抗う者達
「オォ!」
短めの雄叫びと共に振り下ろしたクローリの右腕は、突然目の前に現れた怪物に恐怖する二人の兵士の体を穿った。
兵士の二人の体は鎧ごとひしゃげ、鈍い音を響かせて処刑台の下に落ちていった。
一部始終を見ていた民衆達が凍り付いた。
一拍のち、
女性の割れる様な甲高い悲鳴を合図に、広場を絶叫が埋め尽くす。
素手で鎧ごと人間を叩き殺す怪物の突然の登場に、広場は瞬く間に大混乱に陥った。
我先にと逃げ惑う民衆を一瞥した後、怪物クローリは残る一人の兵士に顔を向けた。
「ヒィ……」
途端に、兵士の喉の奥で悲鳴があがる。
勇敢にも剣を抜き、構える。しかし、既に腰が引けており、刃を交える前から兵士の闘争心はへし折れていた。
しかし、怪物は容赦しない。
慈悲無き怪物は、怯える兵士の腕を素手でへし折ると、そのまま彼の持っていた剣を奪った。
そうして兵士は自分の剣で胸を突かれて絶命した。
「何をしている! 逃がすな! 殺せ!」
処刑台の端にいた役人の怒号が飛ぶ。
すぐにガチャガチャと処刑台の周囲が騒がしくなり、数人の兵士が処刑台の上に駆け上がった。
それを目にしたクローリは、今しがた突き殺した兵士の体を無造作に掴み上げ、階段を登って来た兵士に向けて投げつけた。
ヒト1人が、まるで軽い人形の様に飛んで行き、兵士達にぶつかる。
衝撃のままに、兵士達は今登ったばかりの階段を転げ落ちていった。
処刑台に登って来た兵士を排除した後、
時間の余裕が出来たクローリは、高い背を活かし、床から3メートル程の高さにあるシスネの錠を握り、そこに繋がる鎖を力任せに根元から引き千切った。
鎖が千切れた途端にシスネの体が重力に従い落ち―――しかし、床にたどり着く事なく、ふわりとクローリの左腕の中に収まった。
「すいません。失敗してしました。泥臭く足掻いてみたのですが、やはり私には人の感情の深くまでは分からないようです」
クローリの胸の中に収まってすぐ、申し訳なさそうな顔をシスネがそう詫びた。
「いいのよ。あなたは良く頑張ったわ」
微笑むクローリに、「お手数かけます」と告げ、シスネはクローリの胸の辺りの服を掴んだ。そうして揺れに備えた。
直後に、二人に向けて飛んで来た2本の矢。
クローリは慌てるでもなく右腕を構えると、シスネを庇う様に盾を作った。
怪物の右腕に矢が突き立つ。
しかし、そんな針では鋼の様な怪物の体は壊せない。蜂に刺された程度のものでしかない。
クローリは、「危ないわねぇ」と小さく嘆息した後、持っていた剣を軽く振りかぶり―――投げた。
剣は真っ直ぐ飛び、二矢目を放とうとしていた弓兵の頭に突き刺さった。
それを確認しようともせず、クローリは足元にある薪に顔を向けた。
「スライムちゃん。私の武器取り返してくれた?」
クローリが言うなり、ゲコと蛙の鳴き声がして、何処からともなく剣が現れた。
人の身の丈程もある大きな剣であった。
クローリは大剣を手に取ると、一度調子を確かめる様に剣を振った。
ブォンと重たげに空気を切る音がし、それを耳にした周囲の兵士達の顔が青くなった。
素手ですら鎧を潰す怪物が、およそ人間が使えるとは思えないような巨大な剣を易々と振り回している。
あんなものを振るわれたら一溜まりもない。
処刑台の下からシスネとクローリを囲みつつも、怪物のその一動作だけで、兵士達は戦意を失ってしまう。
しかし、そんな及び腰達に、無情にもお偉いさんの檄が飛ぶ。
「逃げるぞ! 取り囲んで捕まえろ!」
今すぐ武器を投げ捨てて逃げ出した気持ちを踏む止め、階段を駆け上がる兵士達。
クローリはまだ動かず、その場で静かにそれを見ていた。
「武器を捨てろ!」
「その場でしゃがんで両手を付けろ!」
あっという間に取り囲んで、二人の逃げ場を塞いだ兵士が叫ぶ。
クローリは、ふぅと小さくため息をついた後、
「良いと言うまで目を瞑っていて頂戴」と、抱えるシスネにだけ聞こえる様に呟いた。
シスネが素直に応じる。
服を掴む手の力が自然と少し強くなった。
「殺せ! 一斉に掛かれ!」
上官らしき兵士の声を合図に、武器を振り上げた兵士達が同時にクローリに襲いかかる。
