第26話 辞令は突然に
誠二は新しい都市行きを命じられて、この世界に来る前のことを思い出していた。
元々、彼は高校の野球部で4番兼エースとして活躍し、甲子園にも出場した将来有望なプレーヤーであった。
ただ、オファーを受けたプロでは行っても育成契約止まりという話になり、それならと誠二は進学、大学野球の門を叩いたのである。
「おいおい、勝手にしてもらっちゃ困るよ、甲子園クンよ」
現実は誠二に襲いかかった。野球そのものとは本来まったく関係のない形で、である。
誠二の入った大学の野球部は、上下関係では説明のつかない苛めが横行していた。練習そのものにはまだ学ぶ所はあったが、先輩の苛めはまもなくそれらをも侵食した。
元から身体能力が高かった誠二は、先輩の鉄拳制裁を何度かかわしつつ言った。
「先輩のアドバイスはすげぇもんだと思ってます。ただ、野球以外の些細な事で拳が飛んでくる。俺らはそれを黙って受ける。それっておかしくないすか?」
誠二は愚直に語りかければいつか相手の心に届くと信じた人間だった。言い変えれば周囲への根回しが足りなかった。一部の監督・コーチ・先輩が結託した状況では、その他部員の一人一人が心を貫く事は難しい事だった。
「なぁ、アイツ気に食わないよな? 先輩やコーチの言うことに二つ返事で従わないんだ。やりはする。しかしいちいち一言添える。ちょっと小突いてやっても避けやがる。ったく、これだから甲子園に出たエース様はよ」
「やってくれるんなら大丈夫なのでは……」
「理由をつけた時点で同じだわ。なぁ……ムカつくよな」
「い、いえ……」
「もう一度言う。なぁ、ムカつくよ、なぁあ?」
根回しだけは上等だった先輩、ゴマスリだけは上手いコーチ陣、そして快く思っていなかった監督たちとの対立は酷くなり、誠二はとうとう来るべき日を迎えた。
「お前の態度は目に余る。何ならプロのスカウトに根回ししたっていいんだぞ? んん?」
「そうですか。……そこまでしてやる野球。俺は楽しくないです。監督は楽しいですか?」
「……なんだその態度は! お前は前から気にいらなかったんだ! もういい、お前は退部だ!」
そう告げた監督の小太りのオッサンの顔は、今でも誠二の頭の片隅くらいに残っている。誠二はその後何かが切れたかのようにゆっくり、監督の居る部屋を出て行った。
こうして誠二は在野の人となった。
「……はは、どうすっかな」
誠二は大学に退学届を出し、街をふらつきながら独りごちた。その後色々あってこの世界に辿り着いた訳だが、その頃には彼の中で何かが壊れていたのだろう。彼は、ついに現代日本でふたたびバットを持つことはなかったのである。
誠二はレイスウェイクの宮殿の前で、風に吹かれながら昔の出来事を思い出していた。風は熱を持ち、甲子園のマウンドを誠二に思い出させた。
「セイジさん!」
馬車から手を振るソフィアの声が聞こえて、物思いにふけっていた誠二は意識を戻した。
今回の公爵の申し出は、あの監督の問答無用のクビ宣告よりはるかに穏健なものだった。ただ根底に通じるものを感じたのか、誠二にはぼんやりと昔の事が思い出された。
「……あの、どういった流れでそのような事に……?」
合流したソフィアにキルヘン行きの事実を伝えた誠二。
彼女は誠二との再会で見せた微笑みも束の間、動揺していた。兜を目深に被っていたため、目元は少ししか見えていなかった。
「俺にも分からないんだが……とりあえずクレーフェでは出てたあの光みたいなもんが出なかった。だから俺は少し力不足ってことで別の所で暴動?を鎮めに行って、そこでコンディションを調整してほしい。そういうこったな」
「そんな……っ」
「ま、仕方ねぇ──ソフィア?」
ソフィアの目つきは、今まで誠二が見たどの表情よりも険しかった。そのまま弓に手をかけそうな顔でゲルトやロビンスの方を見ている。
それなりの理由があったとはいえ、彼女を待たずに事を決めてしまったのがマズかったかと、誠二は考えた。
「悪い。レイスウェイクから離れるのを勝手に決めちまって」
「そうじゃないんです。私はセイジさんについていくつもりですが……セイジさんはそれで良いんですか?」
「俺を必要としてるんならしゃあねぇ。キルヘンって街に困ってる人がいるなら行くしかねぇ」
「……それはそうですけど」
なおムッとしているソフィアに、誠二は顔を近づける。
「セイジさん、何を……っ⁉︎」
「今回は俺も悪いんだ。そんなに睨むもんじゃねぇ」
誠二はソフィアの耳元に顔を近づけて囁いた。そしてソフィアの視線をゲルトやロビンスから覆い隠すように立ち、抱き留めた。
今回のことは、誠二にとっては単なる異動であった。公爵閣下の命ならどこへでも行く事にさほど抵抗はなかった。野球部を追放された時のことを思えば理不尽ではなかった。
だが、ソフィアにとってはそうではなかったようだ。しかもレイスウェイクを離れることに抵抗がある、というのともまた違う表情だった。
「心配してくれてありがとな、ソフィア」
「い、いえ……」
「さすがは勇者殿ですな」
「うむ」
ゲルトとロビンスはといえば、そんな言葉を交わしながら、引き続き勇者である誠二を見ていた。逆に言えば、誠二以外を目に入れないようにしているようにも見えた。
誠二はソフィアの怒りが一時的なものだと考えていた。
だから依然として、ソフィアが誠二の肩の向こうから彼らに怒りの表情を向けていることに、誠二は気づいていなかった。




