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太陽の皇女 月の皇子~羅乎(らお)の巻~ 第一章

第一章

    1


「ちっ、気が早えよな」

 大陸の中でも北よりに位置する白鷺国しらぎこく。その中でも比較的大きな街、由四里ゆしり。予想よりも人の往来はあるが、その誰もが心なしか早足なのは、やはり寒さのせいだろうか。

 見上げた空には早くも星の姿があった。舌打ちをし、吹き抜ける寒風に胸元を掻き合わせながら羅乎らおは足早に街を歩く。夏場なら夜までは今暫く時間があるだろうに、季節の移り変わりと共に昼間の時間は確実に短くなっていた。

 陽が落ちれば街の門は閉ざされる。閉門に間に合わなければ街の外で夜明かしをする事になる。外は盗賊の類は勿論、獣や魔獣の類もうろついており夜ともなれば危険度はいや増す。遠方への旅の場合は野営もあり得るが日暮れまでに街に入れるかどうか――それは旅をする者にとって大事な問題である。この日、何とか閉門に間に合った羅乎はとりあえずほっと息をつく。数日の野宿続きでいい加減暖かな部屋で眠りたかった――が……。

「はああ、どういうこった」

 思わず盛大な溜息をついたのは故ない事ではない。閉門ぎりぎりの為、未だに宿が決まっていないのだ。ほっとしたのも束の間、今度の課題は宿探しだった。満杯だと断られた宿屋は五軒。全部で幾つあるのか知らないが、早くも挫けそうだ。

「収穫の豊穣祭が行われるんで、今時期、宿はどこも一杯だよ」

 大通りの外れの少しうらぶれた宿屋でそう告げられた時、羅乎の心は完全に折れていた。

「お嬢さん、別嬪さんだから、俺の家に泊めてやろうか」

 下卑た笑いと共に半ば本気とも取れる言葉が投げられる。盛大に鼻を鳴らして背を向けたが、路地裏を過ぎる冷風にそんな矜持さえも負けそうだ。

「宿無しよりはましだったかも」

 いざ貞操の危機になったら殴り倒せばいい。宿屋の親父程度なら負けない自信はある。

「なんてな。そんな訳にゃいかねえよな」

 秋も深く、夜ともなればさすがに冷える。街中なので外套はともかく、羽織くらいは身に着けているのが普通だろうに、自分は銀鼠ぎんねずの着物だけだ。高襟の内着を着ていることが救いではあるが……季節感のなさ、違和感は自身でも拭えない。

「寒いし」

 赤茶の髪を煽る風が、真っ白な溜息を流して過ぎていく。

「っつーか、腹減ったな」

 仕方なく、再び通りへ戻ろうと足を向ける。寝る場所は諦めるにしても、空腹くらいは何とかしておきたい。冷える腕を擦りながら数歩進んだ時だった。

「離して下さい」

 耳に入った声に羅乎は顔を上げる。一つ先の路地裏、山と積まれた木箱の隙間にいるのは象牙色の外套を着た影。それを追い込むようにして屈強な男が二人、狭い路地を塞いでいる。この寒空の下、一人の男の服には袖がない。余程ご自慢の体なのか、二の腕には見事な刺青の鬼が睨みを利かせている。

「お前のせいで俺様の大事な酒がなくなっちまったわけだ」

 おまけに、と袖なし男が続ける。

「服も濡れちまった。どうしてくれるんだよ、ええ?」

「あのクソ餓鬼を逃がしたんだ、お前が責任持って弁償すんのが筋ってもんだろ?」

 きちんと服を着た――とは言っても明らかに薄い布を一枚羽織っただけの男が小柄な影の胸倉を掴んだ。外套を着ていてさえ男達に比べれば華奢な姿は、易々と持ち上げられる。

「服代と酒代、出せよ」

「お金なんてありません。例えあっても、貴方達に渡す訳がありません」

「なんだとっ」

 派手な音を立てて小さな身体が木箱へと投げられた。その時、頭まで被っていた外套の帽子が外れ白金色の髪が露になった。

「貴方達の方があの子供にぶつかったのでしょう。自業自得です」

 それでも毅然とした声が答える。止めておけばいいのにと思う間にも、言葉に返されたのは強かな蹴りだった。腹に爪先を叩き込まれた身体がくの字に曲がる。咳き込むその顔を目掛け足が振り上げられた。

