寝ない子だ~れ?
森の中、際立って聞こえてくるのは振られた剣の鋭い音。ただそれだけが木霊する。
斬られてはくっつくを繰り返すだけの、端から見ればシュールに見える少年の地道な努力の甲斐あってか、スライムの体積はいまや二階建ての家程までに膨れ上がっていた。
体積が増す事に徐々にブラッディ・メアリーの剣が鋭さを無くしていく。
いくら水とはいえ、この質量を断ち切るのは容易では無いだろう。
いまだに押さえ込もうとするスライムを剣一本から繰り出す斬撃で耐えているのが不思議なくらいである。
最初の細い輪であったならばともかく、目の前にあるモノだけを斬る事に執着し、逃げるという選択肢を持たないブラッディ・メアリーは、既にドーム状の巨大なスライムに四方八方を覆われ、逃げ出す事は不可能であった。
それでも斬る事を止めないのは、ブラッディ・メアリーが諦める事も恐怖に怯える事すら知らずただ斬る事にのみ囚われる狂人の様相だからであろう。
しかし、それももう終わる。
ブラッディ・メアリーの剣が、ついにスライムの体を断ち切れなくなった。
生み出す斬撃が皮一枚を残し、スライムを切断出来なかった。
それでも斬る事を止めないブラッディ・メアリーの体をスライムが包み込む。
その体の中に取り込む。
取り込まれたブラッディ・メアリーは、自力では指先ひとつ動かせなくなった。
「戻し方は聞いたけど……本当に大丈夫なの? って言っても返事なんかくれないか。――死んだらゴメンね」
何処から発しているのかも分からない言葉を紡いだ後、スライムは内側に取り込んだブラッディ・メアリーの頭に手を掛けた。
他者から見て、それは手を掛けた様には見えない。ただ、一人の女が家程もある水の塊の中に閉じ込められている光景。
しかし、確かに女の頭には、手が、腕が、しっかりとしがみついていた。
少年は、ヘッドロックの様にその頭を押さえ込み、そして――
ゴキリと首をへし折った。
否――
正確には首を元に戻す為に頭を捻った。力任せに。
そこからスライムによる肉体改造が続く。
ゴキッ、ボキッとブラッディ・メアリーの首から鈍い音が響く。
ここに来る前、少年に提示されたブラッディ・メアリーの対処方法は2つ。
血塗れの貴婦人という魔法の使用状態にあるメアリーの魔力が尽きるのを待つか、その捻れた首を正しい位置に戻すか。この2つである。
明日の朝まで、とつけ加えられた前者を悠長に待つ時間はない。
必然的に後者を選ぶしかなくなるのだが、端目に見て、どうしたってメアリーの首をへし折り、殺している様にしか見えなかった。しかもかなり残酷に見える。
だが、これが正しい血塗れの貴婦人の解除法だとカナリアは言った。愉快そうにクスクスと笑って。
血塗れの貴婦人への対処方法はいくつかある。
カナリアの述べた『首を元の位置に戻す』方法もそのひとつだが、ただ如何せんこれは容易ではない。
相応のリスクと実力が要求される。
もっと簡単な対処方法がある。
寝たフリを含め、眠る者には決して手を出して来ないという特性を利用してやり過ごすというものがそれである。
シスネ曰く、
ブラッディ・メアリーとは、「寝ない子供を寝かしつける為の脅しの様なもの」なのだという。
ようは「早く寝ないとブラッディ・メアリーが来るぞ」と脅して、寝かしつける為だけの存在。それがブラッディ・メアリー。
そうやって怯える子供達の幻想が生んだ怪物である。
もっとも、その怪物は脅しの範疇に留まらず、現れたら本当に殺しに来るので達が悪い。
ただやり過ごすだけならば寝たフリひとつで構わないのだが、寝たフリをするにも時と場所を考える必要はある。
今は王国軍とのぶつかり合いが本格化する直前。
ずっと寝たフリをしてやり過ごす訳にもいかない。戦場で間抜けにも寝たフリなどしていたら格好の的でしかない。
仕方なく、イェジンはブラッディ・メアリーと矛を構える選択肢を取った。
最悪、負けそうになったら寝たフリでやり過ごそうという思惑もあった。即死しなければだが……。
メアリーが今の状態になったのは一度や二度ではない。
ランドールの大人なら大抵の者は実際に目で見て知っているし、そんな大人達が幼い子供相手に使う「早く寝ないとブラッディ・メアリーが来るぞ」という脅しが、ランドールでは当たり前の様に使われていたりする。
