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蠢く脳~ローレライの歌   作者: 関谷光太郎
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蠢く脳~ローレライの歌 後編

 少女の顔が迫った瞬間、城島の手にした自動拳銃は奪われた。

 充分に訓練を受けた自分が、いとも簡単に武装品を奪われるなどあってはならないことだ。しかもその銃口が、わがこめかみに突きつけられているとなれば、これ以上の屈辱はない。


「どうした? 撃てよ」


 城島は自分の左側に立ち、銃を構える少女に言った。だが、彼女の無表情は崩れない。いや、そもそも感情というものがないのだ。

 覚醒し侵略された『脳』は、宿主である人間の体をコントロールすることはできても、そのパーソナリティを再現できない、とされている。つまり、ローレライによって侵略された人間は、思考はもとより、人格や心も完全に失ってしまうというのだ。やはり、どんなに頑張っても、コミュニケーションは取れないというわけだ。

突然、少女が動いた。突きつけた銃口はそのままに、体を寄せてくる。


「な、なんだ……」


 それが、なにを意味するのか知っているように、彼女はもう片方の手で城島のヘッドセットを外した。

 城島の全身から血の気が引いていく。ローレライの歌声から完全に無防備な状態にされてしまったのだ。こうなれば、選択はふたつしかない。歌によって『脳』を侵略されるか、それとも『死』か。

 決断は早かった。

 突きつけられた銃口を無視して、城島は少女の腕を取った。そのまま右肩を彼女の脇に入れて一本背負いを決める。


「うりゃ!」


 少女の体は見事な弧を描いて、雪の地面に叩きつけられた。綺麗に決まった技の衝撃は、通常ならば気を失うレベルである。しかし、少女は何食わぬ顔で立ち上がると、強烈な蹴りで反撃してきたのだ。

 華麗な右ハイキック。

 顔側面に激痛が走る。

 首の骨が折れるくらいの衝撃を受けて、城島は頭から雪に突っ込んだ。

 これでいいのだ!


「さぁ、殺せ! ここで止めを刺してみろ!」


 鼻と口からの出血に戦闘服を汚して、城島が立ち上がった。彼は自らの尊厳を守るために『死』を選んだのだ。

 ローレライの行動論理は昆虫の『蜂』や『蟻』に似ているという。種全体を取りまとめる大きな存在か、もしくは意志があり、『個』はなんらかの方法でその情報を共有し行動しているのだ。

 俺はそんな虫けらのようになるのはご免だ! こいつらの仲間になるくらいなら、人間として死んでやる!

 相手が銃を撃ちやすいように、腕を広げて立ちふさがった。

 だが、少女はその挑発に乗ってくるようすがない。

 業を煮やした城島は、編み上げブーツの側面に隠し持ったサバイバル・ナイフを取り出す。これで自らの命を絶つこともできるが、ここは戦って果てるのが兵士としてのプライドだった。

 城島はサバイバル・ナイフを振りかざして少女に突進した。

 

