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怪物の理由

 シスネ達が二手に別れた丁度その頃。


 城にある主塔の上部、開けたバルコニーにシュナイティスは居た。

 ここは城の中で最も高い位置であり、城下を360度見渡せる場所でもあった。

 シュナイティスは市街を眺めながら、その時が来るのを待っていた。


 首都ハイヒッツには、3つの壁が存在する。

 ひとつは、城を守る為の高く強固な城壁。

 城の下部は高い丘になっており、その上に城も壁も建てられている。


 そしてふたつ目は、その周辺にある貴族街をぐるりと囲む外壁。

 シスネの処刑場所となった広場もここにある。


 最後に、首都ハイヒッツの正面を守る盾の様に広がる、商人やギルドといった庶民街を囲むカーテンウォールと呼ばれる壁である。

 正面真上から見た首都の形は、大きな丸の中にある城と貴族街。その下に、一回り小さな丸がある。そこが庶民街。

 例えるなら、ひょうたんをひっくり返した様な形が首都ハイヒッツである。


 カーテンウォールの外は、拓けた平原や林が広がり、農民達が暮らす村などがポツポツと点在する。


 外壁のすぐ外には水堀があり、庶民街から貴族街に入るには三つある橋のどれかを渡らなければならない。

 橋にはそれぞれ門があるが、有事でも無い限り、基本的には開いたままになっている。

 その為、庶民街も貴族街も出入りは自由であるが、用も無いのに橋を渡って互いの街を彷徨く者はあまり居ない。

 同じ首都であっても住む世界が違うのだ。下手に彷徨くのは無用なトラブルの元でしかない。


 ただ、今日は橋の門に限らず、貴族街から直接外壁の外に出る門や、庶民街の門など、それら全ての門が閉じられている。


 これは勿論シスネを逃がさない為であるが、シスネはそれらの門は使わずに、地下の通路を通り、貴族街から直接外に出た。


 処刑台のシスネを解放した直後、

 クローリがすぐに逃げず、その場に留まったのは、この門が閉じるのを待っていたのである。


 これは、下手にクローリが動き、騒ぎを広げて庶民街から広場に来た者達が逃げ遅れるのを防ぐ為。

 クローリが逃げれば、それだけ早く門が閉まってしまう。

 だからこそ、目立つ広場から動かず、わざわざその場に留まり続けた。


 そうやって、貴族街に閉じ込められた者達が巻き込まれる懸念と、出来るだけ人の目を貴族街の外に排する事で、衆人環視の目を薄くするのがひとつ。

 現に、門が閉じた後の貴族街には、庶民街の住人はおろか貴族街に住む人々の姿もほとんど無かった。見える姿は兵士ばかり。


 そしてもうひとつは、門が閉じる事で、「シスネが閉じ込められている」という状況を作り出す為である。

 魔力感知を上手く掻い潜り、という注釈こそ付くものの、そうする事で、中央の兵達は当然、閉じ込められたシスネが居るであろう貴族街捜索に人員を割く。外の捜索は後回しになる。

 その結果、外に出た後が格段に逃げ易くなる、という事である。


 だが、シスネ達の予想に反し、早い段階で外へと追っ手が差し向けられた。

 戦闘員でも無いミナとパッセルが危険な殿(しんがり)を務める羽目になってしまった。

 これは大きな誤算であった。


 クローリは、魔力感知や気配探知を避け、誤魔化し、逃げ切る自信はあった。

 シスネを抱えて走るパッセルを泣かせたのは、決してボーっとしていた訳ではなく、それら探索系の魔法やスキルを警戒しての結果でああなったしまったのである。


 加えて、

 あの時の貴族街には、至るところに小さなモンスター、スライムが配置されていた。

 隠れるモノと隠れないモノを使い分けられたそれが、感知系等の魔法やスキルを用いて悪魔の姫君を探す者達の目を欺き、出し抜いた。


 だが、追っ手が差し向けられたという事は、そうして警戒し対策していたにも関わらず、シスネの居場所がバレている、とクローリは騎士が向かっていると知った時点で考えた。


 ――広い首都の郊外。いくつもある抜け道。にも関わらず、ピンポイントであそこにいたドラゴン。

 ――そして、ドラゴンが死んだ直後に放たれた新手。

 ――おそらく、処刑台に上る前後から、何らかの方法で、あたしに気取られる事なく、既に監視は始まっていたのかも知れない。

 逃げられる事を想定していたのかも知れない……。


 クローリはそう予想を立てた。

 

