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太陽の皇女 月の皇子~羅乎(らお)の巻~ 第六章

第六章

    1


 石畳が渦を巻いて中心へと向かっている。

中央にあるのは丸い屋根を持つ、円柱型の建立物だった。渦の一番外には背の低い円柱が規則的に並び、円柱の上は丸く窪んでいて、恐らく水でも入っていたに違いない。

一見、憩いの場のようだ。だが、雰囲気は程遠い。ここまで豊かな緑に支えられていた心地よさが一変、なんとも無機質な空気が満ちる。言ってみれば、死んでいる空間。地上にある生命から、一線を隔したような、風の流れさえも遮断するような酷薄な場所だった。

 阿己良あきらが躊躇することなく足を踏み入れる。その背を見やって、羅乎らおは舌打ちをした。

「阿己良。ここはなんだ」

 剣呑な雰囲気を感じたのか、振り返った顔は驚きを露にしている。

「ここは、禁施きんしの森の中心部で、太陽の神殿です」

「太陽?」

「今でこそ神拿国と呼ばれていますが、かつては月の国とも呼ばれていたんです。ここはその時の名残でまだこの国が太陽に支えられていた頃の、太陽の力を宿した場所でした」

 大地の守護を月の国に任せ、太陽の国の人々は天へと帰った。琉拿の一族とここに自らの力を残して。

「ここには神水が溢れていたのです。それが急に枯れてしまって。ひょっとしたらそれが悪気の急な増殖を促したのかもしれないんですが」

 これに、と阿己良が懐から三日月の飾りを取り出した。

「神水の力を注ぐ必要があるのです。この飾りはあくまでそのた為の器。悪気を抑えるのは月の力だけではだめなのですが」

 周囲を見回して阿己良が溜息をつく。

「やはり、枯れたままでしたね。神水は手に入らない」

「中央に行っても意味がないといっていたのは」

「そうです」

 しんみりと阿己良が頷く。

「神水がなければ、中央に渡ることはできません」

 琥邑こゆうが水と話していたことが思い出された。行ってみなければわからないと話していたのは、ここに水が戻っているかもしれないから。そして神水とやらがなければ月の力は発動しないということのようだ。

「……なるほどね」

 そういうことかと思う。そして同時に納得する。

ちょくちょく外出する羅乎にいい顔をするものは少ない。いつも通り、白い目を向けてくる者はいたが、それでも今回はお小言が少なかったように感じていた。さらに言えば、姉はともかく、父親がやけに後押しをしてきていた。つまり、である。

――いいように使われたわけだ。

そう思うのと同時に皆がそれを善しと判断したのだと理解できた。それならばなぜ自分や麻耶希だけなのか。もっと公に動けばいいだろうに。

面倒な話だと思う。手を貸したいなら何を迷う必要があるのか。なぜ、もっと簡単にはいかないのだろうか、ここも、あちらも――何もかも。

「羅乎、どうかしましたか?」

 黙ったままの羅乎の元へ阿己良が歩み寄る。心配げな瞳に羅乎は肩を竦めてみせた。

「まあ、いいけどさ。どうせ、こうなる事は同じだし」

 公に行動が起こされていたとしても自分がじっとしていたとは思えない。勝手に動いて、なんだかんだ云々かんぬん紆余曲折――結果、やはりここに来ているのだろう、きっと。

 溜息交じりにおもむろに両手の手袋を外す。露わになったそこには炎のような痣が刻まれている。阿己良の視線が己の手の甲に注がれるのがわかった。

「これさ、目立つよな。なんとかしたいとこだけど。ま、仕方ないんだよな」

 言いながら、手袋を無造作に帯に差し込んで、剣の鯉口を切る。手の平を切りつけて、赤く滲むものを確認する。

「中に行っててもいいぞ」

 何をする気かと不安げな阿己良に不敵に笑って見せた。

「魔法使い。最大の魔法ってか」



 円柱の上に赤い手形を残していく。居並ぶ円柱は全部で六。

 押し付けるようにして残された手形は、滲むように窪みの中へ広がっていく。窪みを覆うほどに赤色を広げると、仄かな光を宿す。

「これは……魔法?」

 後をついて回る阿己良が覗き込んでは、感嘆の溜息をつく。次々と円柱が光を帯びて、石畳の空間全体が輝きを放っているようだ。

それが終わると、羅乎は中心の建物へと足を向けた。

 建物の中もまた閑散としていた。余計なものの何もない空洞のような建物の真ん中には大きな噴水跡があった。枯れて、今では意味を成さないそこには四聖獣が象られた出水口が大仰に構えていた。それ以外は無機質な石の壁面。丸い屋根もまた石を組んだだけの無造作な造りだ。神殿などと呼ばれているわりに、噴水以外何かがあったような様子もない。