それが顔面を踏み付ける寸前、羅乎は近くの木箱を思い切りよく蹴り飛ばしていた。

「やめろや」

 派手な破砕音に男二人が振り返った。僅かに遅れて、もう一つの視線が見上げる。

「いい大人がそんな餓鬼相手に何やってんだよ、格好悪いな」

 格好良く決めたつもりだったのだが、予想以上に派手に壊れた破片を避けながらの台詞となってしまったのは情けない。とは言え、意表を突く事には成功したようだった。

「大丈夫か?」

 こちらを見上げる顔の、そのあまりの愛らしさに羅乎は一瞬どきりとした。それと同時に紫色の瞳を認識する。

 ――こいつ、もしかして。

早くも足がかりができたかもしれない。遠慮がちに伸ばされた手が、羅乎の差し出した手を掴もうとした瞬間――その紫の目が大きく見開かれた。反射的に羅乎は素早く身構えて両腕で男が放った蹴りを受け止めていた。

骨の奥に思い衝撃と痺れが伝わった。恐ろしく馬鹿力だ。まともに遣り合っては危ないと悟る。だが、それを表面に出すことはせず、不適に笑ってみせる。

「不意打ちは反則だろ」

 男はやや鼻白んだようだった。ごく普通の少女が怯む様子もなく割って入ったかと思えば、大の男の蹴りを受けても怯える風もないのだから、無理もないだろう。

「な、なんだよ、てめえは」

「別に、何でもねえよ。宿無しだし」

「はあ?」

 咳払いをして羅乎は男に向き直った。

「金が欲しいならやる。だから消えろ」

 数枚の銀貨を投げて、羅乎は背を向けた。銀貨一枚で中級の宿に一泊してもお釣りが来る。酒代としては充分すぎる金額に男達は慌てて手を伸ばした。

「話のわかる姉ちゃんだな」

 言うなり、男の太い腕が羅乎の肩を抱いた。酒臭い息が頬にかかる。

「よく見りゃ、えらい別嬪じゃねえか」

 反対から薄着の男が腕を取った。

「ついでだ、俺たちと飲もうぜ」

 うんざりと目を閉じたのを誤解したのか、華奢な腕が慌てて薄着の男を掴んだ。

「貴方達、やめなさい」

うるさいと突き飛ばされた拍子に外套の裾から落ちた物があった。路地裏に零れる僅かな明かりの中で金色の輝きが転がる。

「おい、持ってんじゃねえかよ」

 明らかに金目の物だった。細い指が伸びるより先にごつい手がそれを拾っていた。

「返して!」

 これまでの様子とは一変した。胸倉を掴まれてさえ凛としていたはずなのに、必死に訴える。返してと縋るのを袖なし男が容赦なく引き剥がした。

「姉ちゃん、これで豪勢に遊べるってもんだ。なあ、行こうぜ」

 強引に連れ出そうと腰に手を回す。と、同時に袖なし男は情けない悲鳴を上げた。

 羅乎が長靴の踵で男の足の甲を踏み付けた上に、その脛を蹴飛ばす。おまけとばかりに素早く両腕を掴むとその鳩尾に膝を叩き込んだ。

「大人しくしてるうちに消えりゃいいのによ」

 突然の反撃に薄着の男が目を瞠る。仲間が蹲るのを呆然と見やって、それから羅乎へと視線を転じる。が、薄着男が視界に捕らえたのは羅乎の靴の裏だった。放たれた回し蹴りで、今度は薄着男が木箱の山へと吹っ飛ぶ番だった。