少し強めに息を吐き出したクローリは、襲い来る兵士達に向けてその巨大な剣を横凪ぎに振り抜いた。
血飛沫と共に上がった幾つかの悲鳴とうめき声。
クローリが振り抜いた後の処刑台には、体を真っ二つにされ、血と臓物を溢す兵士の死体だけが残った。
「ば、化け物めっ……」
驚愕に満ちた顔でへたり込んでいた役人が言った。
たったひと振り。
そのたったひと振りで5人もの人間がただの肉塊に成り果てた。
まさに怪物であった。
「な、何をしている!? さっさと動かんか!」
上官の焦燥が混じった指示が飛ぶが、兵士の誰一人とて動かなかった。
動けなかった。
あんな怪物と戦うなど命がいくつあっても足りないと、誰もが思った。
兵士達の体は、恐怖という鎖に捕らえられ身動ぎひとつしない。
しかし、クローリも同様に、その場―――処刑台の上から動こうとはしなかった。
クローリは待っていた。
広場を逃げ惑う民衆達の群れが収まるのを。
予め伝えられていたシスネの指示でそうしている。
しかし、それだけでない。
武器を手にし向かって来る者ならばいざ知らず、丸腰の民衆達を傷つける訳にはいかない。
無理に人波を進んで、巻添えにも出来ない。
ゆえに、クローリは待った。
シスネを逃がす事が最優先ではある。
しかし、ここで民衆に死人が出ればもう取り返しがつかないだろう。
王国とランドールはこの先、未来永劫分かり会えない。
そんな思いもあり、クローリは無理に動こうとはしなかった。
こうしている間にもどんどんと広場に兵士が雪崩れ込んで来る。敵が増える。
しかし、例えそうであっても、クローリは逃げ抜く自信があった。悠長に民衆が捌けるのを待つ余裕があった。
シスネ自慢の怪物ゆえの絶対の自信。
そして、シスネも言われた通りに目を瞑ったまま、クローリに全てを任せ、自身は大人しくクローリの腕の中に収まっている。
そんなシスネにも余裕があった。
クローリが居れば心配ない。
何故なら、いま自分を守っているのは、自慢の怪物なのだ。
そんな自慢の怪物が、自分を守ってくれているという揺らぐ事の無い信頼から来る絶対の安心。
どちらも不満を口にする事なく、クローリは時折向かって来る兵士や矢をいなしながら、シスネはクローリが動く度に時折揺れる様子に「赤ん坊をあやすようだ」と心の中でクスクス笑いながら、人波が消えるのを待ち続けた。
そうして処刑台に人の作った小さな山が出来かけた時、
突然、ハッとした表情を浮かべたクローリが、その場を大きく飛び退いた。
クローリが避けたのに僅か遅れ、さっきまでクローリが立っていた場所を中心にして、処刑台が真っ二つに割れた。
斬られた。
急造作りの処刑台が、衝撃に耐えきれずがらがらと音を立てて崩れる。
処刑台の下に避難したクローリは、土煙をあげながら崩れさる処刑台を険しい表情で見つめた。
―――否。
クローリはその中心。
処刑台を切り裂き、崩壊させた者を見ていた。
「お前達。巻添えが嫌なら引っ込んでいろ」
治まり始めた土煙の中から、そんな声が届く。女性の声。
そうして、土煙の中からゆっくりと出て来た女性の姿に、「おぉ……」と周囲の兵士達から声が漏れる。怪物の脅威に怯えていた顔が明るくなる。
「ここからは私が相手だ、怪物」
剣を肩に当てて不敵に笑って歩み出て来たのは、東の英雄とも呼ばれる王国軍が誇る将軍の一人。
将軍イデアであった。
「イデア将軍!」
「閣下がおいでになられた!」
勇猛果敢な将軍の登場に、兵士達が沸き、顔を綻ばせる。
期待と安堵の声が四方からあがる。
イデアコールが巻き起こる。
「聞いていなかったのか!? 軟弱者共の声援など要らん! さっさと離れろ馬鹿共!」
鬱陶しそうにイデアが言うと、短い敬礼をした兵士達がそそくさと距離を取り始めた。
そうして広くなった空間で、クローリとイデアが対峙する。
二人の間にはまだ少し距離がある。
剣の先をクローリへと向けたイデアが不敵に笑って言う。
「怪物がどれほどのものか見てやろう」
クローリは抱えていたシスネをゆっくり降ろし、「スライムちゃん。しばらくお願いね」と囁く様に言った。
いつの間にかシスネの頭の上にいた拳サイズのスライムが、ポヨンと体を揺すって「任せろ」と言わんばかりの仕草で返した。