 羅乎は血の滲む手の平を入り口すぐの壁に当てる。まるで覆われている布を捲ってくかのように、その手をずっと翳しながら室内を歩いていく。

「す、すごい――」

 阿己良が息を呑む気配があった。

今度は後を追って来ることはなかった。追う必要もなかったのだろう。目の前の変化はその場に立ったままでも目にすることが出来たのだから――。

 触れた場所から、無愛想な石は変化する。手を先頭に、まるで小船が波を引くようにして、深紅の彩が現れていく。波状に広がる深紅、色が出来上がると、そこにはさらに鮮やかな花模様が浮かんできた。紅に舞うのは淡桃色の小さな花びらの群れ、風に煽られて踊る中に、真珠色で表れたのは伝説上の一角獣、番の獣が駆ける様だ。

 変化は壁だけではない。壁との境目に太い金色の梁を巡らした丸天井は何もないのかと思わせる程、真っ青だ。だがそれはすぐに彩色ではないのだとわかる。流れる雲は本物で、太陽の光を通すそれは硝子だった。晴天の空をそのままそこに丸く切り出している。

 声すら発することが出来ず、ただ唖然と、眩しさに目を細めながら立ち尽くして阿己良が天井を見上げていた。それからゆるゆると視線を下ろす。

「……そんな――」

 さらさらと涼やかな音を立てて流れるそれが何なのか、認識するまでしばしの時間を要したようだ。信じられないとばかりに口を押えたまま、ただ澄んだ流れを見つめる。

 溢れた水が流れ、流れ出た水は渦状に置かれた石畳に浸み込んでいく。

 この水がただの水でないことは、神拿国王家の人間ならわかることだろう。滾々と湧き出す聖なる水。かつてこの大地を悪気から護る為に、ここから世界へと注がれていた聖なる気。太陽の光をはね返す様もまた神々しく、香しい芳香を放ちながら流れていく。


    2


「ここは枯れたんじゃねえよ。止められてたんだ、意図的に」

 かけられた声に、噴水を前に棒立ちだった阿己良が弾かれたように顔を上げる。そして恐る恐るといった様子で背後を振り返り、大きく目を見開いた。

「羅乎? 羅乎、ですよね?」

 阿己良の瞳が大きく見開かれた。視線が上から下へと下り、そして下から上へと戻る。困惑しきった表情に怯えたような色が宿った。

「もちろん」

 答えた声音が違うことは羅乎自身がわかっている。懐かしいような感覚が全身に戻っている。握る拳の感触からして違う。見つめ合う、その視線の高さの違い。

「悪い。隠してたわけじゃねえけど」

 両手を胸に、恐ろしいものでも見るような阿己良の様子は、立て続けにおきた異常事態も含めてか困惑の極みにあることを示していた。

「こっちにくる時は人の枷をつけてくるから、なかなか術の解除ができなくてな。女にされたままで、その……」

「人の……枷?」

 阿己良の声が震えている。怯えたような表情にさらに険しさが加わった。

 そろそろ潮時かと思う。ここまで来て、もはや伏せておかなくてはならないことでもないだろう。

「俺はこの世界の人間じゃない。……高天原の者だ」

「たかまがはら?」

 阿己良がたどたどしく繰り返す。

「でもそれは神のおわす場所で、そんな――」

 高天原は神々の世界。それがこの世界での常識だ。実際にあるものではなく、あくまでも物語の中だけのもの。その方が都合がいいというだけだ。現実にきちんと存在する世界なのだからこちらとさほど変わるものではない。羅乎からすれば神拿国も十分おとぎ話の部類に入ると思っている。

「天照火乃鎖羅々羅乎あまてらすひのさらららお

「あ、あま……てらす?」

 ますます怪訝そうに眉間に皺が刻まれる。

「俺の名だ」

「……太陽の、神?」

「天照神は姉貴だ。太陽と高天原を守護する天照明乃照和乃女皇あまてらすあけのてるなぎのひめみこ。俺は火の守護者になる」

 今一度天照と繰り返してから、考えるような間をおいて阿己良が口を開いた。

「じゃあ、僕が羅乎に惹かれのは、羅乎が太陽の国の人だから……?」

 それは羅乎にもわからないが、それだけではないと思いたいのが正直なところだった。

「どうして地上に……?」

「まあ、ちょくちょく来てはいたんだ」

 羅乎はよく人の世に降りて来ていた。従妹の麻耶希まやきと友人で朱雀の一族である朱潤しゅかんとともに遊びに来ていたのだ。

 高天原の住人がそのまま降りたのでは人の世の調和が乱される。その為に地上に降りる際にはその能力含め、人に近い状態へと自ら封を施してくる。調和云々も理由のひとつではあるが、地上の人間に比べ、高天原の人間は悪気に対して弱いと言われる。地上でも耐えられるように耐性を持たせるのも、枷をつける今一つの理由でもあった。

