悪魔の巣窟であるランドールの崩壊は、王国軍人の悲願だ。別におかしな事でもないだろ?」
イデアの引っ掛かる物言いに、ルシオはやや眉をひそめて尋ね返した。
その問い掛けにイデアが心の中で舌打ちをする。
「それが問題なんだ」
「どの辺がだ? ――もしかしてお前、自分が聖戦に参加出来なかったから拗ねてるのか?」
ルシオが小さく笑いながら言った途端、イデアは立ち止まり、そんなルシオを鋭い目付きで睨みつけた。
半分冗談のつもりで言ったルシオだったが、その視線に小さく驚き、足を止めた。
「私は戦争屋ではない」
「冗談だ! そんなに怒るな」
くだらない会話に砕けてみたが、今のイデアには逆効果であったらしく、両手をあげて悪かったと降参のポーズを作るルシオ。
イデアは、一度息を吐くと、また歩みを再開させた。ルシオも続く。
しばらく歩き、二人は将軍であるイデアに宛がわれたイデア将軍専用の個室の扉の前にたどり着いた。
そこで立ち止まり、イデアが扉を開ける。
そうして、イデアが扉を開け終わった時にルシオが口を開いた。
「イデア、お前の懸念はどこにある? 結局、何が心配なんだ?」
明快な発言をする事の多いイデアが、ここまで濁す様な言葉ばかりを口にするのは、どんな理由があるのか――ルシオは遠回りを止め、正直に言え、と暗にイデアを促した。
イデアが真剣な顔で考え込む。
その横顔を見て、ルシオは――ああ、やっぱりイデアは綺麗だなぁとそんな事を思う。凛々しく戦場を駆ける姿も良いが、やはり自分はこっちの方が好みだなと。
何かを考えている時の真剣な表情。その横顔。
正面から見つめると、勘の鋭いイデアに「何か用か?」と尋ねられ、こちらが何かと疲れる。やはり、この将軍を眺めるならば横顔が良い。
そうしてルシオが横顔を眺めていると、しばらく考え込んでいたイデアが答えた。
「……私の懸念は、ハイドラの奴だ……。アイツが――」
横目にルシオを見ながら、そう口にしたイデアの言葉が止まった。
言葉の途中でルシオが「え?」と間抜けな声をあげたせいである。
イデアが怪訝に思い、そちらに振り返ると、ポカンと口を開けたルシオの姿が目についた。何か意外なモノを見たとでもいう様な顔だった。
「なんだ?」
「……いや」
「ならなんだその顔は? 気持ち悪い奴だな。はっきり言え」
イデアが促すと、ルシオが観念したかの様に小さく頭を掻いて応じる。
「戦争屋と言った事は謝る」
「んん? なんだ急に?」
殊勝そうに言ったルシオに、イデアが眉をひそめる。
「いや、なに。勇猛果敢に戦場を駆ける我が将軍も、人並みの乙女の様に恋をするものなのかと思ってな。――お前、ああいうのが趣味だったのか?」
これは意外と、ルシオが肩をすくめる。
一方でイデアは、ルシオが何を言ったのかすぐに理解出来ず、眉をひそめたまま言われた事の中身を理解しようと考え込む。
数秒のち、
イデアの顔が真っ赤に染まる。
扉の取っ手を握った拳がわなわなと震え、カチャカチャと取っ手が鳴った。
「どんな勘違いだ!? 馬鹿か貴様は!?」
大砲もかくやあらんとばかりに叫んだ後、イデアは、バンと激しい音を響かせ、八つ当たりでもするかの様に力任せに扉を閉めた。
兵舎中に轟こうかという程の叱責を受けた副官に、周囲に居た者達の心配そうな視線が集中する。
しかし、そんな周囲の心配をよそに、叱責されたはずの副官ルシオの表情は、悲しげでも不安そうなモノでもなかった。むしろ、何処かホッとしている――そんな風。
そうしてルシオは、ああいうのが趣味と言ったのが自身の勘違いであった事に、安堵の胸を撫で下ろしつつ、その場を後にした。




