胎動
「総員傾聴!」
魔王の穴があるギアナ山脈。その足元。
山脈の肌を震わせる様な号令が響く。
「将軍閣下より訓示!」
副官の声に規則正しくズラリと並んだ兵が顔を引き締める。それらを一瞥したのち、ランドール方面の任についていた将軍――ハイドラは小さく頷き、声を張り上げた。
「諸君! 戦争だ!
いや――これはもはや聖戦である!」
ピリピリとした空気が更に強まるのを感じ、ハイドラ将軍を始め、兵士達の昂りもより一層強くなる。身の内の滾りを感じる。
「彼の地ランドールは! 愚かにも我が王国の慈悲を忘れ、我が王国を脅かさんと、その牙を! 爪を! 我が王国人民に振り下ろした。
この悪魔の蛮行を許せるか!?
否! 断じて許されるべき事では、ない。
たとえ! 慈悲深き神が許そうとも、我らが許してはならない。
何故なら! 神に唾吐く不逞な悪魔共を殺すのが、我ら王国軍人の果たすべき義務であり、存在異議! であるからだ。
間抜けなランドールの民は、悪魔にそそのかされた、哀れな! 邪教者共である。
ならば! 神の尖兵たる我らが、信心なき邪教者共の、死をもって! 救ってやらねばなるまい。
これは聖戦である!
永きに渡って悪魔に支配された彼らを救えるのは、諸君達しかいない!
殺す事こそ救いである!
悪魔を恐れる必要などない!
何故なら! 我らの傍には常に! 神が寄り添って居られる! 神は諸君らをお見捨てにはしない!
神の尖兵達よ! 今こそ! 悪魔に神の鉄槌を降す時!
悪魔を討ち滅ぼしたその時こそ! 我らは永き道の果て、約束の地に至らん!」
「「「オオオォォォォ!」」」
地鳴りにも似た兵士達の雄叫びが木霊する。
兵士の誰もが、体の底から沸き上がる愛国心と、妄信的なまでの神への信仰心に体を奮わせる。
留まる事を知らず高くなる身の内の熱を吐き出すように、兵士達は雄叫びを上げ続けた。
悪魔の姫君シスネ・ランドールによる王国転覆。
その謀略が失敗したという報がハイドラの耳に届いたのは一時間程前の事。
ハイドラは待ってましたとばかりに、すぐに兵士達を集結させた。
その数、およそ一万。一個師団相当。
そうして、ハイドラの待ち望んだものがようやく始まろうとしている。
部下の前でだらしない――と思いつつも、暇をもて余していたハイドラの顔には自然と笑みが零れる。
――いかんいかん。気を引き締めねば……。
ハイドラが、ふとすれば弛んでしまう口元を手で無理矢理に抑えつける。
と、そうしてハイドラが口元に手を当てた時の事だった。
兵士の集結する広場の真ん中で、突然土煙が上がった。
逸った兵士が失態でも犯したのか――と、小さく眉を吊り上げたハイドラが壇上から土煙に目をやる。
土煙を中心から距離を取った兵士達の輪が、ハイドラの視界に収まった。
――なんだ?
訝しげたハイドラが目を凝らす。表情が引き締まる。
輪の中心には、数十の人影。
一瞬、ハイドラは我が目を疑った。
と言うのも、全員が統一された同じ様な黒い衣服に身を包むその集団の姿が、ハイドラには本当に影の様に見えたからである。
ただ黒い影だけがそこにある。そんな風に見えた。
「敵しゅ――」
自軍のど真ん中に突如した現れたその影に、兵士の一人が叫び声を上げたが、その声が最後まで吐き出される事は無かった。
口を大きく開けたまま、その兵士の首が宙を舞った。
突然の登場。
突然の死。
認識する間もなく行われたその一連の行動に、王国軍が呆気に取られる。
その僅か数秒程の間。
素早く動いた影は、ひとつの塊であったモノから幾つもの影に分かれ、手当たり次第に王国軍へと襲いかかった。
その影の集団の最も近くに居た者達にしてみれば、それは不運としか言い様がなかった。
状況の理解も追い付かぬ内に、ある者は首を一刀の元に切り裂かれ、ある者は心の臓を貫かれた。
首をへし折られた者。
臓物を溢す者。
たった数秒。
しかしその数秒で、数百にものぼる累々の屍体が広場に転がった。