人の枷は高天原に戻れば自然に解除され、時間がたてば元に戻る。その代わり地上にいる限りは解除することができなかった。封じても火が使えるのは羅乎だからである。守護者級でなければ、封じられた時点でただの人と大差はない。

 度々訪れていた二人はなんとなく地上に剣呑な空気が増えているのを感じていた。頻繁に遊びに行っている咎を覚悟して報告するも、高天原は動こうとはしなかった。

「親父や姉貴に訴えてもだめだった」

 天照一族の長にして実質の高天原の王である父もまた関わらないとの返答だった。お偉方に関しては関わるだけ無駄だとまで言ったのだ。姉である天照神、明乃照和はどうしようもないことを二人に告げる。そして天照神は二人でなんとかするように頼んだのだ。

 ……そこまでは、まだよかった。

 羅乎と麻耶希の二人が地上に降りたその日、何かから逃げる男女と遭遇した。既に深手を負っていた男が目の前で力尽きた。どうやら連れはこの女性を護っていたようだった。

 追ってくる人間が新たに現れた人数に引き上げる気配を見せた。ほっとしたその時放たれた術は、咄嗟に女性を庇った羅乎にかかってしまったのだ。

「それ以来、女になっちまって」

「羅乎も、性転の術を?」

「性転の術っつーのか、あれ。なんつーか……複雑な経験をさせてもらったよ」

 この場所は高天原と同じ空間だとは到達した時点でわかった。ここを復活させるしかないことが羅乎には腹立たしかった。自分を泳がせ、この場所に来ることが、父の本心であり、総じて高天原の思惑通りなのだろうと思うと面白くない。止められているものの再起動など実に簡単だ。羅乎でなくても高天原の人間なら誰でも動かすことが出来る場所だ。逆に言えば止めることだって簡単にできてしまう。

 高天原の空気に触れたことで身体は本来の力を取り戻し、そのおかげかかけられていた術も解除されていたのだ。

「今まで、言わなくて悪かった」

 きちんと理解しきれているのか、いないのか。阿己良は幾度か視線を泳がせ、俯いたまま首を振った。

「阿己良」

 羅乎が踏み出すと、阿己良が一歩下がった。もう一歩進むと、今度は二歩下がる。縮まらぬ距離に羅乎は息を吐く。

「……なんで、逃げるよ」

「え、逃げてなんて」

 構わず歩み寄るとやはり下がる。だが、その背後には噴水が満々の水を湛えていた。下がりきれなくなった阿己良の身体が傾ぐ。咄嗟に宙を掻くその腕を捕まえた。

「お前は馬鹿か」

 背中へ手を回して支えると、阿己良は目を逸らすようにして顔を伏せる。

「阿己良?」

「――は、離してください」

 顔を伏せたところで首まで赤いのは隠しようがない。力の差は圧倒的である。これはいい見物と、羅乎はわざとそのままでいたのだが――。

「おい、お前、さっき」

 ふと、気がついて、改めてその顔を覗き込んだ。

「羅乎もって言ったよな。『も』ってどういうことだ」

「そそそ、そんなこと言ってません」

 怪しすぎる。というか、本当に正直者すぎるというか。

「言ってないってのがほんとならこっちを見ろ」

 顔を背けたままの阿己良の両腕を掴み上げる。片手で細い両手首を捕まえるだけで、阿己良の腕は容易く自由を失っていた。

「阿己良、お前」

 今ならわかる異質な感じ。阿己良の気配の中に違う何かが――ある。

「ちょっと熱いからな」

「え?」

 羅乎が盆の窪に手を置いた。案の定、抵抗しようとする圧力があった。それを滅する為に己の神火を注ぎ込む。すると阿己良の身体がびくりと反応する。

「何を――っ」

 阿己良が目を閉じた。体内を駆け巡っているだろう熱気に苦しげに眉根を寄せた。命に関わることは絶対にない。阿己良の体内にはびこる施術の残滓を、羅乎は容赦なく焼き尽くす。歯を食いしばっていた阿己良だったが、やがてその意識を手放した。