「このアマ」

 袖なし男が立ち上がった。背後から掴みかかろうとするのに向き直り、股間を蹴り上げる。だがそれは咄嗟に閉じられた膝に食い止められた。

「――ちっ」

 にやりと袖なし男が笑う。太い腕が羅乎の片足を掴んだ。よろけた羅乎の首をもう一方の手が捉える。締め上げようと力が加わるのがわかった。

 酸素の供給が止まる。殴った所で大した威力もなかった。

 失敗した、と思う。しっかり落としたはずなのに立ち上がってくるのが予想以上に早い。感覚の違いを認識し切れていない自分に舌打ちしたい気分だった。

 とても対抗できる腕力ではない。羅乎は力で抗う事はしなかった。袖なし男の両腕を掴むと短く呼気を吐き出した。

 ――瞬間、男の腕から炎が舞った。そのまま少ない布を燃やして広がっていく。炎に気を取られた隙に逃れ、すかさず力一杯突き飛ばした。小さな炎は木箱に伸びた薄着の男の衣服と木箱にも燃え移る。

 素早く金色の輝きを拾って、羅乎は驚いたままの外套姿に手を伸ばした。

「今のうちだ」

「え?」

「もたもたすんな、行くぞ!」

 乱暴に引っ張って、羅乎は全力で走り出した。



 ほろ酔い加減の人々とすれ違い、細い路地を数本過ぎ、大通りをも越えて反対側の街外れまで来てようやく足を緩めた。追ってくる気配がない事はわかっていたが、放火魔だと思われるのは避けたい。幾つかの屋根の向こう、黒く細い煙が上がっているのが見える。少し大きくなった喧騒は小火に気付いた者がいて周囲に知らせた為かも知れない。