「敵襲だ! 殺せ!」
壇上のハイドラがそう叫ぶのと「撤収!」という声が影の中から上がるのはほぼ同時であった。
仲間の死を前にして、状況が理解出来ずとも「襲撃」されている事、そして「殺すべき敵」である事を呑み込んだ兵達が、思い出したかの様に武器を構え始める。
しかしもう遅い。
それを嘲笑うかの様に、影はひとつ残らず兵達の前から音も無く消え失せた。
先手を取ったのはランドール側。
こうして、両者の戦いは幕を開けた。
☆
「全員いるか?」
血で赤くした剣を握ったまま、銀髪の女性が周囲のカラスに向けて言葉を作る。
「いまーす」
「大丈夫でーす」
口々に、或いは無言のまま軽く手を上げ、カラス達が銀髪の女性――イェジンに応えてみせた。
イェジンは、後ろでひとつに纏めた団子状のみつあみを揺らして頷き返した。
「よし、なら――」
「イェジン副長、隊長が居ません」
次の行動へと移る為に言葉を紡いだイェジンの口を、そう告げて止める声があった。
告げられた途端、イェジンが露骨に面倒臭そうな顔をする。
「……ほっとけ」
どうせサボって夢の国にいるだろう隊長メアリーの安否を、イェジンはバッサリ切り捨てた。
メアリーを隊長とし、その下の副長イェジン率いるランドールのカラス達。
指南役とするクローリを除いた総勢70名。
全員が女性で、下は15から上は22とまだ若いが、ランドール家の英才的戦闘教育によって純粋培養された精鋭達である。
彼女達は、行動を起こす直前に「如何にランドールを勝利に導くか」を話し合った。
「適当にぃ」と言われて、本当に適当にするわけにはいかないのである。
そうして、短い話し合いの結果、彼女達は魔王ミキサンの案を採用する事にした。
その案というのが、「折角、ひとところに集まっているのだから、挨拶しないでどうします?」というもの。
もはや案かも疑わしいのだが、彼女達はそれを採用したのである。
別に良案だと思ったわけではない。むしろ、敵陣のど真ん中に突っ込むなど、正気かと疑いたくなる。
ただ、その案を採用したのは、言うなればカラスとしての意地みたいなものであった。
ランドールを守るのはカラスである自分達の役目。
カラス達にはそういう意識がある。
幼少よりそう育てられた。
それが存在意義ですらあると思っている。
ランドールを守るのに、人外の魔王に遅れを取るなどあってはならない。
先の対魔王事変では、ランドールを守護し、敵を滅する役を担うカラス達であったが、魔王に手も足も出せずに敗れた。
主君シスネの『理想郷』の力により、カラスには死者こそ出なかったが、何度も何度も挑んでは、何度も何度も殺された。
それこそ、今までの自分達の訓練の日々を、無駄の努力と嘲笑うかのように。
彼女達のプライドはズタズタだった。
ゆえに、砕け落ちた誇りを取り戻すため。彼女達は機先を制しての不意打ちに打って出たのである。
魔王が出来ると豪語する事を、自分達が出来ないはずはない。
そうして、彼女達は実行した。
敵襲に備える感知系の魔道兵を一斉強襲。静かに、密かに始末したのち。勢いままに王国軍の集まる広場、そのど真ん中に空から降下。
広場に降り立ったカラスは、突然の乱入者に慌てふためく王国軍の混乱に乗じて一撃。
相手の混乱が治まる前に、あらかじめ仕込んで置いた『影移動』という魔法を行使し、広場を離脱した。
こうして彼女達の「ご挨拶」は終わったのである。
☆
「指揮官を仕留め損なったのは失敗だったな~」
イェジンの指示の元、本隊とは別行動を取っているグループがあった。
そのグループの中に居たカラス――トルチェが、不満そうに唇を尖らせた。
「少し距離があったからな。いくらトルチェのナイフでも仕方ないよ」
「あの壇上に居た奴、そこそこ腕が立ちそうだったね」
「トルチェのナイフを弾いてたもんな」
慰めにも似た言葉が同僚のカラス――シュエットから届くが、それでもトルチェは不服そうであった。