 神殿の外だった。長々登ってきた階段の最上階に腰を下ろしていた。

 熱気を受けた阿己良は気を失っていたので、風に当たる方がいいかと羅乎がここまで抱えて来たものだ。膝に乗せた顔を覗き込みながら神水に浸した布を首にあてる。火傷になることはないが、やや赤みを帯びてはいた。

「大丈夫か?」

 うっすらと目を開けるのに声をかけると、阿己良はぼんやりと周囲を見渡すようにしてから僅かに首を傾げる。大きな目で羅乎を見上げ瞬くと、唐突に身体を起こし――途端、ぐらりと傾ぐ。

「お前っ――いきなり起きるなよ。階段、落ちるだろーが!」

「ご、ごめんなさい……僕」

「まだ名残があるだろ、もう少しおとなしくしてた方がいい」

 さすがに膝枕はと思ったのだろうか。頷きつつも羅乎に寄りかかるようにして、隣に座り直した。再度大丈夫か尋ねると、はいと阿己良が答えた。

「ちょっと荒療治だったな。ごめん」

「いえ、それは……僕こそごめんなさい。面倒をおかけして」

「それこそ謝ることじゃねえだろ。俺が勝手にやったことだ」

「それだけじゃなくて、その……僕は」

そっちのことかと心の中で思いつつ、羅乎は半眼状態で阿己良を見やった。

「男らしくねえとは思ったが、まさか、女だとは思わなかった」

最初からわかっていれば、というのはさすがに下賤なことだが。

「ごめんなさい。騙すつもりとかは」

「ないってのはわかってるから」

 そういう考えは阿己良の中にはないだろうことは言われるまでもなく、わかる。

「僕のは、どうしようもなかったので」

「まだ僕っていうのか?」

 阿己良が淋しげな笑顔を浮かべる。

「神拿国の二子以降は男として扱われるんです。もちろん公式の場では『私』を使いますけど、誰かと話すときは僕を使うようにといわれます」

 知っていたかと尋ねるのに羅乎は首を振った。少しは李比杜から聞いたものの、男として扱われるというのは初耳だった。

「女でも、男でも。長女以外は予備でしかないのですから。特別な存在なんて、そんなに沢山居たら邪魔なだけでしょう」

 男はそれでもまだいいのだという。力が継承されないことが多いからだ。男児ならば神拿国の王家という箔を持って普通に降婿していくこともある。だが神拿国の力を引き継ぐ女児はそう簡単にはいかない。降嫁は許されない。

 男女問わず王宮でのみ暮らすのは後々の処理の為だ。皇子ならば外に出て生きていくのに皇女はどうしたという話になってしまう。だったらそもそもから長女以外は男子として育て、無事長女が継承すれば次女はそのまま人知れず、無かったものとされる。

「無かったものって」

「死んだことにされるんです。皇子は亡くなったと」

「そんな」

「仕方ないです。そういうものですから」

 絶句した羅乎に阿己良は静かな微笑を浮かべる。

「だから僕を女だと知っているのは、母と姉を除くと、近衛近侍の幹部と王宮長だけです」

 本来ならそのまま王宮の中で過ごし、一生を終える。こんな風に神拿国以外の者と対話することはまずない。

「第二子以降は不要。まして男子ならば尚更。あの国の王家に男子はいらないんです」

 皇子は捨て置けの意味をようやく理解した。力の継承ができない者に用はない。だが、事態は緊急時だったはずだ。第二皇女も十分大事にされる状況ではなかったのだろうか。

「なんでお前に術をかけることになったんだよ」

「母が封じられ、危険を察知した姉が見よう見まねでかけたのです。僕の身を案じて」

 性転の術は古来からあったのだと阿己良は言う。随分昔は、長女以外の女児を最初から男にしてしまっていた記録もあるらしい。また、長女が次代の継承者を誕生させた時点で実際に死を与えていたこともあった。これらは何代か前から行われなくなったのだが、命を長らえる為に皇子として扱われるようになって久しく、これは今でも変わらない。