「ほら」

 羅乎は金色の三日月型をした物を差し出した。切れた細い鎖が垂れ下がる。蹴られたか突き飛ばされたか、その時に切れてしまったのだろう。

「あ……ありがとうございます」

 ほっとしたように息をついて手を伸ばす。が、羅乎は寸前でそれを頭上に上げた。

「ただで返すと思うか?」

 途端に不安そうな色が目に宿った。眉根を寄せ、発した言葉は震えていた。

「お……お金、ですか?」

 先ほど見せた強い意志を示す口調とは大きく違っていた。助けてくれたという安堵から一転、裏切られたと感じ、衝撃を受けたのかもしれない。

「旅の途中ですし、何も持ち合わせがないのは本当です」

 でも、とか細い声が続ける。

「でも、それはとても大事なもので」

 お願いしますと必死に訴える。

「僕はどうなってもいいです。でも、それは、それだけは返してください」

「――僕?」

 必死な声に、だが、羅乎は素っ頓狂な声で問い返していた。

「お前、男なのか?」

「は? え、あの、まあ、そうです……けど」

 おかしな質問に戸惑ったのか、それとも傍目にも明らかなほど落ち込んだ羅乎に気を使ってか、困惑の滲む煮え切らない答えが返ってきた。

「その顔で男は反則だろ」

「え、その……ごめんなさい」

 雪のように白い肌に紅を挿したような唇、外套から覗いた柔らかそうに風に揺れる白金色の髪、夜目にも鮮やかな紫色の大きな瞳。どこからどう見ても可憐な美少女ではないか。

「あの、もしかして、男だから返してくれないのですか?」

 おずおずと尋ねるのは、先の衝撃のせいではないだろう。

「別に、そういうわけじゃねえよ。これは単なる個人的な問題。精神的な部分の」

 首を傾げる少年に羅乎が金色の三日月をちらつかせる。

「これって、神拿国かみなこくの財宝だろ?」

「ち――違います」

 紫の瞳が開かれ、そして伏せられる。早口な返答もまた、明らかな肯定を示している。

「お前、嘘、下手すぎだろ」

 なんというか、駆け引きとか、そういうことにやりがいを感じない相手だ。自分も得意ではないが反応が恐ろしく正直すぎる。

「お前さ、琉拿るなの人間?」

「い、いえ、あ、違います。そ、そうです」

「……」

 絶望的に下手だ。あまりにもつたない答えに羅乎は深々と溜息をついた。

 どちらにしてもこの三日月の飾りは自分が持っていても何の意味もない。真実、神拿国王家に伝わる宝飾ならば、金に変える以外使い道はない。神拿国の月の宝飾。満月と三日月、対を成すそれは紛れもなく王家の財宝で――この世界の秩序を保つ門の鍵。そして使うことができるのは神拿国の王族のみ。

 それがなぜ、こんなところにあり、この少年が持っているのか……。

 神拿国――古くは神無国と呼ばれたこの国は特殊な宗教国家で、他国からは完全独立した存在である。

神が地上を去る際、この世の安寧の為に神力の一部を人に譲渡したとされるが、その力を与えられ受け継ぐ一族こそが神拿国の王家であり、現代の神拿国の王族だと伝えられている。神拿国王族に、特に女児に強く伝わるというその力は天よりこの世の秩序を任された、いわば現人神であり、神の代理である証だと言われる。世の理を護る為、神拿国の都だった琉拿の名前を冠す教えを広め、今では大陸の生活基盤ともなる琉拿教の総本山となり宗教国として歴史を作ってきた。琉拿教の大教皇は神拿国の女王が兼任することになっていた。

女王は琉拿を出ることはない。王族の人間も余程のことがなければ自国を出ることがないと言う。当然、神拿国の持つ宝飾が外に出るなど本来ならあり得ないはずだが……。

「あの……返してくださるのですか?」

 羅乎は少年を見やった。別段この宝飾が欲しいわけではないが、琉拿の中枢には用がなくもない。強固に護られた神拿国王家――琉拿王族にどうやって取り入ればいいのか考え、とりあえず隣国まできたもののこの先をどうすべきかは実のところ模索中であったのだ。

――それが、どうだろう。あろうことかこうして目の前に現れた。

 王族の人間かは断言できない。しかし、白金色の髪と紫の瞳は神拿国に多いものだ。そして後生大事に身につけている宝飾。何より、立ち居振る舞いが育ちの良さを感じさせる。

 直系ではないかもしれない。だが、恐らく王族、もしくは中枢に近いことは間違いない。少年は旅の途中と言っていた。同行できれば、何か方法が見つかるかもしれない。

「返してやってもいいが、その代わり、頼みがあんだけど」

「頼み、ですか?」

 大きな瞳を丸くして首を傾げる様子がまた愛らしい。

「……お前、なんか、目の毒だな」

「ええ?」

 もしかして、と少年が慄く。

「命を差し出せということですか」

「そんなもんもらってどうすんだよ」

「やはりそれが欲しいのでしょうか?」

 三日月へと視線が降りる。

「でしたらそれは貴女のものということでも構いません。必要な時に貸して頂けるなら」

「は? なんだそりゃ」

 羅乎の感じからして宝飾は本物に見えるというのに、この拘りのなさはどういうことか。

「あ、でもそうすると、一緒に来てもらわなくてはいけません。どうしましょう」

 羅乎の困惑を尻目に少年は一人で何事かを呟く。ややあってからぽんと手を叩くと羅乎の両手を掴んだ。

「こういうのはどうでしょう?」

「こういうの?」

「もし、差し支えなければ、一緒に旅をしては頂けませんか?」

「――へ?」

「貴女の先程の魔法、ですか? あんな一瞬で炎を生み出すなんて、驚きました」

 魔法とは総じて魔力もしくは妖力とも呼ばれる法力である。魔獣の中では似たような力を持つものもおり、人間もまた修行で会得することの出来る能力でもある。元々は神拿国を護るにあたり生まれた術の一つで司教や教皇ともなれば特に珍しくはないが、きちんと修業が必要でもあり、どこにでもある能力というわけでもない。