 ――われらは、同胞を殺さない。


 唐突に声が響いた。


「えっ?」城島の脚が止まる。「な、なんだと?」


 ――われらに、同胞を殺すことは許されないのだ。


 それは頭に直接響く声だった。周囲を見回したが、思い当たる人物はひとりしかいない。


「まさか、きみか?」


 相変わらず少女は無表情だ。しかし、城島への問いに答えて言葉は続く。


 ――そうだ。わたしが直接話しかけている。


「ローレライと話せるなんて報告は聞いたことがない。根本的に感情のないきみたちに、人間とのコミュニケーションは不可能とされている」


 ――誤りだ。こちらからコミュニケーションを取らないというだけのことで、必要とあれば、情報は交換する。


 城島の耳に、うめき声が聞こえてくる。

 大破した特殊車両の周囲に、血まみれで死んでいたと思われた隊員たちが、その身を起こし始めていた。うめきは彼らの口から漏れたものだった。

 隊員は誰一人、死んではいなかったのだ。


「これは……?」


 ――われらが同胞を殺さないという証拠だ。残念だが、殺せというきみの要求には応えられない。


 なるほど。人間を殺せば、仲間を増やすことができないということか。ローレライの歌によって覚醒する『脳』が多ければ多いほど、彼らは人類を駆逐する戦力を得るのだ。

 城島は手にしたサバイバル・ナイフを見た。残された手段は、これで自らの命を絶つことだけだった。

 だが――そう考えた瞬間、サバイバル・ナイフは見事に弾き飛ばされていた。

 こちらの心を読んだとしか思えないタイミングだ。そして、心を読んだ能力と同じく、少女は見えない力で城島のナイフを弾いたのだ。


「この野郎!」


 怒りを爆発させて城島が詰め寄るのを、手のひらを突き出し少女が止めた。


 ――時間だ。


「……時間?」


 ――奴らが、来た。


 少女の顔が空を仰ぐ。

 城島も顔を上げた。


「奴ら?」

 

 空が炸裂した。

 暗黒の空を、火球が飛んでいく。尋常な数ではない。禍々しい灰色の尾を引いて、無数の火球が山や街へと落下していくのだ。

 いたるところで赤い閃光が走り、爆発が起こる。

 紅蓮の炎と黒煙が広がって、あっという間に街は火の海と化した。

 城島はわが目を疑った。

 ……冗談じゃないぞ。こんな状況は想定していない!

 動揺は、ほかの隊員たちにも確認できた。

 大破した特殊車輛の周囲で意識を取り戻した隊員たちが、城島の姿を見つけて声をあげたのだ。


「隊長! これは一体どういう状況なんですか?」


「……俺にも分からん」


 城島は呆然と答えた。


 ――同胞よ、共に往かん。


 言葉と同時に、少女は手にした銃を捨てた。

 それが、合図だった。

 テレビのボリュームを絞るように、世界から音が消えた。

 一瞬の静寂の後、無音の世界に穏やかな旋律が滲みだしてきた。

 それは、歌声の清流だった。乾ききったスポンジが水を吸収するように、メロディに魅せられた心が潤いを取り戻していく。 

 突然、意識の中心に映像が結ばれた。それは眼球を通した物理的なものではなく、超常的な感覚で見る光景だった。

 美しい曲線を描く光の弦が見える。弦を爪弾くのは、優しい風だ。

 弾ける光の音魂は、心に響く様々な自然界の音である。

 波。

 風。

 雨。

 雷鳴。

 鳥のさえずり。

 獣たちの咆哮。

 あらゆる音のさざ波が空間をたゆたっていく。

 ローレライの歌。

 それはなんと心地よく、生命の底から染みわたる美しい旋律か。

 城島は、隊員たちもヘッドセットを失っていることに気がついた。みながローレライの歌を聴いている。抵抗するいとまもなかった。気づいたときには相手の術中にはまり、気持ちよく歌声に酔いしれているのだ。 

 

 ――必要とあれば、情報は交換する。

 

 少女が言った言葉が蘇る。

 そうか。今がそのときなのだ。

 間違いない。少女は俺たちを必要としている。いや、俺たちだけじゃない。ローレライや『昆虫脳』が次々と人々を襲うのは、なにか緊急の事態が迫っているということなのだ。それは、街を火の海にした火球と関係がある。

 ふいに、歌声が消えた。


「ああっ」


 思わず声を漏らした。

 頭部が、疼く。

 自分の『脳』が疼いている。

 なんだ、この感覚は? 頭の中で革命が起こっている!

 城島は頭を抱えて膝をついた。全身を貫く快感。しびれるような疼きに身もだえをした。

 ブラックアウト。 

 深い闇がすべてを覆う。

 闇。闇。闇。

 その中に――かすかな囁きが聞こえてくる。

 

 ――ようこそ。われらが世界へ。

 

 闇の先には小さな光。

 城島はその光に向かって手を伸ばした。

 湧き上がる空気の泡。無数の気泡が光の天井を目指す。

 天にゆれるのは、青い空だ! 

