中央の外へ
予定されていた逃走経路をシスネ達は進んでいた。
そうやって、自分達を探す兵士の目を掻い潜りながら辿り着いたのは、首都ハイヒッツに幾つかある出入口のひとつ――ではなく、ハイヒッツを囲む高い城壁から少し離れた位置にある小さな教会であった。
そこでシスネ達は、教会の扉の前にいたフードを深く被った人物に遭遇する。
フードの人物はシスネ達に気付くと、言葉は発せず、教会の扉を静かに開いた。
開けた後、その人物は扉の前に立ち、中に入る様に促した。
シスネ達は怪しむでもなく、促されるまま教会の中へと入っていった。
最後に入ったフードの人物は少し辺りを気にしながら、パタンと扉を閉めた。
中に入るとクローリは抱きかかえていたシスネを床へと降ろした。
クローリに呼吸の乱れは無かったが、『ハト』の二人――ミナとパッセルが額に汗して肩で息をしていた。
ようやく息を整えられる落ち着ける場所まで来た事に、二人が少し安堵の表情を見せる。
ミナやパッセルの荒い息だけ聞こえる教会の中、「良くご無事で」と、女性の声が響いた。
そうして、女性がフードを取った。
城遣えの教育係こと、ニーナであった。
「感謝します。ミセスニーナ」
シスネが礼を述べると、やや緊張した顔つきをしていたニーナが小さく微笑み、頷いた。
「逃走用の通路は地下になりますが……。少し休んでから行きますか?」
肩で息する『ハト』の二人を気遣い、ニーナがそう尋ねた。
「いえ……。大丈夫です……。このまま……行きましょう」
必要無いとパッセルが答える。
ニーナは返事に迷って、シスネを横目に見、判断を委ねた。
「では、進みましょう。壁の外に出るまで、この先は人の目は無さそうですし、二人はゆっくり歩きながら息を整えてください」
「はい」
ミナとパッセルが頷き、了承する。
「こちらです」
それを認めると、ニーナはそう言って教会の奥へとシスネ達を導く。シスネ達もニーナの後ろに続く。
そうして、先頭を歩くニーナに案内された先にあったのは、教会の奥の通路を進んだ先の古ぼけた扉であった。
「随分古いものですね」
ところどころが錆びたその扉を前に、シスネがそんな感想を口にする。
「王国がここハイヒッツに首都を移してすぐの頃に作られた物だそうです」
「と言う事は、二百年くらい前かしら?」
クローリが尋ねる。
「はい。扉の先に、有事の際の避難用に幾つか作られた外へと続く通路のひとつです。ただ、作られてから一度も使われてはいないそうなので、中がどうなっていますやら」
ニーナが心配そうに告げる。
シスネは小さく頷いて、それから「ミナ」と名を呼んだ。
ミナは肩で息をしながらも2つ返事で応え、扉の取っ手を握り、扉を開け――ようとして、力いっぱい引っ張るが、200年も使われず錆びの浮いた扉はビクともしなかった。
「代わるわ」
足を踏ん張って扉を必死に開けようとするミナにクローリが告げ、場所を入れ替わる。
そうして、取っ手を握ったクローリが扉を強く引っ張る。
「あっ」と誰かが口にした。
扉ごと取れた。
扉を固定していた枠組みから、パラパラと小石が落ちる。
「流石クローリ様です」
愉快そうな顔をしたパッセルが誉めると、クローリが喜んで良いのか悪いのかといった複雑な表情を浮かべた。
「開いたなら何でも構いません」
扉が壊れた事などどうでもいいとばかりに淡々とした様子でシスネが言った。
そのシスネの視線の先では、今しがた開いたばかりの通路の出入口に顔を突っ込み、クンクンと鼻を鳴らすミナの姿。
カビ臭い湿った空気のニオイに、ミナはちょっとだけ不快そうな顔をした。
少しの間、ミナは鼻を鳴らした後、シスネに振り返った。
「どうですか?」
「大丈夫そうです。7、800メートル先から僅かですが木々の匂いがします」
「そうですか。では――」
と言いかけて、シスネが言葉を止める。
言葉の続きを口にする前に、シスネは自身の肩に乗る小さなスライムをソッと手に掴んだ。
両手にスライムを乗せたシスネが、まるで小鳥にでも話し掛ける様に言う。