「これまで幾人か魔法を使う方を目にしたことはあるんですが」

 少年の手に力がこもる。

「あんなに綺麗で、清純な力を感じたのははじめてです。ぜひ一緒に来てはもらえませんか。そうしたらそれは貴女に差し上げます」

「……」

 羅乎は瞬く。はっきり言って宝飾はいらない。だが、少年の発言は願ってもないものだ。「行く行く!」と二つ返事で言いかけて、はたと我に返る。そんなにはしゃいでしまってはあまりにも安く思われる。それはこの先、良くないように思えた。

 わざとらしく咳払いなんぞをし、いかにも仕方ないといった表情を作ってみせる。

「まあ、そんなに言うなら、行ってやってもいい」

「やっぱり無理ですよね――って、ええ?」

 少年は大きな目をさらに大きく見開く。

「あの……本当ですか?」

「ああ、まあ……本当だ」

 徐々に綻んでいく華のような笑顔があまりにも素晴らしい分、羅乎の心は沈む。

「ありがとうございます!」

 余程嬉しかったのか少年が羅乎に抱きつく。が、羅乎が動揺を示すより先に少年の方が慌てて身を離した。

「あ、ご、ごめんなさい。その、嬉しくて」

 頬染め、恥ずかしげに戸惑う姿もまた可憐。

心の底から思う――なんで男なんだ?

「どっちみち、俺は別にこんなのいらねえから、お前持ってろよ」

 押し返された三日月を手に、少年は眉を寄せる。

「あの、では、貴女の頼みとは何なのでしょう?」

「は?」

「一緒に来てくれるかわりに何かお願いごとがあるのではなかったのですか?」

「そ、それは」

 まさか返す代わりに旅に同行させてくれるよう頼むつもりだったとはいえない。言い淀むと同時に、羅乎の腹の虫がなった。

「……今夜の飯と、寝床を提供してもらいたいってこと、かな」


    2


 ――翌日、羅乎は砂埃の舞う街道にいた。

 晩秋の柔らかな日差しが街道を照らす。乾いた風は冷たくとも、歩くにはいい気候だ。すれ違う多くの人々が街へと向かう。収穫祭が行われる為に近隣の人が集まっているのだろう。ますます宿は取り難いに違いない。

街を出る前に外套を購入した。祭りのせいなのか宿だけでなくいずれの店も盛況で三件目にしてようやく気に入るものを見つけたのだが、欲しいものが手に入るのは運がいいと店主は言っていた。とは言うものの、明らかにこの時期価格というか、金額が上乗せされていた気がしなくもない。

「なんだ、由四里に未練があるのか」

 なんなら残れよと言外に含んだ不機嫌な声だった。向けられた渋面は初めて対面した時から少しも変わらない。もしかしたらこれがこの人物の素の顔であるのかもしれないが。

「別に、そういうわけじゃねえよ」

「遠慮する必要はない。無理に一緒に来なくたっていいんだからな」

「それが本音だろ、李比杜りひと

 李比杜は琉拿の少年の護衛を務める従者だった。白に近い髪にいかつい顔立ちで、いかにも軍人と言わんばかりの、がっしりとした体躯の大男である。

 羅乎の予想するように、もし少年が本当に王族の人間ならば供がいるのは当たり前のことであるわけで――案の定、大通りに戻った二人を待っていたのがこの李比杜だった。李比杜は突然現れた羅乎に対し不審の目を向ける。それもまた当然と言えば当然の反応なわけだが、明らかに剣呑な雰囲気の漂う中、少年は至極穏やかに事の成り行きを説明し、さらりと羅乎の同行を宣言した。