スライムにシスネの護りを譲ったクローリが、イデアの方へと体を向け直す。
そうして、同じく、巨大な剣先をイデアに向けたクローリが不敵に笑って返す。
「いいわ。かかってらっしゃい。参ったとアタシに言わせたら、免許皆伝にしてあげる」
「それはなんとしてでも言わせなくては」
そうして、時間稼ぎという名のクローリとイデアの、割りと本気な決闘が始まった。
先に動いたのはイデアであった。
一足飛びで距離を詰めたイデアは、クローリの首に向け聖剣イプシロンを薙いだ。
そのまばたきする間の斬撃は、遠目に見ていた兵士や役人には到底目に追えぬ程の速度でクローリを捉えた。
その常識はずれのイデアの剣に、一太刀で終わると思った傍観者達。
しかし、そうはならなかった。
届く甲高い金属音と火花がイデアの剣を受け止めたクローリの大剣から生じる。
イデアの一撃を受け少し痺れた腕に、クローリの口角が僅かに上がる。
そこからクローリは、イデアの剣を押し返すと、流れるままにその巨大な剣を下から上へと斬り上げた。
イデアがすぐに後方にくるりと飛び、一度距離を取る。
掠る事さえ無かったクローリの剣であるが、その凶悪なまでに大きな剣に巻き起こった剣圧が、イデアの前髪を僅かに斬り落とした。
宙返りのイデアが着地し、正面を向くと、眼前に拳が迫っていた。
紙一重で顔への直撃を避けたイデアだったが、拳が僅かに頬を擦る。
イデアは構わず、避けた勢いままに剣を逆袈裟に振る。
しかし、イデアの剣はクローリには届かず、再び金属のぶつかる音と火花が両者の間に広がった。
イデアに合わせて、時計回りに体を捻ったクローリがその斬撃を自身の剣で受け止めたのだ。
両者が互いの顔を見ながら、同時にニヤリと笑った。
そこから、息もつかさぬ両者の攻防が続く。
この怪物と軍神の頂上対決。その一挙一動を見逃すまいと、傍観者の誰もが見入っていた。
速さはイデアが上。
手数もイデアの方が勝っている。
しかし、一撃の重さはクローリが遥かに高い。
丸太の様な腕から繰り出される一撃は、とてもではないがイデアが受け止め切れるものではない。
それゆえ、イデアはクローリの剣を全て避けている。
あの巨大な剣を避けきるのは相当な負荷が掛かる。体力的にキツいのはイデアの方であった。
なのだが、両者の剣はどちらも相手に当たらない。
当たるはずもない。
互いにこれがまだ全力では無いからだ。
頂上対決にはまだ上が存在する。
しかし、二人以外の者には激しく剣をぶつけ合う両者が手を抜いている様には全く見えない。演技だとは気付かない。
それに気付ける程の技量を、二人以外には持ち合わせてはいなかった。
時折、鍔迫り合いの際に両者が何かを話しているのに気付いている者はいたが、距離を取っている為か傍観者の耳に会話の中身までは届いていない。
また、両者の遥か高見にあるやり取りにばかり気を取られ、周囲の者は違和感にも気付けないでいた。
違和感―――身の丈2メートルをゆうに越え、丸太のごとき手足と、鋼の様な肉体を持つ怪物と、いくら腕の立つ将軍とはいえ華奢なイデアの両者が剣を押し合っているという光景。
それが違和感の正体である。
筋力で勝るのは圧倒的にクローリである。
一瞬の鍔迫り合いや、そこに至る手前で刃を滑らせ相手の隙を突く、などならともかく、本来ならば言葉を交わす程の長い押し合いなど成立しない。
軽く―――それこそクローリが片腕で押すだけで、いとも簡単にイデアは弾き飛ばされてしまう。
クローリとイデアの攻防が拮抗しているのは、力で勝るクローリ、速さで勝るイデア、と強さの土台が違う為である。
力対力、速さ対速さの同じ土台であったならば、相手より優れている方が勝つ。
しかし、両者はそうではない。
クローリはともかく、速さで勝るイデアが足を止めてまで力で攻めぎ合いをする意味がない。余計な隙を生むだけの行為である。
響く金属音と派手に散る火花。そして、両者のやや大袈裟な攻防が傍観者達の目を曇らせていた。
そんなわけで、本来成立しないはずの攻防が繰り広げられているという違和感には、誰も気付いていなかった。