 ここは――海!


「ぐっは!」


 空気を求めて城島が喘いだ。だが、そこに海はない。あるのは、真っ赤に燃え上がる世界と、炎を瞳に映した少女の姿だった。

 

 ――ここから一キロ先で、同胞が『蝕』と接触している。

 

 少女の声が明瞭な意志を持って迫ってきた。


 ――彼らと合流し、われらは共に戦うのだ! みな雷の如く、走れ!


 城島の両脚が大地を蹴った。爆発的なスタートダッシュに、降り積もった雪が舞いあがる。人類最速の走りなんて目じゃない。脚が磨り減ってしまうほどの超人的な速度で国道を走り抜けるのだ。

 体が勝手に動いていた。

 それは、誰か他人の意志によって動かされるロボットに、意識だけを載せられたという感覚だ。唯一、視覚だけは自由になるようだが、三百六十度の視野を持っているとなれば、通常の感覚器官の働きではなかった。

 いまも、背後で追走するほかの仲間たちの姿が見える。

 特務機関、AIBアン・インセクト・ブレインの部隊が、こんどは侵略者側の尖兵となって地を駆ける。それは、なんとも複雑な光景だった。


 そうだ。――俺たちは、ローレライに侵略されたのだ。


                    *


 ――『蝕』ガ、ヤッテキタ。


 その声は、矢野とは別人だった。

 声が頭に直接響いてくるという状況にも戸惑いを覚えたが、怪物の登場を前にして躊躇している暇はなかった。


「蝕って、あの怪物のことですか?」


 しかし、西村の疑問は無視された。

 カプセルから怪物の全身が露になったのを確認した矢野が、西村を追い越して『蝕』の前に立ったのだ。


 ――『蝕』ガ、ヤッテキタ。


 矢野の背中越しに『蝕』の姿がある。

 それは、深い深い暗黒の色。

 光さえ届かない、闇が立ちふさがった。

 身の丈は四メートル近い。

 全身が暗黒に覆われ、頭部にある双眸だけが赤く光っている。

 怪物は、怒りのエネルギーを放出するかの如く、肉体のあらゆる場所から皮膚を鋭角に突き立たせた。大小さまざまな黒く鋭い突起が出たり入ったりするさまは、威嚇として絶大な効果を発揮した。

 西村は失禁した。このまま怪物の餌となり果てて自分の人生は終わるのだ。

 しかし――。

 突然の旋律が、西村の絶望に待ったをかける。

 それは優しい風に吹かれるような、心地よい歌声だ。

 歌声の主は――矢野だった。


「て、店長?」


 矢野は、怪物に背をむけて西村を振り返った。

 心が自然にその旋律に引き込まれていた。


「うっ」


 歌声に頭部が疼き始めた。両手で頭を抱えた西村は、自分の『脳』に電撃が走る感覚を味わった。


「こ、これは……」


 ぐりっ。と『脳』が揺れる。


「ああっ!」


 脳内を疾風が駆け抜け、快楽の波動が押し寄せた。

 だが、次の瞬間――西村の意識は現実に引き戻される。

 ぼろきれのように、矢野の体が宙を舞っていた。振り払われた『蝕』の長い腕に、弾き飛ばされたのだ。

 途切れた歌声に、西村の『脳』の疼きもやんだ。快楽の波動が消え、我に返った途端、怪物と目が合った。

 『蝕』の次なる標的は、西村だった。


「よせ! やめてくれ!」


 命乞いをして通じる相手とも思えないが、半ば本能でそう叫んでいたのだ。

 赤い双眸はあくまでも無慈悲だ。人間には耐え切れない瘴気を発散して、巨大な口が暗黒の洞窟となって西村を襲う。


 く、喰われる!


 西村が覚悟した瞬間。

 複数の人間が、超人的な素早い動きで、西村の体を『蝕』から遠ざけたのだ。

 突然の邪魔者に『蝕』が怒りの咆哮をあげる。


 ――おい、しっかりしろ!