「すみませんが、通路を先行して頂けますか? 出来れば、出口の先の安全の確保を。それが終わったら先にランドールに向かってください。クローリが居ますからランドールまでの道程は問題無いのですが、私達に合わせては何日掛かるか分かりません。あなた一匹ならば、すぐにランドールに着けるのでしょう?」
最後は確認する様に尋ね、シスネが指示を出した。
シスネの言葉を受けたスライムがポヨンと一度シスネの手の平で跳ね、それから手の平を飛び降りた。
「お願いします」
シスネが頼むと、スライムは床でもう一度跳ね、着地と同時に、とてもスライムとは思えない速度で真っ暗な通路の中を駆けて(転がって?)いった。
シュナイティスの監視に、広場への投影にと、流石にこの異常な働きぶりを見せるスライムに慣れたシスネ達は、特に表情も変えなかったが、初見であるニーナは大層驚いた表情を浮かべていた。
シスネの部屋を度々訪れていたニーナは、スライムの存在自体は知っていた。
シスネ曰く、それが御守りだという事も。
ただ、何故モンスターが御守りなのかは分からなかった。
なによりニーナを驚かせたのは、あのスライムがニーナの知るスライムとは全く掛け離れた存在であった事。
シスネはあのスライムに、まるで知恵があるかの様に語り掛け、指示まで出していた。
それを理解している様にジェスチャーで返事をする。
少なくともニーナの知るスライムはあれではない。
スライムに知恵があるなど到底思えない。
「あの……、シスネ様……」
異常なスライムの様子に不安を覚えたのか、心配の表情をニーナが浮かべる。
「大丈夫です。モンスターには違いありませんが、頼りになる仲間です」
シスネはそう答え、ニーナの心配を取り払った。
「では、先に進みましょう」
シスネが言うと、「通れるかしら……」と溢したクローリが、自身の巨躯がギリギリ入る狭い通路に、先陣を切って入っていった。
クローリを見送った後、「ミセスニーナ」とシスネが呼び掛ける。
「ありがとうございます。ここまでのあなたの協力に感謝します。帰りはくれぐれもお気をつけて」
そうニーナに礼を言い、通路に入ろうとするシスネ。
そんなシスネに向けて、「あの、シスネ様」と、少し深刻そうな顔をしたニーナが声を掛けた。
「なんでしょう?」
ニーナはすぐに言葉を吐き出さず、何か迷っている様子であった。
迷って、考えた末、
「いえ……。道中、どうぞお気をつけて」
ニーナは結局そう述べるに留めた。
一緒に行きたいとは言わなかった。
――行きたい気持ちはある。
この姫の役に立ちたい。
少し前の自分なら絶対に思わなかっただろうが、今は彼女の役に立ちたい。力になりたいと思う自分が確かに居る。
しかし、年老いた私はシスネの逃走の邪魔になりかねない。――いや、確実になるだろう。
そう考え、ニーナは共に行きたい気持ちをグッと堪えた。
「ありがとう。ミセスニーナ、どうか幸せに余生をお過ごしください」
それだけ言って、シスネはニーナとの短い別れを済ませ、先へと進んでいった。
シスネに続き、パッセルとミナが入り、最後に二人で取れてしまった扉を抱え、ガタガタと締めた。
そうして、ニーナの役目は終わった。
一人残ったニーナに出来る事は、この小さな教会でシスネ達の無事を祈る事だけであった。
シスネもニーナの気持ちは分かっていた。
しかし、シスネは「あなたも一緒に」とは言わなかった。
自分達は追われる身。
上手く首都を脱出出来ても、ランドールまでの道程は長い。
追っ手に追われながらの道程。
世話になったニーナを、わざわざ危険に曝して一緒に連れて行くなど出来ない。
仮に無事にランドールに着けたとしても、女神の加護無き今、ランドールがこの先も存続出来るか分からない。
彼女はここで、中央で、残りの余生をのんびり送るべきである。
シスネはそう考える。
ニーナにとってシスネが特別な存在になった様に、
シスネにとってもニーナは特別な存在であった。
幸せになって欲しいと心から思える外の人間。それがシスネにとってのニーナである。
何故ならニーナとは、悪魔の姫君シスネを受け入れてくれた外の人間という稀有な存在であるからだ。
ランドール住民達も、元を辿ればランドール家を受け入れ、人として認めた外の人間には違いない。
