全にして個
投稿話を一話飛ばすという失態をやらかす
「おい、殺さず無力化出来るか?」
イェジンがスライムの少年に問う。
「うん。戻し方はカナリアさんに聞いたから」
少年がコクコクと首肯く。
「嫌だけど、この人は僕が相手するよ。イェジンさん達はランドールに行って」
「手伝わなくて平気か?」
「大丈夫。手は足りてる。ミキサンがね、全員、ご主人様の自宅に集まる様にって」
ん?とイェジンが疑問符を浮かべた。
「何故だ?」
「分かんない。とにかく集めろって。今みんなで手分けして住民を集まてるとこ。でね――」
少年の言葉が言い終わる前に、突然動き出したブラッディ・メアリーによって少年の体が真っ二つに切り裂かれた。
イェジンが小さく驚き、カジカは目を見開いた。
「くそっ! 油断しすぎだ!」
カジカが苦々しくそう口にし、槍を構え直した。
「いま僕喋ってたじゃん! やめてよね! そーゆーの!」
「――あ?」
真っ二つになり死んだと思った少年が、地べたに転がったまま口を開いて悪態をついた事に、カジカが呆けた顔をする。
そんなカジカの目の前で、ブラッディ・メアリーからの斬撃がいくつも放たれ、少年がバラバラにされた。
バラバラにされた少年からは血が一滴も流れ出ず、代わりに薄青色をした液体が地面に広がった。
そうして、理解出来ず硬直するカジカの前で、液体が生き物の様に寄り集まり、小さな山を築き、膨らみ、また元の少年の姿を形作った。
「もぅ! ほんと空気読んでよね!」
腰に両手をあて、頬を膨らませた少年が腹立たしさを滲ませてプリプリと抗議の声をあげた。
生き返った少年を、ブラッディ・メアリーがボーっと不思議そうに眺める。
それはカジカも同様であった。
カジカの顔にはハッキリと、「意味が分からない」と書かれていた。
「街に向かいながら説明してやる。――とにかく、ここはアレに任せて私達は街に向かうぞ」
イェジンがカジカの肩を叩きながらそう告げた。
ああ、と生返事を返し、カジカは名残惜しむ様に少年に目を向けた後、イェジンの後を追うようにその場を離れた。
離れる二人の背中を少し眺め、それから少年はブラッディ・メアリーへと顔を向けた。
ブラッディ・メアリーは相も変わらず後頭部を背中にくっ付け、パリパリに乾いた血塗れの髪をダラリと垂れ下げたまま、離れていく二人を無表情で見つめていた。
それを目にして、また少年の中に嫌悪感が滲み出て来て、露骨に顔をしかめた。
しかし、さっさとこの気持ち悪い何かとの対峙を終わらせたい少年は、二人に気を取られ、余所見をしている今が好機と見定めて行動を開始した。
自身はその場から微動だにせず、そろりそろりと近付ける。
ぼけっとするブラッディ・メアリーをよそに、その周囲にやや薄青い色のついた液体状の玉がいくつも集まり始めた。
それは全にして個である少年とは別のスライムであった。
スライムは音も立てずにブラッディ・メアリーの背後?(顔の方向的には背後だが、体の向き的には正面である)に忍び寄ると、非常にゆっくりとその距離を詰めた。
そうして、手を伸ばせば届く距離にまで迫った時、少年は、自身とスライムの位置を切り替えた。
切り替えると同時に、ブラッディ・メアリーを押さえ付けようと素早く両手を伸ばす。
しかし、その腕が触れる直前に真横から切り払われ、放物線を描いて明後日の方向に飛んでいってしまった。
ブラッディ・メアリーの剣によって斬り飛ばされたのだ。
「ああ! もぅ!」
上手くいかなかった事にイラ立つような声をあげた少年。
そんな声をあげつつも、しかし、少年は動きを止めなかった。
折角この距離にまで近付いたのだ。このまま押し倒してやろうと少年が体ごとブラッディ・メアリーに体当たりを敢行した。
上から真っ二つに切り裂かれた。
頭からヘソの辺りまで2つにされた少年。
それでも死なず、痛みもなく、ただやはり少年は腹立たしそうに抗議の声をあげた。