 これも同じくテレパシーというやつだ。しかし男の声は、はっきりとした意志をもっていた。確実にさっきの矢野とは状態が違う。


「あ、あなたは……」


 黒いラバー製の胸当てや、ショルダーパットを装着した姿は、テレビや映画などで活躍する特殊部隊のタクティカルスーツのようだった。


「あ……あなたたちは、誰ですか?」


――俺たちは特務機関に属するものだ。だが、現在この体は侵略されて自分たちの思うように動かせない。ここへ来たのも侵略者の思惑によるもので、われわれに選択権はない。


侵略。その言葉に、これまでの状況が納得できた。

首を切り裂かれた男や、脚のある『脳』たちは人間の体を奪おうとする侵略者だったのだ。そのために、店長の矢野は、自分の『脳』を引きずる出されて別人となった。俺も例外なくそうなる運命だったのだ。

では、この『蝕』と呼ばれた怪物はなんだ? 同類であるなら、仲間である矢野を攻撃する必要はないはずだ。

『蝕』が怒っていた。全身を黒い針山にして、襲って来る。

タクティカルスーツの男が、西村の体を抱えて飛んだ。

信じられない脚力で五メートルほどの距離をジャンプすると、また別の場所に着地した。


「す、すみません。ありがとう」


 ――礼をいわれても困る。体が勝手に動くんだ。


「侵略されたのに、冷静ですね」


 ――俺もそう思うよ。


 地響きをたてて『蝕』がやって来る。

 聞きたいことが山ほどあるというのに、『蝕』の攻撃から逃れるため、またもや男に抱きかかえられて西村は飛んだ。

 攻撃をかわされた『蝕』の巨体が地団駄を踏む。赤い双眸をさらに赤くして、飛び退る西村と男の姿を求めて疾走した。

 『蝕』がタール状の液体を吐き出す。

 見事な直撃を受けて、西村たちは墜落した。

 抱えてくれる男のなせる業か、地面に激突する衝撃は緩和されて、痛みや苦痛は全く感じなかった。その代わり、とりもちのような液体に全身の動きを封じられて、西村と男は逃げる手段を失ってしまったのだ。


「くそ!」


 獲物に止めを刺すべく迫った『蝕』に、異変が起こったのはその時である。

 激しい音と共に、『蝕』の胸が破裂したのだ。

 体に空いた大きな穴から、大量の黒い体液が噴出する。

 絶叫。 

 怪物の体を粉砕し、『蝕』に悲鳴をあげさせたのは、たったひとりの少女だった。

 セーラー服の少女。黒く汚れているが、元は白い夏用の制服にちがいない。彼女は『蝕』と西村たちの間に割って入る形で、大地に仁王立ちした。

 西村はこの世のものでない戦いを目にしていた。一瞬にして変わり果てた世界に、さっきまで確かにあった日常を探して、その視線が周囲を彷徨った。

 弾き飛ばされ、雪掻きの山に激突した矢野の姿を捉える。


「……店長」


 ぐったりした矢野の足元に転がるのは、『脳』だ。『蝕』に弾かれたときに、矢野の手からこぼれ落ちたのだ。その一部が破損していることに、ひどく衝撃を受けた。


 ……なんで、こんな目に合わなきゃならない。


 『限界』という言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、西村の頭上から巨大なものが落ちてきた。スローモーションで迫ってくるそれは……『蝕』の頭部だった。

 全身に衝撃が走った。

 西村の意識は――暗転した。


                    *


 『蝕』の頭部に、男が直撃された。  

 それは、体を弾丸と化した少女が、『蝕』の頭部を吹き飛ばした瞬間の出来事だった。


 ――くそ、なんてことだ!


 間一髪、脱出した城島が叫ぶ。

 侵略された城島の肉体が、男を救う努力をしていたのは間違いない。だが、超人的な力を持ってしても自分ひとり逃げるのが精一杯だった。それ程に、強力な粘着力を持った液体からの脱出は至難の業だったのだ。

 男の生命反応が弱っていく。

 『蝕』を葬った勢いのまま、セーラー服の少女がやって来た。

 彼女は巨大な頭を男の体からどかせたが、かなりのダメージを負ったその肉体は死に至る寸前だった。


 ――なんとか助けられないのか?