「姉は、もし自分に何かがあった時、狙われるのは僕だと」

 けれども知られている通りに本当に男であれば、その類は及ばないに違いない。いずれ落ち着いたら解除すればいいだけだ――だが、誤算が生じた。

「魔法部隊長の琥邑では解除ができませんでした」

術を施した本人が行方不明になり、術を解くことができない。そこまでならまだしも、魔法の長にも解けないことがわかった。

「琥邑を上回る能力となれば姉か母でなくては解除することはできないことになります。ですが、幸い、琉拿の力はそのままだったので」

 神拿国の系統は残せなくなるかもしれない。だが、それよりもこの事態を収拾しなくてはならない。目に見えて増えている悪気の被害。せめてそれだけでも抑えなければ王家の人間として生まれた意味がないではないか。

 実際、長老会は阿己良に事の収拾を要求してきた。本来ならば使い道のない皇子に日の目を見せてやるとばかりの口振りで。

「けど、ほんとに男だったら何もできねえんだろ?」

「そんなこと、彼らは考えていないのだと婁支雄が言っていました。僕もそう思います」

 解決しようという努力よりも自分ではない誰かに押し付け、責めることで責任を逃れる。

「李比杜なんかは相当怒っていたみたいですけど」

 正直、阿己良も気持ちよくはなかったらしい。しかし長老会がなんと言おうが、悪気に対し動かなければならないのは事実だ。

「女に戻ることは……諦めていました」

 長かった髪も、その時に自分で切ったと薄く笑う。

「戻して、よかったのか」

 阿己良が曖昧に微笑む。それはそうだ。もし無事に終わって姉が戻れば己は王宮で生きていかねばならない。男の身であるなら、外へ出ることも許されたかもしれないのに。

 女に戻っても――否、女だからこそその儚げな様子が際立つ。その身に負わされたものがこんなにも危いものにしているのだろうか。

 男にしろというのであれば羅乎が国に帰ればそれだけの術を施せる者はいる。人間にできるのだから、神と呼ばれる高天原の連中にできないわけはない。

 高天原で神拿国の事情を正しく理解する者は殆どいない。羅乎程度でも詳しい方と言える。高天原は地上を琉拿の一族に与え、去った時点でその保護を放棄した。もはや関与すべき事柄ではなく、どうなっているのかを考えることすらやめてしまった嫌いがある。一方、天から離れた神拿国は与えられた地上を護るという目的の為に試行錯誤してきたのに違いない。捨てられてもこの地上には生命が溢れ、生きている。なぜという疑問を内包したまま、それでも地上の営みの為に。天から授けられたという力を忌むのではなく、誇りに変えて。

 果たして、これは正しいことなのか?

 浮かぶ疑問。創っておきながら捨てる。これは悪気を生み出したことよりも罪深いことではないのか。

 ――そして今、その皺寄せが、全てこの少女へと集まっている。

「阿己良」

 阿己良が静かに顔を上げた。

「俺は、そういうこと、何も知らなかった」

 ごめんと呟く。

「なぜ謝るのですか? 羅乎のせいではないでしょう?」

 首を傾げると不揃いな白金色の髪が揺れる。

自分のせいではないことなんて言われずともわかっている。だがそれでも羅乎はすまないと詫びた。天――即ち高天原に責があるのは間違いない。そこに生まれ、まがりなりにも頂点の名を持つ一人として、知らぬではすまないように思えたのだ。

「俺がいる」

 羅乎は己に遠慮がちに体重を預けられる身体に腕を回し、その肩を抱き寄せた。

 惹かれる気持ち以上に申し訳ない思いがあった。申し訳ない思いを上回る憐れがあった。だがそんな様々な感情の帰結する先は――やっぱり阿己良を好きだという想いだった。

「一緒にいるから」

「え?」

「俺が一緒にいる」

 王宮から出られないなら王宮に忍び込む。外に出たいというのなら、自分が連れ出してやる。淋しいときは一緒にいる。押し付けられたものを一人で背負う必要はない。一緒に頑張るのだと約束したから。

