人の子
最終章が大雑把に決まったので、それに合わせて1章をテコ入れ始めようと思う今日この頃。
6章のプロット作りが進まないのをテコ入れのせいにしようと画策するも、やる事が増えただけだと気付いて途方に暮れる。
最初の異変があったのは、中央から伸びる街道を逸れ、林の中をシスネ達が走っている時であった。
林の木々とぶつからぬ様、前だけを見て走っていたミナの鼻がピクリと反応し、慌てた様にミナは足を止め、後ろを振り返った。
気付いたクローリとパッセルも足を止める。
「どうしました?」
ただの散歩で音をあげる軟弱な体力のシスネが、クローリに横抱きされたまま尋ねた。
「追っ手が出されたみたいです。――馬が来ます。30頭ほど」
「馬?」
「たぶん騎士ね」
「王家直近のアレですか?」
クローリの騎士という言葉に、城で何度か見掛けた騎士達の姿を思い浮かべながらパッセルが尋ね返した。
クローリが言うには、ランドールの『カラス』と同程度の実力ではないか――という、言わば王国の精鋭達である。
「ええ……。あの騎士達が出て来るとちょっと厄介かしら……」
「ミナ。イデアの用意された馬まではあとどの位ありますか?」
「もう少し先です。ですが、たぶん向こうに追いつかれる方が先です」
シスネ達が抜けた隠し通路から、イデアの用意した馬までは少し距離があった。
ゆえに、シスネ達はいま走っているわけだが、これはイデアが悪い訳ではない。
隠し通路の出口である小屋の近くに馬を配置出来なかったのは、あのスライムの放った水刃で処理されたドラゴンが居た為である。
将軍であるイデアは、当然ながらあのドラゴンが常日頃から中央の外を番人の様に守っているのを知っていた。
その為、通路の出口であるあの小屋の周囲に馬を配置する事は出来なかった。
仮にそうしても、ドラゴンの餌になるだけである。
もしも、シスネやイデアが、中央の守護竜として君臨するSSランクにも相当するあのドラゴンを、素早く処理出来るだけの実力をあのスライムが持っていると知っていれば、今とは状況は変わっていたかも知れない。
しかしながら、たらればの話をしても仕方がない。
奇跡でも起きない限り、世の中とはなるようにしかならないのである。
「とにかく走りましょう。流石に30人の騎士相手にあたし一人で守り切れる自信は無いわ」
そう言って、先程よりも早いペースで駆け出すクローリ。
ミナとパッセルも続いた。
しかし、ほぼ全力疾走にも近い速度で駆けたところで、馬の足に人間が勝てるモノではない。
普通は勝てない。
普通ではないシンジュならいざ知らず、クローリとてそれは例外ではない。
どんどんと距離が詰まって来る。
林の中を駆けているので多少はマシかと思っていたシスネ達だが、良く訓練された馬であるのか林の木々をモノともしない速度で近付いて来る。
そうして、騎士の集団が500メートル程後ろに迫った時、
「パッセル」
と、ミナが隣で走る同僚の名を呼んだ。
ミナに顔を向けたパッセルは、少しだけミナの顔を眺めて、それから小さく頷いた。
ミナも頷き返す。
そうして、同時に足を止めたミナとパッセル。
二人が叫ぶ。
「馬はこのまま真っ直ぐです!」
「クローリ様! シスネ様をお願いします!」
そのミナとパッセルの声を耳にし、そこで初めて、クローリに抱えられていたシスネは二人が立ち止まった事に気付いた。
横抱きであったシスネが、慌てて、走るクローリの肩までよじ登り、後ろ――二人に向けて叫ぶ。
「パッセル! ミナ! 駄目です! あなた達は――」
「黙ってなさい。舌を噛むわよ」
諌める様なクローリの声がシスネを止める。
「クローリ! 止めてください! 二人を……あの子達を! 『カラス』では無いのですよ!?」
肩に担がれる様な体勢のまま、シスネがクローリに懇願する。
いつもの無表情、鉄仮面など最初から無かったかの様に剥がれ落ち、シスネは必死の様相で、ふとすれば今にも泣きそうな顔をしていた。
しかし、クローリは全く速度を落とさず、後ろを振り返る事もせず、前へ――更に前へと走り続けた。
主人の言う事を聞かない怪物に、酷く焦れた様子のシスネが右手を振り上げ、その肩を叩く。
「ミナ! パッセル!」
ハト達の名を叫びながら、何度も、何度も何度も何度も叩く。
シスネは、生まれてこのかた、たとえ冗談でも人を叩いた事など一度も無かった。
暴力を振るって下を従わせる、という野蛮染みた選択肢などシスネは持ち合せていなかった。
そんな考え方を持つシスネが暴力に訴える。
殴ってでも従わせようとする。
普段なら考えられない事である。
そんなシスネが、止まらない怪物を叩いた。
叩き続けた。
どんどん小さくなっていく二人の背中。
幾つもの木々に隠れて、どんどん見えなくなっていくその姿から一度も目を逸らさぬまま、シスネは叩き、肩から降りようともがいた。