 城島は、男の顔を覗きこんでいる少女に問いかけた。

 しばしの沈黙の後、彼女の意志が伝わった。


 ――心配ない。これから覚醒させればまだ間に合う。


 ――本当か?


 ――ああ。


 安堵する一方で、少女の発した『覚醒』の意味をすんなり受け入れている自分に愕然とした。意識が失われなかったことで油断をしていたが、自分の『脳』は覚醒し、乗っ取られた状況なのだ。自由にならない肉体と同様に、いつ意識が消失してもおかしくはない。これが、その前兆なのか?

 少女の傍らに、コンビニの制服を着た男が立った。さっきまで地面にぐったりと倒れていた奴だ。どうやら、『昆虫脳』に直接『脳』を掻きだされて入れ替わったタイプのようで、『脳』と『肉体』の連携が未だうまくいかず、ぎこちない動きが目立った。なのに少女は、男の覚醒を彼に任せたのだ。

城島にも、ふたりがコンビニの店長とバイトだということはわかる。しかし、『脳』を奪われた店長の方は完全に別人格と化して、以前の記憶などないはずだ。個人的な情や親近感が残っているとは思えない。


 ――心配ない。彼の自我はまだ失われていない。


 少女が城島の心を読んだ。


 ――自らの『脳』を失っても、彼の記憶や感情の欠片は、肉体を構成する細胞のひとつひとつに宿っている。すべての細胞が入れ替わるまでその記憶は維持され、やがてゆっくりと消えていくだろう。わずかな期間しか存在できない彼の意志を、わたしは尊重する。


 それは、店長に対する彼女の配慮だった。まさかローレライが人間のような感情を見せるとは。


 ――われらに、感情という概念はない。


 ――他人の心を勝手に読むな!


 少女が首をかしげる。


 ――きみはまだ自覚がないようだ。心を読むも読まないも、思考のすべてが共有されているのだ。お互いが瞬時に理解し合える状況だ。もっとも、きみの意識がはっきりしているのも本格的な戦闘が始まるまでで、それ以降は完全なる意志の共有により戦闘に特化した存在になるだろうが。


 ――戦闘が始まるまでの間とは、どういう意味だ? 俺はどうなる?


 ――きみの意識は沈む。


 ――沈む?


 ――これから始まる戦いで、きみたち人類の精神はとても耐えられない。だから、意識層の最下部へ沈んでもらうのだ。


 ――死ぬということか?


 ――違う。死にはしない。


 少女は饒舌だった。しかし、それは共有した意識のなせる技であり、彼女が急におしゃべりになったのではない。互いの意識は完全にシンクロしているのだ。


 ――広大な海に、きみの自我が浮かんでいる。だがそれは固定されておらず、状況に応じて浮かんだり沈んだりする。現時点できみの自我が浮かんでいても、次の瞬間にはもう沈んでいるかもしれないのだ。


 ――その瞬間とは?


 ――『蝕』の攻撃が本格化した時だ。 


 またもや空に衝撃が走る。火球が降り注ぎ、無数のカプセルが大地に突き立った。暗黒の『蝕』が次々と現れる。その姿はもはや数えられないほどに膨らんでいた。


 ――あの『蝕』とは一体、なんだ?