 華奢な身体をしっかりと両腕で抱くと、羅乎、と阿己良の遠慮がちな声がした。

「あの……えっと、その、ひとつ聞きたいのですけど」

 阿己良が身動きをして、羅乎の身体を懸命に押し返す。顔は俯いたままだ。

「この前、僕にあんな――その」

「接吻?」

「ししし、してません! 未遂です」

 一瞬上げられた顔が真っ赤だった。目が合うと物凄い勢いで顔を伏せる。

「羅乎は男性だったのでしょう? あの時、僕は男の子です。それなのに、あんなこと」

「そこは、あまり追求すんな」

 ――なぜ、今そんなことを思い出すのだ、こいつは。

「男性が好きなんですよね」

「そんなわけあるか!」

「なら、どうして……もしかして、女だと知っていたのですか?」

 知っていたら、あんなに苦悩していない。とはいえ、自分の方が女性だったのだ、果たして知っていたとしたら自分はどうしていたのだろう。

「……結構、複雑に、有り得ねえくらい苦悩した」

 たくさん言い訳もした。自分の本質を疑ってみたりもした。それはもう滑稽なくらいに。

「けど、阿己良を好きってのは、どうやってもごまかせなかった」

どんなに言い訳をしてもだめだったのだ。だから多分、阿己良が女と知っていたとしても、愚かだが同じことをしていると思う。そんな気がする。

「そんなこと、どうでもいいだろ。もうちゃんと戻ってんだから」

 それより、と羅乎は強引に言葉を続ける。

「そういうお前はどうなんだよ。俺のこと、どう思ってんだよ」

 あの時、露骨な拒否はされなかったと羅乎としては認識している。うまく躱された感はあるが、結構脈ありの反応だった……と、思うのだが、それは自惚れだろうか。

「ぼ、僕は……」

 気の毒なくらいうろたえる阿己良を笑い、顔を隠している白金色の髪をかきあげるとそのまま額に口づける。恥ずかしそうに逃れようとする、その抗う力のなんと弱々しいこと。か弱い抵抗なんて、余計にこちらを煽るだけだということをわかっているのだろうか。

「戻って、よかったよな」

 吐息が届くほどの距離でその瞳を覗き込んだ。潤んだ瞳にそっと唇を押しあてる。

「羅乎、僕っ」

「男だって言い訳は通じねえぞ」

「そ、それは――」

 言葉途中でその唇を塞いだ。二度、三度と啄むうちに強張っていた阿己良の身体から徐々に力が抜けていく。触れるごとに結んでいた唇が解け、阿己良が背中を抱き返す。応じるそのぎこちなさが堪らなく愛おしく、羅乎は想いを言葉に乗せながら口づけを繰り返す。

――側にいる、ずっと。

 囁くと、瞳から零れるものがあった。火照る頬を伝った涙に口づけ、包むように抱きしめた。見つめあった互いの瞳に導かれるようにして、再び深く唇を重ねた。


    3


「あ、戻ってるー!」

 太陽の神殿を出て、果てしない階段を降りると、麓には小さな影が待っていた。しゃがんでなにやら遊んでいたらしいが羅乎の姿を認めると飛び跳ねながら両手を振る。高い位置で括った茶髪と橙色の大きな蝶結びの帯が派手に揺れて、いかにも子供っぽい――否。