だが、いまランドールに住む者は、それらの子供、子孫達であって、彼らが直接的に認めた訳ではない。
少し冷たい言い方をすれば、たまたま生まれたのがランドールだったという話。
しかし、ニーナは彼らとは違う。
クローリの様に行き場を無くし、追い込まれて辿り着いた者とも違う。
シンジュの様に記憶を無くし(と、思われている)、先入観の無い状態で受け入れた者とも違う。
中央に生まれ、
中央で育ち、
中央で生きて来た。
そうして、シスネと出会った事を大きなきっかけとして、世界の在り方、常識を打ち破り、新たな意識に芽生えた貴重なランドールの理解者。
ゆえに、シスネにとっては特別なのである。
シスネとニーナは共に、互いのこの先を案じ、幸せを願い、そうして別れた。
☆
シスネ達が教会から外へと通じる地下通路を進んでいた頃。
ランドールの方角に位置する西の大門に、イデアの姿があった。
「閣下。外を捜索しなくて本当に宜しいのですか?」
アゴヒゲを生やした中隊長らしき兵が、閉めきった大門前に陣取るイデアにそう問い掛けた。
「全ての門さえ固めてしまえば、奴らは袋のネズミ。逃げられん。後は、ゆっくり追い込めばいい」
イデアは不敵に微笑み、中隊長に自信ありげに返した。
予定通りであれば、シスネ達は隠し通路から外に進んでいる頃合いである。
それを分かっているイデアは、あえてシスネ達はまだ中に居ると強く主張して、兵達を首都の中に押し留めた。
ただ、イデアが押し留められるのは将軍イデア直属の部下達のみである。
数にしておよそ200人の中隊規模。
王国には約40万の軍人がいる。
これは首都ハイヒッツに40万人がいるというわけでは勿論なく、かき集めた数が40万という事だ。
大雑把に書き出すと、その内の半分は中央と主要都市に配置されていて、残りは各地方にバラけて点在している。
イデアは総勢5万を超す三個師団の運用を任されているが、現在、そのほとんどは中央ではなく都市部で待機し、5000人程の大隊が遠い地にて別の任についている。
数ヶ月前に起こった地方の革命軍の鎮圧事変。その事後処理などに奔走していた。
イデア以外の三人の将軍は、一人はランドール地方に、一人は遠方では無いが別の暴動鎮圧の為、それぞれ中央を離れている。
ゆえに、今いる王国軍はイデアの中隊200人と、常駐し防衛を主要任務とする最後の一人の将軍が率いる常備軍二個師団4万のみである。
と言ってもこれは予備軍を含めた数であるので、その二個師団のうち実際に動いているのは5000程。
その5000は現在、イデアとは別の場所に陣取って、辺境卿シスネ・ランドールを逃がすまいと、首都を封鎖しつつ、シスネの行方を追っている。
しかしながら、シスネがいるのは中央の西側。つまりイデア側である。
てんで逆方向の5000などは放って置いても問題ない。
このまま外の探索に兵をやらず、引き延ばせるだけ引き延ばし、シスネ達がランドールに逃げる為の時間を稼ぐ。
それが、王国軍の将軍であり、ランドールの『カモ』であるイデアがいま出来る仕事。
兵士以外にも懸念はあるが、将軍として不自然にならぬ様に動くのはこの辺りが限界。
変な動きを見せてあまり目立つわけにはいかない。
民衆人気こそ高いイデア将軍ではあるが、若く、しかも女性という事で直属の部下以外からはあまり良く思われていない。
そういったイデアの足を引っ張り、将軍の座から蹴落とそうと画策する連中に何を言われるか分かったものではない。
別に将軍の地位などには毛程の未練もないが、今度もランドールの『カモ』として動くには必要な地位である。
そうして、ただ時間を浪費するだけの包囲網を展開し、「今日1日くらいならば問題なさそうだ」とイデアが考えていた頃にそれはやって来た。
「あれは……」
イデアのいる場所からは少し遠く、こちらに近付いて来る塊があった。
眉をひそめてその塊を眺めていると、兵士の一人がイデアの元に駆け込んで来た。
「閣下。実は王家直近の」
と報告してきた兵士の言葉を「ああ、見えている」とイデアが遮る。