 そして、クローリのその予想は間違ってはいなかった。


 処刑台の上でシスネが演説した際、シュナイティスは部下に命じ、すぐさまマーキングを行う様に指示した。

 その演説が、シュナイティスの知るシスネとは明らかに様相が異なっており、そこに「何かあるのでは?」と不審を抱いたゆえである。

 そうして、広場の群衆に交り、石をぶつけるという行為を隠れ蓑にして、シスネに対し魔法によるマーキングが行われた。

 これにより、シスネの居場所は黒幕シュナイティスには筒抜けであった。


 しかし、シュナイティスはすぐには行動を起こさなかった。

 勿論、逃がすつもりなど更々ない。


 彼は待ったのだ。

 シスネが拓けた場所に出て来るのを。

 城壁の中にある主塔の上で、シスネの周囲に障害物が何も無い状況になるまで悠然と待ち構えた。


 街では建物が多すぎる。

 外に出た直後では貴族街の外壁が邪魔をする。

 外壁を離れ、邪魔なく狙撃出来るポイントまでシスネが進んだ時、ようやくにしてシュナイティスは動き出した。


「槍を」


 周囲を一望出来るバルコニーで、シスネのいる方向を何の感情も感慨も浮かべてはいないシュナイティスが、後ろに控える部下にそう命じた。


 そうして、二人がかりで部下がシュナイティスの傍まで運んで来たのは、柄に細かな装飾が施された人丈ほどの長さもある白く美しい一本の槍であった。


 聖槍地獄を貫く物(ピアス・オブ・ヘル)と呼ばれるその槍は、教会より与えられた聖なる槍。

 「貫けぬ物無し」とまで言われるその槍は、教会に認められたシュナイティスにのみ扱える代物。

 武芸も学問も、兄アルガンに劣るシュナイティスが唯一兄より優れている点こそが、この聖槍地獄を貫く物(ピアス・オブ・ヘル)の所有者であるという事だ。


「逃げられると、淡い期待を持って努力している姿を思うと憐れだなシスネ・ランドール」


 槍を握ったシュナイティスが、ひとり言の様に遠く離れたシスネに向けて語り掛けた。

 そうして、シュナイティスは槍を持ち上げる。

 大の男二人でようやく持ち上げていた重たげな槍を、シュナイティスの細腕が軽々と持ち上げた事に、傍に居た部下達から感嘆の声が漏れる。

 シュナイティスが特段力が強いわけではない。

 槍は、彼にしか扱えないが、彼には重さなど全く感じず扱える物である。

 それこそ、槍の所有者として認められているという客観的証拠に他ならない。


「さよならだ、シスネ・ランドール。悪魔でさえ無ければ、殺すのは実に惜しい良い女だった」


 そう吐き出し、シュナイティスが槍を振りかぶる。


 シュナイティスに、遠い林の中を逃げるシスネの姿など見えていない。

 見える必要もない。

 その為のマーキング。


 シュナイティスから放たれた槍は、神々しい光を纏い、輝く軌跡を残しながら高速で、自動で、シスネに向かって飛んでいった。


 今まさに、悪魔に向けて神の鉄槌が下ろうとしていた。

 