そのせいか、実在するオバケという恐怖の代名詞としてメアリーはランドールの子供達に恐れられていて、懐くどころか、中には普段のメアリーを見ただけで泣き出す子供もいる始末。その事にメアリーは僅かながら不満を持っていたりする。
生まれ故郷を襲ったモンスターを皆殺しにした時を除けば、ランドール家に連れて来られた初日に、人前で初めて、メアリーはこの状態になった。
ブラッディ・メアリーの姿はその時によって微妙に違う。
首が一回転しているのはデフォルトであるらしく毎回の事なのだが、酷い時には関節という関節がネジ曲がっていたりする。
そうしてネジ曲がった関節で、四つん這いで迫る事もあれば、両足がネジれ過ぎて使い物にならず、腕だけで這って(しかも猛スピードで)迫る事もある。
イェジンが、「今回はマシだな」と口にしたのも、それらに比べたら頭のひとつやふたつが一回転している姿など可愛いものであるからだ。
初めてブラッディ・メアリーが現れた時、その不気味としか言い様が無い姿にランドールが戦々恐々する中、彼女は暴れに暴れた。
人に襲いかかるは、その過程で物を壊すわで、気付いた時には慰謝料と壊した物の弁償費用で首が回らなくなる程の借金を彼女は抱えていた。
「首が回った結果、首が回らなくなるという不思議。ミステリー」とは本人談。
ただ、その頃は今よりもずっと体が小さく、力も弱かったのが幸いし、暴れる度にクローリやまだ現役であったレンフィールド達が取り押さえた。かなり嫌々そうに。
その後、何度かそういう事があった後、「力を付ける前に対策を考えねばなりませんね。あれを見る度にフォルテ(当時7歳)が大泣きします」と語ったシスネ(当時10歳)の発案により、発動条件の解明、対処法、解除法などが模索された。
そして現在に至る。
解除にかこつけて、自分にメアリーを殺させるつもりではないのかと疑った少年だったが、カナリアの後に続いてフォルテに「ひねる数を間違えるなよ。死んでしまうぞ」ときつく注意されたので、きっと正しいのだろうと実行に踏み切った。
ひねり過ぎると、元に戻った時に脱臼か、折れているかのどちらかであると、過去の教訓で知っていた。多分、首だったらメアリーは死んでいた。
そして、どうやら少年のその解除法は間違いがなかったらしく、メアリーの首が真っ直ぐ、他の人達と同じ綺麗な首に戻ったところで、それまでメアリーから放たれていた異様な空気がふっと消えるのを少年は感じた。
「良かった。人殺しにならずにすんだ」
メアリーを体の中から吐き出し、地面に横たえながら少年が安堵したように呟いた。
直接言われたわけではないが、ミキサンとのやり取りの中で、少年は自身の主君が人を殺す事をよしとしない事を知っていたので、万が一にも殺してしまい拒絶されようものなら、それこそ世界の終わりだ、と内心びくびくしていた。
しかし、なんとか無事に目的を達成出来たようである。
さっきまでの気持ち悪い何かなど無かったように、幸せそうにぐうぐう眠るメアリーを一瞥し、起こして早くランドールに行こうと少年がメアリーに声を掛ける。
「メアリーさん、起きてください。メアリーさん」
力が入り過ぎないよう、体積を元のサイズにまで戻した後、ペチペチと軽く頬を叩いてメアリーを起こそうと試みる。
しかし、一度寝たらなかなか起きない事に定評のあるメアリーは、頬を叩かれたくらいでは起きないのである。
何度か頬を叩き、体を揺さぶる。
しかし、一向に目を覚ます気配の無いメアリーに、だんだん腹が立ってきた。
「もぅ! 遊んでたら僕がミキサンに怒られるんだから! 早く起きてよメアリーさん!」
少年がそう叫んだ時、メアリーがパチッと目を見開いた。間髪入れず、ガバリとメアリーの上半身が起き上がる。
メアリーが起きた事に、少年がホッと胸を撫で下ろしたその直後――
メアリーの首がぐるんと360度捻れた。
「しまった!」
名前を三回呼んでしまった自分の失態に頭を抱えて、少年はまた、メアリーを戻す為に奮闘するのであった。
鏡の前で「ブラッディ・メアリー」と三回呼ぶと現れる。
海外にあるそういう都市伝説です。花子さん的な。