 ――中身と同じ、阿呆っぽいな。

 兄妹同然で育った親戚としては、なんとかせねばと思ったりもする。

「よかったね羅乎兄らおにい――あ、ら、羅乎ちゃん?」

「……もういつも通りでいいってさ、普通思わねえか?」

「そ、そだね」

 慌てて言い直した麻耶希がへへっと笑う。

「いやー、でもほんとよかったね。あのまま帰ったら照姉超びっくりだよ。それどころかおじじ殿なんか卒倒しちゃうかも。それはそれで面白いけど」

 けど、と麻耶希が手を腰に当てる。

「そもそも羅乎兄が女ってのが無理の無理無理だよね。こんながさつ魔人がっ」

 羅乎がおしゃべりな口を塞ぐべく、その顔を正面から鷲掴みした。

「いい加減にしとけよ、てめえは」

「ぎょ、ぎょめんにゃしゃい」

 開放されて、麻耶希はその顔を擦る。羅乎の背後にいた少女へと目を向けた。

「あ、この間の月の子」

 高い位置で束ねた髪を揺らして、麻耶希が阿己良へと走り寄った。

「この間はあの馬鹿兄のせいで自己紹介もできなかったよ。あたし麻耶希。あなた、綺麗ねえ。もろあたしの好み」

 いきなり抱きつかれた阿己良は明らかに困惑の表情を浮かべた。これまでに友達がいたことがないのだから、こんな経験は勿論ないのに違いない。

「やめろ。阿己良はお前みたいなアホと違うんだ。離れろ、穢れる」

 襟首を掴んで引き剥がされつつも、麻耶希は笑う。

「阿己良って言うんだー。よろしくー」

「よ、よろしくお願いします」

「かわいー。赤くなっちゃってかわいすぎる」

 麻耶希がころころと笑った。

「で、どうだったんだよ」

 もはや聞かれたところで問題はない。連れ出すこともなく、羅乎は腕組みをして問う。

「えっとお知らせもあるんだけど何からがいいかな。衝撃度大中小ってな感じでいく?」

「じゃあ、小から」

「やーん、羅乎兄、意外と小心者」

 うるさい、と羅乎が顔を顰めた。

「月の力は女じゃないと使えないんだって」

「……その情報はなんだ」

「聞いたから教えてあげたんだよ。そうなんでしょ?」

「あ、はい。そうです」

 突然ふられて、阿己良が慌てて頷いた。

 女子にしか継承されないということは先程阿己良から聞いていたので、特に目新しい情報と言うわけではなかった。が、羅乎はふと疑問を感じて阿己良の名前を呼んだ。

「はい」

「お前、男だった時も、普通に使ってなかったか?」

「僕は元が女子ですし。多分、姉の術が半端にかかっていたのだと思います」

 解除ができないのは見よう見まねの禍した部分だったが、そういう意味では中途半端な術は幸いしたのだと言える。

 ――もしかして中途半端だから男になったはずなのに、女の部分が抜けず、妙に可愛らしかったのだろうか……。

 可能性は大いにあるように思える。

「あ、次はやや小な報告ね」

「なんだ、やや小って。中途半端だな」

「ほんとは大にしたかったけど、わからなかったから」

「そんなもん、報告じゃねえだろ」

「でも頼まれたことだもん。ちゃんと報告」

 はいはいと羅乎が応じる。

黒爺くろじいが何を持ってたのかはわかんなかった。もしかしたら父ちゃんとお揃いのおちょこかもしんない」

 それは多分――いや、絶対に違うだろうと思った。

「中は?」

「目を覚ました人、順調だよ。名前思い出したの。でね、迦瑠亜さんって言って――」

「え」

「ほんとか」

 羅乎と阿己良の声がかぶった。麻耶希が目を丸くする。

「うわ、すっごい反応。もしかして、こっちが大だったかな」

「迦瑠亜は姉です。とにかく無事なんですね」

 姉の無事は嬉しい事象だろうが、同時に阿己良の運命も決まる出来事だ。それでも、阿己良の表情は心底ほっとした様子だった。

「羅乎は、確か、逃げていた人の代わりに術を受けたって話してましたよね? もしかしてそれが姉なんですか?」

 頷くと阿己良がやはりと沈痛な表情を作った。

「殺せなくても、男にしてしまえば姉に存在する意味はありません。恐らくはそれが目的だったのでしょう」

 見様見真似ではなく、完全に術を習得していたのなら、術を受けた迦瑠亜は性別が変わる。術が進化して女王にも琥邑にも、迦瑠亜自身にも解けないようなものになっていたら、琉拿にとって迦瑠亜は全く価値のない者になってしまう。性別が変わることで影響をうけるのは琉拿の女児だけなのだから、その狙いはむしろ明らかと言える。

「すみません。完全に羅乎を巻き込んでいたんですね」

「別に、気にすることねえよ」

 律儀に詫びる阿己良に、羅乎は笑う。そのおかげと言おうか、こうして阿己良にも会えたのだし、羅乎としては不満はなかった。

「その迦瑠亜さんだけどね」

 麻耶希が改めて口を開く。

「もうちょっとうちで預かっておくけど、もうね、体力的には殆ど大丈夫な感じだよ。混乱してた記憶もね、ちょっとずつ整理されて思い出してるし。もちっとしたら連れてこれるからね」

「ありがとうございます」

「どうでもいいけどさ。迦瑠亜さんってすっごく美人だよね。さすが阿己良ちゃんのお姉ちゃん。もおね、もろ羅乎兄の好きそうな感じだよ」

「お、おい」

 助けた時にも美人だと言ってなんだか喜んでいたなどと麻耶希が笑う。思わず羅乎は阿己良の様子を伺うと、こちらを見上げた阿己良と目があった。

「な、なんだよ」

「別に、なんでもありません」

 怒ったような表情のままふいと逸らした阿己良だったが、くすくすと笑う。そんな様子に羅乎は息をつく。なんとなく弱みを握られたというか、そんな気がした。

「麻耶希、大はなんだ」

 この話題を継続するのは好ましくない。半ば強引に羅乎は言った。

「うんとね、別嬪さんの話だけど」

 麻耶希が眉根を寄せた。

「あれは美蝕みしょくって言うんだって」



「美蝕?」

 聞いたこともない名前だった。こちらは知らないのに、向こうは自分を知っている。なんとも気色悪いことだ。

「その人はね悪気。悪気そのものなんだって」

「悪気――そのもの?」

「みんなそういうの。それ以上はわからないって」

 尋ねても、皆が判を押したような回答をし、そしてそれ以上は知らないと言う。まるで知っていることを隠す為に悪気そのものという言葉を用意していたかのような、奇妙な違和感があったと麻耶希が話す。