トルチェは栗毛色のショートボブ、カラスの中でも頭ひとつ小さい体格、そして最年少の15歳というまたあどけなさの残る少女であった。
トルチェとコンビを組むのは3つ上のシュエット。
やや灰色ががった黒のロングヘアーをなびかせる18歳。
現在、トルチェとシュエットは、森の中の木の上にて戦場の観測に務めている。
目が良い、というだけの理由で割り振られた任である。
「動き出したみたい」
大木を物見櫓代りに、魔王の穴の方角に顔を向けていたトルチェが言った。やや幼さを残しつつも良く通る声だった。
トルチェが覗く望遠鏡の先では、小さな豆粒の寄せ集めの様な集団が、ぞろぞろと魔王の穴を通ってこちら側へと進行している様子が見てとれた。
距離のせいで、本当に蟻が穴からぞろぞろ這い出しているようにも見える。
トルチェの報告を受けたシュエットが、胸元から取り出した通信玉を直ぐに開いた。
「こちら観測班。王国軍が動き始めた」
『あちらさん、全軍で来てる?』
水晶からの問いに、シュエットがチラとトルチェに視線を向ける。トルチェが望遠鏡を覗いたまま指で丸を作った。
「そのようだ」
『りょーかい。所定の位置まで来たら知らせて』
「了解。観測を続ける」
短いやり取りをして、シュエットは水晶を懐にしまった。
「上手くいくかな?」
顔から望遠鏡を外し、少し不安そうな表情をしたトルチェがシュエットを見る。
「……さぁね」
トルチェの方へと手を伸ばして答えたシュエットのその手に、望遠鏡がポンと手渡された。
シュエットが望遠鏡を覗き込む。
望遠鏡の作る輪の中に、列をなした王国軍の兵士を嘔吐過多気味に吐き出す魔王の穴が映り込んだ。
シュエットはそれを少しだけ眺めた後、望遠鏡を外し、トルチェへと返した。
返しながら、
「トルチェ、知ってる?」
「何を?」
赴ろに口を開いたシュエットに、再び望遠鏡を覗き込んだトルチェが、世間話でもするように応じた。
「魔王の穴がどうやって出来たか」
トルチェは望遠鏡を覗き込んだまま「ん~」と、やや気もそぞろといった様子で呟いた後、
「原初の魔王が開けた穴でしょ。ランドールに攻め込むには壁の様にランドールを囲む山脈が邪魔だったから。屋敷の本で読んだ」
当たり前の様に答えたトルチェに、「ふむ」とシュエットは溢し、質問を続けた。
「不思議に思わなかった?」
「何が?」
「魔王がわざわざ山脈の麓に穴を開けた事」
思考に没頭しているのか、望遠鏡を覗いたままトルチェは身動ぎひとつ見せなかった。
少しの間そうしたあと、トルチェはゆっくりと望遠鏡を下ろし、シュエットへと顔を向けた。
「言われてみればそうよね……。なんでわざわざ開けたんだろう? 山脈ごと飛び越えれば良いのに」
やや怪訝そうな表情でトルチェはそう疑問を口にした。
「でしょ? 天空の城に住んでたって位だからまさか飛べないって事は無いだろうし、なんでわざわざ開けたのか疑問だったのよね」
「何か開けなきゃいけない理由があったって事?」
「結論から先に言うと少し違うのよね」
「ふ~ん? 調べたの?」
「調べたって言うか、シスネ様に尋ねた。聞けば、シスネ様も疑問に思って以前に調べた事があるって仰ってたわ」
「ああ……。シスネ様はなんて?」
「シスネ様も理由まではハッキリと分からなかったそうだけど、ひとつ分かった事は原初の魔王がいた頃と今のギアナ山脈は姿が違ったのではないか、という事だそうよ」
「……んん?」
シュエットの言葉にトルチェが眉をひそめた。
「シスネ様が知らべた時にね、あの山脈の面白い事が分かったらしいの」
「面白い事?」
「うん。あの山脈ね、中はスカスカなんだって」
「スカスカ?」
「そっ、スカスカ。しかもなんかね、そのスカスカの空洞部分が動いてるって」
「はぁ?」
山の内部――空洞部分が動いていると言われ、トルチェが露骨に眉をひそめた。
――山が……動く? なんだそれ?