「「なんだよもぅ! 大人しく捕まってよ!」」
頭が2つあるせいで、右と左に別れた口が同時に声を出し、言葉が重なる様に響いた。
そうして、ヘソの辺りから体を2つにされた少年が、そのまま支えを失って、ブラッディ・メアリーの左右にそれぞれ前のめりで倒れる。
しかし、完全に倒れ切る前に、少年は人型を止め、透き通るスライムの体に自らを変化させると、グニョリと体を引き伸ばし、ブラッディ・メアリーを中心に置いて、自身の体で輪を描いた。
「にひひ」
悪戯そうに少年が笑う。
明確に形を持った水にしか見えないそれの、一体何処から声が出ているのか、端から見る限りは判別出来なかった。
自分を囲む水の輪をはね除けようと、ブラッディ・メアリーが剣を四方に振る。
森の中に、小さな水を切る音が無数に響く。
しかし、輪は一瞬途切れはすれど、形が崩れると思った次の瞬間に水が触手の様に伸び、そうしてまた繋がり、輪を形作る。
伸ばしたせいで輪が少し広くなる。
しかし、輪はブラッディ・メアリーを捕らえようと収縮する。
そうして収縮する輪が生まれ、また斬られ、またくっつき、また断ち切られ、また繋がる。
それを何度も何度も繰り返す。
その間に、何処からともかく集まったスライム達が、次から次へと元少年のスライムにくっつき、どんどんと体積を増やしていく。
体積が増える度、輪は太くなる。
こうして、斬る者と斬られる者の終わりの見えない攻防が始まったのである。
ずっと同じ事を飽きもしないで両者が繰り返す中で、少年、そしてモンスターについてを少し語る。
少年――それに名前は無い。
呼ぶのに不便だからと、ミキサンが名前を付けようとしたが、少年はそれを拒絶した。
名前を付けられるなら、自身の主人が良い、という理由で。
ゆえに、ミキサンが付けようとしていた『ヘタレ』という名称はお蔵入りとなり、現在は『少年』『スライム』『2号』など各自が好きな様にこの少年を呼んでいる。
この少年は、スライムである。
最弱のモンスターと世界に名を馳せる存在である。
ただし、少年の強さはスライムのそれを逸脱していた。
少年が主君として敬愛する者の力により、ただのスライムに過ぎなかったものが、進化し、力を得て、少年はこの世界に唯一無二の存在として成り上がる。
その主君の力――『完璧育成』は、本来はそれを行使されたモノにのみ効果を与える代物である。
しかしながら、このスライム少年の場合は少し変わった効果が発揮された。
その効果を説明する前に、モンスターの成り立ちについてを説明する。
モンスター。
それは悪魔同様、数百年前にこの世界に誕生した。
それまでの世界において、悪魔もモンスターもこの世界には存在しなかったモノである。
悪魔がそうである様に、モンスターも魔法という奇跡によって生み出された生物である。
魔法によって悪魔という存在が世界に定着したように、魔法によってモンスターという存在が世界に定着した。
両者はどちらもそういう魔法なのである。
ただ、一般的に認識されている魔法と違い、悪魔やモンスターは生き物の様に世界中を我が物顔で闊歩しているゆえ、便宜上、両者は魔法とは呼ばれず、悪魔やモンスターという呼ばれ方をしている。
そんなモンスターとは似て非なるモノとして、魔法生物という存在がある。
魔法生物――例えば、大沼蛙などは、誰がどう見てもカエルである。
しかし、大沼蛙は魔法に分類され、魔法生物という名称ではあるものの、正確な意味において生物としては見なされていない。
それは、大沼蛙が魔力という名の人の手が無ければ、その存在が世界に顕著化されない為である。
モンスターの様に、人の手を借りずとも自立するモノとは明らかに異なる。
生物と魔法の中間。それが魔法生物という存在。
ただ、その魔法生物を、もしも人の手が入らずとも世界に存在出来る様に固定化出来たならば、それは魔法生物ではなく、新たなモンスターとして世界に定着する事になる。