「こんな得体の知れない人間を帯同させるなど、私は反対です!」

「李比杜の意見は聞いてません。もう決めたんです。この……………あ」

「あ?」

「あ?」

 羅乎と李比杜の声が重なった。少年は羅乎を見て、お名前は? と首を傾げる。

「え? ああ、俺? 羅乎ってんだけど」

 何事もなかったかのように、少年は李比杜に向き直る。

「羅乎も一緒に行きます」

「えええっ! ま、まさか名前も知らなかったのですか」

 がっくりと項垂れたのも無理はない。そしてこの時点で羅乎は少年の名前を知らなかったが、その場では口にしなかった。その方がこの従者の為と思えた。

 ……果たして、羅乎は阿己良あきら――後でこっそり確認した――従者の李比杜と三人で旅をすることになったのだった。

「まあ、いつでも偉い奴ってのは我儘だからな」

 李比杜が羅乎を警戒するのは当たり前だ。自分が護る人物に得体の知れない存在が近づけば排除するのが普通で、むしろそれが任務だ。何事か阿己良から話があったのかは知らないが、朝からの様子では警戒から保護観察に移行したようだ。礼節を欠かない程度の対応はするものの油断のない視線を常に感じる。

 なんとなく、羅乎としてはそんな李比杜の対応を好ましく思った。振り回されることに慣れることはできない、けれども命令は絶対で、ならば己の力量で何とか最善を保とうという、不器用な軍人意識のようなもの。

「むしろ、我儘じゃない偉い奴なんてのは存在しねえよな」

 羅乎の言葉に、李比杜は深い溜息で答える。

「宮仕えをしていたようには見えないが、そんな経験があるのか」

「まあ、得てしてそういうもんだろ。単なる知識だ」

 李比杜の目が細められる。

「それ以前に、お前は怪しすぎる。その若さで一人旅だという。しかも女の身だ。でかすぎる得物も不釣合いだし、おまけに、この寒空の中、外套も持っていない奴などおらん」

「うるせえな。色々事情があんだよ。っつーか、そんなに怪しいってんなら同行を認めなきゃいいだろが」

「認めてはいない」

 言い切りつつ、李比杜は歯軋りをした。

「認めてはいないんだ――俺は」

 李比杜が拳を握る。

「だが、阿己良様は言い出したらきかない。ああ見えて、恐ろしく頑固者なのだ」

 やや李比杜の声が潜められた。噂の阿己良様は荷物持ちの驢馬の頭を撫でつつ、周囲の景色を物珍しい様子で見ており、こちらの会話には注意を向けていないようだった。

「だったら諦めろ。俺だってお前らの詮索してねえんだ。俺の方もほっとけよ」

 鼻に皺を寄せる羅乎を李比杜がじとりと見る。

「なんだよ。まだ何かあんのか」

「どこからどうみても女なのに、どういうわけだか、女性と話している気がせん」

 それが一番胡散臭いのだと李比杜が言った。

「そ、それは――悪かったな」



 そりゃそうだ、と羅乎は思う。

外套の中で確かめるように握った剣の柄、その僅かな感覚の違いに溜息をつく。

 実は、羅乎は本当は男である。正真正銘の男だったのだ――ほんの十日程前までは。

 偶然だった。たまたま通りかかった際に見かけた事象に巻き込まれ、その結果、気が付いた時には性別が変わっていた。あまりに見事な引き際だったこともあり、相手の素性を確認することができなかった。それでなくても助けた人間を保護する方が先決で追跡ができなかったというのもある。だが、まさか去り際の、負け惜しみのような術がこんなことになろうとは思いもしなかった。

 自分自身、この身体に慣れていない。勿論、精神的にも慣れていない――否、慣れるわけがないのだ。

女らしく振舞うにはこれまでの人生を否定するようでどうにもこうにも納得がいかず、結局、素のままでいるしかないのだという結論に辿りつくのに数日を要した。数日で済んだのは無駄な考えに頭を使うのを放棄したということに他ならない。