 二手に別れたシスネ達。

 ミナとパッセルと別れたその場所から数分走ったところで、シスネとクローリの二人は何とか追い付かれる事無く、イデアの用意した馬まで辿り付く事が出来た。


 体の重いクローリの為に用意されたであろう一際大きな馬が一頭いる。

 その馬の繋がれた紐を手早くナイフで切ると、クローリはシスネを肩に担いだまま馬へと跨がった。


 そうして、手綱を握り走り始めた。


 直後――


 ゾクリと背中が粟立ち、危機感を覚えたクローリが馬から飛び降りた。

 クローリが地面に着地するのとほぼ同時、高速で飛んで来た大きな槍が、馬の体を貫き、真っ二つに切り裂いた。

 馬を馬肉に変えた槍は、柄の真ん中に達する程の深さを伴い、大地に突き刺さった。


「な、なにが!?」


 突然の出来事に混乱しつつも、一体何処から飛んで来たのかと、周囲を警戒するクローリ。

 しかし、周囲に何者かが潜んでいる様な気配はない。


 ――一体何処から……。


 訝しがりながらも、馬を失ってしまった以上、走って逃げねばならない。他の馬では怪物を乗せるには小さ過ぎる。

 立ち止まってはいられない。


 ――逃げ切れるか。


 クローリの背中を嫌な汗が流れる。

 そうして、すぐに走り出そうとした時、馬を貫き、地面に突き立っていた槍がクローリの見ている前で淡く輝き、そうして消えた。

 クローリは、小さく眉をひそめ――ハッとして、肩に担いでいたシスネを自身の後ろに放り投げた。


 そうして、すぐに担いでいた人の身の丈程の剣を取り、身を守る様に構えた。

 構えた瞬間、先程と同じ槍が、再び高速で真っ直ぐこっちに飛んで来るのをクローリの視界が捉える。


「オオォォォ!」


 咆哮と共に、バキンと剣の砕ける音。

 槍が、クローリの剣を一瞬で砕く。

 そうして尚も止まらず、クローリの右腕を吹き飛ばして、そこでようやく槍は止まった。

 カランと乾いた金属音を鳴らし、槍が地面に転がる。

 肉が弾け、砕けた骨を飛び出させたクローリの血がびちゃびちゃと地面を濡らしていた。


「クローリ!」


 突然地面に放り出され、状況の理解が追い付く間もなくクローリが片腕を失った事に、シスネが悲鳴にも似た声をあげる。


「大丈夫よ……」


 腕から止めどなくボタボタと大量の血を流しながら、それでも、心配無いとクローリが小さく笑う。

 真白を通り越し、もはや青白くなったシスネの顔色に苦笑する。


 ――余裕が無いわね。


 いつだって無表情を崩す事無く、淡々と物事をこなして来たシスネ。

 しかし、今やそれも見る影もない。

 涙と焦燥の浮かぶその顔に、余裕などというものは微塵も感じ取れない。

 余裕が無い――というより、シスネはもともといっぱいいっぱいなのである。

 真面目に、けれど損な生き方こそが彼女の生き方。

 中央だろうと故郷だろうと、彼女は常にピンと張られた糸のごとき緊張感をもって生きて来た。

 ともすれば、いつ切れてもおかしくないそれを、彼女は感情を排する事で保ってきた。

 笑わなければ弛む事もなく、悲しまなければ張る事もないその糸だったのだが、大事な部下を二人も失った悲しみと、腑甲斐無い自身への憤り、じわりじわりと滲み出す不安と焦り。

 シスネの糸は、もはや限界だった。


 自惚れでなければ、シスネのその糸がまだプチリと切れていないのは自分がまだ傍にいるからだ――と、クローリは感じていた。

 怪物までもが倒れたら、おそらくこの姫君は耐えられない。


 そう感じたクローリだからこそ、片腕を失い、激痛に身を焦がしながらも、それでも大丈夫だ心配ないと自身の姫君に笑ってみせたのだ。


 そうして佇むクローリの姿は、背景に木々の緑と地面の茶色、そこに赤のコントラストを加えて、まるで悪趣味な抽象画のようにも見えた。

 だが、その額からは汗が吹き出し、顔色はとても悪かった。


「すぐに止血を!」


 シスネがそう言い、馬に繋がれていたロープを取りに行く。

 流れ出る血を止めようと、傷口を押さえたクローリの顔が激痛に歪む。

 激痛に身を苛まれながら、クローリが地面に転がる槍に目を向ける。


 ――なんだこの槍は……。

 一体何処から飛んで来ている?


 ――いや……、それは重要じゃない。

 重要なのは、これが明らかに姫様を狙って飛んで来ているという事。


 そうやって思考するクローリの目の前で、槍が小さく瞬き、また消えた。

 クローリの顔いっぱいに驚愕の色が浮かぶ。


「姫様!」


 そう叫び、ロープを取りにいったシスネの傍に瞬時に駆けよると、残る左手でシスネの体を押し飛ばした。


 その直後、


 槍がクローリの背中から突き刺さり、しかし、尚も止まらずシスネに向けて進もうとする。

 それは一瞬の出来事であったのだが、クローリは全身に力を込め筋肉を膨張させ、そうして、強引に槍の勢いをねじ伏せた。


 槍は、鋼の様に鍛え上げられたクローリの巨躯を貫き、しかしそれでも、シスネに届く事なく、シスネの顔まで数センチという所でピタリとその動きを止めた。


 尻もちをついた様な格好でクローリを見上げるシスネの顔から血の気が消える。

 呼吸が荒くなる。

 体が小刻みに震える。


 それでも、シスネには傷のひとつもついていなかった。


 顔色こそ優れないものの、傷もないその白いシスネの肌を眺め、クローリは小さく微笑んだ。

 微笑んだまま、クローリはこれまで生きて来た自身の軌跡を、走馬灯のように思い返した。



 ああ――

 止められて良かった――

 鍛えていて良かった――

 体が大きくて良かった――

 怪物に生まれて、本当に良かった――

 