その固定化された事象が、モンスターであり、その成り立ち。
そうやってモンスターとして世界に確立された存在には、当然、元となるモノがある。
悪魔が瘴気を媒体に、負の感情に魔力を注ぎ、そうやって生まれた様に、モンスターももともと世界に在ったモノを依り代に生み出された。
どのモンスターも大抵はその見た目で、何を元に生み出されたのが漠然とながら判断出来る。
それを踏まえた上でスライムの話に戻ると、スライムの元とされたもの――それは水である。
元が生物ですら無いのだが、とにかくスライムは水を媒体に魔力を注いで生み出されたモンスターである。
水というのは、海や川といった場所や、海水、淡水、雨、雲などの状態によって呼び方も多種多様に変わるのだが、それはどう呼び方を変えても、つまるところ水のひとつの形に過ぎない。
簡単に形が変わるし、個別に分ける事も容易い。
しかし、どんな形にしようとも水は『水』でしかない。
そんな水を媒体にして生まれたスライムは、生まれた直後はひとつの水の塊であった。
世界の約10分の1を媒体にして生み出されたスライムは、元を正せばたったひとつの巨大なスライムとしてこの世に生を受けた。
それが長い年月の中で散り散りに分かれ、今の形に収まって、世界各地に広く分布している。
少し見方を変えると、スライムというのはバラバラに見えて、実は全て同じたったひとつの塊なのである。
全にして個。
世界の何処にでもいる唯一無二の一匹。その総称こそがスライム。
スライムは、元の媒体が水である為か他のモンスターの様に子を為さない。増えない。
ただ、その分、水と魔力さえあれば何処にでもポコポコ生まれる。
生まれるというより、これは再生に近い。全にして個であるスライムの端っこが欠けたので、元に戻そうか――そんな具合である。
ゆえに、その数は常に一定で、何かの理由で大きく数を減らしても、別の何処かで減った数と同じだけのスライムが新たにポコポコ生まれ出る。
減らないし、一定以上は増えない。
世界の約10分の1を目安に、スライムは世界に存在し続ける。
仮に、生物を絶滅させようと思ったら、同じ種類の個体を全て刈り取る必要がある。
子を為さなくば、生き物は存続出来ない。
しかし、水であるスライムを根絶やしにする為には、水か、或いは魔力を世界から全て消さねばならず、実質的にスライムの根絶やしは不可能。
そうして、モンスターの生態系ピラミッドの中で最底辺ながら、決して滅びる事の無いスライムという最弱にして不死身のモンスターが誕生したわけである。
そんな全にして個であるはずのスライム。そのバラバラの塊の小さな欠片のひとつが、奇跡の力を得た。
初めて意思を持ち、知恵というモノを獲得した。
いままではどれも同じ平等であった存在の中に、突飛した司令官とも呼べる存在が生まれたのである。
それこそが、この少年であった。
全にして個であるスライムの、個にして全を束ねる存在である。
彼がその気になれば、世界の約10分の1の量となる途方もない水の波が、大陸を飲み込む。質量という原始的な力の束が全てを押し流す。
無論、そんな制御もまともに出来ない無差別な破壊を彼はする予定はないし、するつもりもない。
第一、数百年の年月をかけて世界に散らばった足のトロいスライムを、一ヶ所に集めるのは何年かかるか分かったモノではない。
それでも、ランドールを中心とした周囲の広大な土地からスライムが続々と集結中である。
その数は既に十万を超えている。
圧倒的な数の暴力を体現せしめる存在として少年が成り上がるのは、もはや時間の問題であった。
ただし、これは予定でしかない。
今のところ、元が一個のスライムと弱いせいか、さほどの脅威にまでは成り上がれていない。
だからこうして、少年は不死身なのを良い事に、ブラッディ・メアリーを囲み、スライムが集結するまでの時間稼ぎを目的として、ひたすら斬られて繋がってを繰り返していた。