しかし、怪物は止まらない。
シスネの腰をガチリと腕で固め、降りる事を許さない。
「離してください! クローリ!」
既に見えなくなってしまった二人の姿を懸命に目で探しながら、シスネは叩き続ける。
ひ弱なシスネが叩いたところで、クローリは痛くも痒くも無いだろう。
既に見えなくなった二人を探したところで、見つかるはずもないだろう。
名前を呼んだところで何も事態は変わらないだろう。
いつものシスネならば、そんな意味の無い事はしない。
しかし、今のシスネにはそれが意味の無い事だという事が分からない。
それほどに、シスネは狼狽し、混乱し、焦燥に駆られていた。
それでも怪物は止まらない。
「クローリ!」
「舌……、噛むわよ」
口をへの字に堅く閉じ、噛んだ下唇から僅かに血を滲ませていたクローリが険しい表情で言った。
そのクローリの横顔を見たシスネは、顔をくしゃくしゃに歪めた後、クローリの肩に顔を埋め、ようやく叩くのを止めた。名前を呼ぶのを止めた。
手の代わりに、零れ落ちた涙がクローリの肩を叩く。
名前の代わりに、小さな嗚咽がクローリの耳に届く。
こうして、進む者と残る者は二手に別れた。
☆
「聞いたパッセル?」
「ええ、聞いたわ」
林の中、姿を隠すでもなく堂々と待ち構える二人がそんなやり取りを交わす。
氷の姫君の異名を持ち、どんな時でも冷静沈着で無表情。
そんなシスネが泣きそうな顔をして、何度も自分達の名前を呼んでいた。
――嬉しい。
パッセルの心には、これから死ぬかも知れないという不安や恐怖は、これっぽっちも湧いて来なかった。
――ただただ嬉しい。
道具であれ、と教育を受けて育った使用人達。
パッセルとて例外では無い。
しかし、そんな道具である自分を、敬愛するシスネは、パッセルが思っていたよりもずっと大切に思っていてくれていたと知り、心の底から嬉しさだけが込み上げて来た。
「やっぱり、普段は鉄仮面でもシスネ様も人の子には違いないわよね。――私、一度にあんなに沢山名前を呼ばれたのって初めてかも」
少し照れ隠し気味にパッセルが自身の感じる感動と喜びを口にする。
そんなパッセルに、ミナは少しだけ眉をひそめて言う。
「いや、そうじゃなくって」
何故かミナに否定されたパッセルが、怪訝な表情を作り、向ける。
「何よ?」
「私の方が呼ばれた回数1回多かったよね、って事を言いたかったの」
パッセルは、ミナの言葉に一瞬何を言われたのか分からず固まった後、
「はあぁぁぁぁあ!?」
目を見開き、大きく開けた口を歪め、悪鬼羅刹の表情を作ったパッセルがミナを睨みつける。
しかし、ミナは全く怯まず、むしろフフンと誇らしげに鼻を鳴らした。
「これはつまり、私の方がパッセルより大事にされてたって事なんだよね~」
自信満々でミナが言い放つ。
ただの1回名前を多く言われたという、ただそれだけで勝ち誇る。
「ああぁん!? ふっざけた事抜かしてんじゃねぇぞこの駄犬がぁ!」
「事実です」
「はっ! たかが1回多いくらいが何よ? いーい? あんたの名前は2文字。私は4文字。あんたの倍。分かる? 文字数だと私の方があんたよりずっと多いわけ? つまり、私の方が大事にされてたわけ。お分かり?」
これでもかと皮肉を込めて、パッセルがミナの勝利宣言に反論する。
しかし、ミナは自信に満ちた態度を崩さず、小馬鹿にした様に笑い、反論に反論する。
「いやいやいや~、それは苦しいんじゃないかなパッセル~」
「あんたこそ適当な事言ってんじゃないわよ」
そうして、二人が睨み合う。
バチバチと火花が散る。
ガンのくれ合い飛ばし合い。
生きるか死ぬかの瀬戸際の事ここに至って、「どっちの方が大切にされているか」という、どうでもいい(本人達にとってはそうではない)争いが勃発する。
――嬉しい――という温かな感情はあっという間に消し飛び、ただただ「こいつムカつく!」という感情が二人を支配した。
そうやって睨み合う二人の耳に、大地を駆ける馬の蹄の音が届く。
それで短い睨み合いは終わった。
二人が音のする方に体を向ける。
ミナとパッセルは『カラス』では無い。戦い方など知らない。精々、肉壁になって馬の足を少し止めるだけの時間を稼ぐ程度。
しかし、それで良かった。
その僅か数秒で、シスネが逃げ切れる可能性がほんの少しでも上がるなら、命など惜しくはない。
どんどん近付く音に怯む事なく、二人は堂々と待ち構えた。
ふと、パッセルが前を向いたままミナに語り掛ける。
「いいわ。あんたがそう言うなら、直接シスネ様にお尋ねしましょ。どっちの方が大事かって事を」
「ふふん。受けて立つよパッセル」
木々を抜け、目の前に踊り出た騎士の集団に目を向けながら、逆立ちしても勝てないと理解しつつ、二人はそう言って不敵に笑った。