 己では戻す事はできなかった。故郷に戻れば直す術はあるかもしれないが、まさかこの状態で帰ることだけはできない。こんな姿で戻ろうものなら一体どれだけの笑いものになるか。想像するだけでも耐えられない屈辱だ。まして威勢よく啖呵を切って飛び出してきた手前、尚更それは恰好悪すぎる。

 ――つまり、己自身の力で術者を探し、解除させなくてはならないのだ。

 だが羅乎にはそれよりも優先させるべき事項があった。そもそもその為に神拿国の王族に取り入ることを考えていたのだから、本来なら自分の性別など大した問題ではない……はずではあるのだ、本音は別として。

「……」

 町の脇を流れる小さな川、夕陽を受けて輝く様子は単純に綺麗だった。手近にあった草を玩び、透明な流れに指を浸してははしゃいでいる少年の背中を眺めながら、羅乎は深々と溜息をついた。

 由四里から半日歩き、小さな町に到着していた。李比杜は三人分の食事を調達すべく町に行っている。せっかく町に到着したのだからと昼食は味気ない携帯食ではなく町で購入しようと阿己良が提案した結果だった。

 本来なら一緒に行くはずの阿己良が外で待てるのは羅乎が加わったからに他ならない。町へ同行しようとするも昨日のような事態を避ける為と李比杜は説明した。が、本音は新たな拾い者をしては困るといったところかもしれない。

 とはいえ、胡散臭いといいつつ、羅乎と二人残していくあたり不思議ではある。恐らくそれは羅乎を信用しているのではなく、阿己良の感覚を信じているのだろう。

「俺ってえらいよな」

「何がです?」

 独り言に質問が返されて羅乎は目を見開いた。途端、その頬に氷のように冷たいものが触れ、思わず声を上げると阿己良がいたずらっぽくくすくす笑う。

「な、なんだよ」

「、すごく冷たいんですよ」

 何かと思えば、押し当てられたものは阿己良の手だった。楽しそうに微笑んでいるが、川の水で冷やした手は完全に青白く、冷えを通り越した指先は赤くなっていた。

「お前は馬鹿か」

 羅乎は慌てて己の手で包んだ。手袋を通してさえその冷たさがわかる。

「こんなになるまでやるか? どこまでいたずらに命かけてんだ」

 少女のような顔に淡い微笑が浮かぶ。

「川ってこんなに冷たいんですね。知らなかった」

国から出たことがなくて、と阿己良が小さく言う。羅乎の両手から自分の手を抜き取ると、そのまま膝を抱えた。

「神拿国は一年中常春で、暖かいんです。多少の寒暖はありますけど、霜が降りることも滅多にないし雪も降らないから」

 ――やっぱりな。

阿己良は王家の人間に間違いない。明らかに位のある武人と思しき従者もいるので間違いないだろうとは思っていたが、王家の、それもほぼ中枢に違いない。王家の中心に近ければ近いほど国を出る機会はないのだとは聞いている。他人に対する警戒心の薄さも、生真面目な正義感も、すべては温室育ちの結果か。

「じゃあ、いつか雪の国に連れてってやるよ」

「本当ですか?」

「ああ、約束する」

 多分、この約束を叶えることはできないだろう。

 神拿国の王族が月の飾りを持ち、旅をする。その意味はただ一つ。この世界に不和を生み出す悪気の元を封じ込める為だ。目的が果たされれば国へ戻ることになる。羅乎の知る限り、よほど国家的な行事でもなければ国外へ出ることは許されないはずなのだ。王族に宿る特殊な力を継承させると言う、彼らに課せられた、他との交流の断絶。