低い足音を轟かせて通りの先からやって来たのは、統一された白い鎧を纏い、馬に跨がる騎士達であった。
この30人程の集団は、王家に遣える王家直属の騎士。軍隊とは別の、言わば護衛集団の様な者達である。
「これはこれは、近衛騎士様方。お揃いで何用かな?」
イデアの前で馬の足を止めた騎士達に向け、腰に左手を添えた不遜な態度をしたままイデアが尋ねた。
「外に出る! 門を開け!」
「見ての通りここは今閉鎖中だ。悪いが許可出来ない」
「シュナイティス殿下よりの厳命である! 門を開けよ!」
「そんな話は聞いていない」
「イデア将軍! さっさと開けんか!」
上からの物言いに、イデアはゆっくりと小さな息を吐く。
王権神託がまかり通る王国において、軍隊だろうと政治屋だろうと、その頂きに君臨するのは王であり王家である。
ゆえに、いくら将軍とてシュナイティスの厳命とするならば従わねばならない。
不満顔を作ったイデアが、ゆっくりと集団に語り掛ける。
「確認する。しばらく待て」
「不要! さっさと開けろ!」
「そうはいかん。確認する。……大体、急ぎなら前もって連絡を寄越しておけ、全く……。――少し待ってろ」
イライラした様な表情で騎士に悪態をつく。
イデアとやり取りを行っていた騎士の方も、チッと舌を打つ。
――早馬に乗った精鋭騎士が30名。
――いくら先生が強いとはいえ、シスネ様を守りながらはキツいか……。
マズイな……。
イデアは門の近くに立つ門兵用の建物の中に入ると、どうやってこれを乗り切ろうかと思考しながら、確認の為の水晶玉を、ゆ~っくり準備して、ゆ~っくり起動した。
☆
ニーナに案内された通路を進むシスネ一行。
しばらく歩くと、十数段の階段があり、その階段の先に、地面と平行に取り付けられた天窓のような扉が現れた。
先頭のクローリがゆっくりと(壊さないように)開ける。
ギィギィと錆びた鉄の音が響く中、開いた隙間から光が零れ出した。
「大丈夫みたい」
そう言い、クローリが大きく扉を開き、外へ出る。
後続も続く。
扉を開けた先は、崩れたレンガが辺りに散乱する小屋の中であった。
小屋と言っても、壁は四割程失われており、屋根もところどころから光が漏れ出す、今にも崩壊しそうな小屋である。
「はー、やっと壁の外ですね」
ようやく解放されたと言わんばかりに背伸びをするパッセル。
そんなパッセルが背伸びをしながら、目を見開き、ピタリと動きを止めた。
そんなパッセルの視線の先。
パッセルだけでなく、全員がほぼ同時に気付いた様で、一様に同じ方向に顔を向けて突っ立っていた。
シスネ達の視線の先、小屋のすぐ外に、巨大なドラゴンの顔があった。
ただし、顔だけ。
体は少し離れた所に首から大量の血を流して倒れており、全長20メートルは越えるかという巨大なドラゴンは身動ぎひとつしなかった。
「なっ、なっ」
あまりの光景にパッセルが言葉を失う。
ミナは何処か感心する様にドラゴンの頭を眺めていた。
「あの子の仕業かしら?」
綺麗に断ち斬られた首の切断面を見ながら、クローリが誰に言うでもなく尋ねた。
「おそらく……。――流石、魔王が御守りというだけの事はあります」
シスネが無表情で答える。
そこでふと、何かに気付いた様にクローリが口を開く。
「前にパッセルの言っていた『中央が飼ってる怪物の噂』って、もしかしてこれの事かしら?」
クローリの言葉に、ミナの体が僅かにビクリと震えた。
シスネだけがそれに気付いたが、シスネもミナも何も言わなかった。
「――ああ、アレですか……。かもしれませんね。どう、ミナ?」
パッセルに話を振られたミナが苦笑いを浮かべて「た、たぶん」と曖昧に返した。
「死んでいるなら気にせず先に進みましょう。これが本当に王国のペットなら、異変に気付いて誰かやって来るかもしれません」
そう言い、シスネは話題が広がる前に話を早々と終わらせた。
「ランドールまではどうやって?」
パッセルが問うた。
「ここから少し行った先に、イデアが用意してくれた馬が居るはずよ。――ミナ、分かる?」
「はい! 大丈夫です!」
こうして、中央を脱したシスネ一行は、ランドールを目指して進み始めた。