 ――宇宙に蔓延する『闇』。世界の始まりと共に誕生し、宇宙にあるすべての生命を破壊する『暗黒』だ。


 城島の意識野に異変が起こった。さらなる共有の深化だ。

 激しい瞬きが全方位で視覚を圧倒する。それは、脳内のニューロンで生成された電気パルスによって流れ込む、膨大な情報の海だ。城島は、少女の持つ情報世界に呑み込まれて、膨大な映像イメージを受け取った。

 宇宙創世記、ビッグバン。

 世界を照らす『光』の誕生は、同時に世界を喰らう『闇』の開放でもあった。

 拡大する宇宙が、様々な生命を育む。

 ガス雲の中で繁栄する微粒子生命体や、惑星に吹き荒れる暴風から身を守るため、固い表皮に覆われた岩石のような生物。そして、大陸のない海だけの惑星には、風に乗り浮遊する綿毛のような生命体もいた。 

 このように宇宙には、地球以外にも様々な形の生命体が存在したのだ。

 煌く恒星に祝福されて、生まれる喜びに満ちた世界は、やがて拡大の一途をたどる。その果てしない生命の増殖を追って、『闇』が空間を駆け抜けた。 

 遭遇する惑星に手当たりしだいに襲いかかる『闇』は、惑星の海を蒸発させ、そびえる山脈を根こそぎ剥ぎ取ってゆく圧倒的な力で宇宙を席巻した。

 そして、惑星と生命を消滅させると、また新たな獲物を求めて宇宙空間を移動する。次なる獲物への遭遇まで、気の遠くなるような時間がかかっても関係ない。その破壊衝動は、宇宙を無に帰すまで止まることを知らないだろう。

 

 この青い地球が標的となる日も必ず訪れる。

 そのための準備を、七百万年前に行ったのが『侵略ウイルス』だった。

 『侵略ウイルス』は、宿主と進化を共にすることで戦闘能力を強化、非常時にはその能力を開放して『蝕』と戦うのだ。

 城島は知った。

 ローレライは侵略者ではなく、『闇』に対抗するための防衛システムだということを。 


 周辺に響いてきたのは、店長の歌声だ。

 息絶えようとする男に向かっての、祈りにも似た歌声だった。

 ローレライの歌。

 情感あふれる旋律が城島の心を打った。


 ――さあ、時が来た。


 少女の穏やかな声に促がされるように、意識が遠のいていく。

 ぼやける視界のその先に、男がひとり映りこむ。

 喉に大きな裂傷を負ったその姿は、間違いなく逃亡した研究所の職員だった。

 彼は、喉に点滅する青い光を残して弾丸のように飛び立った。一瞬、目が合ったような気がしたが、城島の意識もそこで途切れてしまった。

 そして――かれの自我は、沈んだ。


                    *


 ――気がついたかい?


 ――あ、店長。無事でしたか!


 ――おかげさまで、なんとかね。


 ――ここは、どこです?


 ――説明したいけど、時間がないんだよ。だから、ちゃんと伝えておかないと。


 ――なんです。改まって。


 ――こんな目に合わせて本当に申し訳ない。うちへバイトに来たばかりに酷いことになってしまった。


 ――そんな。店長のせいじゃないですから。


 ――きみは……どこまで人がいいんだ。


 ――はは。


 ――さあ、そろそろ時間だ。行くよ。


 ――え、行くって、どこへ?  


 ――『蝕』の本格的な攻撃が始まった。これからは地獄のような戦いが待ち受けている。とてもじゃないが、われわれの精神では耐えられないだろう。だから、今はゆっくりと沈むんだ。


 ――沈む?


 ――戦いが終わるまで、眠りにつくようなものさ。


 ――目覚めることはできるんですか?


 ――この肉体が、生きていればね。 


 ――あ……。


 ――に、西村……くん。


 ひっそりと、西村の自我が沈んだ。

 それを見届けて、矢野の自我も後を追った。

 静かに沈んでいくふたりとは対照的に、世界の破壊は激しさを増していた。

 

 大地が裂け、灼熱の海が蒸発する。

 無数の『蝕』の群れは、地球全土に魔の手を伸ばし生命を根絶していく。

 セーラー服の少女を先頭に、城島、矢野、西村。そしてAIBアン・インセクト・ブレインの隊員たちが集結した。

 溶鉱炉と化した世界に、七百万年を賭けた防衛システムが発動する。


 ――進撃!


 少女の号令一過、全員が弾丸となって飛び立った。 

 地球の存亡を賭けた戦いの始まりである。




                        おわり



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