「そりゃ、なんか隠してるな」

「だよね」

 頷いた麻耶希が突然その場にしゃがみこむ。

虎凌こりょう朱春しゅしゅんも死んじゃったっていうのに。李青りせいと黒爺も……なんかさ、みんな酷いよ」

 足元の砂に二人の名前を指で書きながら、麻耶希が呟くように言った。

「父ちゃんだって冷たいよ。黒爺が任期終わったら晩酌するってとっておきのお酒用意してたりしたくせに」

 見てきたんだ、と麻耶希が言った。

「何もなかった。みんな魔獣が食べたみたいで。葬ることもできないんだよ」

 元来懐っこい麻耶希は高天原では皆に可愛がられている。あちらこちらに行きたがる好奇心旺盛なお転婆娘は、東西南北に拠点を置く四聖獣とは特に仲が良かった。当然、それに付き合わされてきた羅乎もまた親しいのだが。

「麻耶希」

 書いた名前を乱暴に指で消す。その上に雫がぱたぱたと落ちて黒い染みになった。

「虎凌はも少しで交代する予定でさ。戻ったら久しぶりに遠乗りに行く約束だったんだ」

 虎凌とは西の西幽門を護る聖獣白虎だった。南幽門を護るのは朱雀の朱春。朱春は二人が懇意にしている朱潤の眷属で、まだ若い聖獣だった。

「なんで聖獣を殺す?」

 羅乎は阿己良を振り返った。阿己良との会話で、黒爺が「盗られた」と言った、それがなんなのか。

「聖獣たちは何を持っていたんだ」

 阿己良が麻耶希の隣に膝を折る。鼻を啜り、小さく丸まった背中にそっと手を置いた。

四門しもんはいわば悪気の出入り口です。いくら聖獣といえど、長期それに触れていればその気配は犯され、いずれは取り込まれてしまう恐れがあります」

 四門は言ってみれば悪気の呼吸場所のようなものだと阿己良が言う。ここから地上に漂う人々や生物の黒い気持ちを吸収していく。

「門の側にいられるように、門番になる者には地月ちげつの玉を与えられます。これは悪気の気を集めて作られたといわれる、悪気を凝縮したものですが、これを取り込むことで、耐性をつけ、門を護るのだと聞いています」

 地月の玉は悪気の力を削いだものでもある。だから悪気はそれを取り戻すために聖獣を襲ったのだ。全て殺されているということは、既に全てを手に入れているということだ。

「これまで、地上でこんなことってあったのか?」

「悪気が大量に溢れたことはあったようですけど。聖獣が害されるといったことは」

 阿己良が首を振る。

「父ちゃんもそう言ってた」

 時々現れる美蝕という存在。多少の波風が立つことは、やむを得ない。自然の営みのひとつ。だが、そこに何かの力が加われば、それは自然災害ではなく、人災だ。

「そんなことになっても、動かねえのか上は」

「動かないんじゃないんだって」

 恐らくは父に聞いたのだろうことを麻耶希が告げる。

「美蝕に対しては、高天原は公に動くことはしないんだって」

「しない?」

「……何もできない、って」

 「しない」と「できない」では意味が変わる。麻耶希はそのあたり曖昧に確認したようだが、もしかしたら「できない」なのではないかと思った。

 できないからしない。地上から天と呼ばれ、お高く止まっている側としては「できない」と言いたくないのかもしれない。ならばどうしてできないのか。

「どうして何もしないんだ」

「内緒だからってそれ以上教えてくれなかった。それにね、こんなことははじめてだから、父ちゃんたちにもどうしていいかわからないんだって」

 だから、高天原では一番のやんちゃ坊主とお転婆娘に任せることにしたのだ。できないことをなんとかしそうなのはこいつらだと勝手に決めつけて。

 恰好よく言えば希望を託されたと言うのかもしれないが――やはり、うまく動かされた気がする。

「いずれにしても」

 羅乎が言う。

「中央に行けばその美蝕に会えるんだろ。だったら、とっとと行って、ぶっ飛ばしてこようじゃねえか」

 自分が動くことは嫌いじゃない。だが、それが誰かの手の平の上というのが気に入らないが、そんなことを言っている場合でもなさそうだ。

 とりあえず思惑通り動いてやるとして、戻ったらどんな報酬を貰おうか、そんなことを考える羅乎だった。



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