 そうして、微笑みをシスネに向けたまま、ゆっくりと、クローリはシスネのすぐ横に倒れ伏した。


「ク、クローリ……」


 目の端いっぱいに涙を溜めたシスネが、膝をつけたまますぐ傍に倒れるクローリの体に触れた。 

 直後、また槍が小さく輝き出す。


「逃げて、頂戴……。もうアタシじゃ、守れないわ」


 倒れ、指先ひとつ動かさねまま、呟きにも似た弱々しい掠れた声のクローリがそう言葉を掛ける。

 直後に、三度槍が消え、槍によって塞がっていた傷口から血が溢れ出す。

 あっという間に地面が真っ赤に染まる。

 致命傷なのは誰の目にも明らかだった。


「一緒に……、クローリ……」


 うわ言の様に呟き、立ち上がったシスネがクローリの手を取り、引き摺ってでも連れていこうと全身に力を込める。


「馬鹿ねぇ……。無理よ。動かせるわけないじゃない……。あなたは、か弱いんだから……」


 ピクリとも動かないクローリの体。

 それでもシスネは聞き入れず、歯を食い縛り、懸命にクローリの体を動かそうとする。

 しかし、気持ちだけでは動かない物はどうしたって動かない。どれだけ感情が湧いても力は湧いて来ない。

 シスネは、非力な自分が腹立たしくなった。涙が出る程悔しかった。


「また……、来るわ。お願……から、逃げて頂だ……」


 途切れ途切れに紡がれるそれは、ほとんど言葉の(てい)を為していなかった。

 薄くなっていく意識の中、何とかシスネを逃がそうとクローリが説得するが、体も、思考も、意識も、なにひとつまともに動かせそうになかった。


 そうして、シスネはクローリを生かす為、

 クローリはシスネを生かす為、

 二人が必死にもがく中、


 四度目となる神の鉄槌が、ハイヒッツの空を切り裂いてやって来た。



 そうして、王国の中央、首都ハイヒッツの郊外にある林の中。

 そこで大きな爆発が起こりもうもうと煙が空に立ち上るのを、中央に暮らす人々は目撃した。





 耳が痛い程の爆発音。

 その音の置き土産である耳鳴りが残る中で声がした。


「シスネ様! クローリ様!」


 名前を呼ばれたシスネが目を見開き、自身を呼ぶ声の主を呆けた様に見つめた。


「ミナ……」


「御無事で!」


「……パッセル。――どうして……」


 もう二度と会えないと思い涙した二人の姿が目の前にある事に、シスネが茫然とした様子で呟いた。


「助けて頂きました!」


 ミナがまたシスネに会えた喜びを爆発させたような、嬉しそうな顔をして答えた。


「助け?」


 ミナから返って来た言葉に、シスネが怪訝な顔を見せた直後、


「はい! どいたどいたー!」


 そんな声を上げながら、シスネの前に躍り出る小さな影があった。

 その乱入者の姿にシスネは、先程の爆発で目がおかしくなったのか、或いは未だに涙で滲んでいるのかと、手で軽く擦り、確認し直す様にまた乱入者を見た。


「……妖精?」


 手の平程の小さな妖精が、クローリの背中に立って、その背中に痛々しく広がる傷口に向けて手をかざしていた。


「ハロ、いけそうか?」


 困惑し、混乱するシスネの意識の横から割って入る男の声。


「なんとか……。でも動ける様になるまでは、ちょ~っち時間掛かるかも」


 クローリに治癒魔法を掛けたまま、声の方へと顔を向けた妖精がそう答える。

 シスネは、妖精につられる様に同じ方へと顔を向けた。

 向けた先で、紺色のローブに身を包み、とんがり帽子を被って立つ、その後ろ姿を見た。


「問題ない。余裕だ」


 愛用する狙撃銃アテナを肩にもたげたヒロが、シスネに背中を向けたままそう告げた。 

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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