 ――ただ、たった二人きりの旅というのがどうにも解せない部分ではある。

「阿己良様」

 草を踏む音に振り返れば李比杜が慌ててやってくる。その手には荷物も食料もなかった。

「この町で休んでいきます。出発は明日明け方」

「何かあったのか?」

 問うたのは羅乎だった。

「この先、麓の町は死んでるらしい」

 阿己良が息を呑む気配があった。左手で八の字に空を切ると両手を握る。琉拿教の祈りの動作だった。

「だから明日早朝に出て、ここから直接山へ向かう」


    3


 人気の絶えた町とはなんと不気味なのだろう。

闇の中、一層暗く映る影は家々だったが、そこにより深い黒々とした陰影はそれぞれの窓だった。灯される明かりの失われた窓硝子は空虚な闇を反射し、無機質な闇を生み出していた。

「……悪気あっきか。間違いねえな」

 いかにもな景色に羅乎は溜息をつく。幾度となく見慣れた風景ではあるが、だからといって許容できるというものではない。

 周囲が寝静まったのを見計らって、本当であれば今夜立ち寄るはずだった町へと足を運んだ。近づくに従い、なんとも言えぬ気味悪さが漂う。不穏な空気に混ざって感じられるのは違うことのない死臭だ。

 町を囲うのは古びた壁だった。大きな街になればそれは立派な城壁や城門となるが、あまりに規模の小さい村や町では門の他には形ばかりの囲いがあるのが普通だ。とはいえ、それでも微力ながら呪が施されている。外敵――獣を含め、主に魔獣の類からの侵入を阻止する役割があるのは変わらない。その中に足を踏み入れて、羅乎は表情を険しくした。

「呪があだになったのか」

 囲いに入った途端、外からはわからなかった異様な気配があった。多少の不快感はあったものの、まさかこれ程までとは思いもしなかった。

 一軒の扉を開いて、途端に強くなる腐臭に羅乎は更に眉を寄せる。

 床には黒い染みが広がっていた。既に乾いているがそれは血の痕に違いなかった。奥に黒く蠢く塊がある。肥えた肉蝿の不気味な羽音が部屋のあちこちから聞こえる。

 別の家に歩み寄ると割れた窓硝子を棒が突き破って飛び出ていた。硬く、茶色に変色した布のこびりついたそれは明らかに人間の腕だった物。干からびた組織が所々に残った、黄ばんだ骨には肘から向こうがなかった。

 死体を食す虫以外、生命の感じられない空間。そしてここには蟠る悪気は既にない。あるのは無残に食い尽くされた残骸だけ。悪気は生気を喰らい、これ以上搾り取れないと感じるや、この場を離れたのだ。

「ここまで酷いのは、はじめてか」

 気に敏い人間がいたのだろう。悪気に苛まれ、自我を失くし、狂気に囚われて凶行に及ぶ。有り得ない事ではないが、最悪の例だ。

 ――思った以上に深刻ってことか。

決して軽く考えていたわけではないが、それでもなんとかできるのではないかと思ったのだ。周りの年寄り連中は手を出すだけ無駄だと言っていた。その露骨な態度は腹立たしかったが、予想以上の現状に己の考えの甘さを認めるしかなかった。

「――」

 ふいに何かを感じて、羅乎は目を上げた。そして耳を澄ます。何かがいる気配があった。

誰だなどと誰何することはしない。そんなことをしては相手に自分が気付いたことを知らせてしまう。暫くの間、これまで通り散策するような足取りを保ちつつ、全神経は周囲へ張り巡らせていた。だが、それ以降、何かが動くような様子はなかった。

気のせいと思うことはしない。気が感じたのは間違いないのだ。ただそれに裏づけができなかっただけのことだ。

 悪気が一度食い散らかした場所に戻ることはこれまでに一度もない。魔獣か。そうでないなら誰かが自分の様子を見ていたということだ。

 心を引き締めるように一度、目を閉じる。

再び目を開けた羅乎はその場に膝をついて、地面に触れた。途端、どこからともなく火が生じた。見る間に大きくなった炎は乾いた風の勢いを受け、そこにある家々を飲み込んでいった。



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