シュエットはただ単に「動いている」と表現した山脈の空洞であるが、その話をシュエットへともたらしたシスネは、「最も近い言葉で表現するならば『胎動』です」と、その時口にした。
胎動――つまりは、何かが産まれたいと主張している。
雪解けの春を待つ蠢く巨大な蛇のように。
或いは、脈打ち張り巡らせた血管を収縮させる心臓のように。
どうであれ、とにかくその何かは、いまかいまかと誕生の時を心待ちにしていた。
それを世界が望むか否かは分からない。
「私も最初に聞いた時は意味が分からなかった。山が動くってなんだよって」
「……いや、分かんないでしょ……。山が動いてるの?」
「うん……。動いてるって」
真面目な顔をしておかしな事を言うシュエットを訝しげながら、トルチェは持っていた望遠鏡をまた掲げた。
そうして今度は、王国の兵ではなく山脈の辺りを見た。
何かを見落としてやしないか? そんな風に山脈を観察してみたが、何も変わらない。動いているなどにわかには信じられない普段の見慣れた山が、望遠鏡の中には映し出されていた。
もっとも、動いているのは内部という話なので、ここから見える山脈の肌に変化を見つけられるともトルチェは思っていなかった。
ただなんとなく、一応確認してみようかな、といった程度。
トルチェはしばらく眺め、そうして眺めたまま素直に感想を述べた。
「……いや~、ちょっと半信半疑、かなぁ」
「まぁ、自分の目で見ないと流石にね~。――でさぁ!」
語尾を強めたシュエットに、望遠鏡を片目に引っ付けたままトルチェが向き直る。
望遠鏡の中に、シュエットのオデコと髪の生え際がバチッと映り込んだ。
そのまま望遠鏡を下へ滑らせて、シュエットの瞳を覗き込む。
望遠鏡の中でシュエットと目があった。
――まつ毛が長いな~羨ましい……という、今の話とは全く関係ない部分が気になったりした。
「少し前に魔王にも聞いてみたの」
その言葉に「ん?」と望遠鏡を下ろしたトルチェ。
「魔王って……ミキサン?」
「もちろんよ。折角本人いるんだし、この謎を解明してやろうかと思って」
「その勇気ある探求心は評価するよ……」
やや呆れた様子でトルチェが相方に溢した。
先の争いにて、何度も殺された身としては話し掛けるのも怖い。
これはトルチェだけでなく、他のカラスにもトルチェと同じように魔王ミキサンに苦手意識を持つ者はいる。
今日までの数ヶ月間、同じランドールの街で暮らしているとはいえ、魔王とカラスはさほどに接点があるわけでもない。
その為か、その苦手意識が中々消えてくれない。
そういう事もあって、先の「ご挨拶」という行動もあったのだが、そんな程度で消えて無くなる程「殺される」という体験は優しくはなかった。
そんな事もあり、トルチェとしては「良く話し掛けられるな」という驚きと僅かな感嘆をシュエットに抱いた。
「それで魔王はなんて?」
「『人違い――もとい魔王違いですわ』って答えが返って来た」
「……なにそれ?」
「ようするにね。別人なんだって。今いる魔王と原初の魔王は」
言って、シュエットが小さく肩をすくめた。
そんなシュエットの様子に、「魔王でしょ?」と、小首を傾げてトルチェが問う。
「それがね~、魔王には違いないんだけど、ミキサンと原初の魔王は別物なんだって。自分はイレギュラーな魔王で本職じゃないって言われた」
「イレギュラー?」
「うん。そのイレギュラーの意味は良く分かんなかったけど――ただミキサン曰く、魔王の穴は魔王の穴なんだって」
「…………いや、うん――何言ってるの?」
魔王の穴は魔王の穴という謎の単語を羅列させたシュエットに、ちょっと呆れた顔をトルチェが向けた。
似た名称になったことによる弊害。
「うん、ごめん。言い方が悪かった。えっと、魔王の穴は悪魔の穴なんじゃないかって話」
そのシュエットの説明に、トルチェは小さく思案顔を作った。
やや逡巡ののち、
「悪魔の穴ってあれでしょ? 悪魔が魔力で作った洞窟。入った事は無いけど……」
「そうそう」と、シュエットが大きく頷いた。
「つまりね、あそこに見える魔王の穴っていうのは、魔王が作った悪魔の穴の入り口だった場所なんじゃないか?
ってな事を、今の魔王が言ってたの。
山脈に穴を開けたんじゃなくて、悪魔の穴を作って、それが何かの原因で壊れて、そして入り口であるあの魔王の穴と、洞窟の外殻である山脈の一部が残った。山の内部が空洞なのはそのせいなんじゃないか? ――まあこれはミキサンの推測なんだけど……」
「ああ……。そういう事」
納得したのか、トルチェがコクコクと小さく頷いてみせた。
そんなトルチェに、シュエットはややトーンを低くした声色で尋ねた。
「怖くない?」
「怖い?」
「いや、怖いでしょ?」
「んん?」
「いや、だってさぁ――」
そう口にしてから、シュエットはギアナ山脈へと顔を向けた。
――やっぱりまつ毛長いなぁ――とシュエットの横顔を目にしたトルチェの羨望など知らず、シュエットは言った。
「まだ現役で動いてんのよ? アレ。言ってる事分かるでしょ?」
シュエットの言葉に、トルチェは一瞬ポカンと口を半開きにし後、「ははっ」とやや口元をひきつらせて乾いた笑いを浮かべた。




